第十六話 「いざ街へ」
日が明けた翌日。
宿での朝食を終えたヘリアン一行は宿の外に姿を現した。
まだ日が昇ったばかりの時間帯ではあるが、宿の前の通りにはそこそこの人通りがある。武装に身を包む者が多いように見受けられるのは、街の北側に位置するこの区域が迷宮を抱える『迷宮区』であることも関連しているのかもしれない。
「いやー、食った食った。あんだけ食っても大銀貨一枚ってのは景気がいいな」
満足気に腹をさすっているのはガルディだ。
どうやら宿の食堂で出された朝食は彼の腹を満たすに足るものだったらしい。
食費は宿泊費とは別に支払う形式だったのだが、ガルディの言う通り朝食にしては量が多かった。
ちなみにガルディは五回ほどおかわりをした。
あれを五人前で大銀貨一枚というのは、なるほど確かに安いだろう。
日本であればちょっとしたディナーを食べられる程度の金額だ。
この辺りの料金設定については、生粋の肉体労働者である冒険者の宿泊客が多いことも関係しているのかもしれない。
「そりゃまあ、アレだけ食べれば満足でしょうよ……」
呆れたように応えるのはセレスだ。
その一方で、まあ確かに量には満足出来たけど、と割りと好意的な感想を述べている。リーヴェは何も言わないが、二人前の量をぺろりと平らげていた様子を見るに、特に不満を抱いているわけではなさそうだ。
しかし、そんな三人を背後に従えながら歩くヘリアンは、げんなりとした表情を浮かべていた。
(アイツら……よくあの料理を普通に食えたな)
三人にバレないよう、コッソリと胃を擦りながら内心で呻く。
実のところヘリアンは、現地料理にはそれなりに興味があった。初めて行く店では食べたことのないメニューを注文する程度にはチャレンジャーでもある。
またファンタジー世界の料理に対する憧れじみた感情も手伝ってか、この街での食事には密かな期待感を抱いていたりした。
そして、その期待感は宿の朝食を通じて裏切られる結果となったのである。
別にマズイと断言するわけではない。
むしろ最初は旨いとすら感じた。
しかしながら出された料理はどれもこれも味付が強烈で、無闇矢鱈に濃い料理ばかりだったのだ。
味を楽しめたのは三口目までで、後は頑張って胃に詰め込む作業と化した。
以前に家族旅行で欧米を訪れた際には現地の強烈な味付けにショックを受けたものだが、それを容易に超えるレベルである。
なんとか完食したもののこれが毎日続くとなると辛い。合間合間に、国から持ち出した携行食を挟むしかないだろう。現地の食事に慣れることは大事だが、慣れる前に体調を崩しては元も子もない。
(風呂も湯船に浸かるタイプじゃなくて蒸し風呂だったしな……カルチャーギャップが何気にキツイ)
脱衣場でタオルを腰に巻いたヘリアンを出迎えたのは、湯船に張られたお湯ではなく蒸気で満たされた密室だった。旅の埃を落とすことは出来たものの、一人の日本人としては期待外れ感が拭えない。日本のホテルのような大浴場を期待していたわけではないのだが、せめて湯に浸かりたかった。
早いとこ現地の風習に慣れないとな、と溜息を飲み込みながら歩みを進める。
「っていうかアンタ、いくらなんでも朝から食べ過ぎでしょ。見てるだけで胸焼けしそう」
「ンだよ、食えるだけ幸せだろうが。百二十年前の第一次戦乱期とか思い出してみろ、補給線潰されて一ヶ月近く禄に食えずに戦い続けたんだぞ。そりゃ旨いに越したこたぁねえが腹いっぱい食えるんだ。特別まずいってわけでもなし、文句なんざ言えねえよ」
「比較対象が酷すぎるでしょうが。まあ、あの時かなり辛かったのは確かだけど。おかげで同期の子達は殆ど死んじゃったし」
「ウチの混成部隊なんざ生き残ったの俺様含めて五人だけだったしな。いやあ、なんつうか懐かしいぜ」
何気にヘビーな会話だった。
一度滅びかけただけあって、昔のアルキマイラの歴史は割りと悲惨である。
ちなみにガルディは元々軍団長にするつもりで創った魔物ではなく、序盤で大量生産した魔物の内の一体でしか無かったのだが、激動期を実力で生き抜いた英傑ということで軍団長に就任した経緯があったりする。
その為か仲間意識は強く、部下からの信頼は厚い、コテコテの現場主義者だ。
「早朝から頭の痛い会話をするな。話題は選べ」
「大丈夫よ。追随型の防音結界展開してるから誰にも聞かれてないし」
「聞かれたとしても何言ってんだか理解できねえだろうしなぁ」
リーヴェは表情こそ変えなかったものの、頭痛を堪えるように目蓋を閉じた。
