第一四話 「着替軍師」
「上手くいったようだな。演説も見事だった」
戻ってきたレージュに最初に声をかけたのは近衛隊長のオネットだった。
「当たり前でしょ。あたしを誰だと思ってるの」
当然と言った顔でレージュは「にひひ」と笑う。
「で、どれくらいいる?」
突如真面目な声色でオネットに曖昧な問いかけをすると、彼はそれを予想していたように答える。
「残念ながら半数程度だ。私も説得したのだが、やはり実際に行動を示していただかないと限界がある」
「それでもあたしがヴァンを迎えに行く前よりは減ってるね。さすがはオネット。ヴァンはこの後の戦いにも参加させるし、折を見てみんなの前で自分の考えを語ってもらう。そうすれば、反対している人も納得すると思う」
「あのお方はそれほど崇高な思想をお持ちなのか?」
生真面目なオネットが真面目に聞いてくるのでレージュは少し笑う。
「そんなに凄い事でもないよ。当たり前のこと。でも、とても難しいこと」
謎かけのような答えにオネットは不思議そうな顔をする。
「少なくとも、あたしは選んで正解だったと思ってるよ」
にひひと笑うレージュを見て、オネットは一安心する。彼はレージュに絶対の信頼を置いている。数々の戦場でレージュの行動を間近に見てきた彼は、レージュが大丈夫といった作戦では必ず勝利してきた。
ただ一度、マルブル崩落の時以外は。
「ならば問題ないな」
オネットは手に持っていた小さな革の胴着をレージュに差し出す。それは彼女の普段着であり、傭兵団に育てられていた時から、ずっとその格好であった。
「ありがと。ちょっと持っててね」
そう言って、着ていた白いワンピースを躊躇なくその場で脱ぐと、芸術品のような裸体が露わになる。
傭兵の娘として、王国の軍師として、彼女が生きた歴史は常に戦いの中にある。顔と手は日に焼けて一層黒く、家の中にいる令嬢では決して持ち得ない自然の力強さも持っていた。口元は常に悪戯っぽい笑みを湛え、笑うと見える白い八重歯は愛らしい。微かだが成長しつつある女性としての体つきも、その美しさを引き立てる。
そしてやはり目に付くのが、失った右目と左羽だ。隻眼片翼の天使は、不均衡な均衡を持っている。もしもその体に傷一つなかったならば、ただの絵画や彫刻品であっただろう。しかし欠けていることにより、傷ついていることにより、彼女の存在は実在へと変わりそこに生きる美しさを感じられる。
「……いいかげん恥じらいぐらい持ったらどうだ」
一流の騎士であるオネットは、一流の紳士でもある。子供の裸などどうとも思わないが、幼くとも相手は女性であるため、礼儀として裸の天使から目をそらす。
なにより、彼女の傷を見るのが辛い。自分がもっと早くあの場に駆けつけていたら、と過去を悔やんでしまうからだ。
「それが戦争で役に立つならいくらでも」
悪びれる様子もなく、パンツ一枚で仁王立ちする少女は、青空を抜けてく風をその体全身で心地よく浴びると、麦の穂の金髪を手で梳き払う。むさい男だらけの傭兵団で育った彼女には、恥じらいという心は存在しなかった。
傷のことを抜きにしても、女性が気軽に肌を晒すのを良しとしないお堅いオネットは忠告する。
「……陛下や殿下の前でそのようなはしたない事はするなよ。仮にも女なのだから、軽々しく男に裸を見せるな」
「ローワの爺さんは綺麗だって言ってたけどね」
「……」
そして乙女の恥じらいを知らぬ天使は、礼節を弁える紳士から受け取った革の胴着一式を着込んでいく。しっかりとなめした革を使った軽い鎧は、ワンピース状になっていて、背の部分だけは大きく開いており、そこから純白の羽を出せるようにしてある。
