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第二十一話 「迷宮探索」

 中学一年生の頃、とあるダークファンタジーゲームをプレイしたことがある。


 三崎司が[タクティクス・クロニクル]に出会う以前の話だ。

 [ディープウォーカー]というタイトルの、ダンジョン攻略系ゲームである。

 <全感覚投影式>こそ採用されていなかったものの、リアル系演出に定評のあるゲーム会社から発売されたこともあって、コアなファンから人気を得た作品だった。


 しかし残念ながら一般大衆からはそこまで人気を得られなかった作品だ。

 そもそもダークファンタジーという分野が大衆受けし辛いという事情もあるが、血飛沫やら死体やらの演出がリアル過ぎて一般人ならドン引きするレベルだったのである。少なくともファミリー向けでなかったことだけは確かだ。


 そして攻略難易度のシビアさもコア層向けに拍車をかけた。

 主人公が挑むダンジョンでは落とし穴は序の口として、巨石転がし、杭針がびっしりと植え付けられた吊り天井、狭い室内を飛び交う毒矢、風切り音を鳴らす振り子の大鎌など、殺意全開の罠が至るところに設置されているのである。

 その嫌らしくも絶妙な配置の仕方ときたら「さあ死ねすぐ死ねそこで死ね」という制作陣の声が聞こえてくるようだ。


 更に言えばモンスターも強く、開始五分の雑魚キャラに四回も殺された。

 易しい難易度(イージーモード)でスタートしたにも拘らずに、だ。

 何度も殺された挙げ句、神経を研ぎ澄ませてようやく最初の雑魚キャラを倒したと思いきや、次の部屋に入るなり巨石落としの罠で轢殺された際には「なんとしてもぶっ殺す」という制作陣の執念すら感じられたレベルである。


 そんな過去の記憶を掘り返しながら、ヘリアンは思うのだ。

 プレイヤーの分身たる主人公は、そのダンジョンがさぞかし理不尽な代物に見えたに違いないと。


 ――そして。

 そのような罠の数々を力技で突破する配下達は、それ以上に理不尽な存在に見えるに違いないと。


「気をつけてくれ。この広間には踏んだら罠が作動するタイルがあってな、決められた歩き方をしないと吊り天井が落ちてくる。踏んでもいい床は罠が作動する度に変わるんで毎回慎重に調べなきゃならん。悪いがちいと時間を……」

「ふぅん。じゃあ天井が落ちないように支えを作ればいいわけよね?」


 十階層。

 無詠唱で発動した土魔術により、地面から大樹のような石柱が生えた。数十の柱が天井に突き刺さり、絶対に落ちてこない状態になった部屋を一同は悠々と進む。

 ビーゲルは呆然としていた。


「……この扉は各部屋にある宝玉に魔力を注がないと開かない仕掛けになってる。宝玉は全部で十二箇所に分散されて置かれてるんだが、分散して移動すると各個撃破される危険がある。ここは時間をかけてでも全員で十二箇所を巡って……」

「そんな悠長な真似しねえでも扉ごとぶっ壊せばいいじゃねえか。誰も困らねえだろ?」


 十五階層。

 二階建ての家屋程もある高さの鉄扉に棍棒(メイス)が叩きつけられた。一発でひしゃげた扉の残骸が吹っ飛んでいき、下手人の大男(ガルディ)は悠然と次の部屋へ足を踏み入れる。

 ビーゲルはあんぐりと口を開いていた。


「やべえ……迅雷豹(ギクル)共の唸り声が聞こえる。それも十や二十じゃねえ、次の部屋は魔獣溜まりになってやがるな。本来はこんな階層に居るような魔獣じゃねえんだが、どうやら迷宮暴走の影響で浅層まで逆流したらしい。こりゃあ手前の狭い通路に誘導して、一匹ずつ数を減らすしか……」

「じゃあ燃やすわ。部屋ごと全部。燃え尽きたら換気してから進みましょう」


 二十階層。

 魔獣が蠢くモンスターハウスが入り口から焼き払われた。決して狭くはないその部屋に瞬く間に業火が満ち、三十秒ほどで魔獣の断末魔が途絶えた。

 ビーゲルはとうとう無言になった。


「――しっかしまあ、なんとも罠やら仕掛けやらが多いダンジョンだなココ。面倒くせえったらありゃしねぇ」


 そうして二十五階層。

 罠も無く魔獣も居ない小部屋にて、一同は大休息を取ることにした。まるで疲れた様子の無いガルディが何の気なしにぼやく。


 ビーゲルは死んだ魚のような目でガルディ達を見ていた。無理もないとヘリアンは思う。なにせおよそ正攻法とは似ても似つかぬ力技での強行軍だ。安全を最優先させた結果とはいえ、眼の前で繰り広げられた光景はビーゲルの知っている迷宮攻略とは色んな意味で違い過ぎるのだろう。


