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第一話   「辺境伯の館にて」

長らくお待たせ致しました。

異世界国家アルキマイラ、三章の連載を開始します。

楽しんで頂ければ幸いです。



「久しいなヘリアン殿。よく来てくれた」


 境界都市シールズ。

 人類の住まう領域と魔族の棲まう領域、その境目である境界領域に蓋をするようにして建設された城塞都市。あまりにも重大な役割を託された人類の盾。

 その都市を統べる辺境伯グレン=ガーディナーは、客人であるヘリアンを歓迎の言葉で出迎えた。


「いえ。こちらこそご依頼の結果報告がここまで遅れてしまい、大変失礼いたしました」


 ヘリアンが詫びたのは辺境伯からの依頼(クエスト)――『迷宮に潜る愛娘の護衛依頼』についてのことだ。仕事を終えてから既に二週間以上が過ぎているが、あれ以来、こうして辺境伯と顔を合わせたのは今回が初めてだった。


 冒険者ギルドを通じて発行される依頼(クエスト)には、達成時に完了報告を行う義務が存在する。討伐依頼ならばその証拠品を、護衛依頼ならば依頼者からの完了報告書類を、収集依頼ならば依頼の品と共に、冒険者ギルドの窓口へ完了手続きを行いに出向く必要があるということだ。


 ヘリアンはこれを聞いた時「要は派遣バイトと同じ仕組みか」と解釈した。

 窓口で希望の仕事を請け負い、仕事を終えたら窓口に出向き、成果の証明物と引き換えに報酬を受け取る。簡略化すればこの流れだ。仕事内容が多岐に渡る点も、また一件の仕事毎に契約が取り交わされる点も類似点に数えられる。


 社会に出て働いている人間ならばもっと他の例え話を連想したかもしれないが、学生である三崎司(ヘリアン)に馴染み深いものとしては派遣バイトがせいぜいだった。


「気にする必要はない。そもそも、既に手紙で報告を受けているでな」


 確かに手紙で報告は行っている。

 セレスやガルディを使いに遣り、護衛対象であるシオン嬢を通じて別途報告を行ってもいた。

 また今回の依頼については冒険者ギルドを仲介しているわけでもなく、依頼人と請負人の両者だけで成立した依頼――(ちまた)では野良依頼などと呼ばれている――である。


 冒険者ギルドが発行する依頼(クエスト)はルールの整備がしっかりとなされているので、野良依頼に関してもそれに準拠する場合が殆どだ。しかし今回の一件は明確にそうと定めていなかった以上、契約的な意味合いでの報告義務はない。


 しかし辺境伯自らが、間に仲介人を挟むわけでもなく直接自分に依頼を行ったのだから、貴人に対する礼儀として直接出向いて完了報告をする義務があるとヘリアンは考えていた。


 そのヘリアンの表情から何かを読み取ったのか、辺境伯は諭すような口調で言葉を続ける。


「それに同道していた騎士からも報告は受けている。私としては、騎士達の話と手紙の二つで十二分な結果報告を受け取っているのだよ。そして私は君の働きに大変満足している。今回の件は実にご苦労だった」

「ありがとうございます。そう言っていただけますと幸いです」


 辺境伯の向かいのソファに腰掛けるヘリアンは、ペコリと頭を下げて謝意を示した。王としての自分は頭を下げることなど許されないが、今ここにいるヘリアンは一介の商人に過ぎない。背後に控えるリーヴェも合わせて頭を下げた。


