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第十九話  「迷宮暴走」

「ああクソ! とんだ厄ネタだド畜生!」


 スキンヘッドの男は悪態を吐きながら右手の短剣(ダガー)を振るった。


 短剣は飛び込んできた敵、黒妖狗(ウガル)と呼ばれるジャッカルに似た魔獣の腹に突き刺さるも、その刃は心臓には届いていない。押し倒された男は尚も噛み付こうとしてくる黒妖狗(ウガル)の顎を殴り付け、怯んだ隙に引き抜いた短剣で喉を切り裂いた。鮮血が吹き出し、男の顔を汚す。

 ()せ返るような血の臭いに顔を(しか)めながら、男は太い足で黒妖狗(ウガル)を蹴り飛ばした。首から大量の鮮血を撒き散らす黒妖狗(ウガル)はしばし藻掻いていたが、やがて力尽きたようにダランと舌を出して動かなくなる。


「おいリーダー、生きてるか!?」

「生憎な! クソッタレ、久々の休暇だってのに何でこんな目に合わなきゃいけねえんだ!?」


 今のはヤバかった、とスキンヘッドの男は額の冷や汗を拭いながら応える。

 斥候職でも無い彼が短剣(ダガー)を武器に戦っているのは、休暇中で武装していなかったからだ。今は護身用に身に着けている短剣しか得物が無い。いつもの長剣ならば一撃で仕留められていたのだが、荒野ならともかく境界都市内部で魔獣に襲われるなどと誰が思う。


「ようやく境界領域が落ち着いたと思いきや迷宮暴走ダンジョンスタンピードとか何の冗談だ!!」


 ――迷宮暴走ダンジョンスタンピード

 それは迷宮に発生した魔獣が外部へと一斉に溢れ出す現象のことだ。

 王国の記録では最後に発生したのは五年以上も前の話であり、その際は迷宮が安定するまで多数の犠牲者が出たとされる。


 幸いにも境界都市が抱える迷宮で発生したという記録は無かったが、万が一の事態に備え、迷宮を抱える迷宮区は周囲の市街区と切り離すようにして強固な防壁が築かれていた。

 これは云わば堤防のようなものだ。溢れ出した魔獣の波を壁で堰き止め、“最小限の犠牲”で時間を稼いでいる内に騎士団が出動する手筈になっている。その為の訓練も年に数回定期的に行われていた。しかし、


「騎士団は動いてるのか?」

「現在迷宮区外周部に展開しつつ救出部隊を臨時編成中! 現着まで最速十五分だとよ!」

「……つまり、もうしばらくは頑張らにゃならんってことか」


 げんなりとした調子で相方が愚痴った。


 実のところ、彼らだけであれば逃げようと思えば逃げられる。

 騎士ではなく冒険者であるところの彼らには、今ここで戦わなければいけない義務は無いからだ。防衛の依頼(クエスト)を受けているわけでもない為、後のことは騎士団に任せて退散しても構わない立場である。


 また迷宮地区の外周部に既に騎士団が展開しているということは、魔獣が迷宮区外部に出ていくことは無い。被害は迷宮区内部の話に留まるだろう。少なくともこの一件で境界都市自体が揺らぐような事態にはならない。


 しかしそうであるにも拘らず彼らがここで魔獣相手に戦っているのは、“最小限の犠牲”とやらを少しでも減らしたいという願いからである。


 相方も男もこの街の生まれではなかったが、五年近くも拠点として活動していれば愛着の一つも湧く。訓練の成果か迷宮区の住民は大部分が避難済みではあるものの、周囲には逃げ遅れた十数人からなる人々の姿があり、そして幸か不幸かその場に居合わせた彼らには戦う力があった。


