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第十二話  「開戦」

お待たせしました。三章最終話まで連日更新します。

メリークリスマス!


 深い森に雨粒がポツリと落ちた。

 一滴の雨粒は地面に落ちるなり弾け、それを皮切りに小さな雨音が続く。


 白く煙る霧雨に包まれる中、森の外れを進むのは緑衣の集団だ。

 曇天に覆われた森の視界は悪いが、だからこそ好都合だと集団の先頭を行く男は思う。自分たちの足音と姿を隠してくれる雨は歓迎こそすれ厭うものではない。


 無論、このような奇襲を目論まずとも勝利を得ることは可能だろう。万が一にも後れを取ることなど有り得ないと心から思う。しかし念には念を入れるに越したことはないのもまた確かだという思いが、彼らに隠密行動を選択させた。

 なにせこれから行われるのは国の威信を賭けた――否、種族の誇りを賭した戦いだ。大樹海に生きる全ての同族の代表者として自分たちはここにいるのだ。少なくとも男はそう信じていた。


 あの日もきっとそうだったはずだ、と男は思う。


 歩みを進めながら脳裏に思い浮かべるのは、誇り高きノーブルウッドの英雄。

 狩人の中でも最精鋭からなる先遣隊を率い、人間との戦に備えて橋頭堡を築きに出向いた狩人長、サラウィン=ウェルト=ノーブルリーフの姿だ。

 長老議会から満場一致で使命を与えられた()の英雄もまた、たとえ相手が〝穢れ〟であろうと気を緩めることなく迅速な都市急襲を果たし、一切の油断を排してコトにあたったことだろう。


 それが何故、あのようなことになったのか。

 何故、このようなことをせざるを得なくなったのか。


 今以て理解は納得に追い付かない。ただ、やるべきことだけはハッキリしていた。男は煮え滾る感情を抑えつけ、表面上は平静を保って進軍を続ける。


「そこで止まられよ、ノーブルウッドのエルフたちよ」


 突如として緑衣の集団に投げつけられた声があった。

 足を止めた集団、その先頭に立つ男はフードを払い除け、声の主を見据える。

 晒された両目に、爛々とした危うい光を宿して。


「ラテストウッドの〝穢れ〟か……何故我らの存在に気付いた?」

「善意の協力者からの通報だ。不審な一団が都市に迫っている、とな。……その様子を見る限り問うまでもなさそうだが、警告だけはさせていただく」


 殺気を滲ませた一団の前にただ一人立ち塞がる声の主――ラテストウッドの前戦士長たるウェンリは、毅然とした声色を意識して言葉を放った。


「この先には我が国、ラテストウッドの都市がある。我々の都市に用向きがなければこのような場所に現れるはずもない。にも拘らずこの場に、それも完全武装して現れた貴方がたの意図を問う」


 問われた男に、一人のエルフがサッと駆け寄った。

 立ち塞がる女の素性を耳打ちされた男は、侮蔑の感情も露わな渋面で答える。


「たかが戦士長の分際で我らに問いを放つか」

「不審な一団に対する詰問に、資格が必要だとでも?」

「戯言を。我らエルフと言葉を交わしたいとあらば、せめて女王を連れてくるべきだ。それが身の程をわきまえた最低限の礼儀であろうに」


 ハーフエルフを貶める言葉の数々は、純粋な思いの発露だ。

 男は自分の発言になんの疑いも持っていない。ただ当たり前のことを口にしただけだ。そもそもハーフエルフはエルフに対し口を利く資格すら持たないのだと、女王をこの場に寄越さなかったのは礼節を損なっていると、本気でそう考えている。

 それを理解したウェンリは、義憤の感情が瞬間的に沸き立つのを自覚した。


「それが……それが、使者を切り捨てんとした者たちの言葉か……! 和睦の道を探らんと手を差し伸べた相手に対し、刃で応えた無法者の言とは到底思えぬ!」

「黙れッ! 貴様らと言葉を交わすだけで、我らがどれほど屈辱を強いられていると思っている!? その思いを推し量るだけの知性すら持たぬのか!? ならば今すぐここで自刃しろ! それが貴様ら〝穢れ〟が我々に示すべき礼節だ!」