行住坐臥、戦場に身を置いていた天使は、動き易さを重視した服装を好み、きつく締め付けてくる動きにくいフリフリのドレスなどの服を嫌う。このため、王宮の衣装係とはよく鬼ごっこをしていた。朝日を思わせる長い金髪も、普段は下ろしているが、今は細長い赤いリボンを使って左右二本に分けて細く束ね、後ろに流している。これが、勝利の女神たる蒼天の軍師の戦場での姿である。
先ほどまで身につけていた白いワンピースは、レージュ曰く「空を飛ぶときの正装」らしい。もっとも、今回は貴族の少女に扮するために使用されたが。
空を飛ぶという開放感と高揚感を満身で味わいたい彼女は、ワンピースと十字架のサークレットのみを身につけて青空へと飛翔していた。その様は、マルブルの伝説にある天使さながらで、文化国マルブルの絵描きたちは、レージュが空を飛ぶ絵をこぞって描いたという。
天使は、上着のポケットからパルファンを一本取り出すと、頭に乗っている十字架のサークレットにパルファンの先端を押しつけ、マッチのように擦り付ける。すると不思議なことに、火花も出ていないのにパルファンには火がつき、先端から煙が上がる。パルファンを口にくわえ、二度吹かしてからオネットに呼びかける。
「もう着替え終わったからこっち向きなよ」
パルファンの香りで確認すると、オネットはため息と共に振り返る。伝説の天使は、立ち振る舞いも清楚に描かれていたが、現実の天使は、言葉遣いは乱暴だわ歯を見せて笑うわ躊躇いもなく全裸になるわと、とても粗野なものだった。しかしそれを言ってしまうと、「伝説は伝説。あたしはあたし」と返されてしまうので、オネットは何も言わずにもう一度ため息をついて表現する。
「おい!」
それでも何か言おうと口を開きかけたオネットの後ろから、灰色の髪をした少年兵が怒気を露わに近づいてくる。彼は、先ほどレージュが規格外と表した少年兵のスーリである。腰の剣に手をかけ、今にも抜き放ちそうだ。
「なんで盗賊団の奴らまでいるんだ!」
彼が指さす方向には、ヴァンとその仲間である盗賊団が楽しげに話していた。ヴァンの待遇ぶりを茶化しあっているようだ。
「ああ、ヴァンに付いて行きたいって言うから付いてきてもらった。今は少しでも戦力が欲しいからね。願ったり叶ったりだ」
「盗賊の力を借りるだと? 騎士を侮辱する気か!」
若い騎士は顔を赤くして剣を抜き放つ。
だが、そこまでだった。あと少しで鞘から完全に抜けるところで、厳しい顔をしたオネットがスーリの右手を押さえつけていた。
「その短気なところ、いい加減に直して欲しいんだよね。別にあたしに怒るなとか言ってるんじゃない。偵察中や索敵中にくだらないことで存在をバラすなってこと。もしもヴァンたちが敵軍だったとしたら、あんた一人の失態で仲間全員が死ぬんだよ。さっきも殺気がだだ漏れだったからオンブルに気づかれてるし。……あ、洒落じゃないよ、さっきと殺気――わぁ!」
冗談を言ってへらへらと笑うレージュに、スーリの怒りは爆発し、オネットの制止を逃れて剣を抜き放った。レージュの細い首が飛ぶ角度と距離と速度で剣を振りぬかれたが、斬れたのは前髪の数本と吸っていたパルファンの先端だけで、すんでのところで尻餅をついたレージュはなんとか回避できた。
「スーリ!」
背後から素早くオネットが動き、スーリにのしかかって地面に押さえつける。
「貴様、自分が何をしたか分かっているのか!」
今度は制止するだけの生やさしい拘束ではない。敵を行動不能にする時と同じように、腕の関節を極めて押さえ込む。
「オネット、放してあげて」
「だが」
「いいから」
尻に付いた土埃を払って立ち上がったレージュの顔は、やはり笑っていた。もう少しで死ぬところだったのだが、この少女は恐れを感じないのだろうか。