 こんなことになるなら宿で寝てりゃ良かったと心底後悔しつつ、男は力なき人々を背にして短剣を振るい続ける。


「……いよいよヤベえな」

「どうしたよリーダー。そろそろ吉報の一つも欲しいとこなんだが」

「残念だが凶報だ。迷宮近くに居たパーティから心話で警告が届いた。第二波、接近。もうじきこの広場に黒巨狗(ウガルフ)の群れが来る」

「……マジかよ。最悪だ」


 黒妖狗(ウガル)の上位種だ。図体がでかく、群れともなれば凶悪さは比較にならない。

 七年かけて習得した通信魔術である心話で他パーティに状況を確認するも、聞こえてくる情報はどれもこれも戦局の悪化を告げるものばかりだった。


 幸いにも現時点でさしたる人的被害は出ていなかったが、それも時間の問題だ。迷宮区に詰めていた当直の騎士やその場に居合わせた冒険者たちが魔獣を相手取っているものの、如何せん数が足りない。突然の事態に指揮系統もままならぬまま各個に戦っている状況である。


 騎士団の救出部隊が到着すれば臨時の指揮系統が確立されるだろうが、問題はそれまで自分たちが持つかどうかだ。視線の先、広場に迫りつつある黒巨狗(ウガルフ)の姿が通りの向こうに見える。


「――少々お尋ねしたい。貴方がこの集団の指揮官で構わないか?」


 いよいよ覚悟を決める時かと腹をくくろうとした矢先、誰何の声を耳にした。

 まさか援軍かと期待を篭めて声の主に振り向けば、そこには目深にフードを被った中肉中背の優男が立っている。


 咄嗟の動きで全身に目を走らせたが、ふらりと現れた青年はどう見ても戦う者では無かった。その両手は綺麗なもので間違っても剣を持つような掌では無い。体つきも鍛えている戦士のものではなく、かといって魔術師特有の気配も感じられなかった。少なくとも男の目にはただの一般人にしか見えなかった。


「誰だオマエ? 騎士団、いや、聖剣伯の手の者か?」

「……いえ、旅の商人です。先日からこの街の厄介になっている者でして」


 そして一縷の望みを賭けて問えば、青年はただの行商人であるという。

 どう考えても場違いだ。

 それどころかこの場所から真っ先に逃げて然るべき弱者である。


 新たな足手まといの登場に一瞬で頭を沸騰させた男は、苛立ちをぶつけるようにして叫んだ。


「商人が何の用だ!? 状況が見えてねえのかクソボケ! さっさと逃げろ!!」

「……えぇ、逃げ出したいのは山々なんですがね。しかしながら故あって、この場は助力させていただく」

「……あ? 助力?」


 青年の発した意味不明な言葉に、男はしばし呆気に取られた。

 そんな男の視線の先、青年は散歩でもするかのような足取りで集団から抜け出し、魔獣が迫る広場の中心へと歩いていく。

 あまりに自然で唐突な行動に止める間もない。そして男が我に返った時には、青年は既に手遅れの位置に居た。


「ば、馬鹿野郎! なに考えてやがる!?」


 男は咄嗟に手を伸ばす。

 だが遅い。

 伸ばした手をすり抜けるようにして、青年は広場に飛び込んできた黒巨狗(ウガルフ)の前にその姿を晒した。


 無謀にも単身で歩み寄ってくる弱者。それを魔獣たる黒巨狗(ウガルフ)が逃すはずもない。

 魔獣とは人に牙剥く魔に属する獣であり、人を害することは魔獣にとっての本能にも等しい。黒巨狗(ウガルフ)はノコノコと現れた青年(えもの)に対し、歓喜するように飛びかかった。