 罠や仕掛けの数々でさえそうだが、戦闘などはもっと酷い。完全人化形態で種族特有の嗅覚や聴覚が失われているものの、歴戦の戦士たる軍団長の五感は鋭敏である。行く手を阻む魔獣は姿を現す前から捕捉され、戦闘開始(エンカウント)戦闘終了(ターンエンド)がほぼ同時という有様だった。もはや作業だ。


「まあそれも後ちょっとの辛抱ね。目的の三十階層まで残る五階層。なるべく夕方までに地上に戻りたいところだけど」

「だな。どうせなら宿で飯食いてぇ。持ち込んだ糧食は味はともかく量がなぁ」

「……えぇと。普通なら三十階層までの往復で丸一日以上はかかるのですが」


 護衛対象であるシオンが控えめに発言した。

 彼女は数年前にも、儀式の継承の為にこの迷宮に潜ったことがある。

 その際は、現在は城砦に詰めている境界騎士団の精鋭からなる護衛団と共に三十階層を目指したが、幼いシオンの体力が少なかったこともあり丸二日かかった。


 それが、今回は探索からまだ半日も経っていないのに既に二十五階層である。

 一流の迷宮探索者(サーチャー)からなる冒険者パーティの三十階層最短探索記録が七時間強だった筈だが、それに迫る勢いだ。


「……自慢の従者ですので」


 リーヴェが淹れてくれた紅茶を手にヘリアンは答える。

 今回はミルクティーだ。王室御用達の茶葉とミルクは迷宮という陰惨とした場所でも心地よい味わいを与えてくれる。リリファが居ない現状、唯一といっていい癒やしの時間だ。これが本当のロイヤルミルクティーかと、そんな馬鹿みたいな感想を思いながら紅茶を味わう。


「こないだの迷宮暴走ダンジョンスタンピードで相当なもんだというのは分かってたが、ここまで滅茶苦茶だとは思わなかったぜ……。あんな方法、やれるやれない以前にそもそもやろうって発想が湧かねえよ、普通」

深淵探求者シーカーや高名な特級冒険者の方達は、これ以上のこともやってのけると聞きますが?」

「そりゃ出来る奴もいるかもしらんが、比較対象がオカシイだろ。ましてや、そこの姉さんみたいな術者は見たことがねえ」


 ビーゲルの視線の先には、レモンティーを熱そうに啜るセレスの姿がある。


「無詠唱魔術を生で見たのは初めてだがよ、触媒の消耗具合は大丈夫なのか? 無詠唱は触媒に負担をかけると聞くが」

「……別に、問題ないわ。森の民から譲ってもらったんだけど相性がいいみたいでね。魔力も十分残ってる。心配しなくて結構よ」


 セレスは偽装用に身に着けた腕輪を見せて言う。

 この世界の魔術師同様、触媒を使って魔術を発動したように見せかける為の飾りに過ぎないが、高純度の紅魔石が埋め込まれていた。


「その腕輪。もしかして深淵森(アビス)の素材を使ってるのか?」

「ご明察。深淵探求者(シーカー)が持ち帰った素材を森の民が加工したらしいわ。たしか……そうそう、ラテストウッドとか言ったかしら。そこの国の職人が作ったそうよ」

「ラテストウッド……? そりゃ深淵探求者(シーカー)なら立ち寄るだろうが、あの国にそこまでの逸品を作れるような職人が居たか?」

「さあね。けど、最近流れの旅人が住み着いたらしいわよ。どうにも変わり者のドワーフだかコロボックルだからしくて、ソイツが作った装備なんだって。直接会ったわけじゃないし偶然手に入れた物だから詳しいことは知らないけど」

