第十八話 「リーヴェの想い」
ヘリアンが帰路についたその頃、街の調査を命じられたリーヴェは迷宮区の大通りを歩いていた。
彼女に任された仕事は街の探索だ。
ヘリアンの<
既に迷宮区の殆どは踏破済みだ。
有資格者しか立ち入りが許されない区域や、迷宮付近の重要施設周辺には足を運ぶことが出来なかったものの、大体の地理は把握した。
また、道行く者たちを観察してみたが、アルキマイラにとって脅威になるような実力者は見受けられなかった。
冒険者の上位層や騎士団の精鋭達は揃って前線の城砦に出向いていると聞くが、そこで負傷した者たちの一部は境界都市まで退いている。そして仲間を護衛して撤退してきたと思しき、高位冒険者を見かける幸運に恵まれた。
その結果の戦力判定としては、戦闘行為を行っていない為正確に把握出来なかったものの、最大限に見積もった
良い情報だと言えよう。
アルキマイラの軍事的優位性を確実視出来る情報が新たに得られたのだ。
統括軍団長という立場で国を想うリーヴェ=フレキウルズにとって、それは吉報に他ならない。
しかし、ならば、この胸の内に渦巻くこの重苦しい感情は何なのだろうかとリーヴェは自問する。
「…………無様だな」
とある商店の硝子窓。
僅かに曇ったそれに映る自分の姿を見て、リーヴェは短く吐き捨てる。
惨めな姿だ。
まるで敗残兵のように覇気が失われている。
少なくとも、偉大なる王の側近として相応しい姿では無いことは間違いない。
しかし、そうと自覚してもリーヴェは本来の調子を取り戻すことが出来ないでいた。
思い出すのは今朝の出来事。
主人から従者一同に命令を与えられた一幕のことだ。
『昨日伝えた通り、まずはこの街について調査を行う。だが配役については一部変更だ。私の護衛にはセレスを、代わりに街の探索についてはリーヴェに任せる』
――ショックだった。
まるで鈍器で頭を殴られたかのような衝撃に、リーヴェは危うく自失しそうになった。
何故なら王の護衛は自分に任される予定だったのだ。
事前に計画した役割分担ではそうと伝えられており、リーヴェもその配役は当然のものとして受け止めていた。
自分は国王側近にしてアルキマイラの瞳だからだ。
王の傍に在り、王と同じ光景を見届ける者であるところのリーヴェは、この街においても常にヘリアンと行動を共にする心積もりだった。
しかし、その役目はセレスに与えられた。
元々は自分の役割だったにも拘らず配役の交換を告げられた。
今の王の傍らに自分の姿は無く。アルキマイラの瞳である筈の己は今、王とは違う光景を視ている。
「…………ッ!」
その事実を想うだけで、リーヴェは身震いするほどの衝動の波に襲われた。
胸の奥がざわめき、得体の知れない感情が押し寄せ、今にも叫びだしそうになるのを堪えるだけで精一杯になる。乱れた心が発するのは一つの自問だ。
(一体、いつからだ?)
いつから、自分はこのように不出来になったのだろうか?
王と共にあの世界に降り立ってからの十数年は足手まといでしかなく、バラン共々エルティナの世話になってばかりいた。王の足を引っ張った回数も十や二十では利かない。歯がゆい思いに囚われた十数年間だった。
しかし転生進化を繰り返して【月狼】に至ってからは、多少なりとも王の役に立てていた筈だ。王の顔を潰さぬよう、冷静沈着な国王側近として役目に殉じて来た。王の駒として一切の感情を殺し、役目を果たせていた筈なのだ。
それが何故、ここまで心乱されるようになったのか。一体いつから精神の手綱を握りきれないようになったというのか。
この世界に来て以来か?
反乱騒動で失態を犯した時からか?
それとも――リリファ=ルム=ラテストウッドと王の邂逅を見た時以来か?
