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そんなもの、クソ喰らえですわ


公爵邸に戻り、私はその足でお父様を訪ねた。

昼下がり、夕方には少し早いくらいの時間帯だったが、お父様は在宅していた。

執務室を訪ねると、彼はグラスを片手に、酒を楽しんでいたところだった。




「馬鹿なことを言うな」



──お父様に相談した返答はこれだった。


分かっていた。

誰も、私の気持ちなど理解してくれないことは。


むしろ、私がおかしいのだろう。

春を司る稀人でありながら、妃になりたくない、など。

私が春を司る稀人である以上、私とセドリック様の年齢が近かった以上。

王家との婚約は避けられないものなのだ。


それでも。



私を裏切り、恋を取ったのは、セドリック様の方。



私は、お父様の考えが変わればと訴えた。



「セドリック様は、私という婚約者がいながらほかの女性を愛した。それが、答えではありませんか。このまま私が妃になったところで、不幸しか呼びません」



「は。そんなこと」



お父様は、私の言葉を鼻で笑う。

そのまま執務机にグラスを置くと、彼はグラスを指で弾いてみせる。高い音が鳴った。



「そんなもの、どうとでもなるだろう。アマレッタ、お前はバートリー公爵家の娘で、今代の春を司る稀人だ。分かるかい?お前は、とても稀有な存在。セミュエル国にとって、失われてはならない存在だ」



「…………」



お父様がどう考えているか、なんて、ほんとうは彼に尋ねずとも分かっていた。

だって、私は物語を読んでいるから。

それでも、もしかしたら、と思ってしまった。


私が過去を思い出したことで、物語と現実に乖離が出ているのではないか、と。

期待、してしまった。





「王太子殿下の愛人……エミリア、だったか?あの女を殺せばいい」




「──」



そう。物語でも、嫉妬に狂い、悩み、苦しみ、溺れていたアマレッタの背中を押したのは、彼だった。突き飛ばす勢いで、そうしろと述べたのは、お父様だったのだ。



だから、私は知っていた。知っていた、のに。



(結局、【物語】と今ある【現実】は同じものってことね……)



覚悟はしていた、けど。

それでも落胆は抑えられない。



セドリック様と結婚し、エミリアへの嫉妬と自身への嫌悪でどろどろになっていた私ならいざ知らず。

今の私が、彼の言葉を聞いたところでその内容を実行しようとは思わなかった。


「お言葉ですが、お父様」


私は、春を司る稀人、アマレッタ。


バートリー公爵家に生まれたものとして、春を司る稀人として、相応のプライドがある。矜恃がある。


そう簡単に、それを汚せると、そう思わないで欲しい。



父にとって、私は【肩書き】がラベルされた駒でしかない。駒は盤上に置くからこそ意味があるのだ。その中身まで、彼は見ようとはしない。



私にも、私の意見がある。

私にも、自分の考えがある。



私だって、生きている。

生きた、人間だ。



「お父様は、娘の幸せより、貴族としての歓びを選ばれると、そういうことでしょうか?」



「……なにを言ってるんだ」



「私は、セドリック様と結婚して、幸せになる未来を思い描けません。彼の想い人を蹴落として、貶めて、それで?それで、私は幸福になれるのでしょうか」



「アマレッタ。何をふざけたことを言っているんだ。お前のそれは……まるで、夢見がちな平民そのものだ。エミリアと話して、毒されたか」



夢見がちな平民。


確かに、そうなのだろう。

前世の記憶──常識──価値観を思い出した私は、今の境遇が許せない。


貴族としてなら、【耐える】一択なのかもしれない。それでも、自身の【個】を押し殺してまで、耐えて──その、意味はあるの?



その先に、私の未来はあるの?



私は、自分が死ぬ時。

死ぬ直前に、『いい人生だった』と懐古することは出来る?

『悪くない人生だった』と笑うことのできる最期を迎えられる?



絶望と苦しみと、自己嫌悪と、自己憐憫。そんなぐちゃぐちゃな、汚い感情で死を迎える。そんなことだけは、絶対に嫌。



誰も、私の人生に責任など取ってくれない。

だから、私が、私のために動かなきゃいけない。



「私は、殿下の妃にはなりません。なりたくありません。お父様は、私の気持ちを無視されるのですか?私の考えなど、どうでもいいと?」



「貴族たるもの、自身の感情など二の次だろう。貴族は、政略結婚をすることが必至だ。お前だってそれをわかっていただろう」



お父様は、そのまま大仰にため息を吐いてみせた。まるで、どうしようもないものを見る目だ。

昔──私は、彼のこの顔が苦手だった。

その目で見られることに、苦痛を感じていた。



幻滅している顔。

私に、落胆している顔。



両親の愛など、受けてこなかった。

幼い私は、両親からそれ以上嫌われないように。幻滅されないように。

彼らの顔を窺い見るだけの少女になってしまっていた。



それを、思い出して。

腹の底が煮え立つような、嫌悪に襲われた。



私は、どうしてこんなひとたちの顔色を窺っていたのだろう。彼らからの愛なんか、望んでしまったのだろう。



「……はぁ。やはり平民と話し、毒されてしまったのだな。お前は、しばらく部屋に謹慎していなさい。自分の言った言葉がどれほどおかしいか、よくよく考えて──」




「そんなもの、クソ喰らえですわ!!」

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