「そのような礼節があるものか! 貴方は……貴様らは、私たちハーフエルフを何だと思っている!?」

「汚穢だ! 存在するだけで森とエルフを貶める〝穢れ〟でしかない! 何度言わせる!? 何度言われれば理解する!? 貴様らが他の何だと言うのだ!! そも誕生すら望まれず、他の誰に受け入れられるわけでもなく、深淵森(アビス)の魔獣に怯えながらコソコソと生き長らえるだけの貴様らがそれ以外の何だと――――、いや」


 激昂していた男は一転、冷水を浴びたように静けさを取り戻した。

 とめどなく沸き立つ怒りのあまり、一瞬忘れかけていたとある事実を思い出した彼は、丸めた長身の背をくつくつという漏れ出た笑みで震わせる。


「……そう、そうであったな。貴様らには他に大事な役割があった。我らノーブルウッドの大願を果たす為の糧に――妖精竜(フェアリードラゴン)の餌として繁殖するという、ハーフエルフどもに似合いの役割があったとも」

「……ッ、貴様らは、まだそのようなことを――!」

「まだもなにもない。事の起こりからそれは決まっていたことだ。だからこそ我らは、森の片隅に住み着いた貴様らを見逃してやった。大樹海の片隅に居を構えるという貴様らの不遜を数十年間許し続けてきた。それが収穫期に至り、いざ役割を果たそうとしたところで我らに刃を向けるなど、無恥厚顔にも程がある……!」


 男は言う。森の片隅にハーフエルフが住み着くことをあえて静観してきたのは、その目的の為なのだと。深淵森(アビス)の間近という劣悪極まりない環境であるものの、仮にも大樹海の一部で生きることを許してきたのは、妖精竜が復活した際の餌として繁殖させておく為なのだと。そしてハーフエルフとは妖精竜の糧となる家畜でしかないのだと、一切の躊躇なく断言した。


 男の背後に立ち並ぶ、百人を超えるエルフの口からも異論の声は上がらない。

 ノーブルウッドのエルフにとってそれは端的な事実であり、揺らぎようのない価値観であり、当然そのようにあるべき常識だった。


 どうしようもなく相容れない価値観と意見の相違。

 それを臆面もなく聞かされたウェンリは、反論する気力も意義すらも持てず、ただただ呆然と立ち尽くすしかなかった。

 その沈黙をどのように解釈したのか、男は満足げに頷きつつ、


「――だが、もういい。もう貴様らは糧としての役割を果たす必要はない。そもそも〝穢れ〟の存在を計画に組み込んでいたことが間違いだったのだろう。永きを生きる賢者とて時には失敗もする。故にこそ素直に認めようではないか。低品質の家畜を養殖し、妖精竜の餌にしようなどと試みたのは過ちであったと」

「……この期に及んで、何を」

「ハーフエルフ如き〝穢れ〟では、妖精竜の復活はならなかったということだ。だからこそ大いなる災いが起きた。有り得ない悲報が届けられることになった。その時の私の気持ちが分かるか? いいや貴様らには分かるまい。妖精竜が朽ち果て、先遣隊がその巻き添えとなり、使命を託された英雄が――狩人長サラウィンが〝穢れ〟どもの手によって森に還ったなどという歴史に残せぬ蛮行を聞かされたこの私の心境が! 貴様ら如きに! 分かるものかァ!!」


 訝しむウェンリを無視して男は心境を吐露する。その声はやがて熱を帯び、最後には叫びとなって吐き散らされた。


「ああ、そうとも! もう貴様らは必要ない! 貴様らが生きていい理由など何一つ残っていない! 貴様らのような劣悪な餌など用いずとも――こうして我らが守護竜は、完全復活を果たしたのだから――!!」


