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第二十四話 「神話域の決闘」

 閃光が瞬く。

 光の出処は蒼騎士の持つ騎士剣だ。

 振り抜く挙動で剣先より迸った蒼光は地平の果てまで届く一撃である。


 狙われた月狼は必死という動作で反応した。

 突撃の挙動から無理矢理に身を捩り、遥か遠方で振るわれた縦一文字の射線から外れんとする。


 避けた。

 紙一重の先を細い蒼光が通過する。

 無理矢理な回避運動の代償として支払ったのは突撃の勢いと追撃を許す(いとま)だ。

 遠く離れた間合いに位置する蒼騎士は石畳に剣を突き刺し、空いた両手で虚空に二つの魔法陣を描き出す。


「騎士の身で魔術までも手繰(たぐ)るか!?」


 思わず口にした言葉には極大の炎弾が応えた。

 炎弾は流星のように尾を引き、砲弾よりも疾く月狼の下へと迫る。


 再度の回避運動。無理だ、態勢が崩れていて間に合わない。

 ならば相殺。不可能だ、規模が大きすぎる。迫り来る紅蓮の大火球に篭められた魔力量は月狼ですら溜めを要する渾身の一撃無くして打ち砕けぬ大威力。

 リーヴェは無傷で切り抜ける選択肢を瞬時に捨て、簡易な対魔術障壁を全力で展開した。


 着弾と同時に爆ぜた。空間を満たす轟音。しかも爆ぜる音は単発に留まらない。

 直撃(クリーンヒット)したその攻撃に手応えを得たのか、蒼騎士は間断の無い連射を選択した。

 爆音は重奏の束ねと鳴り、咲いた紅蓮が視界を埋める。


 ――八発目で抜け出た。

 十字に固めた両腕を盾に、容赦のない爆撃から逃れた月狼は突破した勢いそのままに蒼騎士目掛け疾駆する――!


「――――ッ!」


 飛び交う蒼閃を切り抜け肉薄した。

 接近戦。両者共に最大戦力を発揮できる間合い。

 月狼と蒼騎士が再び拳と剣を交える。

 唸りを上げる拳。

 空を引き裂く刃。

 Aランク未満の魔物なら一撃で死に至るような連撃が飛び交った。

 その余波が織り成す音は先程の大火球よりも尚激しく、生み出された衝撃波は雷嵐よりも破壊的だ。

 両者は互いに傷を与え、損傷を癒やし、より有効な戦術を戦いながら構築する。


 そして、遠く離れた位置でその闘いを見届けていたヘリアンは眼の前の光景に痛罵の唸りを上げた。


「ふざけろ……!」


 眼前で繰り広げられている戦闘は正しく神闘だ。

 人間とは次元の異なる力が衝突を繰り返し、亜神のような能力が発現され、剣閃と拳撃の威力はこの空間自体を砕きかねないのではと錯覚する程である。


 それはもはや人型の破壊現象だ。

 人間では抗うことすら叶わない意思を有する災害。

 たまたま人の形を為しているだけの暴虐事象。

 それが[タクティクス・クロニクル]としてのフィルターを介さず、己が眼で直視したヘリアンの率直な感想だった。


 しかし、今しがた放った罵声の原因はそこではない。

 それは神話級脅威と承知の上でさえ、異常としか思えない蒼騎士の能力の数々についてだ。


 ヘリアンの知識から考察するに、蒼騎士は間違いなく近接戦闘職だろう。

 身を包む重厚な鎧に盾、そして見事な騎士剣という装備構成からもそれは明らかだ。敵対者の誤認を誘発させる為の偽装の類ではない。繰り出す騎士剣の一撃は重く鋭く、月狼の強固な防御力を超えて損傷(ダメージ)を刻む。


