第一二話 「試験軍師」
ヴァンとレージュのやり取りを遠くから見ていたオンブルは小さく笑い声を漏らす。
彼は、焚き火の輪から外れて一人で食事を取っていた。その間、視線はずっとレージュに注がれていた。
「オンブル」
音も無く闇から突然現れた男を見ても、オンブルは驚きもしないでニヒルな笑みを返す。
「よう。天使様はどんな感じだ?」
「別に、普通だ。団員たちと話して回っていたが、何かを探ってる様子も無いし、騙している感じも無い。団長に肉を取られて泣いていたぐらいに、普通の子供だ」
「ここから見ていた。全く、ヴァンもひどいことをするもんだ」
オンブルが意地悪く笑う。
前の根城の古城を出てからレージュの動向を見張り続けているが、特別おかしな所は無い。隠し通しているのか、本当に裏がないのか、今はまだ分からない。だが、ただでさえ天使という異質な存在だ。用心し過ぎるという事はない。
「あれだけの火傷と傷を負ってても、どこかが突っ張る感じもひきつる感じもない。普通はあんな事になったら死ぬものだし、もし生きてても一生ベッドの上だろうが……」
しかし、レージュは何とも無いように生きている。水浴びを覗いていたのだが、傷ばっかり目立つも動きに支障はなさそうだ。
常人とは違う存在だとは思っていたが、天使とはそれほどの回復力を持っているのだろうか。
「あの十字架のサークレットはどうだ」
「ちょっと調べようと思って子供に触らせたことがあるが、もの凄い剣幕で怒っていたな。だが……」
そういえば、さらう時にもサークレットは取れなかったと聞いた。触ろうとすると凄い形相で睨んでくる、と。
「だが、なんだ?」
「投げるわ落とすわぶつけるわ殴るわで、川で洗っていたときもすごい雑だったし、大切なのかどうかはよく分からないな」
大切に扱ってはいないが、他人が触れるのを極度に嫌がる。気にはなるが、無理に手を出して逆上されても危険だ。
「ま、しばらくはまだ様子見だな。他の奴らにも伝えといてくれ。見張りも忘れるなともな」
「ああ」
男は来るときと同じように足音もなく闇に消えていく。
結局は、レージュという存在はよく分からないという結論に至った。ただ、ヴァンを騙したり、自分たちを罠にはめようとしている気配は無い。ヴァンに害を為さないのであれば、別に急いで何かする必要があるわけではない。しかし、警戒しておくに越したことはないのはたしかだ。
そういえば、蒼天の軍師は相手の嘘を見抜くと噂で聞いたことがある。今度試してみるか。
それにしても、とオンブルは思う。
「あのサークレットについている無数の十字架、あれがもしも……いや、まさかな……」
そう呟いて麦束を短く刈ったような髪を掻いて月を眺める。
☆・☆・☆
日の出とともに彼らは起きだし、野営の設備を片づけ始め、出発の準備を整えている。その慌ただしい陣営の中を天使と盗賊王が追いかけっこしている。もっとも、レージュがヴァンを無視して歩き続けて、それをヴァンがなだめながら追っているだけなのだが。
「そうむくれるなよ」
「……」
「悪かったって」
瞳が金色になっても褐色肌の天使は不機嫌なままだった。昨晩の鹿肉をまだ根に持っているようだ。
子供みたいだなと思うが、常識で考えればレージュは子供なのだ。蒼天の軍師と呼ばれ、強国相手に勇猛に立ち向かい、敗北して体に無数の傷と火傷の痕を負っても、それでも諦めずに立ち上がる強い精神を持っていても、まだ十に少し足しただけの子供なのだ。
自分がそれぐらいの頃は、母親もまだ生きていたし、街の中でそれなりに安全に暮らしていた。しかし、浅黒い肌の少女は、生まれてすぐに捨てられ、傭兵団に拾われてからずっと戦場に身を晒していたという。人生経験の視点から見れば、火傷痕のある頬を膨らましている少女の方がよっぽど大人だろう。
「また鹿が手に入ったら喰わせてやるからさ。機嫌なおしてくれよ」
ヴァンの誠意が通じたのか、レージュが折れたのか、片翼の天使は足を止めて振り返る。レージュは右目が無いため、振り返るときは必ず左から振り返る癖があるようだ。
「……絶対だよ。その時はヴァンの肉ももらうからね!」
「わかったわかった」
まだ不機嫌そうな顔つきだが、とりあえず仲直りできたようだ。
「さあ、行くぞ」
ヴァンの号令で、仕度を整えた団員たちは歩き始める。
道案内のレージュが先頭を歩き、その後ろをヴァンたちがついて行く。
レージュの後姿を見ていると、背が大きく開いた白いワンピースからはもがれた左翼が見える。それ以外にも褐色の肌には傷の痕があちこちにある。
こんなになっても、彼女はまだ逃げだそうとしていない。諦めようとしていない。古代遺産を全て破棄するまでは死んでも死ねないと言っていた。
この世でたった一人しかいない孤高の小さな天使に何かしてやれることはないだろうか。
「おっと」
