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第九話   「オールドウッド」

 大樹海に存在するエルフの国、オールドウッド。


 それはエルフ国家の中でも特に古い歴史を有する国であり、百年以上の歳月を生きたエルフが多く住まう、由緒正しき国家の名だ。


 エルフは大陸四大種族のうち、最も長大な寿命と卓越した魔術技巧を併せ持つ種族だが、数に優れた人間とは異なりその総人口は少ない。中でもオールドウッドは(ふる)い血統を繋ぐことに重きを置いているという側面もあり、他のエルフ国家と比べても特に人口が少なかった。連綿と紡いできた歴史は確かなものだが、人口だけを見るならば中小国と呼んで差し支えない規模である。


 人間からはエルフ至上主義を掲げている古臭い国などと言われているが、オールドウッドに住まうエルフらは「くだらぬ」と中傷の声を一蹴する。


 エルフ至上主義だと言われることが、ではない。

 人間そのものが(・・・・・・・)くだらないのだ。

 野放図に人口を増やし、生活圏を強引に押し広げ、あまつさえ大樹海にまで手を伸ばそうとした人間の欲深さには嘆息を禁じ得ない。


 そんな彼らの人間に対する姿勢(スタンス)は、基本的に『無関心』だ。

 確かに外面でしかモノの美醜を判断できない人間は蔑視の対象であり、いっそ滅んでくれればと思うが、そもそも関わり合いになること自体が時間の無駄だ。長い寿命があるとはいえ、愚昧な人間に費やす時間など勿体ないにもほどがある。


 ハーフエルフもまた同様である。

 旧き血統を引き継ぎ、旧き智を研鑽することを良しとする彼らオールドウッドにとって、ハーフエルフらは関わり合いになる必要のない存在だ。当然のことながら人間の血が混ざってしまっている以上、同胞として認めるつもりは欠片もなく、例えて言うなら新種の野生動物が森に住み着いた感覚に近い。オールドウッドにとってのハーフエルフとは所詮、そのようなものでしかなかった。


 だがしかし、ハーフエルフが大樹海の奥にまで踏み込もうというのなら、話は別である。


「ふむ……興味深い話だな」


 オールドウッドの中枢部に屹立する大霊樹。

 その幹を身の内に抱えるようにして建てられた古めかしい神殿の一室、『交樹の間』と名付けられた部屋の中心で、思いもよらない話を聞かされた男はそう言った。


 男はオールドウッドにおいて大長老と呼ばれる要職に就く者だ。この国は他のエルフ国家と同様に王を戴いているものの、旧い血を保ち続けることに重きを置きすぎた影響からか象徴としての側面が強く、実質的な国家の運営に関しては長老議会の発言力が高い。そして五人の長老を取り纏める唯一無二の大長老たる彼は、この場におけるオールドウッドの代表者といっても過言ではなかった。


 そんな彼の目の前には、壮年のエルフの姿がある。

 肉体の最盛期――若い時代が長く続くエルフにとって、若干とはいえ外見に老いが現れているのは珍しいことだ。

 それはつまり、彼の前に堂々と座している男が、それなり以上の長き時を生きたエルフであることを示している。


「しかし、同時に(にわか)には信じ(がた)い話でもある。我が内に(いだ)きし疑念を察してくれようか、根を共にする尊き森の(ともがら)よ」


 オールドウッドは旧き血を尊重する。

 また、長きを生きた同胞はただそれだけで尊敬に値した。

 しかし目の前の男に敬意を払ったのはそれだけが理由ではなく、彼が自分と同じ立場の者、即ち大長老であるからに他ならない。


 ノーブルウッドから訪れてきた壮年の男、ハルウェル=ウィヌス=ノーブルリーフは、首肯と共に口を開いた。


(なんじ)の疑念は当然だ、根を共にする(ふる)き森の(ともがら)よ。()く言う私も、それを聞いた時には己が耳を疑ったほどである。だがしかし、事実だ。〝(けが)れ〟は愚かしくも武器を取り、我らノーブルウッドに牙を剥いたのだ」


 ハルウェルは声を荒げることなく、淡々とその言葉を口にする。

 語っている内容は彼らの立場からすれば憤慨もののはずだが、不思議と表面上は穏やかだ。オールドウッドの大長老は更に疑念を強くする。


「……森の片隅に住み着いたハーフエルフの一派が、他種族のはぐれ者を集めて国を興したのは我らも知るところだ。しかし大樹海の奥に踏み込むでもなく、深淵森(アビス)にほど近いあの地ならばあえて気に留めまいと静観してきた。それは尊き森の輩よ、汝らも同様だったはず。その静観が奴らの増長を招いたと、そう語るのか?」

