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第一七話 「潜入軍師」

 レージュの予告通り、重い雲に覆われた夜空が少しだけ白くなってきた頃、雨が降ってきた。小雨ではないが大雨でもない雨は、彼らの動きをあまり阻害せず、かつ敵の目から隠してくれた。


 渡河して砦の裏手に集まったのは、レージュ・ヴァン・オンブル・オネット・スーリの五人と、盗賊団と騎士から選ばれた二十人だ。その中には子供の姿もあった。ビブリオは他の兵士たちと離れた場所に待機している。


「……まさか泳げないとは思わなかったな」

「水鳥の羽と違うからね、水を吸って重くて沈んじゃうんだ」


 泳げないレージュはヴァンの背に乗って渡河した。オネットが、無礼だから自分の背に乗れと言っていたが、子供一人なら軽いものだと高を括ったヴァンはその仕事を引き受けた。だが、彼女の羽の重量はなかなかのもので、更に雨で水を吸っているので危うく溺れかけたのだ。


「それで、こっちは本当に渡っちまうとはな……」


 全員が鎧を脱いで身軽な格好で渡河したが、そんな中で、オネットだけは甲冑を着込んだまま渡河してしまった。


「自分の体の一部のような物ですから」


 驚愕するヴァンとオンブルにそう言ってオネットは笑っていた。



 レージュは兵たちに、指示があるまで厨房の裏手で待っているように言い、まずは、スーリとオンブルが身軽なフットワークを活かし、縄を担いだまま城壁を素手で軽々と登っていく。城壁の上を巡回している見張りを暗闇と雨に紛れながら打ち倒し、下で待っているレージュたちに縄を下ろす。彼女らが登ってくる頃には、砦の城壁の四隅にある小さな詰め所の一つをスーリとオンブルの二人が制圧していた。


「おいヴァン。このガキんちょ、結構やるぜ。すぐにでも俺たちの仲間になれるぞ」

「あげないよ。あたしのだからね」


 オンブルがスーリの働きを誉めて勧誘しようとするが、レージュは自分のものだと言って突っぱねる。しかしスーリは不機嫌そうに舌打ちをする。


「オレはお前たちの物じゃない。ローワ国王陛下のためだけに働く騎士だ」


 すでに新たな王がここにいるというのに、彼のヴァンに対する態度は素っ気ない。まだ認めていないという風にヴァンを睨んで、気絶している見張りの鎧を剥いでいく。


 自分を無碍に扱われることに対して気にもしていないヴァンの腹をレージュが軽く叩いた。


「スーリはまだ子供だからね。いろいろ気難しいのさ。気にしないでやってよ」

「そういうものか」

「そういうものさ」

「黙れ。オレより年下のくせに大人ぶるな」


 王太子と軍師のからかうようなやりとりに激昂しそうになる少年騎士を、歴戦の猛者であるオネットが諫める。


「スーリ、その辺にしておけ。これが潜入作戦だということを忘れるな。レージュもだ。こういう時までこいつをからかわないでやってくれないか」

「悪いね。ヴァンと話してると、王の爺さんと話してるみたいでさ。つい気が緩んじゃうんだよね」


 レージュの言葉に、スーリとオネットは囚われの王の身を案じる。今はまだ遠いが、こうしてレージュの言うとおりに王都奪還作戦を進めていけば、必ずや王を救出できるとオネットは信じている。

 しばし鎧を脱がす音のみが詰め所を闊歩した。


 ほどなくして見張りの鎧が床に転がると、レージュが意地の悪い笑みを浮かべる。


「それじゃあ、唐揚げ作戦を始めようか」


                ☆・☆・☆


 その頃、城内の廊下を憎々しげに歩く男がいた。足音は荒れており、通路に立っている見張りの兵士が欠伸でもしようものならば、たるんでいると怒鳴り散らしている。

 男は、この砦の現城主フクスである。


「まったく、なぜ私がこんな辺境の端に飛ばされねばならぬのだ」


 筋肉よりも脂肪が多い体は、血よりも金を食らい続けてきた証であり、動きを阻害するだけの贅肉の鎧となっている。

 彼は、元々カタストロフの首都で税を取り締まる役人だったが、狡いやり方で税を懐に入れていたのが上にばれて、辺境の砦の城主へと左遷されてしまったのだ。

 そんな彼の趣味のひとつが、深夜の城内を歩いて回り、兵士たちが仕事をしているか抜き打ちで見回りすることである。


「ええい、どいつもこいつも無能しかおらんのか」


 そう一人ごちて薄暗い廊下の角を曲がると、向こうに見える壁の影で二人の兵士が話し込んでいる。


 またサボっているのかと声を荒げようと近づこうとしたとき、彼らの会話が耳に入った。


「本当にやるのか?」

「ああ、もうあんな豚城主はいらん。さっさとこの世から出て行ってもらう」


 彼らの話の危険性に、フクスはあわてて近くの壁に身を潜める。


「決行は明日の夜、奴が寝た後だ。深夜の抜き打ち見回りが二日続く事はないからな。詳しくはこの計画書に書いてある。よく目を通しておけよ」

「しかし哀れなものだな。帝都の役人が辺境に左遷され、そこで部下に殺されるとはな」

「自業自得だ。ほれ、無くすなよ」


 兵士が紙を受け取るのを見て、城主はたまらず壁から飛び出し、怒声をあげる。


「貴様ら! 一体なんの話をしている!」


 フクスが叫び声を上げると、二人の兵士は一瞬だけ硬直した後、一目散に逃げ出していった。


「待たんか!」


 古今東西ここんとうざい、この言葉を受けて素直に待つ者など一人としていない。贅肉をたっぷりと付けた城主では彼らに追いつくことができず、すぐに見失ってしまった。明け方前で暗いこともあり、兵士二人の顔を確認することはできなかった。


