第一九話 「蒼穹軍師」
「レージュ!」
ヴァンがレージュを抱えて横に飛ぶと、彼女のいた位置に上空から鋭い爪の攻撃が襲いかかり、持っていた松明が粉々に切り裂かれる。その爪は、城主の眼前で城壁の石床をめくり上がらせ、周囲の敵対者を順番に睨みつけていく。
「キメラだ!」
いくつかの動物が歪に合わさったこの世ならざるモノ、それがキメラだ。
このキメラは顔だけ見れば虚ろな目をした男である。だが四メートルはあるであろう巨大な体躯に、腕はベージュ色の大きな翼、体は同じ色の羽毛に覆われている。さらにごつごつの黄色く太い鳥の足の先には汚れた爪が光り、尾が巨大な蛇の頭になっていて赤い舌をチロチロと動かしていた。
人の腕ほどの太さもある蛇が、城主の上に乗っているオンブルに狙いを定める。蛇の鋭い牙を避ける為に、両手でフクスを押さえていたオンブルは、その場から離れるしかなかった。邪魔者がどいたところでキメラは城主の方へ向き直る。
「ご無事で」
キメラの背に乗った男が城主に呼びかける。男は全身を黒いローブで包んでおり、フードを目深にかぶっていて顔は見えない。
「こ、殺せ! 奴らを殺せ!」
「御意」
無様に起きあがった城主は、半狂乱に叫び、自身を助けたキメラを操る術者に礼の一つも言わない。術者は低い嗄れた声で答えると、キメラの顔をレージュたちへ向ける。
「鳥と蛇の合いの子ってところか。焼いて食っても美味くなさそうだ」
剣を抜いたオンブルが軽口を叩くが、そのニヒルな口元にもすこし力が入っている。
「レージュ、離れていろ」
ヴァンも緊迫した面持ちで剣を抜き、レージュを下ろして退避するように言うが、彼女は首を横に振る。
「いやだよ」
「馬鹿なことを言うな。あれはお前を守りながら戦えるような奴じゃない」
「大丈夫。今なら守ってもらう必要はないから」
そう言って、革の胴着からパルファンを一本取り出す。戦闘状態だというのにサークレットで火を付け、口にくわえてゆっくりと吹かす。そして火付けに使った十字架のサークレットを手に持ち、いじり始める。いつものように手に持って回すのではなく、十字架同士の接合部を取ったり付けたりしている。がっちりと繋ぎ合っているはずの十字架たちは、彼女の小さな手の中でどんどん位置と形を変えていく。
「前衛が二、後衛が一でバランスがいいね。良かった」
まるで遊びあきたパズルで遊ぶ子供のように慣れた手つきで、十字架のサークレットをあっという間に小さな弓の形に変えてしまった。そして空に放ると、小さな弓はまばゆい光を発し、レージュの身の丈程もある大弓に変化して床に突き刺さる。
「おいおい、何なんだその面白武器は」
「話は後でね」
軽々と大弓を引き抜いて、細い指を弾いて音を鳴らすと、レージュの周りに小さな十字架が五つ現れ、それぞれが衛星のように飛び回る。旋回している小さな十字架を一つ掴み、弦に当てて引き絞ると、十字架が細く伸び、矢へと変化する。小さな彼女では、満足に引き絞ることなどできないように見えたが、弓から放たれた矢はキィンと甲高い音を立てて凄まじい早さでキメラへ向かって行く。
キメラが耳障りな叫びを上げてその矢を避けようと体を動かす。しかしその矢は予想以上の早さだったため、キメラは避けきれず、こめかみに傷を残す。ただの矢ならば、何本体に突き刺さっても何も感じぬであろうキメラが、この時は予想外の痛みに、翼を大きく広げてのたうち回った。
「くっ、落ち着け!」
キメラの背に乗っている男が、暴れるキメラから振り落とされまいと必死に制御する。
強力な兵器であるキメラは、その代償として様々な弱点がある。その一つに、契約を交わした術者に常に触れていないと行動できないというものがある。そのため、ここで術者である男と離れてしまうと、動けなくなってしまうのだ。
「今は、あたしも戦えるってことよ」
「……何か、口調が変わってないか?」
「気にしなーい気にしない。細かいこと気にしているといい男にはなれないわよ。ね?」
口調どころかキャラクターまで変わったレージュは再び十字架の矢をつがえ、動き回るキメラに狙いをさだめる。
煙を纏ってニヒルに笑いながら弓を引き絞る彼女は自信に満ちあふれていた。万が一にも負ける事など考えていない。その絶対の自信は、共に戦うものに限りない勇気を与える。
「あたしとヴァンとオンブルがキメラを倒すからほかの人は城内を見張っててねん。妙なことしたら松明を投げちゃって。ヴァンとオンブルは防御主体で戦ってくれないとイヤよ。奴さんがこっちにこないよう引きつけながらね。メインのアタッカーはあたしだけど、狙えるなら乗ってる術者を倒してちょうだい。さあ、唐揚げ作戦の詰めに入るわよ!」