「残念ながらその通りだ、旧き森の輩よ。我々は〝穢れ〟どもの愚かさを甘く見ていた。奴らに寛容の心を示したのは、大きな過ちだった」


 むぅ、とオールドウッドの大長老は唸る。同席する長老らに視線を向けるが、彼らもまた少なからず困惑している様子だった。大長老は当初から懐き続けていた疑問を投げ掛ける。


「……であれば、早々に(はら)えばいいだけの話ではないのか?」


 ノーブルウッドが人間に対し、憎悪と嫌悪を抱いているのは知っている。百年前の戦争の顛末を思えば――自ら仕掛けた戦争とはいえ――無理もない話だ。


 また、彼らがハーフエルフらを〝穢れ〟と蔑むのも同じくである。

 なにせハーフエルフの一派、即ちラテストウッドとは、囚われの身となったノーブルウッドのエルフと人間の間に生まれ堕ちた者の子孫が興した国だ。

 幸いにもオールドウッドの血はいささかも混じっていないが、彼らノーブルウッドの視点で考えればハーフエルフを〝穢れ〟と呼称するのも当然のことだろう。


 そしてハーフエルフらは基本的に、弱い。


 エルフのように長きに渡る歳月で魔術を研鑽したわけでもなく、人間のように数を活かした戦い方を講じることもできないからだ。仮にオールドウッドがハーフエルフの一派と真正面からぶつかったところで、さしたる損害もなく圧勝することができるだろう。卓越した術者や狩人を多く抱えるノーブルウッドもまた、同じくである。


 つまるところ、ハーフエルフがノーブルウッドに歯向かったというのなら、いますぐ一掃してしまえば済むだけの話なのだ。だというのに、ノーブルウッドはわざわざ自分らにその話を持ってきた。それが腑に落ちない。


「汝の言うことはもっともだ。だが、それが出来ぬ理由がある。業腹なことこの上ないが、〝穢れ〟どもは妖しげな異邦人の助力を得たのだ」

「異邦人? それがなんだというのだ。まさかとは思うが尊き森の(ともがら)よ、稀人とでも言うまいな?」

「真偽も不確かな深淵森(アビス)の伝承についてこの場で論じるつもりはない。肝心なのはその異邦人が、尋常ならざる力を有するということだ。――なにせ我々の英雄にして狩人長、サラウィン=ウェルト=ノーブルリーフが奴らの手にかかり、森に還ったが故な」

「……なんと!?」


 さすがに大長老は目を剥いた。居並ぶ長老らも似たりよったりの反応である。ノーブルウッドの狩人長サラウィンといえば、大樹海で名を知られた英傑だったからだ。百年前の戦争では第一線で力を振るい、幾百もの人間を狩ったとも伝え聞いている。

 それほどの男が、何処とも知れぬ者の手に掛かり、森に還ったなどと……。


「恐らくは卑劣な手段を使われてのことに違いない。だがそれでも、旧き森の輩よ、()の英雄が森に還ったのは確かな事実なのだ。そして〝穢れ〟どもが何を仕出かすか分からぬ現状、これは汝らにとっても他人事ではあるまい?」

「む……」


 確かにそれが事実ならば……森の片隅に住み着くだけに飽き足らず、異邦人とやらの助力を得たハーフエルフらが大樹海の内側へ攻め入ってくるとあらば、看過しかねる事態である。万が一にもノーブルウッドがハーフエルフの一派に敗れるようなことがあれば、その隣国であるオールドウッドが次の標的にされかねない。


 常識で考えればまず有り得ない話だ。たかがハーフエルフの一派などに遅れを取るなどと、与太話としても笑えない妄想の類である。しかし、他ならぬノーブルウッドのエルフが先の一言を口にしたという事実が、大長老の肩に重くのしかかった。


 彼らノーブルウッドがハーフエルフを忌み嫌い、またエルフの中でも極めて強い自尊心を有していることは、大樹海に住まう者なら誰もが知るところである。

 そのノーブルウッドの大長老が、自ら他国に足を運んだ上で、『ハーフエルフの一派によって狩人長を失った』などという不名誉を口にしたのだ。

 本来ならば口が裂けても言えない屈辱の極みだろう。少なくとも虚言で口にできる内容ではない。にも拘らず、彼は敢えて他国のエルフに対し、その情報を晒してみせた。


 ――つまりは、空言(そらごと)にあらず。彼が口にした有り得ざる出来事の数々は、紛れもない事実である。彼の自尊心の高さをよく知る大長老は、そう確信した。


「……成る程。先触れもなく、長たる汝が直接我が国に足を運んだ理由が判明した。確かに、看過しかねる異変が起きているようだ」


 コクリと頷いた大長老は、その場に集う長老議会の面々に視線を巡らせた。

 視線に宿した意味を解せぬ愚者は居ない。

 オールドウッドの代表者たる一同は、沈黙を以って答えとする。


「状況は理解した。深淵森(アビス)の傍ならば遠からず滅ぶものとして慈悲を示してきたが、ハーフエルフの一派が増長したとあらば成る程、我らもまた誅伐(ちゅうばつ)の矢を(つが)える必要がありそうだ」