 既に両者の間合いは目と鼻の先。

 鋭く伸びた凶悪な爪が青年の喉へと走る。

 一瞬の後に起こるであろう惨劇。

 男は青年の身が無残にも引き裂かれるであろう未来を幻視する。


 そうして青年は自らに降り注ぐ死の爪を平然と見据え――――無造作に、その指を鳴らした。


「――――」


 弾きの音が周囲に響く。

 次の瞬間、三つの事象がほぼ同時に発生した。


 一つ、風のように現れた女性が身の丈程もある魔獣に拳打を打ち込んだこと。

 二つ、拳打で怯んだ魔獣の群れに雷が降り注ぎ、その動きの尽くを止めたこと。

 三つ、馬鹿げたほどに巨大な斧が大男によって振るわれ、魔獣の群れを肉塊に変えたことだ。


「……………………は?」


 何が起こったというのか。

 いや、確かにこの目で見届けた筈だと男は自問に応える。

 しかし肝心の脳がその光景を飲み込めないでいた。

 それほどまでに目の前で起きた出来事には現実味に欠けていた。


 いつからそこに居たのか、青年の周りには三つの人影がある。

 ピンと背筋を伸ばした銀髪の女。

 褐色の肌に陽光を浴びる目つきのキツい娘。

 そしてまるで岩のように強靭な肉体を持つ大男だ。


 いずれも既知の顔ではない。

 しかし、三人共に尋常ではない強者の空気を纏っている。

 只者でないことだけは確かだった。


「――――散れ」


 短い一言。

 青年がクンと顎を上げると同時、弾かれたように銀の女と大男が動いた。

 両者は左右に別れ、それぞれ迷宮区の東西へと走り去っていく。

 残された褐色の美女は青年を守るように進み出て、その指示を待っていた。


戦術仮想窓タクティカルウィンドウ解錠(オープン)選択(セレクト)地図(マップ)形式(モード)中規模集団戦闘(アライアンスバトル)


 青年の口は滑らかに文言を紡ぐ。ここに来て意味も無い言葉の羅列の筈もない。恐らくは何らかの術式を行使する為の詠唱だ。

 しかしながら青年の口から紡がれたその詠唱は、十年以上も冒険者として活動してきた男でさえ耳にしたことの無いものだった。

 召喚魔術、契約魔術、精霊魔術、法術。己の知識と照合するも、そのいずれにも該当しないどころか類似性さえ見つけられない。まさか独自詠唱(オリジンスペル)とでも言うのだろうか。


「……チッ。現状じゃこの精度が限界か」


 舌打ち一つ。

 虚空を睨みつける青年は酷く真剣な表情で、男に言葉を放った。


「再度確認する。貴方がこの戦域(エリア)の指揮官――或いはそれに類似する立場の者と思って構わないか?」

「……あ、ああ。クラン『山吹色の巨山』のリーダーを務めているビーゲルだ。たまたま迷宮区に居たもんで、臨時に指揮を取った」

「なら話が早い。急いで座標B―3のX7Y8……これじゃ伝わらないか。東商店通りのミレーユ道具店の前に戦力を送ってもらいたい。豹型の魔獣が三体、中央区方面に向けて真っ直ぐ進んでいる。このままでは突破される」


 どうしてそんなことが分かるのか、と。

 それを問うより先に、男は咄嗟の判断で該当地域付近の冒険者(なかま)に心話を繋いだ。幸いにも知己の戦闘冒険者(ソルジャー)パーティーだった。防衛線を構築すべく、彼らは行動を開始する。


「座標D―2……いや、五番筋東通りのグループに連絡を。今から約二分後に二角獣型の群れが現れる。正面から受け止めず、西の公園へと群れを誘導するよう伝えてくれ。無理に倒す必要はない。そこには斧を担いだ大男が居る。敵の処理はソイツに押し付けてくれれば構わないと伝言を」

「それとF―12――じゃない、クソ、やりづらい。とにかく、三番筋の西端に孤立している冒険者がいる。今すぐ南に向かわせてくれ。約三〇〇メートル先を曲がった通りに冒険者らしき四人組がいるが、彼らは彼らで手が足りていない。一人補充できれば戦闘は安定する筈だ」

「次。ヤヅルカ工房近くを走っている冒険者……いや、騎士か? どっちか分からないが、工房内の様子を見るよう伝達を。建物内に何人か居るはずだが、先程から全く座標が動いていない。恐らく逃げ遅れた職人達だ。彼らを回収して後方に退かせてくれ。空いた穴は此方の手の者が埋める」