 だが、近接戦闘職だというのなら先程の大火球の威力がおかしい。

 リーヴェが放った月光による砲撃のように、前衛職でも絶大な威力を誇る遠距離攻撃というものは確かに存在する。

 しかし蒼騎士が使用したのは純粋な“魔術”による攻撃だ。リーヴェが対物理障壁ではなく、対魔術障壁を使用していたのがその証左である。


 月狼の魔術抵抗力は決して低くない。種族元来の魔術抵抗値が元々高いということもあるが、その中でもリーヴェは通常最高レベルの規定値である二五五を超え、転生を繰り返すことでその総合レベルを三〇〇まで引き上げている。

 その魔術抵抗力を、近接戦闘職である筈の蒼騎士が――秘奥も使用せず――軽々と突破して損傷(ダメージ)を与えてくるというのは異常だ。


 そしてなにより、()()()()()()()()()()()()()()()

 手を変え品を変え、数多の実戦経験から得た戦法を駆使するリーヴェの手で死に追いやられ、しかしその度に即時の蘇生を果たしていた。


 ――有り得ない。


 少なくとも[タクティクス・クロニクル]において、そのような能力は確認されていない。配下の蘇生に関しては(プレイヤー)しか行えないという大原則が存在するからだ。それも【転生】しない限り、二度までしか行えないという上限設定まである。


 そんな中で七度以上の自己蘇生を果たす特殊能力。これはどう考えても異常だ。ヘリアンの知らない固有能力(ユニークスキル)という線も可能性としては有り得るが、七度以上の蘇生を可能とする固有能力(ユニークスキル)など非常識にも程がある。

 とあるワールドの超大国が宇宙進出を果たした際にもゲームバランスの崩壊が取り沙汰されたものだが、それに勝るとも劣らぬ特異現象だ。


「ぐッ……!」


 不意に、激しい痛みが頭蓋を貫いた。

 普通の頭痛ではない。ラテストウッドの首都で秘奥を乱用した際にも感じた特有の激痛だ。恐らくは【生命力】が枯渇しつつあるのだろう。


 既に秘奥を何度も使っている。

 いかにリーヴェの秘奥が実用的で高コストパフォーマンスな代物だとしても、何度も繰り返し使用すればいずれヘリアンの【生命力】は底を突く。


 だが、秘奥抜きで渡り合えるほど易しい敵ではないのだ。


秘奥発動宣言フォビドゥンファンタズム:〝鮮月ノ戦化粧(ブラッディメイク)〟」


 新たに発動させたのは、当該戦闘における累積ダメージが最大HPの五割を超過した条件下でのみ使用可能な身体強化系に属する秘奥だ。

 〝紅月ノ加護〟並の強化倍率を誇り、更には〝朱月ノ聖痕〟と同様の刻印を二画固定で付与するという効果を持つ。


「――く、ァ……ッ!」


 その代償として頭痛が増した。

 頭蓋に押し付けられていた見えない釘が鋭さを増し、深く奥へと食い込んでいくような感触(イメージ)。爪が食い込むほどに強く拳を握り、苦悶の声を噛み殺す。

 己の苦痛を悟られてはいけない。そのような無様を晒せばリーヴェの精神状況が乱れる。ただでさえギリギリの戦闘に身を置くリーヴェに、自身の苦痛を悟られるわけにはいかなかった。


 しかし、魔人形態に戻ったことで鋭敏な感覚を取り戻した月狼の五感は目聡く主の不調を嗅ぎ取った。瞬きの間すら惜しむ高速戦闘の最中において、本能にまで至った忠義心に似た何かが『王の身を気遣え』と彼女の脳内で喚き散らす。

 それを、


「構うなリーヴェ! (まえ)だけ見ていろ!!」


 他ならぬ王の声が止めた。

 一瞬の逡巡。

 それでも割り切れきれないリーヴェの迷いを、


「貴様の王は、この程度で膝を突く男か!?」


 一言で切って落とした。

 もはや月狼は振り返らない。

 ここで振り返っては王に唾を吐く行為に等しい。

 故に月狼は敵だけを見据え、一分一秒でも早く命令を完遂すべく疾駆する。


「……、……ッ!」


 その背を視界に収めつつ、苦痛を堪えるヘリアンは生命力を回復させる為の水薬(ポーション)を手にとった。この戦闘で既に一本使用している。これが二本目であり、そして手持ちの最後の一本だ。


