春を司る稀人としての責務
私という、人間──。
驚いたのは、一瞬。
だけどすぐに、彼の疑念も理解した。
私は、クリム・クライムにとっては敵の人間といってもいい。なぜなら私はセミュエルの貴族で、王太子の婚約者だったのだから。
だからこそ、リアム殿下は知ろうと思ったのだろう。私という人間がクリム・クライムにとって毒となるかどうか。
詰めていた息を、吐き出す。
そして、私は慣れた笑みを浮かべた。
公爵令嬢だった時、いつものように貼り付けていた社交向きの微笑みだ。
「……殿下から見て。私というひとは、何に見えますでしょうか。私は、何もかもから逃げ、サミュエル殿下のご好意に預かってここまで参りました。しかし、このまま楽を得、惰性に過ごすつもりはありません」
思えば、今後のことをこうして口にするのは、これが初めてだと気がついた。
だけど既に、私のしたいこと──しなければならない、と感じていることは決まっていた。
リアム殿下は、静かに私の話を聞いている。やはり、食えないひとだ、と思う。
セドリック殿下に似た雰囲気を持つひとだけど、その内面は彼とはかなり違っている。
静と動。
セドリック殿下と、リアム殿下は、対照的だ。
私は、すぅと息を吸った。
「クリム・クライムを訪れることになったのも、導のひとつだと思っております。私は、私のために。かの国の役に立ちたい」
メイドたちの手前。私も湾曲的に伝えた。
その意味するところは。
私は、アマレッタのために。
セミュエルを、在るべき形に。春を司る稀人としての責務を果たす。
このまま、逃げるのは無責任だと思うから。
私に出来ることを──いえ。
たとえ、できないことだとしても。しなければと思ったし、そうすることがとうぜんだと思えた。
きっと、サイモン様も、スカーレット様も、同じことを思うはずだ。
全てを知ったら。
稀人として、生を受けた以上。
そうする義務がある、私たちには。
私が自身の決断を口にすると、リアム殿下は数秒間、沈黙を保った。
それから、彼は静かに席を立つ。
「私は、この国を離れることは出来ない。おそらく、あなたの力になれることは少ない。だけど──困ったことがあったら、訪ねなさい。何かしら、力になれることはあるだろう」
彼は、それだけ言うと部屋を出ていった。
残された私は、呆然とその背を追う。
少ししか話していないけれど、掴みどころのないひとだ、と思った。
それから、少しして。
扉がノックされた。
「アマレッタ、いる?少し、話がしたい」
……サミュエル殿下だ。
リアム殿下と入れ違いになるようにして、サミュエル殿下が部屋を訪れた。
お役目──預言者としての仕事が終わったのだろう。
メイドが応対し、サミュエル殿下が入室する。彼は首元を緩めながら、私に言った。
「待たせてしまってすまない。少しは落ち着けたかな」
「はい。……先程、リアム殿下がいらっしゃいました」
言うべきかほんの少し迷ったけれど、おそらくすぐ知れることだろうと私は彼に伝えた。言うと、サミュエル殿下ははちみつ色の瞳を見開いた。
「兄が?……なにか、言っていた?」
「この後、天気が崩れると。それを教えに来てくださいました」
「……それだけ?」
彼の瞳が怪訝に揺れる。
リアム殿下の話の本質は、おそらく私の人となりを知ることだったのだと思う。
サミュエル殿下は、ほかにもなにか言いたそうではあったけれど、私が頷いて答えると、それ以上尋ねることはやめたようだった。
その代わり、彼は室内の窓──窓側の壁半分がくり抜かれ、窓ガラスが嵌められている。その大きな窓越しに見える景色を見て、言った。
「ここからは、西の海が見えるんだ。さっきの謁見の間からも、海が見えたのだけど……気がついた?」
私も同じようにそちらを見る。
夕日が、海の向こうに見えた。そろそろ、あの橙の光も海辺の向こうに消えることだろう。
「いいえ。そんな余裕はありませんでした」
「そう。また、父上と話す機会はあるだろう。その時に、ぜひ見て欲しい。謁見の間から見える景色は──海を越えた先、いくつかの国を超えた先に、セミュエルがあるんだ」
セミュエル、その言葉にメイドたちの肩がぴくりと揺れる。