第四話 「訓練」
時は遡り約一ヶ月。
開拓事業で慌ただしくしているアルキマイラの首都『アガルタ』に、とある一団が訪れた。
やや長身なドワーフ種に、兎耳を生やした小人種と獣人種とのハーフ。背中に小さな羽根を生やした鳥人系の獣人や純血の小人種の男性。そして中途半端な耳の長さが特徴的なハーフエルフを中心とした多種族からなるその集団は、同盟国ラテストウッドより派遣された戦士団の面々である。
一様に大荷物を背負った彼ら彼女らは、大扉の守り人に迎え入れられ、そして都市内部に足を踏み入れるなり揃って硬直した。
「これは……」
外壁を通り抜けた彼らの視界に飛び込んできたのは、アルキマイラの全てが集約された首都の街並みだ。
何十人もが横に並んでなお余るほどに広い大通り。その両脇に秩序だって連立する建物の群れ。地面を見れば歪みの無い綺麗な石畳が並べられており、目を凝らさなければ継ぎ目を見抜けないほど緻密に敷き詰められている。
また広場に設けられた噴水からは聖水と見紛うような澄んだ水が流れ続け、随所に設けられた街路樹は瑞々しく、色とりどりの花を咲かせた美しい景観が広がっていた。
それはまるで、吟遊詩人の詩に出てくる楽園のような光景だった。
「――――」
ここが『魔物の国』であるという事実すら忘れ、一団は感嘆の吐息を吐く。
まるで別世界に迷い込んでしまったかのような感覚に囚われた彼らは、門を抜けた先の広場でしばし呆然と立ち尽くすしかなかった。
「……いくぞ。ここで呆けていても仕方がない」
やがて一団の先頭に立つ男が言った。
己に言い聞かすように呟いた彼は『フェルク』という名の、新たなラテストウッドの戦士長に任命された年若いハーフエルフである。
ノーブルウッドとの戦争において、ラテストウッドは国を運営していた主要な面々を喪った。先代の戦士長もそのうちの一人だ。結果、王女姉妹の世話役を務めていたウェンリが繰り上がりで序列一位になり、暫定的に戦士長の任に就いたという経緯がある。しかし現在はその任を解かれ、生き残った戦士の中で最も腕の立つフェルクが正式に戦士長として任命される運びとなった。
エルフの血が薄いゆえに生き残った彼は、見た目通りの年齢で未だ年若い戦士だった。自分などに戦士長が務まるのだろうか、という不安を今も胸の奥に抱えている。しかし一度その役職に就いてしまった以上は立派に勤め上げねばという決意を心に秘め、彼は呆けていた仲間たちを我に返らせた。
一団はフェルクを先頭にキョロキョロと周囲を見渡しながら進んでいく。やがて広場の噴水近くまでやってきたところで、甲冑の足音を鳴らしながら一人の騎士が近付いてきた。
街中であるにも拘らず兜まで装着した
「失礼。貴君らが同盟国ラテストウッドより派遣されし戦士団の一行か?」
「――はい。私はこの度の代表を務めている、戦士長のフェルクと申します」
「確認した。事前通知内容との一致を認む。ようこそアルキマイラへ。貴君らの来訪を歓迎する」
抑揚の無い口調で騎士は歓迎の意を発した。何故か兜を被っていながらもくぐもった声ではなく、やまびこに似た響きでフェルクの笹耳に届く。仮に鎧の中身が空洞だとしたらこのような響きになるのではないかという、奇妙な声色だった。
事務的なやり取りを一通り交わした後、一団は騎士の先導でアルキマイラの街中を進んでいく。
「時に。ここまでの道中、特に問題はなかっただろうか。案内人の不手際などがあれば苦情を受け付ける」
「いえ。本国からの道中は案内人の方々に護っていただきましたので。問題となるようなことは、特になにも」
「承知した。たとえ外縁部であろうとも、貴君らにとって
騎士の言う通り、大樹海の住民にとって
だが、今のフェルク達にとっては話が別である。
ラテストウッドとアルキマイラを結ぶ道程では
そして
なにせ軽く周囲を見渡すだけでも、自分たちでは抗いようもない強大な魔物の姿がある。ゴブリンやオークといった代表的な魔物種は序の口として、オーガにトロール、蝙蝠に似た翼を持つ人型や浮遊する巨大眼球に触手が生えたナニカ……考えたくはないが、今しがたすれ違ったのは死霊の類ではなかろうか。