「よーぅ、そこのお姉さん。こんな
俯き加減に歩いていると、軽薄そうな男が声をかけてきた。
周りを見渡せば薄汚れた建物が目につく。どうやらいつの間にか裏路地に入り込んでしまっていたらしい。既に一度調査した
「私になにか用か?」
「いやいや、用ってわけじゃねえけどな。アンタみたいな
十回に一回ぐらいは釣れてくれるんでな、と軽い口ぶりで男は嘯く。
どうにも特徴の薄い男だった。腰に小剣を佩いているが、冒険者や傭兵が往来するこの都市では珍しいものでもない。
「……貴方は人間だな?」
「あん? そりゃ見ての通り人間だが」
「では一つ訊きたい。貴方がた人間の目から見て、私の造形はどうだ?」
「……へ? 造形?」
「そうだ。貴方は私を別嬪だと称したが、
矢継ぎ早な問い掛け。
唐突な質問に男は眉を顰めたが、リーヴェは真剣だった。
人間から見てエルフ族は一様に美しいらしい。
アルキマイラに住まう魔物達の美意識は多岐に渡るが、少なくともこの世界の人間にとって、エルフ族の美しさは時に“商品”になるほどのものだと聞く。
そして主人であるヘリアン王が気にかけている姉妹はハーフエルフであり、今またヘリアンが傍に置いているのは【ヘレティックエルフ】であるセレスだ。今のセレスは完全人化形態を取っているものの、両者共にエルフ族であることに変わりはない。
ならば主人と同種族である筈の人間にとって自分の造形はどう映るのだろうか。
人間にとって美しいとされるエルフ族と比較して、それでも美しいと思ってくれるものなのだろうか。
いや、そもそも傍に置いても恥ずかしく無いと思ってくれる程度の造形をしているのだろうか。
今までは自分の容姿には然程頓着していなかったが、何故か今のリーヴェにはそれが気になって仕方がなかった。
「いや、どの程度とか聞かれてもだな……」
男の視線がリーヴェの肢体を捉える。
大きく露出した白い太腿に、引き締まった腰つき。胸は平均よりも大きく、銀の髪は絹糸よりも靭やかで繊細に映る。顔もまた作り物のように綺麗に整えられており、済ました表情が妙に似合っていた。
それら身体のパーツを一頻り眺めた男はうむと頷く。これが美人に見えない人間は目が腐っているに違いない。男は迷いなくそう結論し、何の気なしに口を開く。
「そりゃエルフ族に負けず劣らず美しいだろうよ。少なくともその質問自体が嫌味になる程度には。何なら一戦お相手願いたいもんだよ、いや真剣に」
「一戦? 何故そこで戦闘に繋がる?」
「いや、そういう意味じゃなくてだな……なんだこの姉さん、天然か?」
男は首を傾げながら答える。
彼の台詞には一部分からないところがあったが、少なくとも彼の目から見て自分は不細工ではないようだ。
僅かばかりの安堵感を得たリーヴェは、その大きな胸を撫で下ろす。
「もしかして男に放っぽかれでもしたのかい? だとしたら気にしなさんな、アンタはどう考えてもとびきりに美人だよ。ただ単にその男に人を見る目が無かっただけの話で――――、ひッ!?」
――ああ、失敗した。
男の表情を見たリーヴェは瞬時に己の不備を悟る。
どうやらまたも感情を漏らしてしまったらしい。
深く自戒し、僅かに漏れ出た感情を体内に収める。
先程まで軽薄な口を叩いていた男は完全に押し黙っていた。
咄嗟に飛び退こうとして失敗したのか、石畳に音を立てて尻もちを付いている。咄嗟の動きで剣の柄に手が伸びているが、まるで凶悪な魔獣にでも出会ったかのような顔をしてガタガタと震えていた。
立ち上がろうとしては失敗している様子を見るに、どうやら腰が抜けたようだ。それでも生存本能に突き動かされてか、座り込んだまま少しでも距離を取ろうと後ずさっている。
そんな男に対し、リーヴェは無表情で――否、感情の抜け落ちた表情のまま、ゆっくりとした動作で歩み寄った。
「――質問に答えて頂き感謝する。それと、これは私の主が言っていたことなのだが『口は災いの元』という格言があるそうでな。不用意な言葉は時に災厄を呼び寄せる言霊となるらしい」
男の瞳を覗き込む。
零れ落ちそうに見開かれたその瞳には、自分の顔が映っていた。
……ああ、大丈夫だ。
瞳に映る自分の顔からは既に表情が消え失せている。
何の感情も浮かんではいない。
既に自分は冷静だ。
無表情のまま、無感動に、リーヴェは告げる。
「ところで先程の言動を……我が主の“見る目”とやらに対する評価を撤回頂きたい。
最後の言葉を強調すると、男は尻もちをついた姿勢のままガクガクと頷いた。
良かった、とリーヴェは思う。
何故なら他ならぬ主から『絶対に殺すな』と再三命令されていたからだ。
これで首を横に振られたら非常に困った事態になっていただろう。
男から同意を得られた事実に、リーヴェは心からの安堵を得る。
それでは、とリーヴェは踵を返す。同時に背後でドサリと音がした。