「そしてリーヴェ殿、貴君らも見事な腕前を発揮してくれたそうだな。騎士らが驚いていたぞ。これほど楽な迷宮探索は初めてだったとな」

「恐縮です。辺境伯」


 リーヴェは粛々と返礼した。

 今回ヘリアンがお供として連れてきたのは彼女だけだ。ガルディとセレスの両名は、報酬として受領した建物の改築などに従事しており別行動中である。


 そうしてひとまずの挨拶を済ませたタイミングで、応接室の扉がノックされた。

 辺境伯の許可を得て入室してきたのはお茶と茶菓子を手にした侍女だ。慣れた手付きでお茶を淹れた後、静々と退室していく。


「ヘリアン殿は紅茶好きと聞いたのでな。最近流行りの茶葉を取り寄せてみた。口に合うといいのだが」

「それは……わざわざ申し訳ありません。お気遣い恐れ入ります」


 実のところ特別紅茶に強い拘りを持っているわけではなく、コーヒーが苦手な為に紅茶に逃げた結果なのだが、迷宮でわざわざ飲用していた姿から紅茶党と認識されたらしい。


 ヘリアンは勧められるままにカップを手にする。領主の客に出すお茶とあって良い香りがした。熱すぎずヌルくもない、客人が口をつける頃に最適な温度になるよう計算された紅茶からはふんわりと湯気が昇っている。


 そういえばリーヴェ以外が淹れた紅茶を呑むのはこれが初めてだなと、少しばかりの期待感を抱きながらヘリアンはカップに口をつけ――


「ところで、リーヴェ殿は君の愛人かね?」

「ぶっ……!?」


 危うく噴きかけた。

 若干気管に入ったせいで涙目になりながらも根性で嚥下し、絶妙なタイミングであんまりな質問をぶちかましてくれた辺境伯を直視する。


「おや。違うのかね?」


 いかにも意外そうな口調で問いかけてくるが、よく見れば口端が釣り上がっていた。つい先ほどまでは領主然とした態度を取っていたというのに、今の表情は単なる性悪オヤジのそれである。


 からかう色が透けて見えるその表情に、あのタイミングで訊いたのは絶対にわざとだな、とヘリアンは確信した。

 ……というか、本人(リーヴェ)の前でわざわざ訊くあたり絶対に確信犯である。


「誤解があるようですが、彼女は私の従者ですよ。愛人などではありません」

「ふむ。ならばセレス殿が愛人ということか」

「違います」


 続けてぶち込んできた辺境伯に否定を返す。

 そういえば最初に出会った際にも似たような表情をしていたなと、辺境伯に『奇襲』を受けた際の出来事を現実逃避気味に思い出した。


 ちなみに何故現実逃避気味かと問われれば背後の気配が怖いからである。

 いや気配とかそういう類のものは元一般人である三崎司(ヘリアン)には一切分からないのだが、後ろに立つリーヴェの顔は色々な意味で見たくなかった。例えどんな表情をしているにせよ、最適な対応方法など見つかりそうもない。


「なんと。これは驚きだ。腕前もさることながら両名共にエルフに勝るとも劣らぬ見目麗しい美姫。となれば、とうの昔に手をつけているかとばかり思っていたが」

「……従者をお褒め頂きありがとうございます。ですが、その、私と彼女らはそういった関係ではありませんので」

「これほど美しい女性を前にして手を出していないのか。……まさか、君の本命はガルディ殿かね?」

「どうしてそうなるんですか!?」


 さすがに全力で否定した(ツッコんだ)。おぞましい質問を耳にしたヘリアンは腰を浮かせて声を張り上げる。

 直後、大都市の領主の前で声を荒らげてしまったという事実に気づき、慌てて口元を手で覆う。そしてすぐさま無礼を詫びようとしたヘリアンだったが、何故か辺境伯は呵々とした笑顔を浮かべていた。


「そうかそうか、いやこれは失敬! 無粋な質問を詫びよう。

 それとここから先は無闇に畏まらず普段のように振る舞ってくれるとありがたい。前にも言ったかもしれんが、私は貴族らしい対応が苦手なのでね」


 今しがたのような口調の方が私にとっても楽なのだよ、と辺境伯はヘリアンの全力否定を快く受け入れた。


(……ああ。そういえばこの人、こういう人間だっけな)


 辺境伯の人となりを改めて認識したヘリアンはこっそりと溜め息を吐いた。

 そして身体から力を抜けていく感覚を通じて、必要以上に肩に力が入っていたらしい事実を知る。

 どうやら自分で思っていた以上に『領主との会談』を意識しすぎてしまっていたようだ。


 そして恐らくは、そんな自分の精神状況を見抜いてわざわざあんな際どい話題を持ち出したのだろう。

 貴族らしい対応は苦手などと嘯いておきながら、場の空気を望み通りの方向性に誘導した手練手管はさすが領主だと思う。が、それはそれとしてこの手法は見習う気にはなれないヘリアンだった。


