お別れしましょう
「きみは第二妃となって、エミリアを支えてやって欲しい」
そう、言われた瞬間。
その言葉の意味よりも先に、強烈な違和感を覚えた。
どこかで、聞いたような言葉。
覚えのある場面。
(エミリアを支え──)
目の前には、困り顔の少女、エミリアと、私の婚約者である、セドリック様。セドリック様は、私が頷くと信じて疑っていないようで、彼女に微笑みかけたり……などしていた。
そのふたりの姿になにか思うよりも先に、強烈な衝撃が、駆け巡った。
私の名前は、アマレッタ・ル・バートリー。
バートリー公爵家の長女として生まれた。生まれながらに私は、王太子殿下との婚約を結んだ。
『僕は、アマレッタを好きになろうと思う』
初めて出会った時、彼は私にそう言った。
そして、婚約というものがどういうものかまだ分からない、幼い私に、彼はこうも言った。
『僕らは、恋をするんだ。お互いに』
幼い私は、その言葉を信じた。
彼の言葉を信じて、彼に恋をしようと思った。慣れないながらも、恋人とはどういうことをするのか、恋愛小説で学んでは、彼と手なんか繋いだりして。一緒にオペラを見に行って、ピクニックにだって行った。
楽しかった。これが、恋なんだ、とも思った。
だけど、いつからだっただろうか。
お茶会も、お出かけも、だんだんと数は減っていった。私が、希望を出しても彼の返答は歯切れが悪くなり、気まずそうな顔になっていった。
やがて──彼に、セドリック様に言われたのだ。
『恋人が出来た。婚約者のきみにも、会って欲しい』
と。最初は、何を言っているのか分からなかった。
冗談だろう、と思った。でも、冗談なんかではなかったのだ。彼はほんとうに、彼の恋人であるエミリアと私を、引き合わせたのだから。
どうして?なぜ?
私とセドリック様は……。
あなたは、私と恋をするのではなかったの?
あなたの、恋の相手は私ではないの?
驚いた。ショックだった。
裏切られた、と思った。……悲しかった。
だけど、私の気持ちなんか関係なく、事態は変わっていった。
セドリック様は、エミリアを日陰の存在にはしておきたくないと考えたようで、公の夜会やパーティーにも彼女を連れてくるようになった。
私のエスコートではなく、彼女を連れて入場するようになった。
苦しかった。
それでも、好きだった。
苦しさと彼への恋心に挟まれて、毎日どう過ごせばいいかすら、分からなかった。
このまま彼と結婚して王太子妃になったところで、状況が良くなるとも思えない。
……そもそも、もう、私には、彼の妃になりたいという気持ちが、なくなっていた。そのことに気がついて、愕然とする。
それでも、彼に【婚約を解消したい】と言うだけの勇気も、覚悟もなく、ずるずるここまで来てしまった。
そこにきて、彼の言葉だ。
唖然とする私の前で、セドリック様が困ったように肩を竦めて見せた。その腕に、エミリアを抱きながら。
「きみももう知ってると思うけど……僕が愛しているのは、彼女だ。でも、僕は、長年尽くしてくれたきみを無碍にしたくない。それで、考えたんだよ。きみには第二妃となって、エミリアを支えて欲しい」
「エミリアを、支え……?」
彼の言葉を繰り返した私に、セドリック様がホッとしたように表情を和らげた。
私が受け入れると、そう思っているのだろう。
「うん。そうだよ。きみは、長年王太子妃として教育を受けてきただろ?エミリアは、元は平民だからしきたりやマナーに疎い。だから、彼女を支えて欲しいんだ。アマレッタ。きみになら、出来るでしょう?」
私が頷くと、信じて疑わない、彼の言葉。
まるで、空気のない水の中にいるかのように、息苦しい。
咄嗟に、私は胸元を抑えた。
そして──それ以上の驚きに見舞われていた。
(えっ?嘘、これって……)
この場面、彼のセリフ、この状況。
全て、全て覚えてる──!!
その作品の名前は『冬の王と、春の愛』という恋愛小説だった。
主人公は、力を持たない平民のエミリア。
そして、ヒーローは──今、私の前に立つ、私の婚約者である、セドリック様だったはずだ。
私こと、アマレッタは、エミリアを害する悪役として、途中退場する公爵令嬢。
それを思い出して、頭がくらくらした。
この場面は、物語の序盤だったはず。
それならまだ、まだ間に合う……?
この物語で、アマレッタは、重罪を犯して、処刑されるのだ。
「きみは、春を司る稀人だ。平民が、神秘を使えるようになった……という話は、過去に例はないが、もしかしたらうまくいくかもしれない。きみの力を貸してほしい」
「……それを、あなたが言うのですね」
ぽつり、私は呟いた。
彼女のために。あなたの、恋人のために、役に立て、とあなたは言う。
私が、セドリック様を愛している、好きだ、と、あなたは知っているから。私の想いを利用して、言うことを聞かせようとしている。
彼への愛を捨てきれずに、頷くと、そう彼は確信している。だから、こんな提案ができるのだ。
(……軽んじられたものだわ)
いつから、こんなに見下されていたのだろう。
いつから、こんなに足元を見られていたのだろう。
それに気が付かなかった私も愚かだけど、でも、仕方ないとも思う。
だって、あなたの愛は、私への洗脳だった。
あなたを愛すること、それが、私の義務になっていたから。
私は、短く息を吐いた。
「お断りします、セドリック様」
「は……?」
「お断りします、と言いました」
私の返答に、彼が目を見開いた。
きっと、私が断るとは思ってもみなかったのだろう。
「私は愚かでした」
私は、自身の胸元に手を当てる。
まつ毛を伏せた。思い出すのは、彼との思い出。私がずっと……ずっと大切にしていたもの。
彼はもう、何の価値も見出していないのだろうけど。
「あなたが、エミリアを恋人だと私に紹介した時。あなたが、彼女を夜会でエスコートするようになった時……機会はいくらでもあったのに、なぜ早く私はこうしなかったのだろう、と今となっては思います」
「アマレッタ、きみは何を言ってるの?それに、断るってなんだい?」
彼が、戸惑ったように声を出す。
エミリアを抱く手を離し、私に手を伸ばしてきたから──私は、その手を振り払った。
パシン、と音がする。
それが、私と彼の決別を決定づけた。