<< 前へ次へ >>  更新
73/77

第十五話  「払暁」

 

 地上で激戦が繰り広げられる中、空の戦いもまた新たな局面を迎えようとしていた。


 四対八翼の翅を広げた妖精母竜(マザー)は悠然と空を舞う。その後に付き従うのは通常個体の妖精竜(フェアリードラゴン)だ。一体の母と四体の仔によって形成された群れの周囲には、翠緑の光で作られた球状の膜がある。

 その正体は妖精母竜が形成した常時展開型の障殻だ。

 但し強度、効果範囲共に、仔たる妖精竜が形成していたものとは比較にならない。封印される以前、まだ多くのハイエルフが存在していた時代に大量の栄養を得ていた妖精母竜は、その潤沢な魔力を費やして一種の領域を敷いていた。


 試しに、とロビンは『ガンダールヴ』による射撃を打ち込んでみたものの――


「――威力が削がれてる。これじゃ当たったところで致命傷には程遠いね」


 放たれた紫電の槍は翠緑の大障殻を貫く過程で痩せ細り、更に着弾のタイミングで内部に展開された多重障壁によって大幅な威力減衰を強いられた。省エネの為『ガンダールヴ』の威力増幅も最低レベルに落としているとはいえ、かなりの減衰率である。


 一応は妖精母竜の胴体部に命中したものの、紫電の槍は一部の肉を抉り取っただけの結果に終わり、損傷箇所はぶくぶくと泡立つように再生を始めた。

 どうやら仔よりも優秀な自己治癒能力(リジェネレーション)を有しているらしく、恐らくは百秒と経たずして完全回復することだろう。


 つまるところ、ファフニールが現状のまま一撃でコトを終わらせようと思えば、接近戦で仕留めるか『アウルヴァング』を使うしかない、ということである。

 だが、ここまでの戦闘過程で貯蔵魔力の残量が心許なくなっていた。

 大喰らいの『アウルヴァング』を使うとなれば、そしてその後で残りの仔も相手取ることを考えれば、残り一発が限度といったところか。


「……む」


 現況整理を終えたロビンの視線の先、メインディスプレイ越しに竜群からの反撃が来た。

 しかしながらその攻撃には、敵を仕留めようという気概が感じられない。

 質よりも数。確実性より継続性。付かず離れずの一定距離から、絶え間なく放たれるその射撃が意図するところは――


「持久戦の構え、か」


 ファフニールを空の戦いに釘付けにして、地上の戦いに注意を向かせないようにする。そういった意味合いも含んでいるのだろうが、本命はあくまで体力の削り合いを挑まんとする姿勢だ。


 国二つ分の命を喰らい尽くしただけあって、保有魔力には自信があるのだろう。母に護られた仔の群れは魔力消費を気にすることなく射撃を続け、霧雨の満ちる曇天に幾条もの緑光が走る。


「……生憎だけど、こっちは腹ペコでね。のんびり付き合ってあげるわけにはいかないのさ」


 高高度に陣取っていたファフニールは身を沈め、位置エネルギーを推力に変えつつ接近を開始する。そして嫌がらせのような――地上の狩人や戦士からすれば十分以上に致死威力の――弾幕を掻い潜りつつ、ロビンは両手両足の指先から伸びる魔力線を通じて躯体の調整に取り掛かった。


 僅かな魔力も惜しむよう、姿勢制御用のスラスターを閉鎖。細やかな軌道修正は手足の挙動と体重移動(シフトウェート)で賄うことに決め、サブスラスターの幾つかも出力を絞る。

 続いて『冷却』の術式が刻印されたラジエーターの出力調整を自動(オート)から手動(マニュアル)へと切り替え。右足の薬指と小指から伸びる魔力線をその調整に充てがい、並列思考で機動に応じた最適値の計算を開始する。装甲を強化する『硬質化』の術式も不要だ。当たらなければよかろう理論を適用し、魔力供給を全面カット。浮いた余力は火力に回す。


 その他大小様々な機能を可能な限り削り取り、落ちた性能は自身の操縦技術で補完。機体制御に必要な演算は自前の脳で引き受けた。ロビンは調整を終えるなりフットペダルを蹴り込み、飢えた竜騎士がそれに応える。


