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第一三話 「演説軍師」

 赫赫の義賊団の根城から山を二つ超え、川を下ったその先には、昼の太陽が照らすなだらかな丘陵が広がっている。そこには、白と黒を基調とした鎧を着込んだ兵士たちが二百人ほど整列しており、何かの到着をいまかいまかと待っているようだった。

 彼らは、敗残の兵にあるように陰鬱そうな気配はなく、気力にあふれ、やる気に満ちているように見える。


 森を抜けたヴァンたちは遠くに整列している鎧の光を見た。


「あれがマルブルの残党か。随分少ないようだが、本隊はどこにいるんだ?」

「本隊も何も、あそこにいるのが全員だよ」

「……なんだと?」

「あの騎士二百人。あれが今いる全戦力だよ」


 聞き間違いだろうか、これから国を取り戻そうというのに、手持ちの軍が二百人しかいないはずがない。


「本気か?」

「本気だよ。あたしはいつだって本気さ」


 レージュは自信満々に答えるが、ヴァンにはどうやっても二百人程度でなんとかなるとは思えない。噂では、カタストロフ帝国の軍は総勢百万とも言われている。そんな大軍相手に一体どのような勝算があるのだろうか。


「人数は少ないけど精鋭だよ。大丈夫、ちゃんと今後の策は練ってある。じゃあ、顔合わせといこうか」


 そう言ってレージュが十字架のサークレットを煌めかせて騎士団に合図を送ると、彼らは一切隊列を乱すことなくこちらに近づいてきた。それだけでも彼らが相当訓練されていることが分かる。


 レージュが手を横に払って停止を命ずると、彼らはぴたりと止まり、ヴァンの目の前に整列する。彼らは目だけを動かしてヴァンたちを見やる。その瞳は決して好意的なものだけではなかった。


「やはりあまり歓迎されていないようだな」


 ヴァンがレージュに呟くと、彼女も小声で返してくる。


「まあ、盗賊団の長を王に据えるってのは反対意見も多かったからね。でも、この戦いはヴァンがいないと先に進めないんだ。ヴァンの働きを見れば追々納得するだろうから、この場はあたしに任せて」


 レージュはヴァンにウィンクしてマルブル兵たちの方を向き、彼らの視線を一身に受け止める。



「――聴け!」


 すると、レージュが世界中に響きわたるかのような声を上げる。普段のヘラヘラした弛みの一切が消え、真面目な顔をしている。


「こちらにおわすは偉大なるマルブル王ローワの御子、ヴァン王太子殿下であらせられる。マルブル王家に代々伝わる箱をお開けになり、王の証たる冠を取り出したお方である。一同、頭を垂れよ」


 言葉遣いまでも厳格になり、まるで本物の天使の天啓を聞いているようだ。その声には抗い難い響きがあり、不満そうな騎士たちも、一旦その感情を抑え、その場で膝を折って頭を下げる。


「諸君らの中には、これまでの殿下の生き方に不満を持つ者もいるだろう。だが、諸君らの敬愛けいあいする王が蒼天の天使に頼み、諸君らの信仰する天使が見つけだした王太子殿下だ。殿下の頭上にある大理石の冠は誰が身につけられるのかよく考えてみよ」


 大理石の冠はマルブル王の証。それを保管する箱は、マルブルの王になれる者しか開けることができない。これはマルブル国民ならば皆が知っている事だ。


 その冠が目の前の盗賊の頭に乗っているということは冠が彼を王と認めたということだ。この事実に彼らは静まりかえる。


「憂える事はない。祖国を復興する王が立ったのだ。喜べ、これで我らは先に進める。我らの恥辱の時は終わった。泥を啜り、木の根をかじる生活は今日で終わりだ。……蒼天の天使レージュがローワ王より賜った勅命を諸君らに伝える。ヴァン王太子殿下を我らが新たな主君と崇め、ここに新生マルブル軍を結成し、汚れた侵略者であるカタストロフどもから美しき故郷を奪還すべし。勇敢なる兵士たちよ、立て、誓いの剣を掲げよ!」


 兵たちが立ち上がり、腰の剣を抜きはなって空に掲げる。二百の剣が鞘走る小気味よい音が丘陵中に鳴り響く。


「空に誓え」

「蒼天に恥じぬ戦いを!」


「大地に誓え」

「天使より賜りし大地に平穏と繁栄を!」


「王に誓え」

「王の剣となりて敵を討ち、王の盾となりて祖国を守らん!」


「剣に誓え」

「我らマルブル騎士団、剣折れ友倒れようとも、鋼の精神をもって必ず敵を打ち砕かん!」


 誓いを受けてレージュは重々しくうなずいて宣誓する。


「諸君らの誓い、天上までしかと聴き届けた。その誓いを違えぬ限り、現代を生きる蒼天の天使レージュが、必ずや諸君らの手に美しいマルブルを取り戻すことを約束しよう。勇猛なる戦士たちよ、ときの声を上げろ」