「では?」

「全面的な協力となれば、王なきこの場で即答はできぬ。しかし有事の際に備えて我らも準備を整えておこうではないか。王にもその旨、私から(しか)と伝えておこう」


 大長老はこの場で答えうる限りの回答を口にした。

 無論、矢面に立つつもりはないが、備えをしておいて損はない。

 そう判断した上での返答だった。


「――ああ、胸のつかえが取れた心境だ、旧き森の(ともがら)よ。やはり汝らは他の(ともがら)とは異なり、我らが理を解する者らであった」


 ハルウェルは朗らかな表情で返答した。その声色には安堵の色さえ滲んでいる。

 彼の気位からすれば粛々と応じるとばかり思っていた大長老は、笑顔さえ浮かべてみせたハルウェルの反応を少々意外に思った。


「もしも汝らが否と返していたなら、これより我らは後悔を得たことだろう。そしてそこには躊躇いがあり、苦しみがあり、憐憫があったに違いない。他ならぬ汝らは、我らと似て旧き血を受け継ぐ一族ゆえ」


 微笑みを浮かべたハルウェルは、流れるようにそう語った。

 声には確かな情感があり、真剣な響きを伴って一同の耳に届く。

 神樹に祈りを捧げる敬虔な信者に似た真摯さで、彼は言葉を続けた。


「だが、今ここに一切の迷いは晴れた。晴れたのだ、旧き森の(ともがら)よ。無論我らとて、賢明な汝らがその結論に至るであろうことは察していたが、それでも念の為にと確認を取った甲斐があったというものだ。

 ――おかげで何の躊躇いもなく、我らは祈りを捧げることができる」

「……? 待て、尊き森の輩よ。それはいったい」


 大長老の言葉はそこで途切れた。

 遮るように、けたたましい叫声が響いたからだ。

 明らかにヒトとは異なる響きに、居並ぶ長老らは顔を見合わせる。


「今のは……まさか魔獣か?」

「馬鹿な。ここまで吠声が届く位置にまで踏み込まれたというのか」

「狩人は何をしている。客人が来ている最中だというのに……怠慢という言葉では済まされぬ失態だぞ」


 別段、魔獣の侵入については騒ぎ立てるような問題ではない。

 街の周囲の魔獣は定期的に間引きされ、また優れた狩人によって守りを固めているものの、稀にはぐれ(・・・)の魔獣が迷い込むことがあるからだ。

 今こうして長老らが顔をしかめているのは、よりにもよって客人が来ている最中に不祥事が起きたという矜持の面からの反応であり、危機感の類を抱いているわけではない。


 しかし、大長老は得体のしれない悪寒に捕われ、背筋をぶるりと震わせた。

 その原因は、目の前に座すノーブルウッドのエルフらの表情。

 国家間の神聖な会談に水を差されたというのに、眉一つ動かしていない彼らの様子を目にしてのことだ。


 そして、大長老が問いを発そうとした瞬間、それ(・・)は起きた。


「――――ッ!?」


 神殿の壁に、突如として大穴が開いた。

 そこから侵入してきた野太い何かが、交樹の間にいた狩人の一人を捉え、壁を打ち破ったのと同等の勢いで引っ込められる。

 直後、屋外で断末魔が響き、一帯が怒号で満ちた。


 前触れのない異変に一瞬浮足立った長老たちだったが、瞬時に我に返り、すかさず行動を起こそうとする。


 エルフの長老とは、確かな血筋を引く者が研鑽を重ね、狩人としての実績を積み、この者こそはと認められた傑物が就く地位だ。背景に多少の政治的事情があることは否定しないが、権謀術数がはびこる人間国家とは異なり――前提条件に血筋が含まれている点を抜きにすれば――実力主義の性質が強いと言える。

 つまり、エルフの長老とは識者でもありつつ、強者なのだ。一族の中でも取り分け豊富な魔力を内包する彼らは、一線から退いた身とはいえ確かな実力を有している。少なくとも迷い込んできた魔獣程度なら片手間に蹴散らせよう。