『――――』


 対する妖精竜の群れは、一定距離を保ったまま応射を続けた。

 やはりまともにやり合うつもりはないのか、牽制射撃の中に幾つかの本命を混ぜつつも決着を急いでないように伺える。


 ファフニールは弾幕を掻い潜りつつ、群れの鼻先を抑えに行く機動を見せた。

 それを察知した妖精母竜は距離を取るべく軌道を変える。

 その進路に回り込むようにして、ファフニールはスラスターを噴かし急加速。

 妖精母竜は再び軌道を修正する。


 イタチごっこのような応酬が続くも、相対距離はなかなか縮まらない。その間もファフニールは間断なく放たれる砲火に晒され続けていた。傍目には一方的に翻弄されているようにも映る、厳しい戦況が続く。

 しかし妖精母竜が直接戦闘に加わったことで指揮能力が低下したのか、群れとしての動きには多少の乱れがあった。妖精母竜が回避運動を行う度、追随する仔の動きに遅れが生じていたのだ。その遅延は回避運動を行う都度に少しずつ、けれど確実に蓄積されていく。


 そして何十度目かの高機動で敵群を揺さぶったファフニールは、おもむろに左手の長銃を振り上げた。照準と同時にトリガーが引かれ、『ガンダールヴ』の銃口から紫電の槍が放たれる。


『――――!?』


 紫電の槍は痩せ細りながらも分厚い大障殻を突破し、遅れ始めていた最後尾の妖精竜の鼻先を穿った。

 命中はしていない。

 だが鼻先を掠める一撃に急制動をかけたことで、最後尾の個体が大障殻の効果範囲から完全に逸脱した。


 母の護りを無くした個体に、ロビンは容赦なく白銀の長銃(ガンダールヴ)の銃口を向ける。

 大障殻と多重障壁――その護りを越えて妖精母竜にダメージを与えた砲撃に、無防備な妖精竜が耐えられる道理はない。

 我が仔の危機に気付いた妖精母竜は慌てて反転し、再びその個体を庇護下に収めようとして――


「――ああ、そうくると思ったよ」


 狙い澄ました一撃が奔った。

 咆哮をあげたのは白銀(しろがね)の銃ではなく黒鉄(くろがね)の銃だ。

 装甲と機動力を犠牲にして魔力を掻き集め、出力三〇パーセントを確保した『アウルヴァング』。その砲撃が敵機(マザー)の動きを先読みした偏差射撃として、完璧な照準の下に放たれたのだ。

 莫大な魔力の奔流が光柱と化し、曇天の空を突き進む。


「――――っ」


 だが次の瞬間、ロビンはディスプレイ越しの光景に軽く目を瞠った。

 妖精母竜を貫かんとする極太の光柱の前に、別の妖精竜が割り込んできたのだ。

 その個体は自身を構成する魔素さえ燃やし尽くす勢いで障壁を展開し、迸る魔力の奔流を真正面から受け止める。


 そして竜騎士の主砲たる『アウルヴァング』は障壁ごと妖精竜の身を貫くも、その挺身は着弾までのカウントダウンに僅かな遅延を生じさせた。本来ならば妖精母竜の心臓部を貫くはずだった光柱は四枚の翅をもぎ取るに留まり、致命傷には届かない。

 妖精竜はその身を盾にして、必殺の一撃を凌いでみせたのだ。


『――――!』


 直後、別個体の妖精竜がすかさず反撃を撃ち込んできた。砲撃の為に動きを止めたファフニール目掛け、煌々と輝く緑の光撃が襲う。


 ファフニールはすかさず『ガンダールヴ』の銃口を向け、引金を引いた。但しその銃口から放たれたのは迎撃の為の攻撃術式ではない。魔弾に刻印されていた術式の名は<<守護の風ウィンド・プロテクション>>――風属性の防御魔術である。


 治療と防御魔術のスペシャリストである、第三軍団長エルティナ。その彼女が手ずから編んだ防御魔術が発現を果たし、巨大な風壁と化して光撃を防ぎ切った。


『キイィィィィィィアアァァァァァ――ッ!』


 だが敵の反撃はそれだけに留まらない。<<守護の風ウィンド・プロテクション>>が効果を失った次の瞬間、霧雨が爆ぜて出来た煙幕を突き破り、無数の光矢が姿を現したのだ。仔を失った妖精母竜からの逆襲だった。