 生命力の水薬(ライフポーション)はかなり希少な代物(アイテム)であり、ラテストウッドの首都での一件で殆ど飲み干した。残り少ない在庫も、この世界での植生でも同様の効果を発揮する水薬を作れるかどうか研究する為の試薬として第四軍団の研究班に提供しており、本国から持ち出せたのはこの二本のみだったのだ。


 後々のことを考えればなるべく温存しておきたかったが、思考が纏まらない程の苦痛に襲われている現状ではそうも言っていられない。片手で蓋を外して中身を呷れば、頭痛の残滓(ざんし)はあるものの苦痛の度合いはマシになった。どうにか思考能力を取り戻したヘリアンは改めて<仮想窓(ウィンドウ)>越しに戦場を見据える。


 リーヴェは蒼騎士に既に七度の死を与えているが、その過程で負った彼女のダメージも決して軽くは無い。自己治療系スキルで負傷を癒やしてはいるが、他にも様々なスキルを使用している。これでは体力の前にまず保有魔力が枯渇するだろう。勝率は刻一刻と下降線を辿っている。決着を急がなくてはならない。


(考えろ……!)


 あの不死身性に隠された絡繰りを。

 あの騎士を打倒する為の術を。

 あの従者を勝利に導く為の勝ち筋を。


 考えるべきことはソレだ。

 元より戦闘能力の無い(プレイヤー)の役割、その本質は自勢力を勝利に導く為に思考を重ねることにある。

 戦う前に勝つのが真髄だが、想定外の戦闘が発生するケースとて当然存在した。

 いざそのような場面に追いやられた時、配下任せで黙って戦闘を眺めているような(プレイヤー)は三流以下である。


 蒼騎士は頭蓋を砕かれる度、心臓を撃ち抜かれる度、死を超越して即座に完全復活している。だが真に不死身の存在など居ない。古今東西、不死身性には大抵ギミックや条件があるものだ。バルドルにとってのヤドリギやジークフリートにとっての菩薩樹の葉のように、神話に名高き不死身の英雄ですら死に至る要因を有している。ならば蒼騎士の不死身性にも何らかの仕組みが存在する筈であり、その絡繰りを見抜けなければ勝ちの目は無い。


 もし仮に真に不死身の存在であるならば諦めるしかないが、諦観という選択肢は既に捨てた。数多ある<仮装窓(ウィンドウ)>を凝視し、熱した脳で思考を重ねる。


「――……ッ!」


 その時、一際強くリーヴェの身が弾き飛ばされた。

 今しがたの一撃は相当に強烈だったのか、リーヴェは受け身を取ることも出来ずに背中から落下した。そこから態勢を立て直すまでには一瞬という名の致命的な時間を要する。彼我の状況を正確に把握したリーヴェは、己の絶死を幻視した。


 しかし、顔を跳ね上げたリーヴェが視たのは首を刎ねに来る必殺の剣身ではなく、その場で五十を超える雷電球を作り出した蒼騎士の姿だった。まるで予期しない行動。連続で射出された紫電の弾丸を前に、近接攻撃に備えようとしていたリーヴェは完全に不意を突かれた。障壁の展開が間に合わないことを瞬時に悟り、愚策を承知で左腕を盾にする。


 直後、幾千の唐竹を割ったような雷音が轟いた。


 目が潰れる程の閃光と雷に晒された致死領域から、リーヴェは辛くも脱出を果たす。だがその代償として左腕は炭化したように黒ずみ、全身から感電の煙を発していた。

 著しい大損傷(クリティカルダメージ)。一瞬でも対応が遅れれば全身が丸焦げになっていたであろうことは想像に難くないが、片腕を犠牲にして防いだ結果でさえこの有様だ。リーヴェは柳眉を苦渋の形に歪め、残り少ない魔力を消費して左腕の治癒に当てる。


