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第七話   「客人」

「ん。これがバランからの報告書か」


 境界都市シールズの北側、十字架部分の最上部に位置する迷宮区の一角。未だ改装中の家屋の一室にて、ヘリアンは次の書類に手を伸ばした。


 新たな自室は、六畳一間の部屋で暮らしていた三崎司にとっては少々広すぎて落ち着かないが、宿屋と違ってプライベートが保たれているというのは大きい。

 さすがに居城の寝室ほどの絶対的安心感はないものの、曲がりなりにも主人(ヘリアン)の個室だ。ノックも無しに入ってくる無法者はいない。その為、ヘリアンは久々に演技を気にすることなく、素の状態で過ごすことが出来ていた。


「……まあ、大方の予想通りかな」


 手にしているのは、増員として本国からやってきた者達が持ち込んだ書類の一つ、バランからの近況報告書だ。そこにはラテストウッドに派遣した第七軍団らの活動に関して、要点を纏めた記述が並んでいる。特記事項には第七軍団長の動向やアレコレが書かれていた。


 第七軍団長ロビンは、好奇心旺盛な小人と工学の民であるドワーフ、その両者の間に生まれた【混合種(ミックス)】だ。職人ユニットとしての適性が生まれつき高く、また両親共に優秀な職人だったこともあり、将来が期待できる魔物だった。


 実際、ロビンはこれまでに数多の発明品や装備品を生み出している。一例としてバランが装備している鎧など、軍団長が扱う決戦級武装の一部は彼が創り出した作品だ。

 加えて副団長クラス――いわゆる軍団幹部格の装備に至っては、実に六割以上がロビンの作品だったりする。勿論第七軍団の他の職人たちも鋭意製作に取り組んでいるのだが、ロビンが作り出した装備品の性能を上回ることは極稀だった。この事実だけでもロビンの技術力の底知れなさが垣間見えよう。


 量産品に関しては不向きだが、代えの利かない一点物に関しては他の追随を許さない鬼才。それが職人ユニットとしてのロビンである。


 が、その代償とでも言うように性格は色々とアレだ。【悪戯好き】【享楽的】【自分勝手】と目を覆わんばかりの【人物特徴】が並んでいるだけのことはあり、実際派遣先のラテストウッドでも早々にやらかしているようだ。詳細は不明だが、悪戯の被害者が既に出ているらしい。


 ……申し訳ない気持ちでいっぱいなのだが、これでも誰を派遣すべきか色々と検討した結果の選択なのだ。現状と今後の展望を照らし合わせたところ、コイツしか選択肢がなかったのである。


「む?」


 現地住民に心の中で謝罪していると、自室の扉がコンコンとノックされた。

 落ち着いた調子で叩かれる音に訪問者が誰かを察する。入れ、と許可を出すと予想通りリーヴェが顔を見せた。


「失礼いたします。……お身体の調子は如何でしょうか」

「問題ない」


 さっくりと回答する。

 リーヴェが体調を訊いてくるのはこれで本日三度目だ。最近は顔を合わせる度に訊かれている気がする。


 心配性すぎるだろうとの思いはあるが、自分が未だ一日数時間しか活動できない半病人状態なのは確かだ。おまけに先日の辺境伯邸からの帰り道、リーヴェの前で情けない姿を見せてしまっていたこともあり、あまり強くは出れない状態が続いていた。


 少しぐらいは街の視察なり顔を売るなりしておきたいのだが、外出しようとする度に無言の訴えが飛んでくるのである。直接言葉にして制止されるわけではないのだが、琥珀色の瞳が雄弁に語っていた。ついでに耳と尻尾もだ。感情を察しやすいのも良し悪しである。おかげで精神的な半軟禁状態が続いていた。


 ……境界都市に来てからそれなりの日数が経ったというのに、迷宮区の一部と商業区の一角、それに辺境伯邸ぐらいしか足を運んだことがないというのはいかがなものか。


「それで、何か用か?」

「はい。ヘリアン様にお客様が来ております」

「客?」


 誰だろうか。

 パッと思いついたのは、辺境伯が近いうちに訪れるかもしれないと言っていたシオンぐらいだが……今にして思えば社交辞令の一種だった可能性もある。

 他に思い当たる人物はいない。


「ビーゲル殿とそのお連れ様です」

「ビーゲル……迷宮暴走ダンジョンスタンピードの時の冒険者か」


 リーヴェが口にしたのは、迷宮暴走ダンジョンスタンピードの際に知り合った壮年の冒険者の名だ。その後、迷宮を探索する際にも水先案内人として同行してもらった経緯がある。