しかしリーヴェがそれを気に留めることはない。仮に男が重圧から開放された拍子で気絶していようが、彼女にとってもはや関係の無い話だ。リーヴェは静かな足取りでその場を後にする。
仮宿へ戻ると、自分たちの部屋から灯りが漏れているのが分かった。既に主は帰還しているらしい。完全人化形態になっているせいで月狼としての嗅覚は失われているが、僅かに主人の残り香が漂っていた。
半日ぶりの匂いを鼻腔に取り込みつつ、リーヴェは二階の部屋へと向かう。
そして音も無く辿り着いた扉の前で手鏡を取り出し、自身の身だしなみを入念に確認してから扉を叩いた。
「誰だ?」
半日ぶりに聞く主人の声が耳に染み透る。
随分と長い間、聞いていなかったようにも思えた。
「リーヴェです。只今帰投致しました」
「入れ」
主の許しを得て扉を押し開く。
部屋の中には先客が居た。
「俺様の報告はこんなとこだが。どうだい、大将?」
「うむ。初日の成果としては十分だ。騒動も特に起こしてはいないようだな」
「おいおい当たり前だろ大将。まさか本気で俺様が乱痴気騒ぎ起こすとでも思ってたんですかい?」
「…………まさか。何を言うのだガルディ。私はお前を信じていたとも、うむ」
王は数度頷きを送り、ガルディへ労いの言葉を口にした。
部屋の隅でそれを耳にしたリーヴェは、胸にチクリとした痛みを覚える。
“私はお前を信じている”
その言葉が今の自分には余りにも遠い。
それで報告は終わったのか、退出しようとするガルディと入れ替わるようにして、リーヴェは王の眼前に進み出た。
本来なら跪礼をしたいところだが、国外では控えるようにと告げられた以上は仕方がない。代わりに腰を折るようにして一礼する。
「待たせたなリーヴェ。ご苦労だった。疲れているところ悪いが、まずは報告を聞かせてもらえるか?」
「ハッ。労いのお言葉、恐れ入ります。それでは本日の調査について報告を始めさせて頂きます」
そしてリーヴェは、今日一日の単独行動で得た情報について、要点を纏めた上で報告する。
迷宮区について、一般人の踏み込める範囲は踏破したこと。
街行く人々の会話から得られた辺境伯の評判。
城砦を襲った魔獣の群れによる被害と現在の状況。
迷宮に潜ろうとしていた冒険者達の平均脅威度。
偶然遭遇した高位冒険者の戦闘能力評価について等々。
詳細は報告書に纏めるとして、口頭で伝えるべき主な情報は以上の通りだ。
報告を終えると、王はいつものように彼にのみ許された詠唱を口にした。
「
王は虚空へと視線を走らせる。
余人には見ることの出来ない『特別な地図』というものをご覧になっているのだろう。
王は何でも無いことのように言うが、周囲の地理や敵味方の位置情報を瞬時に捉え、戦場を俯瞰することの出来るその能力は正しく『王の御業』だ。
魔物は己の個体能力に自信を持っている。最後に頼れるのは自分の力だ。それは魔物としての本能であり、魔物である以上は誰しもが多かれ少なかれ有する特性とも言える。その特性は下手をすれば、魔物によって構成された一軍を単なる烏合の衆に貶めかねない。
しかし、それを纏め上げるのが王のこの力だ。
瞬時に戦場を把握し、敵味方の分布を読み取り、戦況を正確に掴み取る。対する魔物の群れがどれほど強大だろうと王の前ではただの標的に過ぎない。神の視点で配下を操る王の手で、アルキマイラの敵対者は尽く葬られてきた。
そうして着実に積み上げた勝利で以って、王は軍を従え、民を率い、国を大きくしてきたのだ。
王自身に戦う力が無いからといって侮るような愚者はもはや居ない。
ヘリアン王無くして、国が立ち行かないことを悟っているからだ。この王が導いてくれたおかげで今の自分たちがあることを知っているからだ。ましてや、例の一件での大演説を受けて尚反感を抱ける者など、存在するわけがない。
「……ふむ、随分と綺麗な街並みだな。……最初から完璧な都市計画の元に建設されたとしか……だがこの街並み、何処かで……」
王が何事かを呟く。虚空を見つめる王の視線は、何処か遠くへ思いを馳せているようにも見受けられた。
やがて王は自身の考えに何らかの納得を得たのか、フムと頷き視線を元に戻す。
「大体の調査結果については把握した。詳細は報告書で確認するが提出は明日の昼迄で構わん。疲れを十分に取った後、作成に取り掛かってくれ」
「ハッ。承知致しました」
王は優しいが、その優しさに甘えてはならない。
割り当てられた部屋に戻り次第即座に取り掛からねばと、心に書き留める。
「ところで。何か不明点や疑問点、訊きたいことなどはないか?」
主から放たれたその問いに、胸の内で何かがズキリと疼いた。
胸の奥底で衝動に近い何かが生じる。
喉奥からこみ上げてくるのは数多の問い掛けだ。
何故私を護衛任務から外されたのですか。
何か不手際などあったでしょうか。