 矢継ぎ早、滑らかに出される指示の数々。

 その背に気負いはなく、焦りも無く、まるで駒取り遊戯でもしているかのような冷静さで各地の戦力を的確に操る。


 戦局の悪化ばかりを伝えて来ていた心話からは防衛線を構築出来た旨や、支援を感謝する言葉、次の指示を頼むといった力強い言葉が返ってきた。

 この広場に新たに現れた魔獣達は、青年の傍らに佇む褐色肌の女によって見る間に屠られていく。新たな怪我人は増えない。各地へ送る余剰戦力にアテがついた。


 ――もしかすると全員助かるかもしれない。

 不動の青年の後ろ姿を見て、自然とその想いが浮かんでくるのを男は自覚した。




    +    +    +




「――どうして、こうなる!?」


 視界内に浮かべた<地図(マップ)>の数々を油断なく睨みつつ、ヘリアンはそのように絶叫したい気持ちで一杯だった。


 何故ならヘリアンはこの一件に介入などしたくなかったのだ。

 この遠征はあくまで本格的調査の前段階。活動拠点を作る為の事前準備のようなものに過ぎず、ヘリアン個人としては交渉練習を行う為のものだった。

 従って当面は権力者と繋がりを得るつもりも、また民衆からの注目を集めるつもりも無かったのである。


 ――しかし、ヘリアンは見てしまった。


 警告を触れ回りながら中央区へ向けて走っていく男に続き、悲鳴を上げながら逃げていく人々の群れを。

 その中で躓き倒れた子供を咄嗟に抱き抱え、後に続く民衆に背を蹴られながらも耐える母親の姿を。

 そして倒れ擦りむいた膝の痛みに泣こうとして、しかし背中の痛みを無視して微笑みを作った母の顔を見るなり、唇を歪ませつつも耐える小さな子供の姿を。

 更には人波が途切れた後、手をしっかりと握り合い、先程よりも遅い足取りながらも二人揃って逃げていく母子の様子を。

 そんな光景をまざまざと見せつけられてしまった。


 そして都合の()いことに、この介入行為にはアルキマイラとしての利点もある。


 この地は人類領域における本格的な調査行動を開始するにあたっての活動拠点予定地だ。ましてや境界都市シールズは人類領域における重要拠点の一つであり、つまらぬ災害によって現地の情勢が乱れるのを避けたいと思うのは決して異常な思考ではないだろう。

 また、現地住民に対し貢献し活躍を見せつけることによって【支配力】獲得を狙えるなどといった、介入行為に関する理論補強を行うことが十二分に可能だ。配下たちに理由を問われたとしても説得するだけの材料は用意できる。


 となれば、残された重要な問題は唯一つ。


 それは目立たず身の丈にあった歩幅(たちば)でコトを進めたいという、ヘリアン個人の計画が完全に崩壊するだけの話だ。


(――あぁ、クソッ!)


 罵倒を内心に押し留めながら、血走らせた瞳で<地図(マップ)>を睨んだ。

 [タクティクス・クロニクル]で嫌になるほど繰り返してきた動作は身体に染み付いている。苛立ちに心が乱れていようとも、その瞳は最短最速で情報を読み取ることを可能とした。ヘリアンは眼前に数多浮かべた各種<仮想窓(ウィンドウ)>で戦場を掌握する。


 戦況はどうにか安定しつつあった。登場時の“演出”が功を奏したのか、ポッと出の若造の言葉に周囲の戦士達は耳を貸してくれている。


「よっしゃ、ヤヅルカのとこの職人は無事に救出した! 対応した騎士は退がって防衛線に加わるよう頼んでおいたぜ! さあ、お次はなんだ、誰に何を伝えればいい!?」


 中でも、指揮官と見込んでいた(スキンヘッド)が心話を会得していたのは僥倖(ぎょうこう)だった。

 彼は冒険者としてそれなりに顔が売れているらしく、彼を介入して発した指示には殆どの相手が従ってくれている。

 人望の厚さからして、ひょっとすると高名な冒険者なのかもしれない。


「二番筋に居る冒険者達をゆっくりと後退させてくれ。魔獣達の圧力が高まりつつある。バロック商会付近の一団と合流して、各個撃破しつつ防衛線を下げるよう指示を」


 [タクティクス・クロニクル]では、<指示(オーダー)>に座標を載せれば配下達には伝わったものだが、現実化したこの世界で自軍ユニット以外までも指揮しようと思えばそうもいかない。仮想(ゲーム)現実(リアル)の差に苦慮つつ、その座標の近くにある建物や通りの名前を代入することでどうにか伝達することを可能とした。

 迷宮区の探索を任せていたリーヴェが、通りの名前や主だった施設や店の名前を調べておいてくれたおかげである。事前に迷宮区の地理情報を得られていなかったら、ここまでスムーズな指示を出すことは出来なかっただろう。