 回復の時間を捻り出す為、可能ならば間合いを開けたまま牽制し合う状態に持ち込みたい場面ではある。だが後手に回ればこのまま押し切られるであろう予感があった。リーヴェは左腕の治癒を最低限で切り上げ、すかさず間合いを詰めて幾十度目かの接近戦を挑みかかる。


 そして、<記録(ログ)>から抽出された戦闘記録を通じてその一部始終を見届けたヘリアンは、己の心に強烈な疑問を生んだ。


(――――なんだ、今の?)


 今の魔術攻撃はリーヴェにとって予想外のものだった筈だ。過去の戦闘経験から照らし合わせればギリギリ間に合ったであろう障壁の展開、その最低限の防御行動すら出来なかった余裕の無さが不意を突かれた事実を示している。


 その結果、予想外の攻撃を受けたリーヴェは甚大なダメージを被った。自己治癒スキルによる回復もまるで追いついておらず、このままでは遠からず押し切られて敗北するのは必至だ。その悪夢的な未来を決定づけるほどの攻撃だった。


 ――だからこそ、腑に落ちない。


 何故ならば今のはリーヴェにとって致命的な――そして蒼騎士にとって絶好の機会だったからだ。予想を外した魔術攻撃など行わずとも、すかさず間合いを詰めてリーヴェの首を刎ねに行っていれば闘いは終わっていた筈だ。

 だからこそ、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


(何故わざわざ魔術攻撃を選んだ? どうしてトドメを刺しに来なかったんだ?)


 詰めが甘い、という線は無い。それは今に至るまでの情け容赦の無い攻撃の数々で実証されている。

 ならば嬲り殺しにでもしたいのか。いや、それも有り得ない。ここまでの蒼騎士の行動はリーヴェを速やかに殺しにかかるという点において一貫している。

 もしくは自らの安全性の高い攻撃手段を選択したのか。愚問だ、もっと有り得ない。蒼騎士の最大の長所は何度殺しても蘇る不死身性だ。自身の身の安全を考慮した戦術などナンセンスにも程がある。


 では何故、トドメを刺せる筈の場面で剣による一撃ではなく魔術攻撃を選んだのか。何故、戦いを長引かせるような戦術をあの場面で選択したのか――


「……いや違う。そうじゃない」


 ヘリアンは己の思考に軌道修正を要求する。

 蒼騎士にとっての絶好機に、接近戦ではなく遠距離攻撃を行ったという事実。

 それは見方を変えれば、


「リーヴェに近づきたくなかった? もしくは、その場を動きたくなかった?」


 これまで合理的にリーヴェを殺しにかかってきていた蒼騎士が見せた、初めての非合理的な行動。致命的な一撃を与えられたであろう場面で、あえて遠距離攻撃を――言い換えればその場を動かずに行える攻撃手段を選択したという事実。

 そこに明確な要因があることを感じ取ったヘリアンは、常に最前線へ身を投じ続けてきた(プレイヤー)としての直感から、敵性ユニットの不可解な行動パターンの解析を己に強要した。


 思考操作と手動操作を組み合わせ、最短最速の動きで<記録(ログ)>から蒼騎士の移動情報のみを条件指定して抽出(フィルタリング)。そして視界右側に配置されていた<地図(マップ)>の一つに対し、抜き出した移動情報を反映させる。そうして記された蒼騎士の光点の軌跡は――


「殆どが一定範囲内に留まって……」


 但し例外もある。リーヴェによって彼方に蹴り飛ばされた際の<記録(ログ)>では、蒼騎士の位置情報は遥か離れた地点まで移動していた。しかし即座に復帰し、ダメージを思わせない苛烈さで容赦なくリーヴェに反撃している。