 翠緑の光矢は四方八方を包囲している。

 現状からの全弾回避は不可能だ。

 ロビンは刹那にも満たぬ思考時間で判断を下し、瞬時に全天遮断領域(エイキンスキアルディ)を展開。

 ファフニールを中心とした防御フィールドが迫りくる弾雨の尽くを遮断し、被弾必至の状況下から無傷のままに切り抜ける。


 ――しかし、その代償は軽くはなかった。


「第二炉心完全停止。第一炉心、緊急出力に切り替え。アウルヴァング、並びにエイキンスキアルディは使用不可。ファフニールの活動限界まで約六十秒――参ったね、こりゃ」


 完全にガス欠寸前といった有様である。

 『アウルヴァング』と『エイキンスキアルディ』――莫大な魔力を消費する二つの装備の連続使用が、ファフニールの貯蔵魔力を枯渇寸前に陥れていたのだ。


 停止した第二炉心の分も賄おうと第一炉心の基礎出力を上げるが、その分魔石の消費量も急激に増加する。活動限界までの残余時間も、瞬間加速機構(フラッシュブースト)などの魔力消費の高い機動を行えばみるみるうちに目減りすることだろう。


 今の攻防で妖精母竜を仕留められていれば十分勝機はあったのだが、この状況から挽回するのは不可能に近い。妖精母竜と三体の妖精竜を撃墜するより先にファフニールが力尽きることは目に見えていた。ともすれば、敵の追撃を振り切りラージボックスに帰還することさえ困難な状態である。


「これまで、か……」


 冷静に状況を分析したロビンは、薄暗い操縦室の中で悔しげにそう呟いた。

 声色からは諦観の響きが滲み出ている。

 そして「仕方ないね」と諦めの言葉を零したロビンは操縦桿から右手を離し、腰に巻いたベルトの剣帯、そこに差された漆黒の剣の柄に触れ――



「――現刻を以って『検証実験』を終了。これより通常戦闘に移行する」



 もしもこの場に第三者が居たのなら、等しく目を剥いていたことだろう。

 操縦室の中で告げられた言葉はそれほどに論外であまりにも埒外だった。


 竜の駆り手たる小人の発したその台詞。

 それを字面のままに解釈するならば、ここまでの攻防はあくまで『実験』であり『戦闘』ではないという宣言に他ならない。


 そして、ならば、つまり、ここから始まるのは『実験』ではなく『戦闘』であり、空腹に喘ぐ蒼銀の竜に齎されるのは――


「魔剣起動。第一、第二炉心への接続開始。――――吼えなよ、ファフニール」


 瞬間。竜騎士の心臓部からけたたましい咆哮が生じた。


 胸部に収められた二つの炉心は暴力的なまでの唸りを上げ、躯体の隅々に至るまでを高濃度の魔力で満たしていく。魔力の供給をカットされていた装甲は元の堅牢さを取り戻し、閉鎖されていたスラスター群も揃って口を開いた。

 黒鉄の長銃(アウルヴァング)もまた例外ではない。

 サブディスプレイの一角に表示されていた主砲の魔力充填率は、装甲や機動力を犠牲にしてまで得た三〇という数値を軽々と超過し、最高値を目指してその数を増していく。


 当然ながら、『これ』は元々この躯体に備わっていた機能ではない。

 古代遺跡から発掘した当時、まだファフニールという名前が与えられるより以前の遺物は、失伝技術(ロストテクノロジー)こそ多いもののあくまで科学で構築されている代物であり、燃料を使い切った炉心を即座に復活させるなどという魔法の機能は搭載されていなかったのだ。

 従って飢えたファフニールが瞬時に息を吹き返した秘密は、ロビンが今しがた発動させた漆黒の魔剣にあった。



 ――秘奥〝覚醒めろダインの遺産(ダインスレイブ)



