第八話 「食事会」
シオンが来店してきたその後、話の流れで食事会を行うことになった。
切っ掛けはガルディだ。
店内に招き入れたシオンから一通りの御礼を言われた後、ヘリアン達は三者三様に距離感を探りながら会話を交わしていた。そこで新たに会話に加わって来たのが、ズラリと並んだ酒瓶に目をつけたガルディである。
そして自然な流れで話題を誘導された結果、懇親会という名の食事会を開くことになり、せっかくなのでと持参してもらった酒の幾つかを開けることになった。
……本当に要領のいいヤツである。
しかしながら、そのおかげでシオンとも自然に会話出来るようになったので、ありがたいと言えばありがたかった。動機が不純なので素直に褒める気にはなれないが、そのコミュ力だけは見習いたいと思う。
領主様のご令嬢に振る舞えるような料理ではないのですが、と一応は告げてみたのだが、シオンは「是非とも参加させてください」と強い意志表示を示してしまわれた。またビーゲルらも乗り気であった為、急遽リーヴェに料理の用意を頼むことになり、かくして食事会が開催される運びとなったわけである。
「うっま! なんだこりゃ!」
「塩しか振ってねえのにメチャクチャ旨いな。歯応えがあるのにちゃんと噛み切れるし、なにより肉汁の旨みがすげえ。何の肉だこれ?」
「食感は鶏肉に似ている気がするのですが……初めて口にする味です」
シールズの郷土料理や流行りについては未だ詳しくない為、致命的なハズレだけは引くまいと素材の味を活かした肉料理を注文してみたところ、予想以上に好評だった。
肉体労働者であるビーゲルやその相棒にはウケるだろうとの見込みはあったが、意外にもシオンもお気に召したらしい。真剣な表情で丹念に味わっている。
「おいおいなんだよ若旦那。アンタ飯屋もやるつもりかよ。いきなり手広くやりすぎじゃねえかい」
「いえ、食事処にするつもりはありませんよ。さしあたっては先ほど見ていただいた商品を中心に商いを始めてみようかと」
「マジか。もったいねえ。これが食えんなら俺毎日通うぜ。――おい待てリーダー、それは俺の肉だ。なに盗ろうとしてやがる」
「ああん? テメエこそ何寝言ほざいてんだ。この肉にお前の名前でも書いてるってのかよ。第一、この肉はお前より俺の方が近い位置にある。つまりは俺の肉だ」
「じゃあこっちの肉は俺のだな。でかい方を譲ってくれるなんざいいとこあるじゃねえか、さすがは俺らのクランリーダーだ」
「あっ、このやろ! そりゃ俺が確保してたやつじゃねえか! 返しやがれ!!」
「ハイランドターキー……? いえ、けどこんなに深みのある味じゃなかったはず……。下ごしらえの違いかしら」
ビーゲルとジェフが大皿の上で醜い争いを繰り広げる傍ら、シオンは何の肉かを看破しようとしていた。彼ら二人のやり取りは僅かに殺気が混じり始めている様子なのだが、シオンはまるで気にした風もない。さすがはあの辺境伯の娘だ。
この席の仕掛け人であるところのガルディは肉と酒を交互に口に運んでいる。久しぶりの酒精にご満悦の様子だ。この場における唯一の料理人であるリーヴェはせっせと肉を焼き、セレスは部屋の片隅でひっそりとサラダを食んでいる。
あくせく働くリーヴェを眺めるセレスの目が気になったが、どうしようもない。セレスは研究分野のスキルならば高いレベルで有しているが、給仕や料理関連のスキルは一切習得していないのだ。
シールズに到着するまでの道中「焼くだけならアタシにだってできるわよ!」と簡単な肉料理に挑戦していた際には、黒焦げどころか消し炭にしていた。あれを見た上で料理を任せる勇気は無い。何故発火の魔術で直焼きにしようとしたのか。
ちなみに、先日増員メンバーとしてシールズにやってきた工兵らや、店員候補兼連絡員の配下らにも声をかけてみたのだが、彼ら彼女らは一様に顔を青くして辞退した。
多分、
……だが、あんなに必死になって首を横に振らないでもいいのではなかろうか。嫌われているわけではないと理解はしているが、何気にグサリと来た。言うなれば学校の食堂でたまたま一人飯をすることになった際の心境というか……いや、よそう。思い出しても誰も得しない。
「ところで前々から不思議に思っていたのですが、シオン様とビーゲルさんは昔からのお知り合いか何かでしょうか? 随分と親しいように見受けられますが」