 熱に浮かされた指揮者のように、男は片腕を振り上げた。

 同時に響く甲高い絶叫。

 約二ヶ月前の当時、敵の手に落ちた首都外縁部で耳にした特有の雄叫びが、ウェンリの鼓膜を揺らす。


 そして森を覆う霧雨の中、浮き出るようにして現れたのは翅持つ竜の姿だ。

 驚愕に目を見開くウェンリの視線の先には、神がエルフの為に遺したとされる守護者――『妖精竜』の姿がある。


「――――――」


 瞬間、ウェンリの意識は空白に染まった。

 ノーブルウッドにとっての守護竜はラテストウッドにとっての怨敵である。その姿を再び目にするのは一般的に考えて衝撃を受けることだろう。しかし彼女の思考を空白に染め上げたのは、なにもそのことばかりが原因ではない。


 何故ならウェンリは知っていた。第六軍団の総力を投入し、対ノーブルウッドの情報戦を仕掛けていたカミーラから、事前にこの情報を聞かされていたのだ。ノーブルウッドが性懲りもなく過去の遺物を持ち出してきた、と。

 だから覚悟は決めていた。再び忌まわしき竜の姿を直視することになるのだと予め承知していた。にも拘らず覚悟済みだったウェンリを呆然とさせた要因は、彼女が直視する妖精竜の体躯にある。


 ウェンリの知る妖精竜――かつてラテストウッドを襲った個体は、病的なまでに肉付きの悪い躰をしていた。骨と皮だけでガワを作り、そこに申し訳程度に肉付けを行っただけといった具合の、不気味な痩身をした翅持つ竜。それが彼女にとっての妖精竜である。


 だがしかし、今まさに視線の先で宙を舞う竜の姿はどうだろうか。

 病的なまでに細かった痩身は厚みのある巨体へと形を変え、骨と皮ばかりだった体躯は重厚な巨躯へと変貌している。

 自重すら支えきれないのではないかという細い後ろ脚もまた、記憶にあるものより二回り以上も太く強靭になっており、肉付きの悪かった面影など今やどこにもない。ともすれば別種の竜ではないかとすら思えるほどに雄々しく、力強い肉体を持つ巨竜の雄姿がそこにあった。


 そしてソレを直視した瞬間、ウェンリは悟った。

 アレが本来の姿なのだと。

 今自分が目にしている威容こそが、エルフの神話に謳われる妖精竜が完全に力を取り戻した姿なのだと、エルフの血を引く存在として本能的に理解した。


 ――それが(・・・)六体(・・)

 完全復活を遂げた妖精竜の群れが、大樹海の空を悠然と舞っている。


「…………正気、なのか。お前たちは……」


 ラテストウッドの代表者としての言葉遣いさえ忘れ、ウェンリは呻く。


 かつて彼女の同胞は竜の餌となった。その身に流れるエルフの血は薄いものの、ならば量で補えばいいと言わんばかりに数多のハーフエルフが生贄に捧げられた。犠牲になった仲間たちの数は百や二百では利かない。弔うべき遺体すらもない同胞たちの名を墓標に刻んだウェンリは、その事実をよくよく知っていた。


 しかしそれでも尚、あの時の個体は骨と皮ばかりの痩せた体躯をしていたのだ。実際に完全体を目にした今、アレは本来の姿とは程遠い不完全な痩躯だったと理解できる。

 ならば、六体もの妖精竜をこうまで肥え太らせるのに果たして何百の――否、何千何万の純血種(エルフ)を捧げたものか。


「――正気など、とうに捨てた」


 男は吐き捨てるようにそう告げた。

 隣国だったオールドウッドのエルフは疎か、自国の非戦闘員、不必要な兵士、若い神官――その全てを捧げ尽くした竜群が舞う空の下、狂気に瞳を揺らす男は言葉を繋げる。


「ああ、そうとも。我らはとうに狂っている。百年前のあの時に……醜き人間どもに傷物にされ、絶望に堕ちた女王が自ら命を絶ったあの日から――人間に敗れ去り最悪の恥辱を得た百年前から、正気などとうに捨てている!」


