第二話 「誘拐軍師」
マルブル陥落から半年後、アーンゲル大陸歴947年6月10日。
太陽が本日の仕事を終え、夜が一つ欠伸をしてゆっくりと起きあがる。月はまだ山の陰に隠れているようだ。
もうすぐ夏だというのに、あたりには冷え冷えとした北国の山特有の空気が満ちており、その山の一角でたき火を焚いている一行がある。隆起している剣山のような岩の中で夕餉の支度をしているようだ。
たき火の上で煮立つ鍋を囲んでいる三人の男は、山歩きの格好をしているが、その衣服には豪奢な装飾品が散りばめられ、たき火の光を複雑に反射している。
「しかし、お嬢様の我が儘にも困ったものだ」
鍋で粥のようなものを炊いているひょろ長い男がため息をつくと、星を眺めている少年がそれにつまらなさそうに同調する。
「全くだ……です。いきなり山の向こうの湖で朝日を見たいとか言い出すのだから……のですから」
少年の横に座って、鍋の出来上がりを待ちわびているガタイの良い男が、少年の言動を直すように肘で小突く。
「まあまあ。たまにはいいじゃないですか。朝日を反射する湖は一見の価値がありますよ。それに、このように夜空の下で炊いた粥は格別ですからね」
何よりもそれが楽しみと言わんばかりに、ガタイの良い男は粥が出来上がるのを体を揺らしながら待っている。そのたびに彼の服についている装飾品がチャラチャラと音を立てる。
「……使用人にも着飾れというお嬢様の意向は理解し難いものがあります。我々がこんなものをつけても不相応ですし、仕事がしにくいことこの上ありません。今も鍋に入らないようにするので精一杯ですよ」
ひょろ長い男は、ゆったりとしたローブの袖についている金色の細いチェーンを片手で押さえながら鍋をかき混ぜている。
「さあ、こんなところでしょう。粥ができました」
「待ってました!」
ガタイの良い男と少年が木でできた椀を持って鍋から粥を掬おうとするが、ひょろ長い男がその手を叩く。
「君たちが先に食べてどうする。まずはお嬢様にお運びしてからだ。お嬢様がもういらないと仰るまで我々は食べてはいけない」
「ちぇ、そんなお屋敷のルールをこんなとこまで持ち出さなくてもいいじゃねえ……いいんじゃないでしょうか?」
またも小突かれる少年は、不服そうに眉を寄せてガタイの良い男を見るが、彼はそんな視線は意に介さないようだ。
「私はお嬢様に粥を持って行きます。二人とも、おとなしく待っているのですよ」
二人は不満で口を尖らせるが、ひょろ長い男が睨みつけると、鍋から手を引く。
ひょろ長い男が、岩陰の後ろに止めてある馬車の戸を叩く。この馬車にも金銀の装飾が施されており、いかにも金が余っているという印象を与える。
「お嬢様。夕餉をお持ちしました」
戸を叩いても呼んでも返事がない。慣れぬ旅で疲れて眠ってしまったのだろうか。
「お嬢様? ……失礼します」
仕方なく戸をそっと開けて中をのぞいた彼はぎょっとする。煌びやかな馬車の内装が乱雑にはぎ取られ、その中でふんぞり返っているはずの少女の姿もなかった。
「お――」
慌てて叫び声をあげる彼の首筋に冷たい刃の感触が伝わる。それと同じように冷たい声が後ろから響く。
「声を出すな。動くな。おとなしくしていれば命までは取らない。外にいるデブとガキも同じ目にあっている」
「き、君たちは……」
誰何しようとするが、喉元の刃がわずかに動き、血の筋を作る。
「喋るな、と言ったんだ。俺たちの縄張りに入ってただで通れると思うなよ。通行料を払って貰おうか。貴族様からはちょいと多めに頂くがな」
そういって後ろの男は彼の袖についている金のチェーンをはぎ取る。