丁度いい機会かと、前々から疑問に思っていたことを訊いてみることにする。
迷宮探索の時から感じていたのだが、シオンとビーゲルらの距離感がやけに近いように思えたのだ。貴族と冒険者、という関係から想像していた
そもそも辺境伯とは、国境線付近の重要拠点などを任された貴族を指す爵位だ。『辺境』などという字面からは想像しにくいかもしれないが、実際はれっきとした大貴族である。かつてロールプレイをするにあたり軽く調べてみたのだが、一般的には伯爵よりも上位の貴族とされていたはずだ。
その娘であるところのシオンは、即ち大貴族のご令嬢という身分であり、時代や環境によっては姫様と呼ばれるであろう存在だ。しかし、ビーゲル達は特に構えた様子も無く自然と会話を行っている。ヘリアンにはそれが不思議だった。
「いえ。ビーゲル様の御高名はかねがね承っておりましたが、このようにお話をするのは今回が初めてのことです。お仕事をご一緒したのも、前回の迷宮探索が初めてですね」
……ということは、ビーゲルとその相方が礼儀知らずということなのだろうか。
駆け出し冒険者ならばともかく、貴族からの指名依頼を受けるような高位の冒険者ならばそれなりに礼節をわきまえて然るべきだと思うのだが。
「あー、一応弁解しとくが、俺らだって他の街でお貴族様を相手にする時はもうちっと態度を改めるぜ。ただ、聖剣伯一家だけは特別なんだよ」
「そうですね。我が家は色々と特殊ですから」
肉を取り合っているビーゲルの台詞に、シオンはコクリと頷いてみせる。
「ガーディナー家の使命は境界都市シールズを護ることにあります。そして、この使命は何にも増して優先されます。その特性上、当主が都市を離れることはなく、また一般的な貴族社会における社交に出る機会も皆無なのです。そもそも、そんなことをしている暇があるなら少しでも鍛えておくべきだという風潮が我が家では根強く……父も歴代の当主に負けず劣らず、その傾向が顕著でして」
「一応は国家に属してる形だが、それだって名義貸しみたいなもんだしな。実態としちゃシールズはほとんど独立国家だ。前に酒場で伯と飲み交わした時にゃ、帝国や王国の馬鹿貴族なんぞ最初からアテにしてねえって豪語してたぞ」
発言内容もさることながら、領主が庶民の酒場に出入りしているという時点で色々とアレな話だ。しかも彼の口ぶりからは、それが珍しい出来事ではなく茶飯事のように聞こえる。
酒場のエピソードは初耳だったのか、シオンは僅かに頬を赤くしながらも、コホンと咳払いを一つして説明を続けた。
「格式張ったご丁寧な会話を重ねるより、飾りの無い率直な言葉を交わす方が戦場では有益だ。そしてシールズは常在戦場の地である。――父を含めた歴代の当主はそのように公言しておりまして、先祖代々からガーディナー家と民の距離は近いのです」
「……なるほど」
とりあえず、シオンとビーゲルらの距離感については理解した。
しかしそうなると、何故シオンだけが貴族らしい丁寧な所作をしているのかという新たな疑問が浮かび上がる。
率直な問いを投げかけると、シオンは遠い目をして口を開いた。
「私は幼い頃から父の背を見て育ちました。そして成長するに連れて、自然とこう考えるようになったのです。――せめて私だけでも、ちょっとぐらいは貴族らしいことが出来るようになろうと」
……極めて反応に困る回答であった。
さしものビーゲルらも肉を取り合うのを中断し、気まずげな表情で顔を逸らす。
リーヴェが肉を焼く音だけが室内に満ちた。
「私は娘としてもガーディナー家の女としても父を尊敬していますが、それはそれとしてこの姿を見習ってもいいものかと疑問視せざるを得ない出来事が立て続けに発生したことがありまして。幼心ながらに危機感を覚えた当時の私は、他領から呼び寄せた家庭教師を付けてもらったのです」
結果として大正解でした、とシオンは幼き日の自分を称賛した。
……どんな出来事があったのかは怖くて訊けそうにない。
「と、ところでガルディ。随分とペースが早いようだが、気に入ったのか?」
「おぅよ。酒精は低いがこれはこれで中々味わい深いぜ。ご当地の酒ってのは、どこの土地のもんだろうがいいもんだ」