数日前の自分なら一目散に逃げ出していたであろう、恐るべき光景である。
「ひっ……!?」
突然、一団の中から悲鳴を呑み込む声が生じた。
しかし、その悲鳴は恐ろしい魔物を目にして発せられたものではない。一団を物珍しそうに眺める住民の中にエルフが居たからだ。
胡乱げに見つめるエルフの視線は、ラテストウッドの集落で治癒士として働いていた一人の女性を捉えており、ノーブルウッドに
「如何した。なにか問題でも?」
「……い、いえ。なんでもありません」
震えを懸命に押し殺し、女性は騎士に返答した。
無理もないとフェルクは思う。自分は早々に捕らえられてしまっていたが、逃げ延びた者たちも一様に、つい先日まで地獄のような日々を過ごしていたのだから。
だがしかし、自分たちは乗り越えなければならない。新たに戦士団を再編し、その一員として選ばれた自分たちは、過去の記憶に打ち勝つ強さが求められているのだ。
この国を訪れた理由も
フェルクを代表とする戦士団一行は、戦う力を求めてこの都市を訪れた。同盟国アルキマイラによる『訓練』を受ける為に、遥々ラテストウッドからやって来たのだ。
(……そうだ。強くなる為に、我らはこの魔国の門戸を叩いたのだ)
フェルクは心中で呟き、改めて来訪目的を強く意識する。
両国間の相互理解を深める為に企画された交流活動の一環とされているが、その実態はラテストウッド戦士団の戦力底上げである。先の一戦で手痛い被害を被ったラテストウッドには、森の魔獣を退けるだけの自衛力すら欠如している有様だからだ。一定以上の力量を有した戦士が、圧倒的に不足している。
しかし人手が足りないという問題が早急に解決できる類のものではない以上、せめて一人ひとりの力を高めて少しでも穴埋めを行わなければならない。それも可及的速やかにだ。
今回の取り組み――交流活動の一環と銘打たれた『訓練』は、そういった背景から実現されたものである。
「到着した。ここが、本日より貴君らが滞在する館である」
騎士の言葉を受け、考え込んでいたフェルクはハッと顔を上げる。
目の前には大きな館があった。
壁一面には大小様々な槍が飾られ、天井屋根は盾に似た装飾が施されている。
また正面玄関の扉には剣の柄を模した取っ手が付けられているなど、どこか物々しい雰囲気を漂わせる洋館だ。
案内を終えた騎士は「小官の職務はこれにて終了である。貴君らの無事を祈る」という微妙に不安を掻き立てる言葉を残し、足早に去っていった。
取り残された一団は顔を見合わせ、しばし館の前で所在なさげに立ち尽くす。が、こうして突っ立っていても仕方がない。フェルクはゴクリと唾を飲み込んだ後、一団の代表として館の扉を押し開いた。
「む、来たか」
館内で待っていたのは人型の獅子だった。
兜こそ被っていないが、重装甲の鎧を身に纏っている。
大柄な体格も相まって相当な重量があるはずだが、獅子は足取りも軽く一団の下まで歩みを進めた。
「お初にお目にかかる。
「ご、ご丁寧にありがとうございます。私の名は――」
と、フェルクは先ほどと同様の自己紹介を行い、バランと名乗る獅子と一通りの挨拶を交わす。
ここまでの道中も計り知れない強さを持つであろう魔物達を見てきたが、その獅子からは一線を画する何かが感じられた。仲間の獣人種は殊更本能を刺激されるのか、対峙するだけで総毛立たせているほどである。
しかしながらフェルクは、ラテストウッドの代表者であるという自負を支えにして、胸を張り堂々と対応してみせた。
「事前に通知している通り、訓練期間中は諸君らを客人ではなく訓練兵として扱わせてもらうことになる。自然、ある程度厳しい態度を取らざるを得ないのだが、構わぬか?」
「はい、勿論です。我々は皆、戦士としての覚悟を抱いてこの地を訪れました。そのように扱っていただければ幸いに存じます」