「ほう……いや、けど納得したぜ。深淵森アビスの素材を使ってるんならあれだけの大魔術を使えてもおかしくない。なあ、アンタの棍棒(メイス)や大斧もそうなのか?」

「あん? …………ああ、そうそう。そうだ。うちの大将がソイツから買い上げてくれたんだよ、これ。なかなか頑丈なんで重宝してンぜ」


 セレスがジロリと睨むと、ガルディは思い出したように回答を口にした。


 二人からの説明を受けたビーゲルは納得したというように頷く。

 彼ら彼女らの異常な魔術の腕前、突き抜けた攻撃力の要因の大部分は、優れた装備に起因すると解釈したのだ。


 深淵森アビスから採れる素材は希少なものばかりである。そして、この大陸における最高峰の武器防具には、深淵森アビスの素材が使用されていることが多い。そんな代物を使っているとあらば、ここまでまざまざと見せつけられた実力にも納得できる。そういう理屈だ。


 ――勿論、実態は違う。

 二人が使っている装備は、アルキマイラの軍で制式採用されている一般装備の型落ち品。練習用に使われるような代物である。今見せた暴威の数々はあくまで当人らの実力所以だ。


 しかしながら、ビーゲルがその理屈で納得してくれたなら好都合だ。同時に狙い通りでもある。事前に作っておいた設定が功を奏した。

 ヘリアンの従者達は高位冒険者相当の実力を誇る一派であり、そしてただそれだけの存在である。この世界にとっての脅威となるような化け物ではない。周囲からそのように認識されていれば問題は無い。


「そろそろ出発しましょうか」


 シオンが声を放つ。

 まだ十五分ほどしか休憩していないが、護衛対象であり一団の中心人物であるシオンが言うのなら否やはない。それなりに鍛えているというのは本当らしく、立ち上がった足腰はしっかりとしていた。


 もしかしたら自分が一番ひ弱かもしれないな、と思いつつヘリアンも立ち上がる。多少の疲労感はあるが幸いにも身体は健全だ。ヘリアンは従者達に合図をして、次の階層へと足を進めた。





    +    +    +





 それからの道中も特筆すべき事のない、あっさりとしたものだった。


 罠の類は減ったものの魔獣の数はむしろ増加している。深層から魔獣が遡ってきたといっても潜るほどに強くなるという傾向は変わらないのか、一階層を降りる毎に魔獣の強さは深みを増していった。


 しかし、ガルディ達の手を煩わせる程のものではない。大斧を振るう度に黒妖犬(ウガル)は肉塊へと転じ、褐色の腕が魔術を編む度に迅雷豹(ギクル)の群れは灰になった。接敵と殲滅がほぼ同時に発生している。まさしく快進撃だ。


「たかが三十階層とはいえ、こんな楽な迷宮探索は初めてだぜ。なあお嬢様、俺らの報酬ってちゃんと満額出るのか? 罠が少なくなってからこっち、殆どなんにもしてねえんだが」

「ご安心くださいませ。父は嘘を……つまらない嘘は山程吐きますが、契約に関する嘘は決して口には致しません。必ず報酬は支払われます」

「そりゃありがたい――と言いたいとこだが、それはそれでちいと気が引けないかリーダー? 殆ど寄生も同然だぜ、今の俺達」

「……思っててもそれを言うなよ」


 安全地帯でも無いのに、そんな会話を交わす余裕まである。

 どうやらビーゲル達は見かけによらず真面目な気質らしい。楽して大金を得られてラッキーだと捉えても良いと思うのだが、額面通りの報酬を受け取るのに抵抗があるようだ。


 ……いや、大金だからこそか。


 彼らはその金額に見合った危険(リスク)を承知の上で、この仕事を引き受けた。そこにはある一定の覚悟が――それこそ万が一の場合は命を喪うことも想定した覚悟があった筈だ。


 しかし蓋を空けてみれば、かつて無い程に楽な行程と進軍速度。金額に見合った覚悟の必要ない仕事内容だ。そのような有様であっさりと大金を手にするのは、彼らの冒険者としてのプライドが許さないのかもしれない。


(違いない、その筈だ、かもしれない、か……。所詮は想像の世界だな)


 頭を振って益体もない考えを追い払う。

 特段苦労を知らない平凡な人生を歩んできた自分だ。危険に満ちた仕事で生活の糧を得てきた彼の心境を想像したところで、正確な答えには辿り着けまい。


 従者に守られる中、そっと自分の両手を見る。目立った傷もない、苦労を知らない掌だ。剣ダコや深いシワの刻まれた騎士達やビーゲル達の手とはまるで違う。そのことが少し恥ずかしく思え、ヘリアンは両手を握り込むことで掌を隠した。