 彼らは脳裏に刻んでいた。

 エルフの中でも美貌に優れた女王が、その美しいかんばせを憎悪に歪め、日毎に壊れていく様を。そして人間に穢されたという屈辱に耐えかね、死に逃避した麗しき女王の末路を、しかとその目に焼き付けていた。

 だからこそ、ノーブルウッドはその総意を以って復讐に走ったのだ。


 しかしながらすぐさま戦を仕掛けたところで、荒野に出れば再び敗北を喫するのは必至。さりとて時間を置き過ぎれば、繁殖力でエルフを大きく上回る人間どもは力を増し、復讐を果たす機会は損なわれていくことだろう。少なくともノーブルウッドが単独で人間どもの連合軍に挑むにあたり、明るい展望は望めなくなる。


 力が必要だった。それも圧倒的なまでの。敵に反撃の機会を与えることなく、一方的に蹂躙することが可能な暴力を求めていた。

 無論、そんな力など望んですぐに得られるものではない。個人の研鑽でどうにかなるものとも思えない。そうして解決策が見つからず苦悩する中、とある誰かが何気なく呟いたのだ。


『問題ない。エルフには神より授けられし守護竜が存在するではないか。その封印を解き、復讐の尖兵とすればよいだけのこと』


 甘い囁きだった。

 守護を旨とする妖精竜に復讐を担わせることには抵抗があったが、人間への有り余る憎悪が葛藤を押し切った。ノーブルウッドのエルフらは囁きに従い、妖精竜が封じられた遺跡の封印解除に取り組むことになる。

 そうして大樹に籠もっていた神官を駆り出し、一族をあげて遺跡に齧りつき、復讐の代行者として妖精竜の封印解除にやっきになった。皆が一丸となり、あらゆる手を尽くしてきた。


 全てはあの日の屈辱を雪ぐため。

 あの忌まわしき過去を焼却し、亡き女王の恨みを晴らす為に。


 ――だが。


「その我らの大義が! 百年の屈辱を耐えに耐えた末に打ち立てた我らの計画が、たった一晩で水泡に帰したのだ! それも忌まわしくも悍ましい貴様ら〝穢れ〟の手で――!!」


 許せるわけもない。認められるはずもなかった。


 愚かにも人間との融和を謳う、他国のエルフに止められたならまだ許せた。

 計画を完遂する前に志半ばで力尽き、その結果荒野に死体を晒すことになったとしても、まだしも受け入れられただろう。


 だが、自分たちの計画を潰したのは〝穢れ〟だという。

 それに手を貸した流れ者の『旅人』だという。

 そんなものに、森の片隅で惨めに生き長らえていただけの〝穢れ〟の一派に自分たちの計画が打ち砕かれたなどと――そのような悍ましい事実をどうして認められようものか。


「我らは今度こそ報復を完遂する。……だがその前に貴様らだ。まずは〝穢れ〟を祓い、その血と贖いを以って開戦の狼煙とし、醜悪な人間どもを掃滅してくれる! それが我らの歩むべき唯一の道だ!」


 背後に立ち並ぶ狩人らが武器を手にとった。

 ノーブルウッドの民の内、妖精竜に捧げられなかった数少ない例外が彼らだ。

 先遣隊に勝るとも劣らぬと見込まれた狩人らが、獣性を宿した瞳でウェンリを見据える。


「さあ差し出せ、貴様らに手を貸した異邦人を! 我らは知っているぞ。貴様らに助力し、卑劣な手段で妖精竜と狩人長を……我が兄サラウィン=ウェルト=ノーブルリーフの命を奪った下手人の存在を知っている! 隠し立てするとあらば、周囲一帯を灰燼に変えてでも根こそぎ捜すまで!!」


 脅しではないことを示すように、男――狩人長代行セルウィン=ウェルト=ノーブルリーフは、宙を舞う妖精竜の一体に左手を差し向けた。巨竜は応じるように甲高くも力強い叫びを発し、その翅に緑の魔力光を灯す。