フェルク以外の者たちもまた、しっかりとバランの目を見て同意を示した。対するバランは満足そうに頷く。
「承知した。吾輩もまた諸君らの覚悟に十全に応えられるよう、全力で取り組ませてもらう。では時間が惜しい。早速だが荷物を置いて本日の鍛錬に移るとしよう」
バランは真面目な顔で応じた後、魔道具の鈴を鳴らした。
軽やかな音が館に響き、やがて館の管理人が現れる。管理人を名乗る男性は鶏の特徴をした人型の魔物だった。
彼の案内で幾つかの大部屋に分けて通された一団は、荷物を置くなり素早く装備を整えて先ほどのロビーに再集合した。その後、バランの先導で館に隣接されていた巨大な訓練場へと移動する。
訓練場には見慣れぬ施設や道具が散見された。またつい先日まで他の用途に使っていたのか、分解後の建材を纏めている作業員の姿がある。その殆どが既に撤収準備を済ませており、最後の二人が残りの建材を担いだところだった。二人はバランと戦士団の面々を見て、慌てて撤収していく。
すれ違いざま、会釈と共に去っていく作業員らの声が耳に届いた。
「……なあ、アイツらってもしかして例の」
「あぁ、ラテストウッドの民だな。なんでも訓練を受けにきたという話だったが」
「ここにいるってことは……アレか? よりにもよって第二軍団の訓練メニューを受けるってことなのか?」
「らしいな。しかも第二軍団長が直々に、だ」
「……気の毒に。死人が出なきゃいいんだが」
――心胆を寒からしめる会話であった。
隣に立つドワーフ種の仲間には聞き取れなかったらしいが、聴覚のよい
ハーフエルフの仲間達の顔が青褪めていく。自分もきっと同じ顔をしているに違いない。大きな背中を丸めてそそくそと退散していく魔物らの後ろ姿に、戦士長として固めたはずの覚悟が萎んでしまいそうになった。
そんなフェルクの心境を知る由もないバランは、訓練場の一角で足を止め、一団へと振り向く。
「さて。それでは鍛錬を開始する。尚、先ほど同意を得た通り、ここから先は諸君らを訓練兵として扱う。訓練期間中、吾輩のことは教官と呼ぶように。返事は『了解しました教官殿』だ」
「……りょ、了解しました、教官殿!」
真っ先に返答したフェルクに続き、一団は同様の言葉を口にした。バラン改め教官はうむと頷いて指令台に登る。
いったいどのような苦行を課せられるのか。
フェルクは未知の恐怖に身を震わせたが、しかしどのような試練であれ決して逃げ出したりはすまいと、密かに覚悟を固め直し――
「――では走り込みを行おう。まずはこの訓練場を十周だ」
と、教官の口から放たれたその言葉に思わず目を瞬かせた。
意外に感じたのはフェルクだけではなく、戦士団の面々も互いの顔を見合わせ困惑していた。告げられた指示があまりに拍子抜けな内容だったからだ。訓練場はかなり広いものの、それでもたったの十周である。
確かに彼らは弱者の寄せ集めなどと揶揄される過去を有していたが、森の民として生きてきた日々は伊達ではない。足場の悪い密林を一時間近くも駆け続けることさえあった彼らにとって、この程度の走り込みは苦にもならない運動である。
「……たった十周でよろしいのですか?」
「うむ。主上からはくれぐれも、と諸君らのことを頼まれているのでな。諸君らの安全には人一倍気を使い、かつ着実なレベルアップを果たせるよう鋭意取り組む所存である。言うまでも無いが、出来ないことを無理にさせるような真似は決して行わぬことを誓おう」
教官は厳粛な表情で言葉を続ける。
「吾輩としても、身の丈に合わぬ鍛錬で訓練兵を潰すのは甚だ心外である。故に、『頑張ればできる』程度の達成目標を随所に盛り込み、一つ一つ乗り越えていく形で確実に力を付けられるよう訓練計画を作成した。食事や睡眠時間に至るまで緻密な計算を行っている故、諸君らは心置きなく鍛錬に励むといい」
驚きの台詞だった。
いったいどれほど苛烈な訓練を受けさせられるのかと思いきや、教官の口から出てきたのは『安全第一』『無理なことはやらせない』『頑張ればできる内容』といった、配慮に満ちた言葉の数々だ。