「さて、麗しい従者殿の話題は一旦脇に置いておくとしてだ。今回の一件は本当に助かった。不測の事態が起きたにも拘らず、つつがなく儀式を終えて迷宮区を安定させることが出来たのは君たちの働きに依るものが大きい。身を以てシオンを助けてくれたことを含め、改めて感謝する」

「いえ。咄嗟のこととはいえ、大切なご息女を突き飛ばしてしまいました。緊急事態でしたのでご容赦いただければと」

「シオンとてガーディナー家の女だ。その程度のことは気にすることはない。……むしろ気にするべきは、儀式の間で不測の事態が生じた、という事実そのものについてだな」


 辺境伯は嘆息してソファに体重を預ける。体格からして相当な重量があるはずだが、応接室に設けられた魔獣皮のソファは音もなく彼の身体を受け止めた。


「……やはり、アレは稀有な出来事だったのでしょうか?」

「稀有という言葉で片付けるのは無理があるな。むしろ前代未聞だ。儀式の間で『調律』以外の術式が発動する、などというのは」


 両者が語るのは、儀式の間から異空間に跳ばされた転移罠についてだ。あの後ガルディを迎えにこさせたところ、ヘリアンとリーヴェが異空間から弾き出されたのは、五十五階層の隠し部屋だったと判明した。中層では幾つかの隠し部屋が発見されていたが、この隠し部屋は未発見のものである。


「あの後何度か調査隊を向かわせたが、君たちを跳ばした魔法陣は既に効力を失っていたようだ。魔力の残滓すらもなく、跳ばされた先の隠し部屋についても特に変わったものは見当たらなかったらしい」


 それについてはセレスからも同様の報告が上がっていた。

 ヘリアンたちが跳ばされた直後、即座に魔法陣の解析と再起動を試みたらしいが、既に役目を終えた魔法陣からは大した情報も得られなかったという。


 紅茶で唇を湿らせたヘリアンは、辺境伯の目を見て新たな問いを放った。


「……跳ばされた先の広間で少々手強い魔物と遭遇しました。蒼い鎧を身に纏う騎士の風貌をした魔物だったのですが、何か心当たりなどはないでしょうか?」

「騎士の風貌……?」


 ふむ、と辺境伯は考え込むように腕を組む。


「それは私の騎士団の鎧を身に着けていたかね?」

「いえ。これまで見たことのない装備でした」

「そうか。もしや道半ばで散った騎士の成れの果てかと思ったのだが……」


 濃厚な魔素溜まりで死んだ人間が強い執念や怨念を抱いていた場合、時に生前の面影を残したまま魔物化する場合がある、と冒険者の間では噂されていた。

 その真偽は定かではない。宮廷魔術師を筆頭とする一部の識者らは根も葉もない噂に過ぎないと一笑に付していたが、長年魔物と戦い続けている冒険者らの見識は馬鹿にできないと捉える知識人もいた。辺境伯もそのうちの一人である。


「そもそも、迷宮暴走ダンジョンスタンピードであれだけの大立ち回りをみせた従者殿をして尚手強いと称させる騎士となると思い当たる節はないな。生者ならば何名か心当たりはあるが、ここ近年、そこまでの腕を持つ騎士があの迷宮で果てたという話は聞かん」

「そうですか……」


 ある程度予想の範疇だった答えを受け、ヘリアンは引き下がる。


「引き続き調査は継続させるが……どの道、当面は娘を迷宮にやるわけにはいかなくなったな。それだけに今回『調律』を執り行えたのは不幸中の幸いだった。とりあえず一年は保つだろう。娘も直接会って感謝を伝えたいと言っていた」

「……そういえば、そのシオン様のお姿が見えないようですが」

「娘は別の儀式の準備をしている。ここ数日はそれにかかりきりでな。君と会えぬことを残念がっていたよ。今朝顔を合わせた時などは、分かりやすく頬をふくらませておったわ」