 それは一振りの魔剣を発動者に装備させる、装備生成型に分類される秘奥だ。

 秘奥に応じて現出時間――装備として維持しておける制限時間――は異なるが、〝覚醒めろダインの遺産(ダインスレイブ)〟は二十四時間と比較的長い。

 そしてこの魔剣に備わった専用の特殊能力は、発動者を世界樹の泉に繋げるというもの――つまりは『保有魔力(MP)の無限化能力』だ。


 一見、これは魔術師や魔力を扱う後衛職にとって、とても有意義な効果に映る。

 消費に比べて心許ない貯蓄(MP)をやりくりする彼らからすれば、何を引き換えにしてでも手に入れたいと願う代物だろう。

 事実、この秘奥が発見された当時の[タクティクス・クロニクル]では、ほぼ全てのプレイヤーがその情報に食いついたものである。


 しかし実体は異なる。

 呪われた魔剣(ダインスレイヴ)は武器枠の装備品として、自身以外の何物をも認めないからだ。

 本来使用可能な武器枠を、己だけで全て消費し尽くしてしまうのである。

 他の武器は短剣といったサブウェポンはおろか盾の装備すら認められず、発動を終えるまでダインスレイヴ以外の武器は等しく弾かれ、使用できない。


 そして当然ながら、ダインスレイヴの武器カテゴリーは剣だ。魔法の威力を増幅させる杖や魔本、聖鈴などといった後衛用の武器ではない。

 従って発動させた魔法の出力は武器による恩恵を受けられず素のままであり、また後衛職が鍛えているスキルには使用条件として専用武器が指定されていることも珍しくないが、それらも全て使用不可能になる。おまけにダインスレイヴそのものには、後衛関連のステータス補正が一切ないときたものだ。


 使えない。誰もがそう思った。


 いくら無限の魔力供給が得られると言っても、発動する魔法の出力がガタ落ちになるようでは意味がない。燃料が切れないライターを手に入れたところで、火炎放射器との火力比べで勝てるわけもないのだ。その結果は文字通り火を見るよりも明らかである。


 だがしかし、そのハズレ秘奥と魔力喰らいの欠陥兵器を組み合わせれば、一体どうなるのか?


 ――その答えが『これ』だ。


「魔力再充填完了。アウルヴァング、出力七〇パーセントに設定――発射(ファイア)


 碌に狙いもつけていない砲撃が試射として放たれた。

 先程の攻防で撃ち放った必殺の一撃はしかし、この極光に比べればか細いと言わざるを得ないだろう。ファフニールの全長をも上回る大口径の光柱は、大障殻を紙切れのように喰い破り、妖精母竜の尾を一瞬のうちに蒸発させた。


 他の武器が装備できないデメリットなど関係ない。

 ファフニールはゴーレムの一種であって武器ではないのだ。

 ロビン本体はあくまでダインスレイヴしか装備しておらず、ファフニールが手に持つ武器はゴーレム用の専用装備スロットを使用するのみである。


 斯くして魔剣の対価を踏み倒した竜騎士は、無限の魔力を躯体に取り込み、その力を十全に解き放つ。


『――――!?』


 狼狽する妖精竜の群れに向け、再び高速巡航形態に移行させたロビンはスロットルを全開にした。

 魔力消費など最早気にする必要はない。躯体の基準出力も魔剣を起動させた時点で『巡航出力(ノーマル)』から『戦闘出力(ミリタリー)』に切り替えられていた。制約を振り払った機竜は白光の尾を曳き、彗星が如き迅さで飛翔する。


 対する妖精竜の群れは、即座に背を向けて距離を取ろうとした。だが無駄だ。機動性を犠牲にしていた先刻までとは異なり、ファフニールは全ての軛を取り払っている。無慈悲なまでの推力比が瞬く間に両者の距離を縮めていった。


 仔を護る妖精母竜からの迎撃が放たれる。対するファフニールは左肩部の大口径スラスターを噴かし、フラッシュブーストで回避した。続いて迫る光矢の弾幕もまたフラッシュブーストの連続起動で掻い潜り、航空機では有り得ない鋭角な軌道を描いて間合いを詰める。


 そして中間距離に到達したファフニールは騎士の姿に戻るなり、黒鉄の銃把を握り締めたままの右手を左肩付近に引き付けた。正面を向いたままのその構えは、今にも号令を下さんとする指揮者のようにも映っただろう。

 既に魔力の再充填は完了済みだ。サブディスプレイに映る収束率を確認したロビンは躊躇いなくトリガーを引き絞る。そして引き絞ったまま離さない。持続照射モードに設定された黒鉄の長銃、その銃口から発される光の束が象るのは――


「筆頭技師メルツェル渾身の斬撃兵装――アウルヴァングの光剣さ」


 過剰収束した凝光が刃と化し、黒鉄の長銃を柄とした刃渡り五〇〇メートル超過の大剣が顕現する。

 そして左肩に引き付けた右手を薙げば、それは無造作な大斬撃と化した。

 星々の光を束ねたような斬閃が大障殻越しに妖精竜の身を捉え、最も強靭な胴体部をバターのように溶断する。


『――――!』


 瞬く間に墜とされた仲間の姿に、竜の群れは戸惑いの嘶きをあげた。大障殻が意味を為さないことを知らされた妖精竜は、母の指令に従って四散する。そして光剣を収めたファフニールはそのうちの一体に狙いを定め、放たれた矢の如く飛翔した。