先頭を歩くレージュが木の根に足を取られて転びそうになる。考えるより先に手を伸ばしてレージュの体を支える。そのまま引き寄せ、軽いレージュを肩車する。
「このあたりは足場が悪い。道案内はそこからの方が安全だ」
「……にひひ。じゃあお言葉に甘えて」
彼の頭上にはもういつもの天使の笑顔があった。
自分も顔に一文字の傷があるが、彼女ほど重傷じゃない。俺の傷は増えても構わないが、レージュの傷はこれ以上増やさないようにせねばなるまい。
『自分にできることをやれ』
白詰草の原で彼女はそう言った。俺がどこまでできるかは分からない。志半ばで倒れるかもしれない。階級制度に傷をつけることすらできないかもしれない。しかし、倒れるまでは全力で進む。何もできなくなるまで、自分にできることを、全力でやり遂げるだけだ。
今はこうして物理的にしか彼女を支えてやれないが、いずれ、いや近いうちに、本当の意味で支えてやれるようになりたい。そのためにも、俺は、俺にできることをやるだけだ。
朝日に輝く金髪を靡かせて、朝日と同じ色の瞳を輝かせる隻眼片翼の天使は、赤誠の心を映す赫赫の髪を持つ老け顔の盗賊王の頭上で声をとばす。
「この山を越えたら合流地点だ。さあ、頑張っていこう!」
☆・☆・☆
義賊団たちと共に一週間の行軍をしてきて改めてレージュは感じる。彼らは間違いなく貴重な戦力となる、と。女子供を含めてもたかだか百人の彼らだが、運用次第では万の軍勢を打ち破れるだろう。カタストロフに対してどのように嫌らしく攻撃してやろうか、と意地の悪い笑みを浮かべていたが、辺りの空気が急に変化したことに気づき、いつもの顔でヴァンに向き直る。
「そうそう、そろそろ王冠を被ってね。待ってる騎士たちにあんたが王だってこと知らせないと」
「俺にはこっちのほうが性に合ってるんだがな」
と、枯れかけの白詰草の冠を指す。
「それぐらいいつでも作ってあげるよ。王様ってのはね、ある程度の威厳がないと駄目なんだよ。そのためにあの王冠を持ってきたんだから。そのままだったら筋肉質で柄の悪いおっさんだ」
「言ってくれる」
笑い飛ばすヴァンに、ひっそりとオンブルが近づく。
「ヴァン」
「ああ、お熱い視線を感じるな」
オンブルの言わんとしていることは解る。さきほどからチクチクと視線を感じる。姿は見えぬが、見知らぬ誰かに見られているようだ。
「流石は盗賊、よく分かったね。でも大丈夫、彼らは味方だよ」
「義賊な」
「まあまあ」
レージュがなだめるように言い、細い指を弾いて鳴らすと、もう視線を感じることはなかった。
「じゃあ問題だよ。見てたのは全部で何人でしょう?」
今度は斥候の数を当ててみろと言う。どうやらテストされているようだ。
「六人だ」
「オンブルは?」
「ああ、俺もヴァンと同じだ」
「……」
「なんだ、間違っていたか?」
「うん。正解は七人だ。ま、一人はスーリっていう規格外の兵士だからね、簡単に見つけられちゃ困る」
「そりゃ凄いな。全く分からなかったぜ。なあヴァン」
軽く笑いながらヴァンの肩を叩くオンブルに、レージュは不審な目を向けていた。
☆・☆・☆
「なんで嘘ついたの?」
しばらく歩いた後、さり気なく近づいてきたレージュがオンブルに放った言葉がそれだった。
「なんのことだい?」
「さっきの斥候の数の話だよ。なんで七人目がいるって分かっていてそう答えないの。あたしに嘘ついても無駄だよ」
とぼけて聞き返したら、予想以上に強い声が返ってきた。
「オンブルは彼らが七人だと分かっていたでしょ。それを見破っているのに、なんで六人なんて嘘ついたの?」
「おや、そんなこと言ったか?」
「……」
「そう睨むない。分かったよ。次からはちゃんと報告するから許してくれ」
降参だ、と言ったふうに両手をあげる。
「本当だろうね」
「嬢ちゃんは嘘が分かるんだろ? 俺が言っている事が嘘かどうか確かめたらいい」
「……個人的な嘘を咎めるつもりは無い。だけどね、作戦に関わる事だけは止めてよね」
「了解ですよ軍師殿。ところで、俺からもひとついいかい」
口元にニヒルな笑みを浮かべているが彼の目は一分も笑っていなかった。
「そのスーリって奴からは殺意すら感じた。新たな王様に向かってそれはどういうことなんだ?」
質問したがオンブルはその答えの見当は付いていた。そして予想通りの答えが返ってくる。
「突然出てきた元盗賊が王位を継承する。そのことに反対する人間は少なくないってことだよ。大丈夫、ヴァンに危害を加えさせるような事はさせない」
「なるほどな。頼むぜ軍師殿」
「軍師殿じゃなくてもっと気安くレージュって呼んでよ」
答えず手を振って歩いていくオンブルの背を、レージュは少しの間だけじっと見ていた。
16/12/27 文章微修正(大筋に変更なし)
17/03/27 文章微修正(大筋に変更なし)
17/07/08 文章微修正(大筋に変更なし)