 アレはアレで可愛いのだがな、と辺境伯は父親の表情で笑みを浮かべる。


「なにせ娘にとっての君は家族以外で初めて目にした黒髪黒眼(こくはつこくがん)故な。君からすればうっとおしいかもしれんが、興味を惹かれるのは致し方ないものと諦めてくれ」

「は、はぁ……」


 対するヘリアンは、父親の口から娘のそんな様子を聞かされたとあって、得体のしれない気まずさに襲われていた。言うなれば付き合っている彼女の父親から唐突に娘のプライベートを暴露された時のような心境である。いや、男女交際などしたことも無いのだが。


 その微妙な空気から逃れるべく、ヘリアンは話題変更の為の話を振った。


「そ、そういえば、かくいう私も黒髪黒眼の人間に会ったのはこれが初めてでして。やはりこの辺りでは珍しい色合いなのでしょうか?」

「……うん? それは勿論そうだが……」


 しかし、辺境伯はその問いかけに腕を組んだまま首を傾げた。

 そして自分の中で何らかの結論を出したのか、ああ、と納得したように彼は頷く。


「なるほど。君は王国の出ではないのだったな」

「ええ。生憎田舎出身なもので、この地の常識には疎いところがありまして……お恥ずかしい限りです」

「卑下する必要はないぞヘリアン殿。そんな姿は君には似合わん。君はもっと堂々としているべきだ」


 ピシャリと辺境伯は言い切った。互いを大して知りもしない間柄にも拘らず、さも知った風な口の利き方ではあったが、辺境伯が心からそう思っているであろうことが不思議と伝わってきた。どうやら意外にも高評価を受けているらしい。


「そも、出自だけで人物の判断を行うことを私は良しとしない。実際、懇意にしている冒険者には何処の出身か分からない者がいる。中には脛に傷を持つ者もいるだろう。出自を晒すのをあからさまに忌避する者もいる。

 だが私は、己の目で見て直接言葉を交わし、その上で信じられると見込めたならばそれでいいと考えている。北の民だろうが、西の民だろうが、東の民だろうが、境界都市シールズは拒まぬ」


 もっとも南だけは勘弁してほしいがね、と辺境伯はおどけて言った。

 まあ確かに、とヘリアンは苦笑を浮かべて同意する。

 魔族領域(みなみ)からの来訪者は少ないほうがありがたいだろう。


「さて、話を戻すが黒髪黒眼は非常に稀有だと思ってもらって構わん。なにせ歴代勇者に共通する、最たる外見的特徴故な」

「……ゆ、勇者……ですか?」


 前触れもなくチープな単語が飛び出してきた。

 目を白黒させるヘリアンの前で、辺境伯は表情を変えずにうむと頷く。


(……いや、待て。そういえばこの世界には魔王がいるんだったな)


 これが地球であれば馬鹿馬鹿しいと笑い飛ばす話だが、ここは[タクティクス・クロニクル]に似た幻想世界(ファンタジー)だ。そしてラテストウッドで聞いた話によれば、かつては魔王が実在していたという。ならばそれに対抗する存在として勇者がいてもおかしくはない。


 魔王の存在についてはすんなり受け入れたにも拘らず勇者という単語に安っぽさを感じてしまったのは、ひとえに[タクティクス・クロニクル]の影響だろう。

 というのも、別ワールドの話ではあるのだが、『魔王』的なロールプレイをする有名プレイヤーが居たのだ。彼は嬉々として悪役らしい悪役を全うするプレイスタイルを貫いており、打倒『魔王』を掲げる連合諸国と定期的に大戦争を開催していた。そんなわけで、魔王という単語には割と馴染みがある。


 しかし一方で『勇者』を名乗る(プレイヤー)は存在しなかった。まあ、ある意味当然の話である。なにせプレイヤーが率いている民は一人残らず『魔物』なのだ。しかも当人(プレイヤー)に戦闘能力が無いと来ては、勇者のロールプレイをするには少しばかり無理がある。手下に戦闘を任せて高みの見物を決め込んでおきながら勇者を名乗るというのは、普通にダサい。