変な口調のよく通る声で手早く指示を飛ばすと、オネットたちはうなずき、周囲には再びキメラの耳障りな咆哮が響く。もうこれ以上喋っている暇はないようだ。
そして、天使対キメラの一戦を見ようと、東の山の向こうから朝の日が完全に姿を現した。
☆・☆・☆
「オラァ!」
威勢の良い声と共にヴァンが斬撃をキメラの腹に打ち込むが、その刃は両断するどころか、少々めり込んだだけで、傷一つ付けられずに弾かれる。続けてオンブルが低い体勢から剣を突き出すが、こちらも同様に弾かれてしまう。キメラが羽のついた腕でヴァンたちを掴もうとするが、流石に大人しく捕まる彼らではない。逃げ足は超一流。そう言うだけあって、戦いが始まってから彼らは縦横に動き回り、キメラの視線を休ませない。
しかし、攻撃は喰らわないが、こちらもダメージを与えられていない。このままでは、いずれ疲れて追いつかれてしまう。
「やれやれ、骨が折れるな」
「王太子殿下には何か策があるのかい」
「ないな。今はこいつが地上にいてくれるから良いが、飛び立たれたらどうすることもできんぞ」
「そこは嬢ちゃんが上手く牽制しててくれるからな。だがこのままじゃジリ貧だ」
「俺たちは天使に言われたようにやるしかないだろう。術者か、あるいはどこか斬りやすい所を探さないとな」
キメラとの戦闘中ですら余裕を見せるオンブルとヴァンだが、その顔は若干ひきつっている。時折レージュの放つ矢も、かすりはするのだが、致命的な一撃には到底至らない。
「ちょいとお二人さん、のんきに話してないで動きを止めておいてくれないかしら。もう矢もあと二本しかないんだから」
後ろから変な口調のレージュの声が聞こえ、矢の残数が二本しかないことを伝える。何故突然そんな口調になったのかは置いておいて、もしも矢を打ち切ってしまえば、キメラに直接有効な武器は無くなってしまう。それは、ただでさえ不利な状況に、より一層の苦戦を強いられる事となる。
「尻尾の蛇を狙いなさい!」
レージュが叫び、矢を放つ。凄まじい速度で飛び出した矢を避けるには、キメラの方も全神経を集中させる必要があった。迫り来る矢だけを見、それを躱す。
「オンブル!」
「あいよ!」
最も身軽なオンブルが矢と同時に素早く駆け出す。矢を防ぐためにある城壁の凸凹の上を、黒豹のように軽快に走り抜け、キメラの背後へ回り込む。そのままの勢いで、キメラの尻尾を切断した。切り口からは紫色の体液が吹き出す。尻尾を切断された痛みで、たまらずキメラは大きく仰け反った。
「そこだ!」
レージュは急いで弓を引き絞り、キメラの顔面を目がけて致命の一撃を放つ。はずだった――。
「おおっとと!」
焦って手が滑ったのか、あろう事か矢が弦から滑り落ちてしまう。十字架の矢が落下音を響かせた瞬間、全ての時が止まったようだった。
その隙に真っ先に動いたのがキメラだ。尻尾を切り落とされた痛みで仰け反ったが、半分はレージュの矢を打ち切らせる誘いであり、放たれても避ける自信はあった。しかし、予想に反してレージュがうっかり最後の矢を落とし、ヴァンたちはその事に目を疑い硬直している。
ならばもう演技は必要ない。常勝の領域である空へと飛び立つだけだ。飛び立つ隙を狙い続けてた小娘も、今は動けないのだから。
「飛べ!」
キメラ術者がその千載一遇のチャンスを見逃すはずもなく、ヴァンとオンブルを吹き飛ばして上空へ飛び立つ。ここならばもう剣の攻撃は届かない。ここならば矢も難なく避けられる。
再び大きく羽ばたき、更に高度を上げていく。
そして、巨体を翻し、城壁へ向けて一直線に降下する。その様は、放たれた矢よりも速く、強い。巨大な銛となって城壁のレージュに向かって突き進んでいく。
キメラ術者の眼が、小さな天使を視界に捕らえたとき、少女は慌てて矢を拾い上げ、上空に向かって引き絞っていた。最後の矢が放たれる。地上にいたときはその速さに驚愕したものだが、ここでは通用しない。最後の矢を難なく回避する。これで奴らは万策尽きた。あと数瞬後にはキメラの爪が小賢しい小娘を八つ裂きにするだけだ。
レージュを庇おうとヴァンが向き直った瞬間。
キメラが少女の表情すら捕らえた瞬間。
パルファンをくわえた口は、口角が上がり、小さな八重歯が見えていた。
16/12/27 文章微修正(大筋に変更なし)
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