「はい。先日の礼も兼ねた陣中見舞いとのことですが、如何いたしましょうか」

「折角来てくれた客人を追い返すことはない。応接室に通して……ああ、いや、私が出向こう」


 予想外の客だがちょうどいいと言えばちょうどいい。ほぼ完成した一階の店舗部分で色々と意見を訊かせてもらおう。


 手にしていた書類を片付け、リーヴェを伴って階下に向かう。


「お、ビーゲルにジェフじゃねえか! 久しぶりだなオイ。調子はどうよ」

「よぉ、ガルディの旦那! 見ての通りピンピンしてんぜ」

「あの時はリーダー共々世話になった。アンタも元気そうで何よりだ」


 一階ではガルディとビーゲル、それに彼の仲間が挨拶を交わしていた。

 今初めて耳にしたが、迷宮探索時にも同行していた彼、ビーゲルのクランメンバーである男はジェフという名前の冒険者らしい。ガルディは当然のように二人の名前を口にし、そのまま世間話に花を咲かせていた。

 ……なにげにコミュ力の高いやつである。うらやましい。


「おっ、若旦那」


 スキンヘッドを光らせるビーゲルが「よお」と手を上げた。逆の手には紙に包まれた筒状の何かを抱えている。


「久しぶりだな若旦那。あれから寝込んでたって聞いてたが、身体はもう大丈夫なのか?」

「ええ、ご心配をおかけしてすみません。体調は見ての通り、すっかり良くなりました」


 隣に立つリーヴェからの視線を感じたが、今は無視だ。今日はまだろくに活動してないこともあり、実際のところ体調は悪くない。


「しかしまあ、商人ってのはマジな話だったんだな。ああいや、疑ってたわけじゃないんだが、どうにも若旦那達が商人ってのはピンと来なくてな」

「はは……まあ若造なのは自覚しています。一等地に立派すぎる建物をいただいて、恐縮しきりという気分ですが」

「いや、そういう意味でもねえんだが……まあいいか。あ、これ、ちと早いが開店前祝いだ。大したもんじゃねえが納めてくれ」


 ビーゲルから筒状の品を手渡される。包み紙を空けると中身は液体の詰まった瓶だった。真紅の液体と瓶に張られているラベルらしきものが、これが酒であることをアピールしている。


 傍らで眺めていたガルディの目がギラリと光った気がした。


 続いて相棒の男、ジェフが背負っていた鞄を開け、その中身を真新しいテーブルに並べ始める。見事に揃って同じ瓶だ。そうしてテーブルの上に合計二十本近くの瓶がずらりと並ぶ。ラベルに記されている意匠から、それなりに高級品のように窺えた。


「これはこれは。わざわざすみません、ビーゲル殿」

「いいってことよ。前に助けてもらった礼も兼ねてるからな。あとよ、ビーゲル殿ってのはやめてくれねえか。前にも言ったがケツの座りが悪ぃんだ」

「リーダーリーダー。女性のいる前でケツってのはやめたほうがいいじゃないですかね。お里が知れますぜ」

「うっせえ。美人の前だからって澄ましてんじゃねえよ」


 漫談じみた会話を交わすビーゲルらに対し、ヘリアンは苦笑いで答える。

 なんとなくガルディと波長の合いそうな人間だ。


 そのガルディから熱視線が飛んできているが、昼間から酒を空けるのはさすがに駄目だろう。いや、俺はいいが多分リーヴェあたりが怒る。夜になってから許可を出せば文句は言うまい。


「ところでビーゲル、さん。もしよろしければ商いに使う予定の商品を見ていただいてもいいでしょうか? 冒険者の方からのご意見も伺いたくて」

「俺らで良けりゃ構いやしねえが……普通の意見しか言えねえぜ?」

「俺もリーダーも商売なんざ専門外だしな。精々ギルドに戦利品卸すぐらいだ」


 ビーゲルらは断りを入れるように告げたが、ヘリアンは一向に構いませんと答え、店の奥――商品を仮置きしている部屋に案内した。




    +    +    +




「……なんだこりゃ」


 開口一番、呆れるような口調で呟いたのはビーゲルだ。

 壁際には色鮮やかな布の束や、水薬が詰められている容器、何らかの骨細工らしき工芸品などが置かれていたが、ビーゲルとジェフの視線を集めたのは幾つかのアクセサリーだ。


 首飾りやイヤリングなどといったアクセサリーに施されている細工は、素人目にも見事なものだと思わせる細緻さがあったが、彼らが驚いたのはその原材料を察してのことである。