「うおおー!」


 空が割れんばかりの鬨の声があがり、ヴァンたちの足下が震えはじめる。

 なんという。なんという統率力だろうか。これが天使の軍勢か。これは本当に敗戦国の軍勢なのだろうか。


 レージュの演説により、彼らの戦意は極限まで高揚した。その気に当てられ、盗賊団も今にも暴れ出したいような気持ちが高まってくる。


 レージュが騎士たちに背を向け、盗賊団たちの方へ向き直る。その顔に浮かぶ笑みは、いつもの彼女と違い、天空の使者さながらであった。


「さて、階級に縛られぬ王の友らよ。諸君らはどうする。手を引いて退屈を生きるか。それとも、王と共に戦場へ向かい、破天荒の勝利を、真の自由を勝ち取るか」

「勝利と自由を!」


 盗賊たちが、考えるまでもないと言ったふうに叫ぶ。打ち合わせもしていないのに、騎士たちの熱気に負けじと、声を張り上げた。


「ならば、ならば歓迎しよう。新たな戦友よ。共に戦い、共に生きていこう」


 片方だけとなった純白の羽を広げて騎士団に右手を、盗賊団に左手を伸ばして不敵な笑みを浮かべる。


「我らの軍勢は三百人余り。相手はその数百倍。それがどうした。十分に勝てる戦いだ。――ついてこい! 全員まとめて最上の勝利へ導いてやる!」

「オオー!!」


 三百人の雄叫びが、三万人になったのではないかと錯覚する程、彼らの覇気は凄まじいものがあった。



 この時、ヴァンは確信した。レージュは真に命を賭けて戦っている勝利の女神だ。たかだか十歳程度の少女は、あまりにも戦争に特化していた。それ故に戦場に身を投じ、右目と左羽を失った。しかし、それでも立ち向かう強い心を持っている彼女は、儚く強い、研ぎ澄まされたガラスの剣のように美しい。


 と、ヴァンが感心しているところへ、レージュがこちらへ戻ってくる。先ほどまでの真面目な顔は消え失せ、出たくもないダンスの発表会が終わったときのような顔になっている。


「あーーー、疲れた。死ぬほど疲れた」


 憔悴したように肩を落とし、翼も力なく垂れ、頭に乗っている十字架のサークレットも気が抜けていつもより少しだけ大きく伸びているような気さえする。


「ご苦労だったな。蒼天の天使様よ」

「それで呼ぶなって……自分でも言っててむず痒いんだから。しょうがないでしょ、士気を高揚させるには、そう言うのが一番効果があるんだし」


 嫌々ながらも、戦略的に意味のあることはきちんとやる。とことん戦争の才を持った娘だ。

 そんなことを考えているヴァンに、レージュは少々意地の悪い笑みを向ける。


「なにを他人事みたいな顔してるの。今度ヴァンにもやってもらうからね」

「今のような演説をか?」

「あそこまで仰々しくなくてもいいけどね。本人の口から言わなきゃ彼らも完全に納得しないでしょ」


 盗賊団の連中にならいくらでも口が回るが、お堅そうな騎士たちに何を話したものか。そう思案するヴァンの前に、二人の男が進み出て敬礼する。


「ヴァン王太子殿下のご帰還、心よりお喜び申し上げます」

「あ、ああ。あんたらは?」


 騎士の身なりをした男に、突然膝をついて頭を下げられて『王太子殿下』などと呼ばれると戸惑ってしまう。

 うやうやしく挨拶を述べる二人の男に、レージュをさらった盗賊団の何人かは見覚えがあった。


「私、王都近衛隊長を務めておりましたオネットと申します。戦闘や部隊の管理・指揮などはお任せください」


 ヴァン以上に大柄な男はオネットと名乗り、大理石を思わせる文様の甲冑を着込んでいる。この男は常に鎧を着込んでいるが、今は王の御前であるため、兜だけは脱いでおり、短く切り揃えられた茶髪を晒している。


 ついで横の細くて若い男も名乗る。


「私はビブリオと申します、王太子殿下。以前は王立図書館の司書をさせていただいておりました。戦う事はからっきしですが、少しでも王の進むべき道のお助けをできればと存じます」


 ビブリオの方は、長く垂れる銀髪と眼鏡が着ているローブに相まって、いかにも文官といった感じで細く頼りない。しかし、その知識の量は、レージュでも一目置くほどで、まだ二十代という若さでマルブルの生き字引とも呼ばれている。


 この二人は、盗賊団がレージュをさらった時にいた付き人である。彼らを絞めたり殴ったりした盗賊たちは少々居心地が悪そうにしていた。


「オネットとビブリオだな。よし、覚えたぞ。何かと苦労をかけると思うが、よろしく頼む」

「もったいないお言葉で」


 何故かこの場から逃げようとするオンブルの腕を掴んで引き止めて紹介する。


「なぜ逃げる。こっちはオンブルだ。俺が最も信頼する友だ」

「俺は紹介しなくてもいいだろうに。あーと、一応よろしく」


 気さくに挨拶しているが、どこか壁を作っている風がある。もっとも、ほとんどの者は気付かなかったが。


「オンブル殿ですね。御助力、感謝いたします」

「ああ、敬称はやめてくれ、敬語もだ。鳥肌が立つ。俺はヴァンと違ってただの盗賊なんだ。頼むから呼び捨ててくれ」


 心底嫌そうに言うとオネットは笑ってうなずく。


「頼まれたのでは仕方ない。これからも王太子殿下を頼むぞ」

「――あいよ」

「では、我々は部隊の編成を見直しますので、これにて失礼いたします」


 ヴァンに再び敬礼をして二人は騎士たちの方へ去っていった。



 彼らが十分に離れた後、ヴァンは大きくため息をつく。


「やれやれ、肩が凝るな」

「年のせい?」

「それは関係ない。俺はそんなに偉い人物でもねえのに、あんなに頭下げられてもな、ってことだ。元義賊だぜ?」

「気持ちはよく分かる。あたしもそうだったしね。でも、今は大人しく偉そうにしててね。上に立つ人が親しみやすすぎるのも問題だから」


 傭兵の出である彼女も、軍師になったときには大変な思いをした。努力の甲斐があって、今ではほとんどの者が身分の上下も無く同等に扱ってくれている。しかし、王たるヴァンはそうはいかないだろう。気の毒だが慣れてもらうしかない。


「じゃ、あたしもちょっと確認に行ってくるから」


 そう言って天使も騎士たちの方へ走っていってしまう。

16/03/13 文章微修正(大筋に変更なし)

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