 そこで我に返ったウェンリは、事前に聞かされていた計画を思い返した。『彼』を呼ぶ機としては、恐らくここが最適解となるだろう。

 そうして事前の取り決め通り合図を送ろうとしていたウェンリだったが、不意に『彼』のこれまでの言動が脳裏に浮かんだ。ちゃらんぽらんで戦闘能力が皆無なアレを本当に呼んでもいいものかと、よりにもよってアレに命運を託してもいいものかと、誰にも増して『彼』の被害に遭い続けてきた彼女は躊躇いの感情を得る。


 だがこの期に及んで予定を変更できるはずもない。

 逡巡に要した時間は一瞬だ。

 覚悟を決めたウェンリは合図の言葉を口にすべく、大きく息を吸い込んで――


「やっはー、呼ばれて飛び出て即参上! ボクがラテストウッドを訪れた『旅人』ことロビン君さ! ハジメマシテだね、ノーブルウッドの諸君!」


 ――空気が読めない陽気な子供が、いつも通りに空気を読まずに躍り出た。


 茂みから姿を現した小人は、自己紹介を口にするなり対峙する両者の間で一回転。そして狩人長代行(セルウィン)と向き合う形で静止するなり「いえーい」とポーズをかます。何を狙ってかピースサインのオマケ付きでだ。


 道化師(ピエロ)のような振る舞いを披露されたウェンリは言葉もなく、陸に打ち上げられた魚のように口をパクパクと開閉させる。


 そうして一触即発だった空気が凍りつくこと、数秒――、


「――――なんだ、貴様は?」


 ぽつりと。セルウィンの口から恐ろしいほどに静かな呟きが零れた。

 先ほどまで憎悪に歪んでいた表情からは、感情という感情が抜け落ちている。

 見るものが見れば、それは噴火を前にした火山の静けさに思えたことだろう。


「あれ、聞こえなかった? ……あー、そっか。エルフって見かけよりもおじいちゃんなんだっけ。ひょっとして耳が遠いのかな」


 素朴な疑問を口にして、小人、ロビンは首を傾げる。これが日常の一コマであれば和んだかもしれないが、この場では文字通り場違いである。

 そしてロビンは「まあおじいちゃんなら仕方ないよね」という余計な一言を挟んでから、再び口を開き、


「えっと。ボクが君たちの捜してる異邦人……あー、旅人ね。んで、今はラテストウッドでお世話になってるお客さん。前に君たちが攻め込んできた時は一宿一飯の恩義ってやつで手助けさせてもらったりしたけど、弱い者いじめしてた君たちが悪いんだし仕方ないよね」


 背伸びをした子供が年下の幼子を諭すように、ウンウンと頷きながらロビンは説明らしき何かを終える。

 そんな彼の背後に立つウェンリは、強烈な目眩に襲われ気が遠くなった。


 こんな子供でも一つの軍団の長を務める軍団長、王を除いたアルキマイラにおける八頂点の一角である。いざという時は、きっと立場に見合った威厳のある姿を見せてくれるものだろう。――そのように自分に言い聞かせ続けてきた彼女だったが、いざ蓋を開けてみればこの有様だ。やはり死を覚悟してでも反対意見を貫くべきだったと、頭を抱えたい気持ちで一杯になる。


 それでもどうにか精神を立て直し、ロビンを抱えて離脱しようと試みようとしたウェンリに先んじて、セルウィンが限界を迎えた。


「こ、こんな道化が……こんな道化に我が兄が下されたというか!? 狩人長サラウィンが敗れ去ったとほざくか!? ふざけるなアァァアア――!!」


 炸裂する赫怒のままに放たれる風弾。

 風属性中級魔術の『放つ烈風の弾(フェンティア)』だ。

 百年を超える鍛錬の果てに得た魔術の冴えは、荒れ狂う内心に反して流麗に術式を構築し、省略詠唱ながら確かな威力を伴って怨敵の下に疾駆する。


 呑気な表情をしたままの小人、その顔面を捉えた風弾は着弾と同時に割れ爆ぜ、解放された風の塊が無秩序な破壊を巻き起こした。塵煙が舞い上がり、砕けた土塊や木々の破片が飛散する。