「ほい。いっちょあがりっと」


 気楽な調子でガルディが大斧を振るう。

 セレスが発現した土杭で串刺しにされた岩石傀儡(ロックゴーレム)が、横殴りに飛んできた極厚の刃で真っ二つになった。上半身が猛烈な勢いで背後へ吹っ飛んでいき、壁にぶつかって砕けたのを合図に残された下半身が崩折れる。


 既に到達階層は三十階層。

 次階層へと続く門とは別の、儀式用の祭壇に続くという扉の前に立ち塞がっていたこの岩石傀儡(ロックゴーレム)が最後の敵だ。


「……この扉を見るのも、随分と久しぶりですね」


 残骸と化した岩石傀儡(ロックゴーレム)を尻目に、シオンは固く閉ざされた扉の前に立つ。

 懐から取り出したのは水晶体で刀身を形成した短剣だ。柄にも細微な装飾が施されていることも含め、その短剣の用途は戦闘ではなく儀式に限定されていることが伺える。


 シオンはその刃を右の掌にソッと走らせ、僅かに流れ出した鮮血を水晶体の刀身に垂らした。そのまま薄い朱に濡れた短剣を扉の鍵穴に差し込む。

 すると、刃を受け入れた扉は波紋のような光を走らせ、左右に分かれる形で正当な来訪者を迎え入れた。騎士に脇を固められたシオンが前に進み出て、ヘリアンやビーゲル達が後に続く。


「おお……こりゃあ凄え」


 扉を潜ったビーゲルが内部を見渡すなり感嘆の声を漏らす。

 広間は清廉な光に満ちていた。

 決して眩くは無い、蛍のように仄かな光だ。

 広間の中央には階段五段分ほど高い位置に祭壇が備え付けられている。

 いや、祭壇というよりもこれは舞台だろうか、とヘリアンは思う。


 全員が部屋に入ると、扉は誰が触れることもなく閉まり始めた。

 閉じ込められるという発想が一瞬浮かんだが、シオンや騎士達が平然としているので予定調和なのだろう。

 扉が最後に音を立てて閉まった後、騎士たちは閉ざされた扉の前で護りを固める。万が一を想定した、外部からの侵入者を防ぐ布陣である。


「……それでは、早速ですが“調律”を始めます」


 “調律”の儀式の前準備なのか、清水で髪を湿らせたシオンが告げた。

 祭具と思しき長柄の杖を携えたシオンは僅か五段の階段を一歩一歩踏みしめ、ゆったりとした足取りで舞台に上がっていく。

 その光景を見守る誰もが無言だ。

 皆が静粛に身を包む中、数多の視線の先で、シオンは“調律”を開始する。


 始まりは鈴に似た音色だった。

 長柄の杖を振るなり、シャン、と涼やかで清らかな音が広間に満ちる。

 しかしそれを邪魔するかのように舞台の端から鳴動が届いた。

 シオンはその震えを抑えるようにして(くる)りと舞いながらステップを踏む。


 舞はその繰り返しだった。

 杖を振る手で鈴音が連なり、時折それを遮る無粋な鳴動がある。

 舞う足は震えを追うように動き、やがて鳴動の回数が減っていく。

 舞台の上、濡れた黒髪に松明の火を映すシオンの姿に、誰もが静謐に身を浸すことを選んだ。


 それから十分足らずという時間の舞いにより、鳴動はほぼ消失した。

 最初は舞台の端から端まで身を動かしていたシオンも、今では舞台の中央で舞ったまま移動しようとしない。それから三分程鈴音だけが響く時間があり、そうして確信を得たシオンは舞台の中央で舞いを締めた。