「たっぷり寝たはずなんだが参ったな。どうやらいまだに寝ぼけてるらしい。俺の目には、この首飾りの原材料が普段よく目にするものに映るんだが……」

「……ああ、多分寝ぼけてねえぜリーダー。俺にも同じもんが見える。こりゃ魔石だ。それもかなり高純度の」


 ビーゲルが手にとって見ているのは、純度の高い魔石から削り出したらしい首飾りだ。鎖以外の装飾は全て魔石を加工した代物であり、魔石特有の妖しい輝きを放っていた。


「どうでしょう。好事家の方向けの売り物になるでしょうか」

「……まあ、なるだろな。というか金持て余した好事家ぐらいにしか売れねえぞ、こんなもん。腕は凄えが需要がねえ」


 純度の高い魔石はそれだけで価値がある。圧縮された魔力を含んでいることが多く、そのままでも優れた触媒として使用することが可能だからだ。また加工を行い武具に組み込むことで、魔術付与の媒介にもできる。長期間()つ魔道具の燃料にもなり、冒険者はもとより貴族にも需要がある。


 だが、純度の高い魔石を削り出して作ったと思しきこのアクセサリーはいずれの用途にも使用できない。意匠を最優先して削り出されている為に一つ一つのサイズが非常に小さくなり、またあまりにも複雑な形状に加工している為、強度が著しく低下してしまっているからだ。


 魔力の流れに方向性を与えるカッティングなど魔石専用の加工技術は存在するが、これにはそうした技術は使われておらず、彫刻や削りだしによる装飾品としての加工しか施されていない。複雑な形状に加工していることも相まって、魔力の放出に耐えられないほど脆くなってしまっていた。これを魔術の触媒として使おうものなら、一度の使用で木っ端微塵に砕け散ることだろう。


 つまり、これには魔石としての価値がまるで残っていないのだ。


 一方で細工や装飾自体は素晴らしく、魔石特有の輝きもあって観賞用としては優れていると言えよう。だが高純度の魔石をわざわざ観賞用として加工したアクセサリーなど、実用性度外視で珍品や話題の品を買い漁る一部客層――富裕層の好事家ぐらいにしかウケない。


 ビーゲルの回答はそれを端的に現したものだ。


「というか、どこの職人がこんな加工しでかしたんだ。加工前ならどれだけの使い道があったかと思うと勿体無くて泣けてくる」

「やはりそういう評価になりますか」

「なるな。下手すりゃ加工前の方が高値がついたかもしれん」


 ビーゲルの言う通り、この首飾りには魔石としての実用性は低く通常の客層からの需要は皆無だ。むしろ彼のように呆れ返り、職人に悪態を吐くことだろう。


 だが、装飾品としての価値はむしろ上がる。何故ならばこれは、本来ならば勿体無くて作ろうとも思えない代物だからだ。そもそも魔石自体が複雑な加工に不向きな素材であり、また魔石そのものの価値を鑑みればこのような加工を行おうとも思えまい。故にこれは、あえて勿体無い所業を行った末に造られた、贅沢極まりない希少な装飾品としての価値を持つ。


 そして、このアクセサリー類はそれを狙ってわざわざ加工させたものである。


(思った通り、好事家向けの商品としては需要がありそうだ。上流層の話の種になれば、ゆくゆくは街の外にまで話題が広がってくれるだろうしな)


 ヘリアンは薄利多売形式で手広く商売をするつもりは無い。

 少なくとも当面の間は、迷宮区の店舗としての少々の魔道具や薬、そして贅沢品と称される品しか置かないつもりだ。


 商人活動を思いついた発端――商取引を通じて交渉練習をする、という個人的な目的については既に半分諦めている。だがそれはそれとして、ヘリアンという商人が名を売ることには【支配力】獲得以外に幾つもの利点があった。


 その一つが他プレイヤーに対する『狼煙』だ。この世界に転移してきたかもしれない他プレイヤーに対し「俺はここにいるぞ」という狼煙を上げる役割もこの商会に持たせている。

 偽名を使わず【ヘリアン】という名を使っているのもその為だ。違う時間軸に飛ばされたという可能性も新たに浮上してきたが、【ヘリアン】という名に反応して他プレイヤーが何らかの接触をしてくれればという期待を篭めている。以前定めた短期的目標『異世界転移者の捜索』に関するアクションの一つということだ。


 ただ、名前を売る為にアルキマイラ製のアイテムをばらまくわけにはいかない。技術力という自国のアドバンテージを無計画に手放すのは馬鹿の所業だ。だからこそ毒にも薬にもならない品――富裕層が好む一点物の贅沢品を押し出そうというわけだ。今度の状況によっては商会の運営も流動的になるだろうが、とりあえずはこの方針で商会経営に乗り出す予定である。


「あー、若旦那。もしよかったらで構わねえんだが、これどこで手に入れたブツか訊いてもいいか? やってることはアホの所業だが、腕だけは一流に見える。つい最近……具体的には最後に迷宮探索をした際に、一級品もいいとこの大斧や腕輪を目にした気がするんだが」