 つまりは離れたからといって蒼騎士の身に何かが起きるわけでもない。この一帯から蒼騎士を遠ざけても不死身性は損なわれない。一定範囲外で一度死亡している事実からもそれは既に実証されてしまっている。ならば、


「離れられない法則(ルール)はなくとも――離れたくない理由(ワケ)がある?」


 ふと口をついて出た疑問。

 そこから生まれた連想が蒼騎士同様にリーヴェの挙動を解析することを望んだ。

 ヘリアンの指先が独立した別の生き物のように稼動し、視界中央へ新たに解錠した別の<地図(マップ)>にリーヴェの移動情報を反映表示させる。


 リーヴェは脆弱なヘリアンに戦いの余波が及ばぬよう、細心の注意を払って戦い続けている。視界正面に浮かべた<仮想窓(ウィンドウ)>に映る挙動からも、その事実を読み取ることが十分に可能だ。そして、その右隣りに浮かべる蒼騎士の移動情報を反映させた<仮想窓(ウィンドウ)>にもまた、リーヴェのそれと類似する動きが存在していた。


 単品で見たときには分からなかったその挙動は、並べて比較すれば明らかな共通事項として浮かび上がる。そして蒼騎士の移動情報が象る円の中心点には、とある物体が存在した。その事実がヘリアンの思考を導き、やがて一つの発想へと至らせる。