 地団駄を踏む彼の目に、一枚の紙が飛び込む。その紙こそが、先ほど兵士が受け取ろうとした計画書であった。フクスが計画書を拾い上げて目を通すと、そこには緻密な計画がびっしりと書き込まれており、彼の部屋の間取りや一日の行動スケジュール、いつどこで寝るかなどが事細かに書いてあった。


 熟れた林檎よりも赤くなった顔でその計画書を乱雑に引き裂くと、大急ぎで自室に戻って、城主の形相に驚く秘書官に向かって唾を飛ばす。


「全員叩き起こせ、城内にいる人間全てだ。今すぐ武装を全て解いて中庭に集まるように知らせろ。もたもたしていたらキメラの餌にするとな!」

「で、ですが、それでは敵に襲われたらひとたまりもありません。せめて見張りだけは……」

「連合軍共がこんなところまで来るわけがなかろう! つべこべ言わずにさっさとせぬか! いいか、一人残らずだぞ!」

「は、ははっ!」


 この召集は、緊急事態を告げる鐘の音となり、瞬く間に城内に響きわたった。


                ☆・☆・☆


「よしよし、誰もいないね」


 緊急召集で無人になった食料庫の中で、十字架の眼帯を付けた隻眼の天使はほくそ笑む。

 彼女の周囲には、先ほど外で待機していた二十人が大樽やら縄やらを抱えおり、彼女の指示で食料庫から廊下へ出て行く。


「上手く行くもんだな。情報通りに油もたっぷりとあるしな」

「ここは元マルブル領だからね、住んでいる人はマルブルの人だ。あたしはマルブルではちょっと顔が広いからさ、兵糧を入れる時なんかに色々調べてもらった」


 レージュたちがヴァンを迎えにいく前に、このデビュ砦については調べ尽くしていた。兵の数や配置、見回りの経路や時間、城主のスケジュール、そしていつ兵糧を入れるかという事も。


 この作戦には大量の油を要する。いざ決行して油が無いでは話にならない。そんなことが起きないように、レージュはしっかりと調査を済ませていたのだ。


「しかしこんな回りくどいことしないで、最初っから城主を押さえた方が早かったんじゃないか?」

「あんたが一人で五百人と戦って無傷でいて、なおかつその死体を全部城外に埋めてくれるならね」


 見張りから剥いだ鎧を脱いだヴァンの案を、レージュはぴしゃりと跳ね返す。


 城主は兵からの信頼が薄い。人質に取っても効果はほぼ無いだろう。また、本当に暗殺したとしても、まだ五百人の兵が残っている。暗殺に気づいた彼らは城門を絶対に開けないだろうし、警戒も強化されるだろう。それでは砦は取り戻せなくなる。そうなれば当然戦闘は避けられない。少ない戦力をさらに少なくする愚は犯したくない。

 そして戦えば必然、死体が生まれる。これには兵を失うという意味以外にも問題がある。まだ夏本番ではないが、これからどんどん気温は高くなる。死体を放置しておくと、病原菌の温床となり、疫病が発生する。砦を取り戻しても疫病が蔓延してしまっては意味がない。それを避けるために、蒼天の軍師は、流れる血の量を最小にする作戦を選んだのだ。


「川もあるし、疫病は大丈夫だと思うけどね。それでも、人が死なない方法があるならそっちを取る」

「なるほど、そんなことまで考えていたのか」


 彼女が瀕死のマルブルを盛り返した事をここにきて改めて知る。敵を知り、己を知るだけではない。地の利を知り、天の気を知り、人の心を知る彼女は、まさに勝利の女神であった。


 しかし、その認識に大きな誤りがあるのを、ヴァンが知るのは、まだ先の事である。


「なんてことはないよ。十重二十重とえはたえに策を仕掛けるのは当たり前。後はそれを状況によって使い分けるだけだ。――よっと」


 細い縄の束を肩に担いでヴァンの腰を叩く。


「さ、あたしは王様だからって差別はしないよ。あんたも早くこの樽持って行って。樽を城壁に置いたら縄で囲ってね」

「へいへい」


 二人は食料庫をあとにし、城壁へと続く階段を上っていく。

 鳥のさえずりが聞こえてくる。明かり取りのために開いた小さな窓から見える空は明るくなってきた。

16/12/27 文章微修正(大筋に変更なし)

17/03/27 文章微修正(大筋に変更なし)

17/07/08 文章微修正(大筋に変更なし)

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