第一話 「亡国軍師」
アーンゲル大陸歴946年 12月15日
小国マルブルの王都にて――。
燃える都で、男が何かを掲げてうっとりと見つめている。それは、男にとってはどんな宝石よりも価値のある球体だ。
ふいに、何かに気付いたように後ろを振り返るが、足下の愛しき少女の呻き声に反応して男は顔を戻す。
「……返せ」
数分前の彼女であったら、罵詈雑言の限りを尽くして男の非道を扱き下ろすのだが、剣や槍で針鼠となって地面に縫い付けられている今の彼女にそんな力は残っていない。ただ呻くように声を絞り出すだけだ。
城は焼け、雪の降り積もる町は燃え上がり、数万人の肉の焼ける臭いが立ちこめる。その悪臭と、狂った信号ばかり発している神経と、わけもわからぬ程の気持ち悪さで、たまらず少女は嘔吐した。体中に突き刺さっている剣の数本が、消化器官を傷つけているのだろう、吐瀉物に赤いものが混じる。
町中に転がっている大量の巨岩は火を噴いており、それには家一軒ほどもある巨大な十字架が突き刺さり、奇妙なオブジェとしてそこここに転がっている。少女と男の周りにも炎が燃え広がり、尋常ではない熱さとなる。しかし、そんな熱さを気にかけている余裕は瀕死の少女にはない。
「……あたしの、……を、返せ」
全身から血を流し、すでに致命的な傷であっても、少女は死を無視して叫び続けるが、空気自身が燃えているかのような高温に、一呼吸毎に喉が焼け付いて、もはや声を出すことも困難になってくる。
「クレース、クレース……」
少女は、唯一無二の友の名を呼ぶが、その友も、少女と同じように、動くことができなかった。
傍らで燃えさかる火炎よりも、全身を地面に縫いつける多数の剣よりも、頭上から見下ろしてくる死よりも、友が手の届くところにいないのがなにより辛い。
「……あたしは、お前を許さない。……絶対に追いつめて……必ず、滅ぼしてやる……」
少女の生気の消えた左目からは無念の涙が流れ、空虚になった右眼窩からは粘っこい赤い涙が流れる。少女のその姿を見るのが、男の万年願った夢のひとつだった。少女から抜き取った右目を恍惚とした表情で眺め、可能であれば永遠に見ていたかった。
しかし、状況は永遠を許さなかった。周りの炎はすっかり彼らを取り囲み、遠くで聞こえていた怒号や剣戟の音がだんだん近づいてくる。さらには化け物のような咆哮すら聞こえた。
男は一つ舌打ちをしてから、もう一つの夢を叶えることにする。右足で少女の背中を押さえつけ、両手を使って少女の背から生える『それ』を掴む。
『それ』は、少女の命とも言うべきものであり、今まで出会ってきた友たちとの絆でもある。『それ』を失うことは、まさしく半身を奪われることだ。
少女は友たちに誓った。
絶対に、無事に生きて帰ると。
なのに……。
男の手に力が込められる。瞬間、少女はこれから何が起こるか理解し、奈落に突き落とされたような恐怖感に襲われた。先ほどまでの強気な少女はついに消え、ただ怯えるように震えている。歯の根が合わなくなってガチガチと音を立て、剣に刺された傷が広がることもいとわずに、手を握りしめて堪えようとする。胃が、再び中身を吐き出そうとするが、先ほどと違って何も出てこなかった。もはや、流れる血も無くなったのだ。
だが、それでも、少女は男に「止めて」と懇願することはなかった。「許して」と命乞いすることもなかった。例え『それ』を奪われようとも、絶対に屈しない!
こいつは、こいつにだけは、死んでも負けるわけにはいかない!
「絶対に、許さない!!」
そして、少女の『翼』はもぎ取られた。
瞬間、少女はぴくりとも動かなくなる。男は翼を奪ったまま指を弾いて鳴らすと、彼女の体に刺さっていた剣や槍が消え去った。穴だらけになった少女を蹴って仰向けにする。もはや少女の隻眼に光はなく、何も言わなくなってしまった。
男はつまらなそうにため息をつくと、懐から短剣を取り出し、少女の胸を切り裂いて何か作業を始める。その血生臭い作業はすぐに終わった。そして男は短剣と切り取った何かを懐にしまい、業火の中へ消えていく。
☆・☆・☆
それから半年後……。
15/12/12 あらすじ変更に伴い改稿。
16/02/20 文章微修正(大筋に変更なし)
16/03/06 文章微修正(大筋に変更なし)
16/03/12 文章微修正(大筋に変更なし)
16/04/29 文章微修正(大筋に変更なし)
16/07/13 文章微修正(大筋に変更なし)
16/08/03 前書き追加。
16/08/10 文章微修正(大筋に変更なし)
16/09/03 文章微修正(大筋に変更なし)
16/12/11 ロゴ追加。
16/12/27 文章微修正(大筋に変更なし)
17/01/14 文章微修正(大筋に変更なし)
17/03/03 文章微修正(大筋に変更なし)
17/03/15 前半部分削除(大筋に変更なし)
17/03/25 文章微修正(大筋に変更なし)
17/03/28 文章微修正(大筋に変更なし)
17/04/04 文章微修正(大筋に変更なし)