 自分が『勇者』をチープな単語(もの)と捉えてしまったのは、そういう馴染みの差からくるものだろう。


「うむ。魔王を討つ存在、人間を超えた人間、神に祝福されし願いの結晶。歴史に名を残す勇者はただ一人の例外もなく、漆黒の瞳と髪を有しているとされている」


 辺境伯は教科書を読み上げるような口調で説明を続ける。

 対するヘリアンは話が進むに連れて嫌な汗が浮かんでくるのを自覚しつつ、目の前に座る辺境伯の瞳と髪を凝視した。

 そこには娘のシオンと同じ漆黒色がある。


「もっとも勇者降臨が絶えて久しく数百年。今では我が家のような英雄の系譜の特徴と勘違いしている者もいるがね。しかし元はと言えば黒髪黒眼(これ)は勇者の特徴なのだよ」

「……では辺境伯は。いえ、ガーディナー家とは……」

「勇者の子孫、その末裔というわけだ。少なくとも言い伝えとしてはな」


 淡々と語られたその内容に愕然とする。

 そしてシオンを助けた当初、信じられないものを見る目で凝視されていた理由についても今更ながら納得した。

 あの時は危機的状況から助けられたことによるショック状態の一種かと解釈していたが、彼女は自分の瞳と髪の色に驚愕していたのだろう。


「私自身は家族以外の黒髪黒眼を目にしたことがあるが、先も言った通りシオンは家族以外に黒髪黒眼と会ったことがない。娘にとっては君が最初の一人目なのだよ。しかもそれが、荒野で襲われているところを颯爽と助け出してくれた恩人とあっては、何とも運命的とは思わんかね?」


 まるで吟遊詩人の唄う英雄譚の一幕のようではないか、と辺境伯は豪快に笑った。しかしながら対面に座るヘリアンは、先ほどとは比べ物にならないほどの気まずさに囚われていた。慌てて口を挟む。


「あの。念の為申し上げておきたいのですが、私は決して勇者などでは……」

「ああ、分かっている。失礼だが、君はどう見ても戦える者ではないしな」


 辺境伯はあっさりとそう述べた。どうやら聖剣伯と謳われる戦士の目は、ヘリアンの戦闘力が一般人以下であることを見抜いているようだ。案外、先日の依頼で命からがら生還したという事実もその推察の裏付けをしてくれたのかもしれない。

 少なくとも勇者と思われているわけではないことを察し、ヘリアンは安堵の息を吐く。……情けないことこの上ないが、これも怪我の功名と言うべきだろうか?


「とはいえだ。シオンにとっては、君が二度も危機から救ってくれた恩人であるという事実に変わりはない。そのうち君の店に顔を出しにいくことだろう。その際は邪魔にならん程度で構わんので相手をしてやってくれ。一人の親として、娘と仲良くしてくれると嬉しく思う」