話題を変えたい一心で問い掛けると、ガルディは酒の入ったコップを掲げてニカリと笑った。ふと見ると卓上に置かれている酒瓶のうち、既に五本が開封されている。
酒精は低いなどと言っているが、匂いからしてそれなりに強そうな酒に思えた。
「やっぱりイケる口だったんだなアンタ、いい呑みっぷりじゃねえか。お嬢様や若旦那も一杯どうだ?」
ビーゲルが勧めてきてくれたが、ヘリアンは「下戸なので」と丁重に断りを入れた。
実際に下戸かどうかは不明だが、以前エールを口にした際には――結局飲み込むには至らなかったが――舌に苦味を感じるだけで、美味しさというものがまるで分からなかった。少なくとも好き好んで飲みたいと思える代物ではない。
冒険者の間には、現代で言うところの飲みニケーション的な付き合いがあるかもしれないが、自分の立場は冒険者ではないのだ。ここは多目に見てもらおう。飲み担当はガルディに任せればいい。
シオンもまたアルコールの類は苦手なのか、はたまた自分に合わせてくれたのか、ビーゲルの申し出を上品に謝辞した。この所作を身につけるのに必死になって勉強したのかと思うと頭が下がるばかりである。
それから次第にビーゲルやジェフらも酒が入るようになり、いよいよ飲み会の様相を見せ始めてきた。あれだけ胃に肉を詰め込んでおいてよく入る隙間があるものだと感心するヘリアンの前で、男三人組は順調に酒瓶を空けていく。
「いやしかし、お前さん達が商人やるってのはもったいねぇ話だよなぁ。シールズにいるんだから冒険者やれよ冒険者ぁ。お嬢様だってそう思うだろぉ?」
「ええと……シールズでの職業選択は個人の自由ですので。『調律』の際に依頼を受けていただいたのも、緊急時の例外処置みたいなものでしたし」
「じゃぁアレだ。兼業冒険者だ。そぉすりゃ名前だって売れるし、伯やお嬢様だってギルド通して依頼出せるよぅになる。万々歳じゃねぇか」
ビーゲルの呂律が怪しい。加えて酔っぱらいの言動になりつつあった。【酒豪】持ちのガルディと同じペースで呑み続ければ無理もない話かもしれないが、既に赤ら顔になっている。
隣の
「あはは……まあ検討しておきます。……冒険者といえば、以前迷宮区付近でエルフの弓士を見かけたことがあったのですが」
「あぁ? エルフゥ……? 街中で弓背負ってんなら、ラウフかレティシャあたりじゃねぇの?」
ビーゲルは呂律の回っていない口調ながらも、二人分の人名を口にした。どうやら既知の人物らしい。
「見かけたのは女性でしたが」
「じゃぁレティシャだな。アイツがどぉかしたのか」
「いえ。ただの興味本位なんですが、森の外でエルフを見かけるのは珍しいなと。百年前の戦争の関係から、エルフと人間の仲はあまりよろしくないと聞いていたものでして。やはり冒険者だとその辺りの事情も違うんでしょうか?」
あぁ、とビーゲルはつまらなそうに呟いた。
「戦争したのはノーブルウッドの話だろ。森の外に出てくるエルフにゃ物好きなのが多ぃが、アイツらの出身はホワイトウッドだ。ノーブルウッドやオールドウッドと一緒にしたら怒り出すぞ」
ビーゲルが口にしたオールドウッドとは、位置的にはノーブルウッドの隣国にあたるエルフの国のことだ。ノーブルウッドほど過激ではないが、エルフ至上主義を掲げていると聞いている。
大樹海の中で東寄り――つまりは人間国家の生活圏に近い位置に存在する国ほど人間蔑視の感情が強いのは皮肉な話だ。或いは、人間との接触が多い故に人間を蔑視するようになったのかもしれないが。
そしてホワイトウッドはノーブルウッドから西方向、かなりの遠方に位置する、大樹海の只中にある国の名だ。やや閉鎖的な気質があり、長命種でありながら森の中で一生を終える者も少なくないと聞くが、稀にそんな生活に嫌気が差した『変わり者』が森の外にふらりと出てくるとのことだ。
先日セレスと一緒に市場調査に出た際に見かけたエルフ、そして今しがたビーゲルが口にしたもう一人のエルフは、そうした変わり者のうちの二人なのだろう。
「そもそも冒険者ってなぁ、出自問わず詮索無用が暗黙の了解だ。人間が多いのは確かだが、他種族がいねぇわけじゃねぇよ。俺のクランにも獣人とかいるしな。アイツら普通に強ぇし」