 先行する個体からは勿論のこと、横合いからも接近を阻む光矢が襲いかかるが竜騎士は意に介さない。

 既に全天遮断領域(エイキンスキアルディ)は常時展開モードで起動済みだ。

 再展開の隙を突いた攻撃、などというものはもはや成立する余地もない。

 ファフニールは回避行動を取る素振りすら見せず、雨あられと降り注ぐ弾幕の中、直線軌道で追い迫る。


 そして数秒と経たずしてその背に追いついたファフニールは、フラッシュブーストの五連続起動で稲妻が如き軌道を刻み、先行する妖精竜の正面(・・)に回り込んだ。

 刹那未満の時間の中、ディスプレイ越しに竜の眼と小人の眼が合う。

 恐怖の色を浮かべる竜眼に向けられたのは、白銀色の銃口。

 剣であり盾であり砲でもある『魔法使いの(ガンダー)鉱妖精(ルヴ)』が火を吹き、零距離からの爆炎が妖精竜の上半身を吹き飛ばした。


「五機目の撃墜を確認。――さあて、そろそろ仕上げと行こうか」


 淡々とキルカウントを数えつつ、ロビンはメインディスプレイの片隅に表示された多次元レーダーを睨む。

 残る敵戦力は二機。仔が一体と妖精母竜を残すのみ。

 このまま一気に勝負をつけるべく、ロビンはファフニールの身を反転させ、再合流を果たした二体の竜に相対した。


『――――、――――、――――!』


 だが、その時だ。

 突如として妖精母竜の身に異変が生じた。

 瞳にあった僅かな理性の光が消え失せ、傍らの仔の胴体に喰らいついたのだ。


 鋭い乱歯を容赦なく突き立てられた妖精竜は、何故、と瞳に驚愕の色を浮かべて苦悶の絶叫をあげる。

 しかしその声も既に届いていないのか、妖精母竜は強靭な顎で胴体の肉を喰い破るや否や、妖精竜の心臓を強引に抉り出した。

 絶命した妖精竜は地面に向けて落下し、仔の心臓を丸呑みにした妖精母竜は天上への上昇を開始する。


「……無粋だね。決闘に割り込んできた挙げ句、完全な操り人形に堕とすだなんて」


 凶行の原因を確信したロビンは、メインディスプレイの右隅に拡大表示された大長老を見下して言った。


 しかも命令の内容が的外れに過ぎる。ただでさえ個体性能で隔絶した相手に対し、唯一勝っている数の優位を捨ててどうするというのか。子供の癇癪のような命令に従わざるを得ない敵に、ロビンは不覚にも憐憫に似た感情を抱く。


 哀れみの余りあえて介入せずその行動を見守る中、我が仔の心臓を喰らった妖精母竜は曇天を突き抜け、燦々とした陽光の下に身を晒した。そしてその口蓋を大きく開放するなり、魔力の塊を生成し始める。


 妖精竜がタメ(・・)の一撃として放っていたものの上位版に見受けられるが、篭められている魔力量は比較にならない程に膨大だ。丸呑みにした心臓から得た魔力はもとより、戦闘後に残しておくべき自活用の体力はおろか、その存在を保つ為に必要最低限な魔素さえも費やして魔力を圧縮し続けている。


 自壊も厭わずただ命じられるままに稼働する妖精母竜。その様は最早、意志持つ生命としての在り方ではなく――


「ああ、なるほど。これは元々竜と竜騎士による決闘じゃなく、人形使い同士の勝負だったってことか」


 皮肉なものだね、とロビンは冷めた表情で呟く。

 あの竜は肉の躰を持つというのに、刃金(ハガネ)で造られたファフニールよりも尚機械的なのだ。


「……なら、これはボクからのせめてもの手向けだ。君の最後の攻撃に、正面から応えるとしよう」


 言って、ロビンは天上に構える妖精母竜の直下へとファフニールを移動させた。

 そして操縦桿のマスターアームスイッチ、その下に隠されたボタンを押し込む。

 応じて機械仕掛けの竜騎士が開始するのは――


「ファフニール、竜撃形態に移行。砲撃シーケンス・スタート」


 祝詞に似た宣言。それと共に、本体に先んじて変形を始めたのは白銀の長銃だ。

 白銀の長銃は装填されていた魔弾の全てを排出するや否や、その長大な銃身を残して二つに折れる。そしてブレイクアクション式の古典的拳銃が如く開放された薬室とは逆側、斜め下を向いた銃床は擬似的な銃把の役割を担い、斜に構えたファルニールの左手がそれを握り締めた。