 チラリ、と探る視線をむけて来たビーゲルの問いに、ヘリアンは先ほどまでの思考を打ち切った。


 個人的には好都合な質問だが、あえてしばらく熟考する素振りを見せる。そして一呼吸置いてから答えた。


「ラテストウッド……大樹海に存在するハーフエルフらの国で買い付けたものです。なんでも風変わりな旅人が最近住み着いたようでして、恐らくその方が加工したものでしょう」

「……ああ、ラテストウッドだってんならアレか、深淵森(アビス)で採取した魔石を加工したってことか。風変わりなだけじゃなくて命知らずらしいな」

「私も詳しい話は知りませんが、今後も縁を繋げればと思っています。ラテストウッドの方々は皆親切でしたから」


 顔を顰めているビーゲルにラテストウッドを推してみる。しかし、ビーゲルは眉間の皺を更に深くしてしまった。

 ……彼もハーフエルフに対する差別感情があるのだろうか。


「……ビーゲルさんも、やはりハーフエルフには思うところが?」

「いや、そういうわけじゃねえ。知っての通りシールズにはいろんな種族が冒険者として集まってくるし、俺らはこの街で何年も暮らしてるからな。今更種族でどうこう言う気はねえよ」


 ビーゲルから返ってきた答えは良い意味で予想を裏切るものだった。

 この街における数少ない知人であるところの彼がそう言ってくれたことに、心中で安堵を得る。


「ただな、旦那の大斧や姐さんの腕輪やらを作ったらしい職人には興味があるんだが……大樹海にはノーブルウッドのエルフ達がいるわけだろ。アイツら、人間と見りゃ問答無用で襲いかかってくるからな。ラテストウッドが出来てからは遭遇頻度が減ったとはいえ、あんまり大樹海には近寄りたくねえんだよ」


 ……ノーブルウッド。

 ここでその名が出てくるのか。


「――ヘリアン様」


 どこまでも祟ってくれるとの思いが芽生えたその矢先、リーヴェが耳元で名を囁いた。

 その固い声色から警告の響きを感じ取り、右手で刀印を象ると共にビーゲルから見えない位置で『M』の字を虚空に描く。動作に従い事前登録された<圧縮鍵(マクロ)>が起動し、複数の<地図(マップ)>が眼前に投影された。


「…………っ」


 店舗が包囲されていた。店舗を三百六十度囲むように白い光点(アンノウン)が点在している。ざっと二十は下らない数だ。しかもその多くが物陰に潜み、姿を隠している。明らかに普通の通行人や住民の類ではない。


(敵襲……いや待て、誰がだ。新米商人のヘリアンを誰が襲ってくるって言うんだ。そもそも俺達はまだ商売を始めてすらいないんだぞ。襲われる理由なんて……)


 理由が思い当たらない。だが包囲されているのは事実だ。答えの出ない思考を保留し、迎撃準備を整えるよう<指示(オーダー)>を出す。


 すると場の空気に緊張感が漂っていることを察してか、ビーゲルらが怪訝な表情に変わった。とりあえずは彼らを退避させようとして――白い光点(アンノウン)に動きがあった。一階の店舗部分、店の入口の正面に位置する道路から一人だけ近づいてくる。よほどの自信家なのか単独だ。


 しかしながらその白い光点(アンノウン)は店の扉前まで到達するなり、扉を蹴破るでもなく備え付けの呼び鈴を鳴らした。ガルディやリーヴェと顔を見合わせた後、ガルディに対応するよう指示する。リーヴェは自分の護衛担当だ。


 緊張感が高まる中、ガルディは店の扉を一息に開き……そして訪問者を目にするなり「あー」という唸るような声を上げた。そしてどうしたもんかと頬を掻いた後、一歩退いて訪問者の姿をヘリアンらの視線に晒す。


 そこに居たのは、


「お久しぶりです、ヘリアン様。御礼に伺うのが遅くなり申し訳ありません。事前連絡も無しに失礼ですが、少々お時間よろしいでしょうか?」


 白いブラウスに、紺色の上品なティアードスカート。

 両手には手土産と思しき四角い箱。

 何より特徴的な黒い髪に黒い瞳。

 辺境伯の娘、シオン=ガーディナーが朗らかな笑みを浮かべて立っていた。


 ……どうやら辺境伯が口にしていた言葉は、社交辞令ではなかったらしい。


 ヘリアンは周囲を囲んでいる白い光点(アンノウン)――もとい辺境伯が愛娘につけた潜伏護衛らに対する迎撃準備命令を解除し、シオンを店内に招き入れた。




・次話の投稿予定日は【5月24日(金)】です。


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