「軍法会議ものだぞ」
そう呟いてスーリを拘束から解くと、スーリは不機嫌そうに立ち上がってオネットに一礼をしたあと、レージュの顔も見ようともせずに立ち去ってしまう。
「あたしが勝手に転んだだけだから、何もなかった。いいね?」
つまりこの件は不問にしろという事らしい。軍紀に厳しいオネットとしては、大いに不満は残るが、被害者が何もないという以上、責めることはできなかった。
「……納得はできないが承知した。しかし、なぜレージュはそこまでスーリに入れ込むのだ?」
火が落ちてしまったパルファンに再び同じように火を付け、少し短くなった前髪をいじりながらオネットの疑問に答える。
「初めて会ったときに面白いやつだと思ったんだよね。それにスーリは色々な能力の成長が凄い。素質も将来性も十分にある。あれでもうちょっと自分を抑えられれば、ゆくゆくはリオンに匹敵するよ」
「だからといって、それでレージュが怪我でもしたらどうする」
「あ、心配してくれるの? 大丈夫大丈夫、無理はしないからさ」
「……あの時も、そう言っていたな」
オネットが苦々しく言ったあの時。マルブルが落ちたあの日。レージュは同じように言って飛び立ち、目と羽をもがれて地に縫いつけられて死に瀕していた。
「レージュは、少し無茶をし過ぎる」
「……そう、かな」
燃える王都で受けた絶望を思い出したのだろう。うつむいて、パルファンを持つ手が震えている。いくら気丈に振る舞っていても、中身は幼い少女なのだ。半年経ったとはいえ、あの恐怖は簡単に消えるものではない。恐れなどないように見せているだけだ。
「……しっかし、剣ってのは重いね。みんなよくこんな物を振り回せるもんだ」
露骨に話を切り替えて、スーリが置いていった剣を両手で辛うじて持ち上げているが、構えると足が重みでガクガクと震えてとても維持できない。
「兵はみな鍛えているからな。レージュも調練を受けてみるか?」
「冗談。あんなことしたら死ぬよ、あたしは」
レージュの腕力は見た目通りとても非力で、戦闘などとてもできない。だが彼女には知略という武器があり、それは、剣を振るっているだけの人間よりずっと効率的に敵に損害を与える事ができるのだ。そのことはレージュもオネットもよく分かっている。
「この剣、スーリに返しといてね。あたしじゃ持っていけないから」
「どうした、仲間割れか」
スーリが剣を抜いたのを見たヴァンたちが慌ててやってきた。
「いやいや、大丈夫大丈夫。ちょっと反抗的な子供の相手をしてただけだよ」
さっきまでの暗い表情は消え失せ、いつもの明るく軽快な彼女に戻る。
弱さを見せまいとする幼き少女の強さに、オネットは密かに決意を固める。今度は必ず守ってみせる、と。
「剣を抜くほど反抗的なのか……。それはそうと、凛々しくなったな」
「本当だぜ。さっきまでの服じゃあ戦場に立てないもんな」
「戦装束ってわけでもないけどね。これが一番気持ちが引き締まるんだ」
傭兵団『白き翼』特製の革の胴着は、とても丁寧に作られており、彼らが込めた思いが詰まっているのが見て分かる。甲冑ほどの防御力はないが、そもそもレージュは戦闘要員ではないので問題はない。
とりあえずの顔見せが互いに済んだが、レージュはまだ他にもマルブル奪還の主要人物が何人かいて、彼らがお使いにでていると告げる。
「戻ってきたらまた紹介するよ」
そう言ってレージュはパンと手を叩く。
「さて、目的地のデビュ砦はあの山を越えた先だ。今日は峠まで歩いてそこで夜営する。じゃ、そろそろ出発しようか」
16/03/13 文章微修正(大筋に変更なし)
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