『すまねえ大将。五匹ほど抜かれちまった。手持ちの得物じゃ手が回らねえ』

『了解だ。後方の防衛線に余剰戦力を送る。追加で五匹程度ならどうにかなる』

『……雷槌使っていいなら一瞬でぶっ潰せるんだがなぁ』

『却下だ、街区画ごと消し飛ばす気か。探査(サーチ)が完璧ではない現状、建物を壊せば民間人を巻き添えにしかねん』


 探査(サーチ)が完璧ならば周囲一帯の被害を飲み込んで範囲攻撃を放つのも手ではある。

 だが友軍ユニットが三体しか居ない現状の探査精度では、未発見の逃げ遅れた人間が居ないとも限らない。そんな中へ範囲攻撃をぶっ放すなど論外だ。それこそ、何の為に自分の計画を棄ててまで介入したのか分からなくなる。


「……あっ!?」


 すぐ間近からそんな声が上がった。

 次の瞬間、セレスが翳した掌から放たれた氷槍が、眼の前の魔獣ごと背後の一軒家を貫く。黒巨狗(ウガルフ)だとかいう名前の、炎を吐く巨大なジャッカルに似た魔獣が消し飛ぶと同時、背後の建物に幾つもの大穴が穿たれた。敵が串刺しになるどころか消し飛んでいるあたり、明らかにオーバーキルな威力だ。


「す、すいません若様。いまいち手加減が分からなくて……」

「完全人化形態の扱いはやはり厳しいか」

「……はい。落ち着いてやればどうにかなりそうですけど、反射的な魔術行使だと細かい調整が難しいです」


 セレスは攻撃魔術に秀でた軍団長だ。戦場で求められる役割は極大威力による広域殲滅である。威力を高める方向性なら兎も角、周囲に被害を与えぬよう細かい調整を行うことは不得手としている。


 ましてや、ヘリアンの直近の護衛はセレス一人の状況であり、トドメを刺し損なえば主の命をも危険に晒しかねない場面だ。そのプレッシャーも影響しているのだろう。既に五十体以上の魔獣を屠っているが、その内の二割ほどは過剰威力の形跡があった。幾つも悪条件が揃っているこの状況下、使い慣れない完全人化形態で完璧な手加減をしろというのは無理がある。


「……ここから見える範囲の建物内には逃げ遅れた住民は居ないな?」

「はい。広場周辺の建物だけなら探査出来てます。誰も残ってません」

「ならば可能な限り手加減をすれば良しとする。人命優先だ。余裕があれば氷柱杭(アイスピラー)などの局所(ピンポイント)攻撃の魔術を使うように心がけろ」

「了解です。……あの、若様、それと……」

「分かっている。座標E―7の辺りだろう? ……このままでは五分も保たんな」


 ヘリアンの見つめる<地図>には、赤い光点(エネミー)に圧されている集団がまざまざと表示されていた。既にこの広場から余剰戦力を捻出して向かわせているが、その移動速度からして彼らの到着前に防衛線を突破される恐れがある。


 こうなれば下策を承知の上でリーヴェを直接向かわせるしかない。リーヴェの位置を動かすことで前線が崩れる可能性が高いが、後ろが崩壊すればこの防衛戦は失敗に終わる。判断を躊躇うだけの余裕もない。


 そうしてヘリアンは歯噛みしつつも<地図(マップ)>にマーキングを施し、リーヴェに<指示(オーダー)>を飛ばそうとして――その寸前、迷宮地区全域で縮図固定していた二枚目の<地図(マップ)>に大量の光点が飛び込んでくるのを見た。


 光点の色は水色。味方よりの中立ユニットを示す色だ。統制された動きを見せるその光点は、各地で防衛戦に加わりながら魔獣の掃討に参加していく。


 そしてその内の一つが突出するように集団から抜け出た。凄まじい速度だ。それは他の光点(ユニット)の五倍以上の速度で主戦場に、つまりはこの広場へと向かってきている。


 これは――


「若様、上です!」


 セレスの声に従い、後方上空を見上げる。

 そこには天高く跳躍した一つの人影があった。

 それは両手で掲げた剣に金色の光を灯らせ、裂帛の気合と共に振り下ろす。


 振るうべき敵に届かぬ筈の刃はしかし、飛ぶ斬撃として眼下の魔獣に襲いかかった。広場を目指していた五体の黒巨狗(ウガルフ)が一振りで真っ二つになり、ヘリアンが表示していた<地図(マップ)>から赤い光点(エネミー)の数が減る。