「やはりそうでしたか。以前会ったことのあるエルフのイメージが強すぎて、えぇと……レティシャさんでしたか? その方を見かけた時には驚いて、ついジロジロと見てしまいました。おかげでお仲間の方から睨み返されてしまいまして」
「……そういや若旦那達はここいら辺の出身じゃねえんだったか。……あぁ、いぃ、別に詮索しようってわけじゃねぇんだ。けどよ、他の人間国家と境界都市を一緒くたにしねえほうがいいぞ。お嬢様の前で言うのもなんだが……帝都や王都の裏ではエルフが商品になってたりするからな。境界都市はかなり特殊だ」
「そうですね。来るもの拒まず……とまでは広言出来ませんが、少なくとも種族や出自のみを理由にシールズが拒むことは有り得ません」
ビーゲルとシオンが口を揃えて言う。シオンは門戸の広い自分の都を誇りに思っているのか、どこか満足そうな微笑みを浮かべていた。
森の外で最初に訪れた街がシールズだったのは自分にとって幸運なことだったのかもしれない。そんなことを思いつつ、ヘリアンは冷めかけた肉にフォークを刺した。
+ + +
そうして卓上から料理や飲み物が完全になくなり、日が暮れ始めたあたりでお開きとなった。外で待機しているシオンの護衛らもそわそわとし始めていたので、丁度いいタイミングだったと言えよう。
シオンは片足を後ろに引いた優雅なカーテシーと共に別れの挨拶を述べ、ビーゲルは完全に酔い潰れた相棒に肩を貸しつつふらふらと立ち去っていった。
先ほどまで一緒に卓を囲んでいた間柄でありながら、まるっきり対照的な去り方だ。こんなところでもシールズが『特殊』だと言った彼らの言葉を印象付けられる。
「手間を取らせるが、後を頼む」
後始末をリーヴェに任せてダイニングを後にする。
去り際、片付けを手伝おうとしたセレスがリーヴェに声をかけている様子が目に映ったが、余計に仕事が増えると思われたのか無表情で断られていた。
部屋を出ていく寸前、ヘリアンは背中に視線を感じた気がしたが、かけるべき言葉を持ち合わせていなかったのでそのまま立ち去った。大幹部でありながら〈料理〉や〈給仕作法〉やらのスキルを習得しているリーヴェの方がむしろ珍しいので、セレスは気にしないで強く生きて欲しいと思う。
「さて、と……」
自室に引っ込んだ後、ヘリアンは届いていた報告書のうち何枚かに目を通した。そしてラテストウッドの近況を把握すると、一度目蓋を閉じて思考を巡らせ始める。
明かりを落とした暗い部屋の中、思考に耽ること十五分。考えを纏めたヘリアンはおもむろに口を開いた。
「
呼び出したのは
『これはこれは我が君。久方ぶりじゃ。体調を崩しているとの話を耳にしたが、御加減はいかがかの?』
「支障ない。既に活動可能な状態にまで回復した。だからこそ、こうしてオマエに連絡をとったわけだ」
ヘリアンは簡潔に回答し、早速本題に切り込む。
「それで、そっちの状況はどうだ。奴らは……ノーブルウッド本国の動きはどうなっている?」
第六軍団長カミーラに課せられた特殊任務。
それは今後の激突が避けられぬであろう、エルフ至上主義国家ノーブルウッドに対する情報戦だ。
最大保有数に上限がある希少な諜報ユニットを抱えている第六軍団もまた、この任務に注力させている。
『今のところは大した動きは無いの。
「状況は変わらずというわけか。ならば、後どれほど引き伸ばせる?」
『二週間は確実に保証できるが、それ以上となると最長は一ヶ月半かの。なんでもありなら一年だろうと保たせてみせようが……現在の制約条件下だと一ヶ月が目安じゃな』
「……ふむ」
ヘリアンはしばし腕を組んで考え込む。
懸念事項だった自身の体調は、一日数時間程度なら活動可能にまで回復した。
店舗の偽装や改装を含めた拠点化も順調であり、人類領域における本格的な調査活動を始めるにあたり準備は着々と進んでいる。
時間の猶予は多少残されているものの、予定外の出来事が多発した経緯を顧みると、余裕のあるうちに行動を起こすべきだろう。
ならば、後顧の憂いを絶つタイミングとしては、
「潮時――だな」
『……では?』
「状況を動かせカミーラ。ノーブルウッドに関する案件計画を次の段階に移し、その結果如何で我々は行動を開始する」
承知致した、という声を残して〈
カミーラの声には微かな喜悦が滲んでいた。