「……は、はぁ。何分開店準備中ですので大したもてなしも出来ませんが……それでもよければ、はい」


 歯切れの悪い返事になってしまったが、辺境伯は父親の顔で満足そうに頷いた。


 それから十五分ほど、世間話を交えながら情報交換を行い、そこで今回の会談はお開きとなった。




    +    +    +




 辺境伯の館を辞したヘリアンは、用意された箱型馬車に揺られながら帰路についていた。御者台と切り離された個室の窓は小さく、一種の密室と化している。


 そういえば現実世界でも車は動く密談場所として活用されているんだったかと、そんな益体も無いことを考えつつ、ヘリアンは隣に座るリーヴェに問いかける。


「リーヴェ。監視の目の類はあるか?」

「いえ。乗り込む際に確認しましたが、この馬車に別段変わった点は見受けられません。尾行の気配もないようです」

「そうか……」


 と、答えるなり視界が揺らいだ。

 まるで強烈な立ち眩みに襲われたような感覚。

 同時に身体から力が抜け、車輪が小石を踏んだ振動でぐらりと横倒しになる。


「――ッ、ヘリアン様!?」


 咄嗟にリーヴェがその身体を支えた。

 リーヴェの肩に頭を乗せるような態勢で、ヘリアンは目眩に耐えつつ呻く。


「……大丈夫、だ」


 そうは言ってみたものの、どう見たところで強がりでしかなかった。

 なにせリーヴェにもたれかかったまま姿勢を戻すことすら出来ないでいる。

 目眩は徐々に治まってきたものの、爪先から頭の先までが酷い怠さに襲われていた。まるで力が入らない。


 しかし、これはある意味予想していた事態だった。

 今の状態で無理をすればこうなるだろうと、そういう確信を抱いた中で執り行われた会談だったのである。


「……まさか、秘奥の反動がここまで尾を引くとはな」


 苦々しい口調でヘリアンが思い返すのは、ここ数週間の記憶だ。

 だがどの日を思い返してもその内容に大差はない。

 なにしろ迷宮から生還して二週間もの間、ヘリアンの活動範囲はベッドとその周辺ぐらいのものだったのである。


 一週間が経過してからはベッドの上で身体を動かせるようになったが、そこから部屋の外で活動できるまで更に二日を要した。十日目からはある程度自由に動けるようになったものの、一日あたり数時間の活動がやっとの状態が続いている。


 ゲーム[タクティクス・クロニクル]では、【生命力】が低下した状態で<秘奥>を発動した場合は一定確率で【瀕死】や【体調不良】などといったバッドステータスにかかることがあった。だがそれも、視野が狭まったり音が聞き取りにくくなったり身体を動かしづらくなるなどといった、あくまでソフトな表現に収まるものだったのだ。にも拘らず、ここ数週間のヘリアンは日常生活にすら支障を来たすレベルで弱りきってしまっていた。


(オマケに自然回復速度もガタ落ちだしな……ゲームだと一日もしない内に治ったってのに、二週間以上も経って未だにこれかよ)


 【生命力】枯渇の代償。

 それをヘリアンは、二週間以上が経過した今も完済できずにいる。


 しかしながらその一方、一日あたり一定時間以内ならば健康体として活動することが出来るようになっていた。そしてその一定時間が過ぎると、電池が切れたように突然身体が動かなくなるのだ。こんなところだけ微妙にデジタルな気がして余計に納得がいかない。


「……やはり、外出されるのは早すぎたのでは」


 憂いの籠った声でリーヴェが問いかけてくる。

 現在は完全人化形態を取っている為に耳と尻尾は無いものの、それを見るまでもなく彼女の感情は読み取れた。なにせ声色どころか、いつもの澄まし顔さえ微かに崩れてしまっている。


 今にして思えば、彼女が澄まし顔以外の表情を見せるのはいつだって自分が弱っている時ばかりだなと、苦い感情を得ながらヘリアンは返答する。


「いや。今回の会談はどうしても必要なものだった。辺境伯とて十分以上に待ってくれていたのだ。そのような状況で招待状を届けられたのならば必然、受けざるをえまい」


 むしろ大都市の領主ともあろう人間が、平民相手に二週間以上もよく待ってくれたものだと思う。

 手紙には体調が悪ければ日取りを改める、との旨も記されていたが、ヘリアンは今回の会談を強行した。一日あたり数時間は動ける状態にまで回復していたこともあり、会談の時間は十分に保つだろうとの見込みもあったからだ。

 もっとも、予想以上に話が長くなってしまったせいで、こうして無様を晒してしまっているわけだが。


「それに、今回の会談はアルキマイラにとっても有意義なものだった。無理をした分、得たものは大きい」


 そのようにフォローを行うも、リーヴェの表情は晴れない。

 未だに肩にもたれかかっているような状態では無理もないか、とヘリアンは気合を入れて身を起こした。

 リーヴェが慌てて肩に手を添えようとしてきたが、軽く右手を上げて制する。


「そのような顔をするな。このような有様とはいえ、会談は無事に乗り切ったのだ」


 告げると、リーヴェは僅かに瞳を丸くして自分の顔をペタペタと触り始めた。どうやら本人はいつも通りの澄まし顔を維持していたつもりだったらしい。頬や目尻をしきりに触って、今の自分がどんな表情をしているのか探ろうとしている。


 冷静沈着キャラを保とうとしている様子だが、そんなものはあの日の宿での一幕にて木っ端微塵に砕け散ったのではなかろうかとヘリアンは思う。が、頑張って表情を戻そうとしているリーヴェにそれを告げるだけの勇気はなかった。


