第94話「人魚姫の恋のように」
(……大切な人? ……そう、なんだろうか?)
「あんた、このままでいいの?」
普段は、人を小馬鹿にして来る態度の姉の目が、真剣に心乃香を見つめて来た。
「いいのって……もう、終わったことだよ」
「そう思ってるのは、あんただけかもよ?」
「いや、あれからどれだけ経ったと思ってるの? もう八神もあの時のことは、忘れてるって……」
「そんなの、分からないじゃん‼︎」
出たよ、陽キャのポジティブシンキング。心乃香には、この前向きさは一生理解できないと思った。
「最近じゃ殆ど連絡も取ってないし、今更でしょ? 昔のこと蒸し返したって、八神だって迷惑だよ」
「迷惑かどうか決めるのは、八神君自身だよ」
確かにそうだと、姉にしてはまともなことを言うと心乃香は思った。
でも、今更八神に会ってどうしろと言うのだ。自分にとっては確かに……認めたくはないが、自分の心を占める「大切な何か」かもしれない。あの頃のことは忘れない、きっと彼のことを忘れることはないだろう……。でも――
(怖い――)
このままでいれば、自分の中でもきっと彼の中でも「悪友」と言える立場はきっと永遠なのだ。
その永遠を壊してまで、別の何かになったとしても、それもいつかは壊れるかもしれない。彼との絆がまったくなくなってしまいそうで……怖い。
心乃香は胸元をギュッと掴んだ。
「そんなチンタラしてたら、八神君、誰かに取られちゃうよ!」
姉があまりに当たり前のことを言って来たので、心乃香は目を見開いた。
「取られるって言うか……あの頃も誰かと付き合ってたかもしれないし、今もきっといるでしょ?」
「え⁉︎」
それはそうだ……八神斗哉と言う人間がどんな奴だったのか、心乃香は今更思い出した。
「そっか……八神君、モテそうだもんね……いや、でもさ、分かんないじゃん⁉︎ 可能性はゼロじゃないでしょ⁉︎」
どうしてこの人は、ここまでポジティブなのかと、心乃香はこの人と、本当に血の繋がった姉妹なのか疑いたくなった。
自分の都合の良い方へ、物事を考える能力……もうこれは、彼女の天賦の才能だと言ってもいい。
「……もし……私が八神に今の気持ちを伝えたとして……」
「うん」
「上手くいかなかったら、自分が消えるとしても?」
「え?」
姉は、想定外の答えが来たと面食らったようだ。ただ、心乃香には、本当にそうなるかもしれないと言う予感があった。
「……何それ? ……要は、あんた八神君にフラれるのが、怖いってことでしょ?」
「……そう……なのかも……」
怖い……たとえ消えなくても、八神との関係が完全に終わってしまうことが、怖いんだ……心乃香はそのことに、はっきり気が付いた。
「あら、素敵じゃない?」
『⁉︎』
母親が買い忘れた荷物を抱えて、裏の勝手口からキッチンに入って来ていた。
「お母さん、いつ帰って来たの……」
「今よ、今! 遅くなっちゃって、ごめんねー! 今からすぐ夕飯の支度するから!」
心乃香と姉は、すっかり毒気が抜かれて、母親を見遣った。ただ我に返ったように、姉は母親に質問した。
「さっきの素敵って、どう言うこと?」
「だって、素敵じゃない?」
「?」
心乃香も意味が分からないと、母親の言葉の真意を知りたくなった。
「もし想いが届かなかったら、消えちゃうくらい辛いってことでしょ? まるで、人魚姫の恋みたいじゃない?」
「……え?」
「他人に、見向きもしなかった心乃香が、八神君のことは、そのくらい想ってるってことでしょ?」
そうだ……他人のことを、こんなにも考えているのは初めてのことだ。それを認めると、何故だか心乃香フッと心が軽くなり、思わず軽口を叩いた。
「……泡になって消えても?」
「消える覚悟があっても、好きだなんて凄く一途な恋じゃない? そんな恋ができるなんて、きっと一生にあるかないかよ、羨ましい! お母さんも、そんな恋したかったわー! ……あ、お父さんには内緒ね?」
はあっと、その宣言に娘二人は呆れた。母親は優しく心乃香を見遣った。
「……一生に一度くらい、その気持ちに向き合ってみても、いいんじゃない?」
そうだ……もうきっと誰かを、こんな風に想うことはないだろうと、心乃香は思った。
「……うん。……でも、今更どうすれば……」
項垂れる心乃香を見ながら、姉は「あっ!」と何かを思い付いたように叫んだ。
「な、何⁉︎ いきなり、びっくりするんだけど!」
「今週末、近所の神社でお祭りあるじゃん? それ、誘ってみたら?」
つづく
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