まあ内容はどうあれ、こうして会話が生まれたこと自体は素直に良いことだと言えよう。昨日のように終始だんまりでピリピリした空気を纏っているより余程良い。
そうしてしばらく通りを歩いた後、大きな噴水のある広場に辿りついた。
広場からは、各地区へと通じる整備された大通りが伸びている。
一行はここから先、それぞれの行動を行う予定になっていた。
「さて。今朝伝えた通り、ここで別れることにする。何度も言うようだが、これ以上不要な
一番怖いのが『慣れない完全人化形態で手加減に失敗して殺してしまいました』というケースだ。普段から完全人化形態に慣れているガルディはともかく、リーヴェとセレスはこの形態を取ることなどほぼ皆無だった。だからこそ反撃も可能な限り控えるよう徹底する。
「リーヴェは
従者の三人は、それぞれ了承の言葉を発した。
まずリーヴェが離脱し、北方面へと向かっていく。
リーヴェとガルディに任せた仕事はこの街の地理情報の入手――つまりは<
前者が本命の目的で後者はついでだ。何をするにしても地理情報は重要である。
続いて、噴水広場から十分ほど進んだ三叉路でガルディと別れることにする。
ガルディは街の南方面――冒険者ギルドや鍛冶屋、騎馬を留める厩舎など、危険地帯に赴く者たち向けの施設が集中する突出区が担当だ。商業区に向かうヘリアンやセレスとは方角が異なるため、ここから先は単独行動となる。
別れ際、ヘリアンは念を押すようにガルディに言った。
「さて、ガルディ。ここから先は私達とは別行動になるわけだが、くれぐれもここが人間の街であることを忘れるな。肉体言語を積極的に活用しようとする魔物の常識が通用しないことを念頭に置いて行動するように。よいな?」
「おぅよ、任せときな大将! きっちり仕事こなしてくらぁな」
ニマリ――と、泣く子も死ねるような笑顔を浮かべてガルディは豪快に言い放った。
……不安だ。
心境は初めてのお使いに子供を送り出す親心か、はたまた猛獣を檻から解き放つ
しかし、いつまでも自分が付きっきりというのは非効率であり進歩が無い。
なにせ自分は一人しかいないのだ。
目の届く範囲でしか配下を動かせないような
それになんだかんだといって、要領良く物事をこなすことにかけては定評のあるガルディだ。あれほど口を酸っぱくして何度も何度も言い聞かせたこともある。ここは彼を信じることにしよう。度量の広さは支配者として必須なのだ。
そもそも“始まりの三体”以外では割りと動かしやすいガルディにすら任せられないようでは、他の軍団長を国外で単独活動させることなど絶対に不可能である。
「では任せる。吉報を期待しているぞ」
景気づけに激を飛ばして送り出すと、ガルディは会心の笑顔を浮かべて去っていった。
相変わらずの凶悪ヅラから放たれる笑顔は何気に心臓に悪いのだが、ノガルドと一緒にやらかした店舗破壊事件からこっち、ガルディに対する怯え腰は大分解消されていた。
あの時は寝不足やら疲れやらのピークで色々と突き抜けていたのだが……一度叱りつけるイベントを経験したことである種の壁を乗り越えたらしい。これも怪我の功名というのだろうか。かといってあの一件を許す気は毛頭無いが。
「さて。私達も行くぞ、セレス。道中しっかりと頼む」
益体もない思考を打ち切って傍らの従者に話しかける。
実のところ当初の計画では護衛役にはリーヴェを予定していたのだが、昨晩の会議を経て一晩考えてみた結果として、一部配役を変更することにしていた。
セレスが此処に居るのはその結果だ。
[タクティクス・クロニクル]の時代ならともかく、現実になったこの世界において碌に知りもしないセレスに単独行動を命じることに不安要素があった為である。
リーヴェについては言うまでもなく、ガルディに関しても転移後にちょくちょく絡む機会があった。しかし、セレスに関しては禄に会話も交わしていない。今回の件で国を出るまでは、謁見の間でしか言葉を交わしていなかった程だ。
これを機に少しでも彼女の人となりを理解し、単独行動を任せられる程度の信頼関係を構築したいという狙いがある。
「任せて下さい若様。どんな敵が来てもアタシが焼き払――っちゃ駄目ですよね、はい、分かってます。大丈夫です若様。ミディアムレアに留めます」
…………配役の交換は英断だったかも知れない。
理知的である筈のセレスの【人物特徴】に若干の疑念を懐きつつ、ヘリアンは商業区に向かって歩き出した。
・次話の投稿予定日は【11月27日(土)】です。