 誰からともなく、ほぅ、という感嘆の声が上がる。

 恐らくはビーゲル達か騎士の誰かとは思われるが、感嘆の声を漏らすのも納得の一幕だった。


「――“調律”に成功しました。迷宮の魔素は完全に安定を取り戻しています」


 満足気に告げたシオンの言葉に、騎士達は安堵の表情を見せた。

 これで最も大事な役目は終えたことになる。

 まだ帰り道が残っているが、行きよりも難しいということは無いだろう。

 とりあえず最大の難関は乗り越えたわけだ。


 舞台の上、やりきった表情を見せたシオンは年相応の顔をしていた。

 額に汗を浮かべながら、静々と階段を降りようとする。

 しかし十五分以上の舞いでそれなり以上に体力を消耗していたのか、舞台から降りようとする際、僅かな段差につま先を引っ掛けた。前のめりに体勢が崩れる。


「……あっ」


 まずい、という表情に変わるシオンへ、近くにいたヘリアンが手を差し伸べた。

 段差があるとはいえたった五段だ。落ちても大事には至らない。しかし重要な“調律”を終えて気が抜けていたこともあってか、不意の出来事にシオンは必要以上に焦ってしまった。


 躓き倒れるまでの間、条件反射の動きで右手は助けを求めるように空を掻く。

 シオンの身体を支えて受け止めたヘリアンの頬に、右手の爪先が掠った。

 丹念に磨かれた指先の爪が微かに、ほんの僅かに、ヘリアンの肌に傷を作る。

 そこから滲んだ血が、刃によって右手を朱に染めていたシオンの掌に付着した。


 ――神の悪戯というべきものが存在するとすれば、これこそが正にそれだったのだろう。


 ヘリアンも、リーヴェも、セレスも、ガルディも、ビーゲルも、シオンも、辺境伯も、誰しもがまるで予想だにしていなかった現象が此処に発現する。


「――――えっ?」


 呆然とした呟きは果たしてどちらのものだったろうか。

 倒れかけたシオンの身を支えるヘリアン。

 その両者の足元で、突如として赤の魔法陣が煌めきを発した。

 光に包まれた二人を囲うようにして空間に揺らぎが生じる。


「て、転移現象!? ウソでしょ!」

「総大将ォッ!」


 セレスとガルディが咄嗟に駆け寄るも届かない。

 ヘリアンは咄嗟の判断でシオンの身を脇に突き飛ばした。

 そして、ヘリアンの最も近くに居たリーヴェが必死に腕を伸ばし、その指先がヘリアンの服の裾に触れる。


 次の瞬間。眩い光は臨界に達すると共にヘリアンとリーヴェの身体を包み込み、幻のように消えた。





    +    +    +





 ――まず、目眩が来た。

 次にヘリアンの身を襲ったのは衝撃だ。

 高所から地面に尻もちをついたような感覚があったが、同時にクッションのような柔らかさも感じた。


 なんだ、と疑問に思って手をつけば、更に柔らかな感触が掌に返る。

 混乱した頭のまま視線を下げると、そこには女性の身体があった。


「ヘリアン様! ご無事ですか!?」


 下から無事を問う声が飛んできた。

 ヘリアンは一瞬固まり、ええと、と思考する。

 そして再起動した脳が状況を理解するなり、慌ててリーヴェの上から飛び退いた。


「ッ、す、すまな――ああいや、無事だ。なんとも無い」


 頭を下げそうになったのをギリギリで堪え、まずは負傷が無いことを伝える。

 直ぐ様身を起こしたリーヴェは油断なくヘリアンの全身に視線を巡らせたが、やがて怪我がないことを認めてか、僅かな吐息と共に一つの頷きを示した。


「今のは……転移罠か?」

「どうやらそのようです。現在地が掴めません。セレスやガルディと完全に分断されました」


 油断していたつもりはないが、まさかここで転移罠とはな、とヘリアンは眉を寄せる。[タクティクス・クロニクル]における一般的な転移罠は、大別して条件式と地雷式の二種類だ。前者は一定エリア内で条件を満たした者を対象に、後者は指定した箇所に接触した者を対象に発動する。


 セレスの探査術式に引っ掛からなかったことを踏まえて考えれば、今回発動したのは前者の条件式だろう。考えられる既知の条件は……状況からして他ユニットへの接触か、滞在時間か、或いはダメージの発生といったところだろうか。

 だが、最後のダメージの発生判定だけは勘弁して欲しいところだ。幾らなんでも自分より小さな女の子にぶつかられたぐらいでダメージが発生したとは思いたくない。どれだけ脆弱だという話だ。


戦術仮想窓タクティカルウィンドウ開錠(オープン)選択(セレクト)地図(マップ)