 しかしそんな彼らでも、ソレに対抗することはできなかった。

 術の詠唱もままならぬまま、一人、また一人と犠牲になり、神殿が鮮血で汚されていく。静粛に論を交わすべき交樹の間は暴威に晒され、もはや見る影もない。


 だと言うのに、それでも、そのような惨事を前にして尚、ノーブルウッドのエルフたちは慌てふためく様子を見せなかった。その先頭に座すハルウェルは朗らかな表情のまま、最後に残った大長老に語りかける。


「心より――心より感謝しよう、我が親愛なる同胞よ。〝穢れ〟を祓う為に協力するという汝らの決意、(しか)と我らは受け止めた」


 ここに至り、オールドウッドの大長老は理解した。ハルウェルが屈辱に過ぎる内容を口にして尚、激高することなく淡々と言葉を紡いでいたその真相に辿り着いた。


 彼は当初から冷静さを保っていたわけではなく、むしろその逆。あまりに強すぎる激情を抱いていたが故に、一周回って表情が消えていただけに過ぎない。ハルウェルは会談に臨む以前から、狂気の淵に立っていたのだ。


 その事実を悟ると同時、大長老は背後に迫る気配を察し、恐る恐る振り向いた。

 神殿の壁に空いた大きな穴。

 そこには血のような禍々(まがまが)しい色彩をした、赤い、瞳が――。


「案ずることはない。汝らの旧く正しき血脈は確かな力へと形を変え、醜悪なる〝穢れ〟を祓うだろう」


 それが、大長老が耳にした最期の言葉だった。

 彼の痩躯に幾十もの牙が突き刺さり、鮮血を撒き散らす。

 大長老は自分の身に何が起きたかを察する間もなく、他の長老らと同様にその命を終わらせた。


 やがて、街の至るところから悲鳴や怒号が生じ始める。

 しかし戸惑い逃げるオールドウッドの民に反して、ノーブルウッドのエルフらが動きを見せることはない。

 瞬く間に騒乱に包まれていくオールドウッドの中心地で、彼らの代表者たるハルウェルはどろりと濁った声を漏らした。


「……あってはならぬ。我らノーブルウッドが〝穢れ〟に敗北を喫したなどとという事実は、あってはならぬのだ……!」


 微笑を捨て去った双眸(そうぼう)には、狂気の色が灯っていた。




    +    +    +




『――以上が事の顛末じゃ、我が君。いくつか展開は予想しておったが、奴ら、その中でもとびきり(・・・・)のを選んだようじゃの』


 店舗への改装が済んだ館の私室にて、ヘリアンはそのように報告を受け取った。

 彼の眼前には音声会話(ボイスチャット)に設定された〈通信仮想窓(チャットウィンドウ)〉が浮かんでいる。そして通話相手が記されている名前欄には、第六軍団長カミーラの名が刻まれていた。


 彼女の語った報告内容は予想の範疇に収まっている。

 しかしここまで短絡的な手段に訴えるとは、という思いを抱いたのも事実だ。

 ヘリアンは〈通信仮想窓(チャットウィンドウ)〉越しにカミーラへ問い掛ける。


「一つ確認するが、精神干渉や洗脳の類はしていまいな? 彼らは間違いなく、彼らの自由意志のもとに行動を開始したのだな?」


 魂や精神への干渉は、【夢魔女帝(ナイトメアエンプレス)】たるカミーラの得意とする分野である。

 諜報活動においても多用され、[タクティクス・クロニクル]におけるスパイユニットの【報告フェイズ】では『敵高官の洗脳判定に成功。破壊工作を実施し、内乱レベルⅢを誘発』などという物騒な文言が並ぶことも珍しくはなかった。


 しかし、現在は幾つかの理由からその手の術式を禁止している。

 カミーラが軽々しく命令違反を犯すと思っているわけでもなかったが、それでもヘリアンはある種の最終確認として、その問いを口にした。


『無論じゃ、我が君。先遣隊全滅の報に関する晒し方については多少手を加えたが、誓って精神干渉の術式は使用しておらぬ。オールドウッドに至っては情報操作を含めて一切手を出しておらんぐらいでな。この選択は他ならぬ彼奴自身の意志じゃ』

「……そうか」


 ヘリアンは嘆息と共にそう答えた。

 そしてカミーラの報告をもう一度脳内で咀嚼し、それが解釈の間違いようもない事実であることを認めるまでに数秒。

 己の中で結論を出したヘリアンは、厳粛な声を作ってカミーラに告げる。


「――了解した。一度本国に帰還する」






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