私に何が足りないのでしょうか。
リリファ=ルム=ラテストウッドに笑顔を向けられたのは何故ですか。
どうして私の前では笑わなくなられたのでしょうか。
何をすれば以前のような笑顔を見せて頂けるのでしょうか。
「……いえ。これといって、特には」
「ん、そうか。ならば他に主だった報告事項や……仕事以外のことでもいい。何か私に言いたいことや伝えたいことなどはあるか?」
命令を下さい。
貴方のお役に立つ為の命令を。
罰を下さい。
貴方に許される為の罰を。
私を傍に置いて下さい。
貴方の笑顔をもう一度見たいのです。
「特に御座いません、ヘリアン様」
――言えるはずも無かった。
+ + +
「むぅ」
リーヴェが出ていった扉を見つめながらヘリアンは唸る。
彼女の今日の働きは自分の期待以上のものだった。なにせこの街は広い。今日のところは迷宮区の半分程度の地理情報が得られれば良いぐらいに思っていたが、重要区画を除いてほぼ網羅済みであった。
その上道行く冒険者達の戦力査定も行っており、更には辺境伯の【支配力】にも影響する評判、つまりは支持率等の情報も持ち帰ってきてくれている。
ガルディも卒なくこなしてくれたが、情報量・質共にリーヴェの方が上回る。頼んだこと以上の成果を持ち帰り、それでいて余計なことはせず、確実に仕事をこなしてくれた辺り、やはりリーヴェに調査任務を任せたのは正解だったと思う。
しかし、報告を持ち帰ってきたリーヴェの雰囲気がどことなく沈んでいるように感じられたのだ。仕事の成果は十分以上なので、何か他のことで悩みでも抱えているのではと訊いてみたものの、特に問題は無いと来た。もしかするとただ単に自分の勘違いなのかもしれないが妙に気になる。
いつもの耳と尻尾さえあればある程度確信が持てるのだが、この街では完全人化形態で通させている。耳と尻尾の無いリーヴェは完全無欠のクールビューティーだ。表情は澄まし顔で固定されており、殆ど感情が読み取れない。冷静沈着な国王側近としては完璧な姿なのだが、未熟な主であるところの自分としては少々やりづらい。
「確信が持てない以上、しつこく追求するのは野暮だしなあ……」
下手に藪をつついてリーヴェを不快にさせたら目も当てられない。
当面はリーヴェの様子をいつも以上に注意深く見守るとして、静観するしかないだろう。
「それにしても。思った以上に整備されてるんだな、この都市は」
再び表示させた<
リーヴェやガルディの収集してきた地理情報が反映された<地図>には、まるで縦長の十字架のような全容図が投影されていた。東の市街区は未だ調査していないが、恐らくは西の商業区と鏡合わせのような形で外壁が広がっているのだろう。
街並みは整った構成をしていた。縦横に走る通りに沿うように、整然と建造物が立ち並んでいる。こうして俯瞰して見れば土地を無駄にすることなく、かといって必要以上に密集させることもなく、理想的な配置をされていることがよく分かる。
普通はこうはならない。自然発生して発展してきた街は、増改築を繰り返す家屋のように複雑で継ぎ接ぎ混じりの形になるものだ。その経緯で入り組んだ複雑怪奇な道だって出来るだろうし、家屋が過密状態になっていたり、またはその逆で間隔が空きすぎている地域だって出てくる。
だが、この街はそういったものが無い。完璧に作成された都市計画のもとに作られたとしか思えなかった。この境界都市は、初めから完成図有りきで作成された都市であることに疑いは無い。
「まるで昔の京の都だな」
日本史の教科書で見た、在りし日の京都の地図を思い出す。
京都には家族旅行で行ったことがあった。当時の道が今も残っているということで見に行ったのを覚えている。小学生の頃の記憶だ。アレはそう、確か父さんと母さんに連れられて――。
――不意に、胸が締め付けられる感覚を覚えた。
慌てて頭を振る。思考を散らす。思い出そうとしていた日本の記憶に蓋をする。今は余計な感傷に囚われている暇など無い。
「……風呂にでも入って気分転換するか」
蒸し風呂だろうが風呂は風呂だ。汗を流してさっぱりすれば気分も変わろうというもの。そうと決まれば善は急げと、何かを振り払うようにヘリアンは鞄の衣類を漁る。
「うん……?」
丁度その折、窓の外から何かが聞こえてきた気がした。
怪訝に思って外の通りを眺めれば、街の北側――迷宮のある方角から何十人もの人々が大通りを駆けて来ているのが見えた。しかも、誰も彼もが必死な表情で走っている。まるで何かに追われ逃げ惑っているかのようだ。
その内の一人、斥候風の出で立ちをした男と目が合った。
こちらを見上げる彼は必死な形相を浮かべ、叫ぶ。
「――全員中央区まで逃げろッ!
咄嗟に視線を向ける。
叫んだ彼の指し示す方角、迷宮地区の中心地からは不穏な火の手が上がっていた。
・次話の投稿予定日は【12月3日(月)】です。