 眼前に<地図(マップ)>を表示させたが、周囲一帯の地形情報がまるで表示されなかった。

 周囲の様子から察するに迷宮内部には違いなさそうだが、未踏破の場所に飛ばされたらしい。


 邪魔っけなフードを外して周囲を観察すれば、かなり広大な空間であることが見て取れた。大樹のように乱立する石柱ばかりが視界に映るも果てが見えない。合流するまで厄介そうだと顔をしかめる。


 続いて<通信仮想窓(チャットウィンドウ)>を開錠し、とりあえずはガルディとセレスへ連絡を取ろうとして、


「……接続不可? ジャミング……いや、地形(フィールド)効果か?」


 接続出来なかった。接続の判定に失敗したというより、そもそも接続不可能な状態に陥っている。これでは何度接続を試みても無駄だろう。


 一体何処に飛ばされたのやらと見回したところで、リーヴェが何かを注視していることに気づいた。視線を追えば、そこには古びた台座がある。巨大な柱が乱立するだけのただ広い空間内にあって、その一箇所だけが他と異なる形を見せていた。

 台座の上には捧げ物のように曇った水晶玉が載せられており、その周辺には剣や槍の残骸、バラバラになった鎧などが無造作に散乱している。


 そして、その台座の壁面に背を預ける一つの人型があった。


 幾条もの鎖で拘束されたそれは、暗みがかった蒼色の騎士鎧だった。頭部を含めた全身を覆う、いわゆる全身鎧(フルプレートアーマー)だ。しかし永い年月を放置されていたのか、元は輝いていたであろう装甲は埃に塗れてくすんでいる。


「騎士の……亡骸?」


 呟いた瞬間だ。

 永年そこで置物になっていたであろう騎士鎧は、横に細いスリットから赤の眼光を発した。

 金属が擦れ合う軋みの音を立てながら、項垂れていた頭部を持ち上げる。


「……ッ、魔導鎧人リビングアーマー系の魔物か」


 応じるように騎士鎧は身を縛る鎖を引き千切った。

 永い年月で錆び、朽ちかけていた鎖の束は数秒でバラバラになり、蒼の騎士鎧は拘束から解き放たれる。

 右手には長剣(ロングソード)。左手には凧状盾(カイトシールド)。頭部まで装甲に身を包んだ全身鎧(フルプレートアーマー)

 取り立てて特徴のない装備をした蒼の騎士鎧は悠然と立ち上がり、長剣を一振りして不動の構えを取った。積もりに積もった埃が、まるで粉雪のように全身から舞い散る。


 なるほど、とヘリアンは思う。

 どうやらアレがこの広大な空間(フィールド)の主ということらしい。

 現在地が分からず通信も通じない現状、何をするにしても先ずはアレを始末しておいた方が良さそうだ。


 そのように己の中で一先ずの結論を得たヘリアンは、傍らに佇むリーヴェに攻撃命令を下そうとして――――彼女の耳と尾が全開に逆立っていることに気付いた。


「…………リーヴェ?」


 問いかけるも返事は無い。

 リーヴェは油断なく蒼の騎士鎧を注視している。

 まるで狩人を前にした野狼のような警戒態勢だった。

 ……それはいい。

 舐めてかかるよりも余程マシだ。

 転移罠で飛ばされた先で待ち構えていた敵なのだから、警戒を強くして臨むという姿勢はむしろ好ましい態度に映る。


 しかし、リーヴェは完全人化形態を解いていた。

 月狼の姿に戻り、尾と耳の銀毛を逆立たせていた。

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「……お逃げ下さい、ヘリアン様」


 張り詰めた声色にヘリアンは身を固くする。

 リーヴェは今、『お退り下さい』ではなく『お逃げ下さい』と口にした。

 両者の言葉は似て非なる。

 それが意味するところは――


「……リーヴェ。アレは……あの蒼騎士の脅威度(ランク)は、何だ……?」


 茫洋と問いかけるヘリアンに対し。

 リーヴェは短く、端的に、己の視た事実を告げた。



「“神話級脅威”――SSランクです」



 ヘリアンは驚愕に目を剥く。


 神話級脅威(SSランク)

 それはアルキマイラの翼たる【黄昏竜】、第八軍団長ノガルド=ニーベルングと同格の存在であることを意味した。


 思考が空白に染まったヘリアンの視線の先。

 蒼騎士は不動の構えを保ちつつ、そのスリットから敵意の赤光を零していた。




・次話の投稿予定日は【12月15日(土)】です。

 また次々話も同日に投稿予定です。



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