 そして斬撃を放った射手は広場中央に向けて高度を落とし、ヘリアンの前方へと落下した。重厚音と共に石畳を割って着地したそれは既知の人物だった。銀色の鎧、金色に輝く騎士剣、威風堂々を体現するかのような威圧を纏うその背中。


「君だったか、ヘリアン殿。昨日ぶりだな」


 聖剣伯グレン=ガーディナーがそこにいた。

 いつぞやとは異なり完全武装に身を包んだ彼は、周囲一帯をぐるりと見渡す。それだけで大体の状況を把握したのか、彼は納得したように一つの頷きを見せた。


「なるほど。随分と被害が少ないとは思っていたが疑問が氷解した。君たちが力を貸してくれていたということか」

「偶々居合わせたもので。微力ながら救助活動に参加致しました」

「そうかね? 周囲の民達の反応を見るに微力というのは謙遜が過ぎると思うが」

「とんでも御座いません。そんな話よりも今は、目の前の問題を片付けることが先決かと」

「ふむ、道理だな。まずは――」


 振り返ると共に一閃。射線上に顔を出した魔獣を両断する。


「――コイツらを片付けるとしようか。全てはそれからだ」


 告げるなり、辺境伯は周囲の人間によく通る声で大喝した。


「待たせたな、我が愛しき臣民たちよ! よく戦った。そしてよく生き延びてくれた諸君! だがもう大丈夫だ。ここより先はこの私、グレン=ガーディナーの名に()いて諸君らの安堵を保証しよう!」


 辺境伯のその声に、広場に集う人々から歓声が上がった。

 怪我や病気を抱えて逃げ遅れた人々は自分達が助かったことを確信し、親しい者と抱き合って無事を喜びあう。傷つきながらも膝を折ることをしなかった冒険者もまた、深い溜息と共に地面に尻をつく。そして、未だ戦場の真っ只中にあるというのに、ビーゲルまでもが「ようやく終わった」と愚痴を吐いて腰を下ろした。


 それはグレン=ガーディナーに対する、民衆からの絶大な信頼を裏付ける反応だった。

 辺境伯、否、聖剣伯がこの場に姿を現した。

 ただそれだけの事実はしかし、彼の愛する民達へ安堵を保証するには十分なものだったのだ。


 遅れて追いついてきた騎士達を率い、聖剣伯は人々の希望に応えるようにして進撃する。誰よりも先陣を切って戦場に身を投じる様はまさしく英雄の姿だ。


 シールズに残された騎士団の精鋭。その誰よりも先を行き、誰よりも多く敵を屠る彼は、迷宮区の中心地――迷宮(ダンジョン)を目指してただ一直線に突き進む。彼の行く手を阻む魔獣は、そのいずれもが振るわれる騎士剣の一閃で両断された。

 続く騎士達もまた露払いから漏れた魔獣達を確実に仕留めつつ、徐々に包囲の輪を狭めるようにして進軍していく。


 ――それから三時間後。

 迷宮区に溢れていた魔獣は、騎士団の手により一掃された。




    +    +    +




 その日の夜。

 太陽が荒野の果てに沈んだ後、中央から各地区へ事態の収束宣言が発令された。

 迷宮暴走が無事に鎮圧されたという一報は瞬く間にシールズ全域に広がり、事態は一応の落ち着きを見せる。


 そして翌日、日が昇った後に広報を通じて出された発表では、今回の迷宮暴走での被害者は極々少数に留まり、過去事例と比べて物的被害も驚くほどに少なかったと報じられた。


 一時は浮足立っていた市民たちは、辺境伯の名の元に出された声明を受けて落ち着きを取り戻し、迷宮暴走による混乱は迅速に収束しつつある――かに見えた。


 ヘリアン一行が辺境伯からの呼び出しを受けたのは、その二日後のことだった。




・次話の投稿予定日は【12月7日(金)】です。

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