第39話「一・五周目〜八神斗哉という人間〜」
ここ数日で、八神について思ったことがある。私は八神が大嫌いだったが、別の他人からすれば、そんなことはなかったということだ。
クラス内でも目立つ存在だったし、人当たりも良かったのか、かなりの世渡り上手だったようだ。自分だって告白ドッキリのことがなければ、もしかしたら普通に友達になれたかもしれない。
いや、それはやはり無理だろう。自分と八神は、住んでいる世界が違いすぎた。
八神は友人も多かったが、比例するように敵も多かったようだ。
これは、八神の交友関係の線引きによるものだろう。相手によって態度を変えて接するということだ。目上の人間や地位の高い人間、自分に有益な人間に対しては優しくし、価値のない、見下した人間には冷たく当たる。
私はこういう交友関係に対する線引きが、許せないと思っていた所がある。そんな態度は「不誠実」だ「悪いこと」だと思って生きてきたし、実際、道徳的観念から言っても、大体の日本人なら自分に同意するだろうと考えていた。
本当は、腹の中でどう考えていようともだ。
だから私は誰に対しても「同じ態度」で接してきた。親にも姉妹にもクラスメイトにも先生にも……
昔、古文のテストで九十五点をとったことがある。一問間違えたのだ。だが、最新の解釈では、私の解答が正しかった。私は古文の先生に喰ってかかった。「先生の方が間違っている。私が正しい」のだと。相手は年配の先生だった。自分の考えが一番正しいと思ってる世代だ。私の指摘を決して認めなかった。
私はたとえ相手が年配だろうが、偉い人だろうが、逆に小さい子供だろうが、相手によって態度を変えない。
古文の先生はその後、間違えを渋々認めたが、その事件以降、私への態度は大変厳しいものになった。でも私は、先生に間違いを指摘したことを後悔してないし、私のしたことは今でも「正しい」と思っている。
この性格によって、周りの人間と馴染めないのも分かっているし、自分を曲げてまで、他人と関わりたくない。そう思っていた。
この話を聞いたら、恐らく八神のような人間なら「そんな一問の為に、目上の先生に喰ってかかって目をつけられるなんて、馬鹿みたいだ」と言うだろう。きっと八神ならその一問を気にしないだろうし、九十五点ならいいじゃないかと呆れて笑う気がする。
ただ私にはそれができないし、八神には簡単にできるのだろう。
この差……この差が「勝者」と「敗者」な気がした。
自分は、男の前だと露骨に態度が変わる安西先輩や、交友関係に線引きする八神を見下していた。そんなのは不誠実だ、悪だと。
でも本当にそうだろうか?
現にこの二人は沢山の交友関係があり、人生が楽しそうで、正に「勝者」なのだ。
別に自分は、そのような交友関係が欲しいとも思わないが、世間から見れば自分の方が圧倒的「敗者」だ、「弱者」だ。
そう考えると、私の中の「正義」は別として、彼らはこの世知辛い世の中で「線引き」というスキルを巧みに使いこなして、生きてきた。
処世術なのだ――
そもそも悪とか正義とかで、括るのがおかしいのだ。そのどちらでもない。そんな次元の話ではないのだ。生き方が違うだけ――それだけだ。
私はその考えに至り、自分に絶対できない生き方をしてきた八神を、凄い奴だったんだと思った。
ただ自分には真似できないし、そうなりたいとも思わなかった。
つづく
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