前へ次へ
8/48

逃げるなら、今しかない。

次の瞬間、天井が目前に崩れ落ちてきた。



──ガァン、ゴオオン!



重たい音を立てて、上階の天井が崩壊した。


ゴオゴオと、炎が揺らめいている。

燃える音が聞こえる。

炎で、行く先は阻まれていた。



炎が、目に染みる。

後ろの道は、既に天井が燃え落ちていて戻ることは出来ない。

目前の道も、今しがた塞がれてしまった。


万事休す、という前世のことわざを思い出した。



パチパチ、ゴウゴウ。


私の()に、赤い炎がゆらゆらと揺らめいた。

だんだん呼吸も苦しくなってくる。

ここにいたら、いずれ天井の倒壊に巻き込まれて、私たちは死ぬことになるだろう。



(せっかく……)



せっかく、前世の記憶を取り戻して。

物語の私(アマレッタ)じゃない人生を生きようと思ったのに。


アマレッタ(わたし)のために、生きようと、そう、決めたのに。



(それでも、だめなの?)



私が、死ぬことは決まっているの?


悪役として盤上に置かれた以上、それ以外の行動を、してはいけないの──?


その時、ピシ、ピシ、とどこからか音が聞こえた。



「──!」



ハッと息を呑んだ直後。

熱気に耐えかねた窓ガラスが高い音を立てて割れた。パリンパリン!とガラス片が飛び散る。



「きゃっ……!」



「お嬢様!!」



縦長の、ステンドグラスを嵌め込んだ窓ガラスだ。

大きさに比例して、飛んでくるガラス片の量も多い。

咄嗟に顔を庇ったが、頬をガラス片が掠めたようで痛みを覚えた。



()っ……!」



「ご無事ですか!?」



私兵の彼が、私を呼んだ。

私は、怪我をした頬を咄嗟に抑えた。すると、ぬるりとした感触があった。


血だ。見なくても、わかった。



(……生きてる)



そうだ、私は、まだ、生きてるんだ。

それに今、ここにいるのは私だけではない。

私兵の彼らも一緒なのだ。



ここで、私が諦めてどうするの。



私は、私を呼んだ私兵の彼を振り返り声高に答えた。



「問題ないわ!……みな、聞いて!」



声を張り上げる。


煙が充満して、息を吸う度に喉が痛い。

だけどそれは、私だけではない。

私兵の彼らも同じこと。



「ここに道を開けます!」



「おお……!そッ、ゲホッ……それはつまり、アマレッタ様の稀人としての神秘を使われるということですか!?」



興奮と空気の薄さが原因で噎せたのだろう。

私兵の彼の言葉に頷いて答える。

私の神秘と炎は相性最悪だ。


だけど仕方ない。やるしかない。



「ええ。だけど、私の神秘と炎は相性が悪い……!一時なら道を作れるけれど、長くは持たな──」



「アマレッタ!!」



その時、私の名を呼ぶひとがいた。


背後から名を呼ばれて、咄嗟に振り返る。声は、裏口に通じる道の方向から聞こえた。

天井の崩落で、廊下の道は閉ざされている。瓦礫の向こうから、私を呼ぶ声が聞こえた。



「アマレッタ!そこにいるのか!?」



声は、聞き覚えのないものだった。

だけど、誰でもいい。

ここを出る助けになるのなら。

私は声を張り上げた。背後で、また天井が崩れ落ちたのだろう。崩壊の音が聞こえてきた。



「います!!ここにいます!!」



「──!今、この道を開ける!待っていてくれ!」



(誰……!?王城から救援が寄越されたの……?)



だけど王城も襲撃事件で混乱しているはずだ。であれば、ほかの三大公爵家が……?



(今はどっちでもいい。早くここから出ないと……!)



時間にして、一分にも満たなかっただろう。

徐々に、喉を焼くような、肌を灼くような熱が収まっていく。



「え……?」



「あれ、熱く、ない……?」



私が困惑の声を出すと、背後の彼らも戸惑いを覚えたようだった。それに、この現象は私だけに現れているのではないと知る。


あれだけ燃え盛っていた炎は、みるみるうちに消えていった。……といっても、鎮火したのは進行方向のみだけだけど。


背後は、未だに猛火に包まれている。

前方方向の火が消えて、私たちの行く手を遮っていた瓦礫が、突然退かされた。


視界が開ける。



「……良かった、間に合った」



こころから安堵したような声が聞こえてきた。

顔を上げれば、そこには見慣れない青年がいた。


黄金の髪に、同色の瞳。

背は高い。黒のフードを深く被り、顔が隠れているため分かりにくいが、記憶にはない……と思い。


アマレッタ(わたし)の記憶だけではない。

前世の、物語内にも出てこなかった人物だ。

ますます、疑問を覚える。


私たちは、開けた通路から邸を出ることに成功した。裏口を出た瞬間、また、轟音が響く。

どこかが燃え落ちたようだ。

振り返れば、先程私たちが立ち往生していた場所だった。



(あのまま、あそこにいたら私たちも……)



ほんとうに、危機一髪だった。

死んでもおかしくなかったのだ。

そのことに気がついて、ゾッとする。


外に出ると、既に日は暮れかけていた。

外の空気は清涼で、熱気の中にいたからだろう。その冷たい空気がとても美味しく感じた。


外に出て、ようやく落ち着くと、私は、私たちを助けた男性が気になった。


このひとは、誰なのだろう。


彼は、味方なのだろうか。

私たちを助けてくれたことは確かだ。

だけど、素性が知れない。


彼に気付かれないようにしながらも警戒していると、男性の後ろから、ひょっこりと見覚えのある顔が現れた。


彼を見て、私は声を上げた。



「サイモン様……!」



私と同じ銀の髪に、青の瞳。

くるくるとした癖毛が印象的な彼の名前は、サイモン・ド・ディルッチ。


ディルッチ公爵家の嫡男で、【夏】を司る稀人だ。



(どうして彼がこんなところに……)



私と目が合うと、彼は、ホッとした様子を見せた。



「良かった。無事だったんだね、アマレッタ。後ろの人たちも、大きな怪我はないようだ」



サイモンは私の背後に立つ私兵にちらと視線を向けてから言うと、また私を見た。


その眼差しが、あまりにも真剣だったから、思わず息を呑む。




「突然だけど、アマレッタ。逃げるなら、今しかない」

前へ次へ目次