「使用人のくせに良いもん持ってるじゃねえか。なぁに、俺たちも鬼じゃねえ。薄汚いローブだけは残してやるよ」
「お、お嬢様をどこへやった」
「へっ、そんなにあのガキが大事かい。そうだろうな、あの翼が本物なら普通じゃねえ事情があるんだろうな。だが安心しな、もうそんな悩みとはおさらばだぜ」
「そうか。君たちがこの辺りを根城にしている赫赫の盗賊団か」
妙に落ち着いた声になった彼に、盗賊団の男は少し訝るがすぐに調子を取り戻す。
「へっ、よく知ってるじゃねえか。だが盗賊じゃねえ。俺たちは義賊だ」
素早く体を反転させられ、後ろの盗賊と目があった瞬間、腹部に拳をたたき込まれて彼の意識はそこで途切れる。
「ずらかるぞ! 野郎どもはここに捨てておけ!」
そして盗賊たちは使用人たちの衣服を剥ぎ取り、宝物を背負って根城へ帰っていく。
☆・☆・☆
「お頭! やったぜ、大漁だ!」
「あの一行めちゃくちゃ金品持ってやしたぜ!」
「まるで王宮の宝物庫から持ってきたみたいに質も良いぜ!」
首尾よく『山を登る人の荷物を軽くする事』に成功した彼らは、戦利品を抱えて朽ちた城跡に入っていく。戦火で焼けた城は、彼らならず者にとって格好の隠れ家だった。
彼らが、自分たちの長が待つ執務室に入ると、入り口に立っている藁束を短く刈ったような髪の長身の男がニヒルな笑みを浮かべて戦利品を改める。
「どれもマルブルの意匠だな。この前滅びたマルブルの貴族さんのようだ。こいつは良いぞ、ヴァン。マルブルの品は高く売れる」
藁束頭の男が金細工のブローチを一つ取って投げると、ヴァンと呼ばれた男はそれを受け取りしげしげと眺める。
「暴れまわっているカタストロフの支配から逃げるには身を軽くしとかねえといけないからな」
この盗賊団の団長であるヴァンは、城主が執務を執り行っていただろう煤けた椅子の上でふんぞり返り、これまた焼けた重厚な机に足を行儀悪く乗せている。広い部屋の壁には松明が煌煌と焚かれ、部屋全体に明るい影を散らしている。
ヴァンは三十歳なのだが、少々老けて見えるために、初対面の人間が年を聞くと大抵意外そうな顔をする。日に焼けた肌と、赫赫の髪を伸ばして後ろに結んでおり、顔の中心を一文字に斬られた傷と、鷹の目のような金色の鋭い眼光は見るものを威圧させ、彼の強さを全面に表している。体格はとても良くて剣の腕も優れており、盗賊狩りの襲撃を何度も撃退せしめたのも、彼の剣技の冴えによるところが大きい。盗賊狩りに出てくるような騎士隊長程度では一合打てば決着がつき、将軍クラスですら彼を討伐することができていない。
奪った戦利品を分配する前に、彼は団員たちを一瞥する。
「俺たちは肥えた豚のような貴族たちが重そうに持っている金品を軽くしてやる。もっとも、身軽な奴からは何も取らねえ。だがよ、貴族からでも絶対に奪っちゃいけねえものはなんだ?」
ヴァンのいつもの問答が始まる。団員たちもいつものように声を揃えて答える。
「命だ!」
団員たちの答えを受け、口角を上げて満足そうにうなずくと、彼は机を飛び越し、団員たちの前に立つ。
16/03/12 文章微修正(大筋に変更なし)
16/08/10 文章微修正(大筋に変更なし)
16/09/03 文章微修正(大筋に変更なし)
16/12/27 文章微修正(大筋に変更なし)
17/03/15 文章微修正(大筋に変更なし)
17/03/16 サブタイトル変更(旧:行方不明軍師)
17/03/27 文章微修正(大筋に変更なし)
17/06/21 文章微修正(大筋に変更なし)