 やがて舞い上がった塵煙が霧雨に洗われ、視界が明瞭になった。

 激情のあまり荒い呼吸に肩を上下させるセルウィンは、破壊の痕跡も露わな着弾点の惨状を確認する。そこには抉られた地面と、予想通り五体がバラバラになった小人の残骸があった。

 それでも憤懣やる方ないセルウィンはその死体を踏みつけようとして――ふと、強烈な違和感を覚える。


 足元まで転がってきた小人の頭部が、異様なまでにキレイな形で残っていることに気付いたのだ。しかもその断面からは血が出ていない。生物としてあって然るべき流血の痕跡がまるで見当たらなかった。

 これは――


傀儡(くぐつ)? ……まさか、小型のゴーレムだと……!?」


 周囲に転がる他の部位を咄嗟に注視する。やはりというべきか、散らばった手足もまた頭部と同様だった。

 拾い上げた頭部は極めて精巧な造りをしており、実際に手で触れた感触も本物同然の質感だったが、これは生物ではない。流暢な人語を発することの出来るソレなど聞いたこともないが、これは動く傀儡――即ちゴーレムだ。


 セルウィンはゴーレムを操っていたであろう術者の気配を探るが、周囲にそれらしい反応はない。いつの間にか〝穢れ〟の女まで姿を消していた。他の狩人らも誰に命じられるわけでもなく索敵を始めていたが、ゴーレム使いはおろか女の去った方角さえ掴めないでいる。


 舌打ち一つ。セルウィンは上空を舞う妖精竜に下手人の姿を探させようと、指揮権を行使しようとして――


一二五三(ひとふたごうさん)、仮想敵国ノーブルウッドによる先制攻撃を確認―― 一線を越えたね、ノーブルウッドの諸君?』


 冷めきった声色が耳に届く。

 それは道化の声だった。今しがた打ち砕いたはずの小人が発したものだった。

 特有の響きを残すその声に、狩人らは反射的に周囲を見渡す。


 同時に上空でも明確な変化が生じた。妖精竜の群れが一斉に東を向いたのだ。その方角に、異常なまでに高まった魔力反応を認めてのことだった。


 六対十二の瞳が射抜く視線の先。そこにはラテストウッドの首都と、その外れに建造された不可視の箱状の建物がある。そしてエルフの守護竜が注視する中、不可視化を解いたその『箱』の奥底に姿を見せたのは――




    +    +    +




「固定具外せ! 外部魔鉱炉からの魔素供給、最大流量に上げ!」

「第一、第二炉心起動成功。ジェネレーター出力、既定値突破を認む。外部魔鉱炉との接続ケーブル切り離し、どうぞ!」

「切り離し完了。起動シーケンス二十五番から四十二番まで終了を確認。続いて出撃シーケンスに移行」


 不可視化されたラージボックスの中。敵勢力先制攻撃確認の報を受けた第七軍団の作業員は、慌ただしく規定のシーケンスを実行していた。


 ラージボックスの入り口、開口部から伸びるレールの先に佇むのは蒼碧と銀で彩られた『巨人』だ。前者の色は暗く後者の色は深い。また多くの面積を占める後者の色は、人によっては鋼色と称したかもしれない、そういう色合いをしていた。


 その『巨人』の背後に鎮座するのは、ラージボックス備え付けの大型魔鉱炉だ。担当作業員の指示によりタンク内に溜め込んだ魔石から魔素が抽出され、全開という名の勢いで『巨人』の体内へと流し込まれていく。そして高純度の魔素はミスリル製の血管を通じて『巨人』の中枢部を目指し、やがて胴体に内蔵された二つの心臓へと到達した。


 同時に響き渡る機械の咆哮。無事起動に成功したという事実に安堵の感情を得た者も居たが、出撃シーケンスはまだ途中だ。現場監督の指示に従い、手順を続行。起動用パワーユニットと『巨人』を繋いでいた接続ケーブルが次々に音立てて除去され、用済みになったユニットはケーブルの群れと共にラージボックスの片隅へと退避する。


