だって、私は春を司る稀人だから
「混乱させてすまない。簡単にまとめると、俺は無実のきみが冤罪を着せられ殺されるのを防ぐために、きみをあの国から連れ出した。それだけ、わかってくれれば、今はいい」
「待っ……待ってください」
情報量が多い……!
情報が多くて、混乱する……!!
混乱しながらも、私は私なりに自分の中で整理をつけることにした。
まずは、ひとつずつ疑問に思っているところから聞くべきだ。
今、話を終えたりしたら間違いなくこの後、気になって仕方なくなる。
「確認させて欲しいのだけど……あなたの目的とクリム・クライムの目的は違う……のよね?どうして私を、クリム・クライムに?」
「クリム・クライムは外部からの接触を一切断った国だ。身を隠すのに、クリム・クライムほど適している国はない。クリム・クライムとしての目的は──少し長い話になるから、それはまた落ち着いたら、でも構わないかな」
確かに、これ以上の情報はより混乱を招くだけのように感じた。
ひとまず、彼が私をクリム・クライムに連れていこうとしている理由は分かったので、次の疑問を口にした。
「では……もうひとつ。預言者は、予知に関与できるものなの?」
「その質問の答えは、イエスだ」
彼が、微笑みを浮かべて答えた。
そうなのだろう、とは思っていたが、やはり戸惑う。私は、ふたたび言葉を重ねた。
「ではどうして今回、あなたは予知ではなく現実世界で私に接触を……?もしかして、今私が現実だと思っているこの世界は仮想世界?」
話しているうちに推測が混ざり合い、自分でも何を話しているのか分からなくなってきた。
ややこしい。
今わかっているのは、クリム・クライムという謎に包まれた国が、実は世界を俯瞰して見る国だということ。
クリム・クライムには、預言者という、予知の能力を持った人間がいること。
預言者は、必ずひとりであること。
私の混乱しきった言葉に、彼は少し返答に悩んでいるようだった。どう説明しようか、考えているのだろうか。
彼は、顎に指を当てて数秒沈黙すると、不意に、顔を上げた。
「俺の見る予知は、追体験に近い。現実世界に戻ってくる起因は、予知の中で俺自身が死ぬこと。そして、この力は決して万能なものでは無い。同じ事象に対して予知が出来るのは、二回までだ」
「二回……」
「そう。一度目は、世界大戦となる未来。そしてふたつめが」
「私が……死ぬ、未来」
「…………そういうことだ。俺は、どうしてもそれを止めたかった。だから、この世界でもっとも安全であるクリム・クライムに来て欲しい。きみの身の安全は俺が保証する。きみのことは……必ず、俺が守るから」
「……あなたは、どうしてそこまで」
ずっと、気になっていたことだ。
ぽつりと、零れるように言葉を吐く。
その瞬間──まるで熱いものにでも触れたかのように、彼が苦しげに顔を顰めた。
だけどそれも、ほんの一瞬。
すぐに彼は、穏やかな笑みを乗せて、室内に視線を向けた。
「……きみが、心優しい少女だと知っているから」
「…………?」
「すまない。これは、単なる俺の自己満足なんだ。きみは、俺のワガママに付き合わされている、と思ってくれていい」
「そんな……ふうには思えないわ。経緯は分からないけど、あなたは私を助けようとしてくれているのでしょう?」
彼は、私の言葉には答えなかった。
ふと顔を上げて、彼は室内に置かれているライティングに視線を向けた。
そこには、時計が置かれていた。
「もうじき、日が変わる。アマレッタ、きみは疲れているはずだよ。お腹は空いている?それならきみが湯を使っている間、何か貰ってるけど」
「……お腹は空いてないわ。私が先に浴室を使ってもいいの?あなたも疲れているんじゃ……」
「俺は預言者だ。何度となく追体験を繰り返し、旅に慣れている。だから気にしないで。……もうすぐ、船が出る」
彼が言った直後。
ゆらり、と足元が揺れた。
窓の外は真っ暗なため景色は見えないが──出航したのだろう。
私は彼の言葉に甘え、先に湯を貰うことにした。
道中、濡らしたタオルで体を拭いたりしていたが、やはりお湯を浴びるのは格別だ。ホッと落ち着く気がする。
疲れと強ばりが解れていく。
髪を洗う時、その短さにハッとなる。
(……そうだ。私、髪を切ったんだった)
いつも、髪を洗う時は長い髪を櫛でとかしていたけれど、この短さならそれも要らないだろう。
令嬢の印でもある、長い髪。
幼い頃から手入れを欠かさなかった、銀の髪。
『アマレッタ。きみの髪は、月の光を編んだようだ。とても、綺麗だね』
──生まれ育った国を捨て、今まさに、国を出ようとしているからだろうか。
過去のことを思い出してしまう。
(あなたがそう言ってくれたから……私)
これまで何とも思っていなかった、自身の髪を大切に思うようになった。
あなたが綺麗だと言ってくれたから。
私もまた、綺麗なのだと思うようになった。
私の、誇りになった。
それも、自ら捨てたけど。
(……セドリック様。私は……あなたに恋をしない方が良かったのでしょうか)
『僕らは、恋をするんだ』
あなたが、そう言ったから。
だから、私はあなたに恋をするのだと思った。
(きっと……あなたは……恋を、しようとしたのでしょうね。私に)
だけど、出来なかった。
きっと、それが全てだ。
私は、彼の想い人にはなり得なかった。
気が付けば、感傷に浸ってしまっていた。
ハッと、髪を洗う手を止めていることに気付いた私は、また洗髪を再開した。
浴室から出ると、サミュエルがソファに座り、なにか書類を読んでいた。
クリム・クライムに関連するものだろうか。
そんなことを考えながら、私は彼に声をかけた。
「お湯、ありがとうございました」
「ああ。スッキリした?」
彼が振り返る。
それに私は軽く頷いて、笑みを浮かべた。
なぜ、彼が私に良くしてくれているかは分からない。
彼もあまり口にしたいことではないのだろう。その話になると、彼は言葉を濁しているように思う。
だけど、それで構わなかった。
誰しも、ひとに言いたくないことはあるだろう。
彼が何を思っているか、何を考えているかよりも、彼が実際に何をしたか。
そちらの方が大切だ。
サミュエルは、私を助けるためにセミュエル国に来た。
サイモン様を連れて、バートリー公爵邸宅を訪れ──私を助けてくれた。
今も、彼は私を助けようとしてくれている。
サイモン様も彼を信用していたように思う。
……それに──。
『きみの身の安全は俺が保証する。きみのことは……必ず、俺が守るから』
(そんなこと、今まで初めて言われた……)
だって、私はバートリー公爵家の娘で、春を司る稀人だから。