「胸部装甲開放、双銃連結。第一、第二炉心の強制励起開始」


 続いて、開放された薬室に黒鉄の銃口が差し込まれる。白銀の銃身は重厚な連結音と共にその切っ先を迎え入れ、弓を引くようにして引き付けられた右手が漆黒の銃把を確保した。

 一体化した白と黒の巨砲。

 そこから伸びるエネルギーパイプが多重装甲の奥に潜む炉心本体に接続され、心臓を介した魔剣が膨大な魔力で満たしていく。


「重力レンズ生成、躯体を現座標に固定」


 左半身を前にして斜に構えたファフニールは天上を仰ぎ、現座標を射撃位置として設定した。高出力のあまり光すら捻じ曲げる重力レンズが、まるで釘を打ち付けたかのように竜騎士の身を固定する。


「ガンバレルテクスチャ展開、仮装砲身の形成を完了。魔力圧縮率、第三種既定値を突破。両炉心臨界状態を維持」


 魔剣が震える。魔力が満ちる。溺れるほどに濃密な魔素の奔流は、今や躯体の隅々までを魔の輝きで満たそうとしていた。

 しかも変化はそれだけに留まらない。半物質化するほどに凝縮された魔力塊が白と黒の巨砲を包み、仮初の延長砲身を形成したのだ。それは天へと挑む巨塔が如き異様さで上空の竜へと狙いを定め――


「全工程クリア。発射まで三、二、一、――」


 ゼロ、という言葉は莫大な光の前に消え去った。

 それは機械仕掛けの竜騎士で、その身を創るのは刃金(ハガネ)と術式の集合体(カタマリ)で、その光を放ったのは口蓋ではなく砲口に過ぎない。けれどそれが竜の属性を持つ以上、放たれた暴虐の光はこう呼ばれるべきだろう。


 ――ドラゴンブレス、と。


 同時に、天上から直下に向け彗光が放たれる。妖精母竜の生命を燃やし尽くした究極の一撃は、なるほど神話に謳われるべき威力を誇っていた。しかしその彗光はソラを駆け上がる光芒の前に掻き消され、射手たる妖精母竜もまた夜空のような必滅の光に呑み込まれていく。


 後に残るモノなどなにもない。

 ただ竜騎士の発する強制冷却の排気音だけが、戦いの終わりを告げていた。




    +    +    +




 天上から堕ちる緑光と、天上を穿つ蒼光が戦場を照らした。

 輝きは僅か数秒のこと。

 曇天に覆われた戦場は、すぐさま元の暗さを取り戻す。


 だが、光の発生前後で明確な違いが存在した。

 それは空を舞う竜の存在だ。

 先ほどまでそこにいたはずの守護竜の姿は無く、余剰熱を勢いよく排出する蒼銀色の竜騎士だけがそこに在る。


 導き出される真実は一つだ。


妖精母竜(マザー)が……死んだ?」


 緑衣の誰かが呆然と呟く。その思いは狩人の誰しもに共通するものだ。

 妖精竜を上回る力を持つ竜騎士。自分たちと互角に渡り合うラテストウッドの戦士団。更には今しがた目の当たりにした妖精母竜の消え去る様――非現実に次ぐ非現実が狩人たちの精神を打ちのめす。

 そしてその隙を見逃すほど、若き女王は甘くはなかった。


「今こそ好機! 前衛各位は攻勢に転じなさい――!!」


 鋭い声を背に、女王に仕える戦士たちは即応した。

 戦士長たるフェルクは誰よりも早く一歩を踏み込み、血の滲む手で杖剣を叩きつける。


 寸前で我に返った狩人長代行(セルウィン)は、優れた狩人としての本能でその一閃を受け止めるも、杖剣の切っ先が僅かに彼の頬を裂いた。整った顔立ちにささやかな傷が刻まれる。


「貴様……〝穢れ〟の分際で、よくも……!!」


 セルウィンは動揺を憤怒で塗り潰し、猛烈な剣撃を繰り出した。

 フェルクはその剣撃を一撃毎に躱し、弾き、捌き切れぬ一閃は致命傷を避けつつその身で受ける。一歩を下がればかろうじていなせた可能性はあったが、後退を嫌った彼はあくまで前進を良しとした。