「――――」


 馬鹿げたことを仕出かそうとしている。

 そういう自覚はあった。

 なにせ確信には至っていない。

 ひょっとしたら今思いついたこれがまるで見当外れな可能性もある。

 そうなればただの無駄死にだ。

 下手をすればリーヴェの足を引っ張っただけの結果に終わるだけかもしれない。


 けれどヘリアンはそうではない可能性に賭け、決断し、そして駆け出した。


「なっ……!?」


 リーヴェが愕然と瞳を見開く。

 もし仮にこの場所に第三者が居たのなら、同様に驚愕していただろう。

 それも当然と思える程の暴挙だ。

 頭がイカれているとしか思えない。

 ヘリアン自身でさえ正気じゃないなと自覚する始末である。

 ああ、そうだ。

 こんなもの正気の沙汰じゃない。

 脆弱な人間の分際で、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()などと。


「――……っ!」


 呼吸を止めて突っ走る。

 全速力のその走りはしかし、蒼騎士や月狼と比較すれば鈍亀よりも尚遅かった。

 だがそんな事は分かり切っている事実であり、走りを止める理由にはならない。

 故にヘリアンは全力という名の勢いで手足を稼動させ、目的地までの最短距離をひた走る。


 それは、本来ならただの暴挙で終わっていた。

 荒れ狂う嵐海に身を投げ出すも同然の自殺行為だからだ。

 ヘリアンの肉体はか弱い人間のそれでしかない。

 誰が手を下さずとも、流れ弾がカスっただけで簡単に即死するだろう。

 神話級脅威にとっては気を止める必要すら無い脆弱な乱入者。

 しかしその存在に過敏に反応した者がいた。


 ――蒼騎士だ。


()()()()()()()()()()()()()ッ!!」


 蒼騎士はグルリと首を動かして乱入者(ヘリアン)を凝視した。

 スリットから覗く敵意の眼光が凄まじい密度を帯びて刺さる。


 ――怖い。


 激しく打ち鳴らされる鼓動。

 視線の先に居たヘリアンが感じたのは純粋な恐怖だ。

 いかに万魔の王の仮面を被ろうと、いかに心奮い立たせようとも、生物的な本能から生じる原初の恐怖は殺しきれない。


 なにせ戦士でも何でもない自分にさえ感じ取れるほどの濃厚な敵意だ。

 ウェンリの時も体験はしたものの、蒼騎士が放つそれは比ではない。

 “殺意”を向けられているという端的な事実が生存本能を刺激し、今すぐ逃げ出せという悲鳴のような警告が脳内で喚き散らされる。


 ――ちくしょう、怖え。


 胸の内で弱音が漏れる。

 歯の根が噛み合わず心臓は今にもはち切れんばかりにうるさい。

 気を強く持っていなければ意識が飛んでしまいそうだ。

 震える足は今にも止まってしまいそうになる。


 だが、その殺気を遮る者が此処に居た。


「無礼が過ぎるぞ騎士崩れ!!」


 両者の間に身をねじ込み、己を盾にしたリーヴェが蒼騎士の突撃を食い止める。

 そして彼女は両腕の刻印を全身強化に費やし、ヘリアンを狙って繰り出された蒼騎士による斬撃の尽くを迎撃した。


 その代償として全身に無数の裂傷が刻まれていくもリーヴェは怯まない。むしろそのような痛みなどどうでもよくなる程の強烈な感情に囚われていた。今の彼女の心を満たすのは主の首を刎ねようとした怨敵に対する純粋な怒りだ。