野卑な蛮族とされる魔物の口から出たとは思えぬ台詞に、戦士団の面々は揃って呆気に取られた表情になる。
(……不覚。私も偏見を捨てきれずにいたか)
相手が魔物という先入観に惑わされまいと心がけていたつもりだが、あくまで
フェルクは捨てきれないでいた『偏見』の二字を振り払う為、自分の頬を強く張った。パン、という乾いた音を鳴らした後、彼は教官の言うとおりに先陣を切って走り出す。他の面々もまた「行くぞ!」という彼の声で我に返り、慌ててその後を追った。
そうして走り込みが始まった。
種族がバラバラな関係上、中には走るのが苦手な者もいるが、それでも戦士団として日々鍛錬を重ねてきた一員だ。
走れなくなれば死ぬしかない、という状況に陥ることもしばしばな『森に生きる民』であるという事情もあり、一定以上の足力を有している。
あっという間に三周目を走り終えたが、戦士団の面々はバラけることなく一塊の集団になって周回を続けていた。
『ふむ……これが諸君らの通常速度というわけか。聞いていたよりも若干早いな。ならばこれに合わせて微調整を施そう』
そのまま四周目の周回を終えた頃、教官の声が飛んできた。
教官が立つ指令台とは少々距離が離れているが、まるですぐ隣から話しかけられたかのような声量だった。恐らくはその手に持つ貝殻に似た形状の道具で、声を拡張しているのだろう。
魔道具は些細なものでも高価な代物のはずだが、教官は使い慣れた手付きで扱っていた。ひょっとするとここまでの道中で目にしてきた街並みにも、随所に魔道具が使われていたのかもしれない。先頭を走るフェルクには、そんなことを考える余裕すらあった。
そうして考え込むフェルクの視界の中、ふと高所から赤い光が上がった。光の出処を視線で追えば、訓練場の各所に設置されていた高台のうちの一つに、書物らしきものを手にした魔術師風の男の姿がある。
はて何を打ち上げたのだろうかとぼんやり見上げていると、赤光が――否、焔に包まれた大玉が放物線を描いて落ちてきた。
「…………えっ?」
そしてきっかり三秒後。煌々と燃え盛る火球はフェルクの視界を通り過ぎ、周回を続ける集団の最後尾付近に
同時に派手な爆裂音が生じ、衝撃波と熱波が背を叩く。
目を剥く彼が振り返ったその先には、唐突な爆発に身を竦める仲間達の姿と、着弾点とおぼしき小クレーターがあった。
ぶわりと汗が吹き出た。
「きょ、教官殿!?」
『どうした』
「今の爆発はなんなのですか!?」
『鍛錬に臨場感を持たせる為の演出である』
演出、と言い切られたフェルクは数秒ほど言葉の意味を理解できなかった。
しかし足を止めることはできない。
訓練場を一望できる高所から再び炎弾が降ってきたからだ。
あまりの事態に立ち止まりかけていた仲間たちもまた、慌てて足を動かす。
そして、最後尾から数メートルの至近距離で次の炎弾が爆ぜた。
「ひぃぃぃっ!?」
「止まるな! 走れ、死ぬぞ!!」
最後尾を走っていた小人――集落で治癒士として働いていた女性が悲鳴を上げていた。
彼女は戦士団に組み込まれているものの、主に後方支援を担当している女性だ。足は一団の中で最も遅い。やや前方を走っていた仲間に手を引かれ、なんとか遅れずに付いてきているような状態に陥っていた。
戦場さながらと化した訓練場で、フェルクは悲痛な声を挙げる。
「教官殿ぉ! あんなものを食らっては我々は死んでしまいます! 到底耐えきれるような威力とは思えません!!」
『問題ない。ここまでの平均速度を維持すれば決して当たらぬよう、細心の注意を払っている。呼吸を乱さず走り続ければ傷一つ負うこともない』
淡々とした教官の台詞にフェルクは絶句した。
着弾時の余波からして、自分達が全力で障壁を張っても防ぎきれるとは思えない。いや、そもそも自分達の詠唱速度では障壁を張ること自体間に合わないだろう。
そんな恐ろしい攻撃に晒されながら、呼吸を乱さずに走り続ける……?