 間合いを離せば魔術が飛んでくるだとか、この絶好機に戦士長たる自分が退くわけにはいかないだとか、そういった理由とは別に絶対に退くものかという断固たる意志が生じていたのだ。身の内から湧き上がってくる衝動とでも称すべき何かに背を押され、フェルクは血を飛沫かせながら前進を果たす。


 そうして杖剣を振るいつつ、彼の口から零れ出るのは――


「――れ、ではない……!」

「……なに?」


 眉間に皺を刻み、必死の形相を浮かべてフェルクは踏み込む。

 対するセルウィンは疑問の声を発した。

 構わず刃を振るい、更に一歩を踏み込む。


「……がれ、などではない……!」


 本当は、ずっと言ってやりたかった。

 そうと呼ばれる度に忸怩たる思いを抱えてきた。

 けれど声を大にして言えるだけの力がなく、耐え忍ぶしかなかった。

 だからこそ今、胸の内からこみ上げてきた積年の思いが、言葉となって放たれて――


「我々は――〝穢れ〟などではない!!」


 自分の名は『フェルク』だ。

 ハーフエルフの両親の間に生まれた第四世代のハーフエルフであり。

 若き女王より戦士長の任を与えられた、誇り高きラテストウッドの民である。


「ウオオオオォォォォォァァア――――ッ!!」


 迸る咆哮と共に渾身の一撃を繰り出す。

 技術もなにもない殴りつけるような斬撃は当然のように受け止められた。

 しかしその一撃を切っ掛けにした怒涛の連撃は、溢れ出る感情ごとセルウィンに叩きつけられ、狩人長でさえ受け流せない圧を生み出すに至る。


「ぐっ……!」


 呻くような声と共にセルウィンがたたらを踏んで後退した。

 退がったとはいえ、僅か数歩。

 瞬く間に詰められる距離に過ぎない。

 けれどその数歩は、フェルクの攻撃が初めてセルウィンを上回ったという、確かな証左でもあった。


「…………ッ!」


 もはや言葉もない。

 度重なる屈辱に憤死しかねないのほどの感情を得たセルウィンは、すかさず反撃を繰り出そうとして――次の瞬間、目の前の光景に目を剥いた。


「……なに!?」


 杖剣を叩きつけたフェルクはニヤリと笑い、大きくその場から飛び退いたのだ。それも間合いを空けるどころの話ではない。彼は正対したまま幾度ものバックステップを刻み、明らかな遠距離へと離れていく。

 しかもそれはフェルク一人だけの行動に留まらなかった。

 彼の動きに呼応するように、他の戦士らもまた突き放すような一撃を見舞うなり、一斉に後退し始めたのである。


 その光景を前に、狩人らの間に僅かな動揺が走った。

 あくまで前進を良しとしていた敵兵が初めて見せるその行動に不意を打たれ、追撃の足が鈍る。


 それを油断と呼ぶことは出来ないだろう。その証拠に、狩人らは妖精母竜が撃破されたことによる動揺も収まらぬ中、敵の動きには警戒すべき何かがあると判断し、離れていく敵兵を注視していたのだ。

 そしてだからこそ、敵兵の一挙手一投足を油断なく注視していたからこそ、狩人らは『ソレ』に気づくのが遅れてしまった。


 狩人らの視線を引き付け、相対したまま大きく飛び退いていくラテストウッドの戦士たち。――その背景には、屹然と掲げられた長杖の群れがある。


「なっ――――!?」


 気付いた時にはもう遅い。

 開戦時の牽制射以降、延々と紡がれていた詠唱は遂に完成に至ろうとしていた。

 目を剥く狩人たちの視界の中、幾条もの長杖に篭められた魔力は揃って臨界へと到達し――


「魔術師隊総員、放てェ――――ッ!!」


 女王の号令一下、集団詠唱による大魔術が発現する。


「「「――荒び爆ず紅茫の殲火イグス・ヴァルアティーガ――!!」」」


 前衛部隊を信じ、無防備のまま詠唱し続けていた魔術師隊。その唱和が力在る言葉として放たれ、極限にまで高められた魔力を爆炎の大華へと変貌させた。

 発現を果たしたのは上級魔術をも上回る、絶級魔術と称される大魔術。

 足りぬ魔力と技量を集団で補い、完全詠唱で放たれたソレは広範囲に破壊を撒き散らし、一切の容赦なくノーブルウッドの狩人に襲いかかる。


 本来なら――という言葉を前置きにすれば、障壁の展開が間に合っていたことだろう。しかし自分たちに抗し得る前衛への警戒が、狩人たちからその時間と余力を奪い去っていた。辛うじて障壁展開が間に合った者も居たものの、一撃に全てを懸けた大魔術の前に尽くが破壊される。