「足底部ロック確認。カタパルト射出準備、宜し」

「了解! 前方ハッチ開放、射出用重力レンズ展開! 並びに不可視化解除!」


 次いでカタパルトのシャトルが前後から足底部を確保した。『巨人』の足元付近に居た作業員がそれを目視確認し、開口部付近で待機していた別の作業員に合図。サムズアップで応じた彼はハッチの開放を実行する。


 そして筐体の開口部が全開になると同時、『巨人』の胸内に抱かれた少年は主君からの〈指示(オーダー)〉を受け取った。敵勢力(ノーブルウッド)が先制攻撃を仕掛けてきた、という少年からの報告を受けての命令だった。少年は〈指示(オーダー)〉の最後に加えられた一つの文言を認識するなり、隠しようもない高揚を得る。


 末尾を飾る文言。それはあの日の演説で耳にした響き。戦意を駆り立てる王の号令。少年が待ち望んだ僅か四文字の言の葉、即ち――


『――――撃滅せよ』


 命令を受けた少年は、胸内に備え付けられた小匣――操縦席と称されるシートに浅く身を沈めたまま「了解、王様」という小さくも確かな呟きを発して、


「第七軍団長ロビン=ハーナルドヴェルグ、出撃する」


 落ち着き払った声で紡がれる宣言。そして一瞬の後、全ての準備を終えたことを確認した現場監督の合図により、内部に少年を抱えた『巨人』は格納庫(ラージボックス)の開口部目掛け急激な加速を開始した。

 電磁式カタパルトによる後押しと前方に展開されていた重力レンズの牽引が、爆発的な速度で蒼銀の巨体を投射する。



 ――それは、傍目には騎士の容姿をしていた。



 飛翔する『巨人』には四肢があり胴体があり頭部があり、その全てが鈍色の装甲で覆われている。全身を鎧で固めたその風貌は騎士の装いと言っていいだろう。


 ただしソレは生物ではなく、肉を持たぬ躰はひたすらに無機質な様相をしていた。特に顕著なのが胸部装甲であり、極端に前方に突き出た形状はまるで巨大な突撃槍の穂先を生やしたかのような異形を晒している。

 そしてその胴体部に載せられた頭部もまた一般的な人型とは異なり、竜を模した相貌をしていた。後方に伸びた二本のブレードアンテナはさながら竜の角であり、前方百八十度に渡って設置された内蔵式レールには鈍く光る単眼の輝きがある。


 また胸部・脚部・肩部が非常に重厚で総面積が大きく、前腕部もまた分厚い装甲で固められているのに対し、胴部と上腕部は細身で頭部に至っては不釣り合いなほどに小柄だ。

 言うなれば痩身のままに鍛え抜かれた竜頭の騎士が、胸部だけが突き出た複層型プレートアーマーとでも言うべきものを身に着け、腰部から可動式大腿覆い(タセット)を吊り下げ、鉄靴(サバトン)と一体化した多重装甲の脛当て(グリーヴ)を履き、最後に重厚な手甲(ガントレット)で前腕部を覆えばこうなるのではないかという、そんなフォルム。


 それは刃金(ハガネ)の竜頭騎士にして機械人形(ゴーレム)

 職人集団たる第七軍団が創り上げし最高傑作。

 旧文明の遺跡から発掘した古代兵器をリストアし、いにしえに喪われた技術と最新の魔導工学が融合を果たしたアルキマイラの切り札にして最強の決戦兵器。

 その名を――


「〝ファフニール〟――さあ、二ヶ月遅れのボクらの初陣だ。精々派手に暴れて、この世界にもボクらの足跡を刻むとしよう」


 心臓が吼える。

 アルキマイラの脚に駆られた竜頭騎士が唸りを上げる。


 小雨舞う戦場の空で、妖精の竜と機械仕掛けの竜騎士による決闘が幕を開けた。




・次話の投稿予定日は【12月26日】です。



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