 その原始的な感情に突き動かされるようにして、血塗れの月狼は蒼騎士の前に立ちはだかり続ける。


 だが、現実は相も変わらず無情だ。

 甚大なダメージを被った月狼に蒼騎士を留め続ける力は残されていない。

 蒼騎士が一際強く振るった騎士剣による一撃は、ついに月狼をその場から吹き飛ばした。


 彼我の距離が絶望的なまでに広がる。

 蒼騎士が身体ごと向き直り、下手人(ヘリアン)を追おうとする。

 けれど蒼騎士が一歩を踏み出す寸前に、ヘリアンは叫んだ。


秘奥発動宣言フォビドゥンファンタズム:〝天地を喰らう(グレイ)悪狼の縛鎖(プニル)〟――ッ!」


 宣言に突き動かされ、リーヴェの左手が遠く離れた蒼騎士に向けられた。

 幾百の鎖を纏めて束ねたかのような異音が戦場に鳴り響き、彼女の左腕装備として巻き付いたその縛鎖は、妨害系スキルに属する秘奥の顕現だ。

 翳した左手から放たれた縛鎖は意思を持つかの如く蒼騎士の躰を幾重にも拘束し、その場に硬く縫い止める。


「が……ッ、あ、ァ……ッ!」


 だが、その反動は凄まじかった。

 リーヴェの秘奥は誰よりも使い込んでいるだけあって熟練度が高く、高コストパフォーマンスを誇る代物が多いが例外もある。

 今しがた発動した〝天地を喰らう(グレイ)悪狼の縛鎖(プニル)〟がそれに該当した。

 対象の状態異常耐性を完全に無視し、短時間ながら絶大な行動阻害効果を齎すこの秘奥はリーヴェ=フレキウルズを統括軍団長たらしめている要因の一つである。


 そして、その生命力消費量は四割強。

 ラテストウッド首都にてヘリアンに地獄の苦しみを齎した〝慈天の祈祷(インヴォーク)〟に迫る消費量だ。


「…………ッ!!!」


 頭蓋が串刺しにされる感覚。

 同時に身体の内側から何かが貪られていく。

 本来体内に格納されていなければならないものが半分近く食い千切られた。

 身を襲う苦痛よりもその喪失感にゾッとする。


 ――問題ない。


 リーヴェ=フレキウルズの使用する秘奥の生命力消費量は熟知している。

 この程度で【ヘリアン】は死亡しない。

 そういう確信があった。

 だったら後は三崎司(じぶん)が耐えればいいだけのこと。

 ただそれだけの簡単な仕事だと己を騙し、死にかけた足に活を入れる。


 目的地まで残り十メートル。

 その道中で足元に散乱していた残骸の一つを拾い上げた。

 半ばから折れた直剣だ。

 剣身が半分しか残っていないものの鉄の塊はズシリと重い。

 自分の細腕では数度も振るえないだろう。

 けれど一度振り上げて叩きつけるぐらいならば出来る。

 そしてそれだけで十分だ。


 遂に目的地へと辿り着くと同時、手にした得物を大きく振りかぶった。

 そうして蒼騎士が一定以上離れようとしなかった中心地――即ち蒼騎士が背を預けていた台座、そこに鎮座する『水晶玉』目掛けて渾身の力で振り下ろす。

 鈍器として叩きつけられた鉄塊(つるぎ)が、水晶玉に歪な罅割れを生んだ。


 ――反応は劇的だった。


()()()()()()()()()()()――――……!!?」


 幾百の硝子(ガラス)が飛散したような音を立てて、空間が破砕する。

 無数の石柱が乱立していた空間は現実に回帰し、無限に広がっていた果ての無い戦場は有限な大広間へと転じた。


 同時に、蒼騎士の身にも異変が訪れる。

 〝天地を喰らう(グレイ)悪狼の縛鎖(プニル)〟の束縛から解き放たれた蒼騎士は天を仰ぎ、苦悶に満ちた絶叫を周囲に響かせた。まるで失ってはならない何かを絶たれたことによる断末魔のようだった。悶え苦しむその様は、今しがた破壊された水晶玉が蒼騎士にとって致命的なナニカであったことを示している。


 千載一遇の好機。

 もはやアレは不死身の怪物ではなく、打倒可能な脅威に過ぎない。


「ぐ、ぁ……ッ!?」


 そして、ヘリアンもまた限界だった。

 生命力が半減した状態で無理に身体を動かした弊害(ツケ)か、思考には濃い霧がかかり、四肢も言うことを聞こうとしない。


 その背に向けて蒼騎士は襲いかかる。

 蒼騎士はこの期に及んで何も諦めていない。

 苦悶の表現を殺意に換え、罪人を裁くかの如く騎士は剣を振り上げた。

 人間であるヘリアンに避けられる道理は無い。

 逃れ得ぬ死が襲ってくる。

 けれどヘリアンには一つの確信があった。

 其処にいる筈だという絶対の信頼があった。

 故にこそヘリアンは禁断の文言を口にする。


秘奥発動宣言フォビドゥンファンタズム:〝朱月ノ聖痕ヴァーミリオンスティグマ〟!!」


 己が身を断崖から突き落とす言の葉。

 瀕死の身体から命が貪られていく感覚。

 ヒュ、と喉から押し出される吐息には死の味が混ざっていた。

 祭壇に凭れ掛かるようにして崩折れていく身体。

 しかし膝を突くことだけは許さないと叫ぶものがあった。

 最後に残された力、意地とでも称すべき感情を糧にして堪え、振り向く。

 果たして彼女は其処に居た。


 ――だから、叫んだ。


「リイイィィィィィヴェエェェェェェェェェェ――――ッッ!!」


 高らかに告げる名。

 勝利を託す絶叫。

 月狼は咆哮で応じた。


「ルウウゥゥゥゥゥウオオオオオオオオオオオオオオオオォォ――――ン!!!」


 月狼の咆哮(ハウリングムーン)

 強化スキルの重ね掛けにより基礎戦闘能力(ステータス)は限界値に到達した。

 〝朱月ノ聖痕ヴァーミリオンスティグマ〟による刻印付与の成功判定は八回中七回。

 即座に二画を費やし全身強化。

 秘奥による強化は限界を超えて力を与える。

 刻印の残数は五画。

 地を蹴る右足に一画を費せば前方への射出という現象を生んだ。

 飛翔する刹那の間に残された刻印の全てを右拳に集約。

 全四画同時起動。

 撃滅の威を孕んだ拳は振り下ろされた騎士剣を打ち砕き、怨敵目掛け疾駆する。


「――――――――――――――――――――――――ッ!!」


 その声は果たして誰のものか。

 神域の決闘場にして騎士の処刑場たる広間が絶叫で満ちる。

 そして撃滅の意を託された月狼の右拳は蒼騎士の一切を凌駕し、何一つ過つことなくその核を撃ち貫いた。




・次話の投稿予定日は一時間後の0時です。



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