 やがて納得のいく表情に戻せたのか、はたまた諦めたのか。リーヴェは微妙に逸らしていた顔を元に戻し、コホンと咳払いをしてからその口を開いた。


「では、急ぎ宿に戻りましょう。雑事については私が処理しておきますので、ヘリアン様にはベッドで休息を取っていただければと」

「……いや。今日中にどうしてもやらねばならん大事なことが一つ残っている。宿で休むのはその後の話だな」


 実のところ、今日の活動時間はまだ三十分ほど残っている。

 一日毎に活動時間が徐々に増えている事実と昨日の実際の活動時間から逆算するに、これは根拠のある数値だ。緊張から解放された反動からか強烈な目眩に襲われてしまったが、このまま馬車内で少し休めばまた動けるようになるだろう。

 三十分後には本気で一歩も動けない状態に陥ることは目に見えているが、逆を言えばまだ三十分は活動可能な状況なのだ。


 しかし案の定というか、リーヴェは表情を曇らせた。

 先ほどよりもゼロコンマ数ミリほど眉尻が下がってしまっている。

 そんな微細な変化に気づけるようになった自分が、何故かおかしく思えた。

 現実世界リアルでは女性の表情の変化など禄に気づけもしなかったくせに、たいした成長っぷりである。


「それは私でも代行可能な仕事でしょうか? 至らぬ身ではありますが、私に可能な範疇であれば是非とも代行させていただきたく」

「いや、仕事の類ではない。ある意味それよりも重要なことなのは確かだがな」

「……と、おっしゃいますと?」


 リーヴェはしばらく思考を巡らせるも、答えが導き出せなかったのかその内容を訊いてきた。

 生真面目なその顔に向け、ヘリアンは僅かな悪戯心を籠めて返答する。


「お前との買い物だ、リーヴェ」


 告げるなり、リーヴェは琥珀色の瞳を丸くした。

 鳩が豆鉄砲を食ったような顔とは正にこのことかと、ヘリアンは内心でクスリと笑いながら言葉を続ける。


「身体が治ればすぐにでも出向こうと言っただろう? 辺境伯からの呼び出しがバッティングしたのは予想外だったが、約束は約束だ。まだ三十分ほどならば身体は動く。このまま露店通りに向かうとしようではないか」


 ヘリアンは御者台方向に備え付けられた小窓を開け、露店通りに向かってくれと御者に指示を出す。御者の青年は承知しましたと返答し、手綱を操って馬車の進行方向を調整した。


 リーヴェはその様子を黙ってみていたが、実のところその内心は混乱の最中にあった。臣下としての己は「今すぐ宿に向かうよう主を説得しろ」と心中で喚き立てていたが、一方でリーヴェ=フレキウルズという個人としての己は「この機を逃すな。次の機会などいつともしれないのだぞ」という甘い囁きを送ってくる。


 そうして相反する両者の狭間で身動きが取れなくなったリーヴェは、行き先変更を止めることも出来ず、ただただ固まり続けていた。そのまま時間だけが着実に過ぎてゆき、馬車は露店通りへと近付いていく。


 琥珀色の瞳を揺らしているその様子からなんとなく彼女の内心を察したヘリアンは、「元の姿だったら耳と尻尾が面白いことになってたんだろうな」などと思いつつ、彼女を納得させる為の台詞を組み上げる。


「あー……では命令だ、リーヴェ。これから私は現地市場の調査を兼ね、露店通りを視察する。ついては私の護衛をお前に任す。また実際に売買経験を得たいと考えている故、何か目を惹く品物があればすかさず私に伝えるように。よいな?」

「――ハッ。承知いたしました」


 命令ならば仕方ない。

 そんなことを考えているのがバレバレな態度で、リーヴェは安堵したように拝命の意を発した。

 ヘリアンはそんな彼女の様子にクスリと笑いつつ、さて何を買うかなと頭の中で品物を並べ始める。



 ――そして、露店通りに着いてから三十分。

 ヘリアンとリーヴェは制限時間ギリギリまで粘って『視察』を済ませた後、改めて仮宿への帰路につくのだった。




・次話の投稿予定日は【4月28日(日)】です。


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