 しかも発現を果たした魔術はそれだけではない。追撃として放たれたのは光と闇の属性を除くあらゆる属性魔術の一斉掃射だ。大魔術によって壊滅状態に追い込まれた狩人らに波濤の如く押し寄せる弾幕を凌ぐ術はなく、間断のない斉射が最後の一人に至るまでを呑み込み、蹂躙する。


 やがて十秒が経ち、二十秒が経ち、ラテストウッドの魔術師隊が魔力を使い果たしたことにより、ようやく魔術の斉射が止んだ。

 そして巻き上げられた煙幕が晴れた後、荒れ果てた爆心地には絶命した狩人の残骸が残されるのみだ。その中には狩人長代行セルウィンだったものも混じっていた。両の足で地面を踏みしめる敵兵の姿はもう、何処にも無い。


 ――魔術に最も秀でしエルフ。その中でも最強を名乗るノーブルウッドの狩人。


 その最期は思いもよらぬ他勢力の攻撃によるものでも、彼らの苦手を突く白兵戦による刃でも、ましてや数を頼りにした人間由来の戦法でもなく。彼らが最も得意とし、そして終ぞ一度たりとも使うことが出来なかった大魔術によるものだった。




    +    +    +




 そうしてしばらくの間、荒れた呼吸音だけが戦場を支配した。

 魔力を使い果たした術者たちは崩れ落ちそうになる体を杖で支え、傷ついた戦士たちは肩で息をしながらも油断なく武器を構え続ける。


 両者が揃って見つめるのは、目の前に広がる信じがたい光景だ。

 叩き込まれた技能の全てを発揮し、戦士の本分を果たした結果がそこにある。


「――――…………」


 しかし誰もが皆、無言のまま立ち尽くしていた。

 結果を得たはいいものの、『それ』をどう扱っていいのか測りかねていたからだ。

 初回の訓練時に指摘され、そして模擬戦で経験させてもらってはいたものの、実戦となればこれが初めてである。

 だからこそ実際に『それ』を手にしてしまった今、どう振る舞えばいいのかすら分からなくなってしまい、ただただ呆然と立ち尽くす他なかったのだ。


 動くものの居なくなった敵陣営に対し、油断なく武器を構え続ける戦士の群れ。

 何も知らぬ第三者からすれば、それはひどく滑稽な光景に映ったかもしれない。

 そしてそんな一幕に終止符を打ったのは、やはりと言うべきか一人の少女だった。


 彼女の身を照らすのは、ファフニールが穿った暗雲から差し込む一筋の陽光。

 神託が如き陽光に身を浸す少女は、集団詠唱の要を担っていたことによる疲労感などおくびにも出さず、静かな声で言の葉を紡ぎ出す。


「――――我々の、勝利です」


 淡々と発せられた短い言葉。

 しかしながらその単語は、ラテストウッドの戦士団に劇的な変化を与えた。

 ある者は拳を硬く握り締め、ある者は熱いものを瞳から零し、またある者は湧き上がる感情を堪えるようにして総身を震わせる。

 そしてその激情が限界を越える寸前、若き女王は殊更に声を張り上げ、この場に存在する全てという全てに告げた。


「勝鬨を上げなさい! 今この時を以って、我々は暗き過去との決別を告げるものとします。いざ神樹にも届く咆哮を! 夜明けを告げる勝鬨を、此処に――!!」


 若き女王の声を背に、フェルクは傷だらけの右腕を高く突き上げた。

 そして天を仰ぎ大口を開け、その痩躯からは考えられないほどに雄々しい咆哮をあげる。


 戦士団の皆もまた、その後に続いた。

 ハーフエルフが、ドワーフが、小人が、獣人が、そこに居合わせた全ての者が一様に声をあげ、その歓声は唱和と成って大樹海の木々を揺らす。


「「「おおおおぉぉぉぉぉぉ――――!!」」」


 ――ラテストウッドの夜明けを告げる咆哮だった。




・次話の投稿予定日は【12月29日】です。

<< 前へ次へ >>目次  更新