『言ったであろう、あれはあくまで演出に過ぎん。短期間でレベルアップを果たすには実戦を繰り返すのが最も近道ではあるが、諸君らにそれを強いるのは些か以上に酷というもの。しかしながら少しでも実戦に近い緊張感を得られるよう、訓練官の一人に
安心しろ、腕は確かだ。
教官はそう続けたが何一つ安心できる要素が無い。
最も足の遅い者に合わせて『爆撃』を行っているらしいが、それはつまり、少しでもペースを落とせば爆発に巻き込まれるということだ。
そして防御が意味を成さない以上、巻き込まれれば死ぬしかない。
端的なその事実を自覚した瞬間、フェルクの心拍数が跳ね上がった。
釣られて呼吸が乱れ、次第に足も重くなる。
しかし決して速度を落とすことなどできない。
フェルクは歯を食いしばって懸命に足を動かすが、着弾音が少しずつ近付いているような気がして頬が引き攣るのを自覚した。
「ひやぁ!? い、今、何かが! 何かの破片が頭を掠めて……!」
「喚くな黙れ呼吸が荒れる! 足が鈍れば死ぬしかないんだぞ! 黙って走れ!」
仲間たちが悲痛な叫びを上げる。
だがどうしようもない。走り続けねば死が待つのみだ。
やがて五周目に入るも爆撃は止まない。
既に十発以上放っているはずなのに魔力切れの気配すらなかった。
しかも気のせいだと思いたいが一発毎に威力が増している気がする。
六周目に入り、爆発痕の半径が微妙に大きくなっているさまを見て、それが自分の気のせいではないことをフェルクは知った。
もはや悲鳴を上げる余裕すら無い。
ただただ必死に足を動かすのみだ。
爆撃による小クレーターを避けながら一周毎に足場が悪くなる訓練場を駆け続け、穴に躓きかけた仲間の手を引っ張り無理矢理立たせてひた走る。
そして十周を走り切るなり、戦士団の面々はバタバタと地面に倒れ伏した。
後続者は倒れている仲間の身体に躓き、転がり込む形でゴールインを果たす。
フェルクは身体に残された最後の力を振り絞り、倒れた仲間の身体を引き摺ってゴール真ん中の道を開けた。
最後尾を走る女性が爆風に背を押されながらゴールに飛び込んでくる。
「ひゅーっ、ひゅーっ、ひゅーっ……――」
そうして、掠れた吐息と咳き込む声だけが周囲に満ちた。
軽く見渡すだけでも死屍累々の有様である。
最後の力を使い果たしたフェルクもまた、その場に崩れ落ちて屍の仲間入りを果たした。
『うむ。これで定刻通り走り込みは終了である。では三分間の休憩の後、訓練を受ける為の体力づくりへと移る』
教官は平然とした口調で告げた。これだけの惨状を目の当たりにしても、教官の声色に一切の乱れは無い。
対するフェルクは聞き間違いであって欲しいとの祈りを籠めながら、戦士長としての矜持を奮い立たせて教官に質問する。
「あの……教官、殿……」
『む? どうした。体力回復に努めねば後が辛いぞ』
「今しがた……訓練を受ける為の、体力づくりに、移ると……仰ったような、気が、したのですが……」
息も絶え絶えながらどうにか疑念を口にすると、教官は生真面目な表情のまま肯定した。
『その通りだ。諸君らには訓練を受ける為の
いまいち要領を得ない回答だったが、訓練とやらは始まってすらいなかったらしい。
どうやら体力や耐久力が根本的に足りていないと指摘されているようだが、こうして情けない姿を晒している以上反論など出来はしないしする気もない。
だが、今問題にすべきはそこではない。
訓練にあたり耐久力や体力が不足していることは分かった。これから『訓練を受ける為の体力づくり』とやらを行うことも理解した。
しかし、ならば、今しがた自分たちが死ぬ思いで成し遂げた走り込みはいったいなんだったのか……?
フェルクは出来る限り丁寧な口調を心がけ、恐る恐る教官に問う。
『本格的な鍛錬に移る前の
――私は今日、死ぬかもしれない。
教官の回答を耳にしたフェルクは、ここが自分たちにとっての死地であることを思い知った。
・次話の投稿予定日は【5月9日(木)】です。