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第十四話  「辺境伯」

「先程はすまなかった。我ながら少しばかり平常心を失っておってな。身を案じていた愛娘が無事に帰ってきたと聞いて、ついついいつものように抱きかかえに行ってしもうた」

「……いえ。どうかお気になさらず」


 境界都市シールズの中心地に位置する辺境伯の館。

 その貴賓室にて辺境伯グレン=ガーディナーからの謝罪を受けたヘリアンは、無難な返答を口にするしかなかった。


 ちなみに彼の愛娘――シオンはお召し替えの為に一時席を外している。

 彼女が身支度を整えるまでの間、寛いでおいて欲しいということで貴賓室に通されていたのだが、ソファに腰を下ろして数分もしない内に辺境伯が現れた。

 そしてシオンを抜きにして冒頭のように話し始め、今に至る。


「しかし随分と優秀な従者を抱えておるのだな。先の一撃は誠に見事だった」


 先程の奇襲……いや遭遇戦……もとい相互不理解から発生した不幸な出来事(トラブル)についての話だ。


 館までの道中で弁明は済ませたものの不敬を咎められるかと覚悟していたが、意外なことに彼の口から語られたのは賛辞の言葉だった。ヘリアンは「恐縮です」と頭を下げる。


 しかし背後に控える当の本人(ガルディ)は不動のまま、警戒心も(あらわ)に辺境伯の一挙手一投足を見張っていた。警戒の度合いは他の二人も大差無い。むしろセレスに至っては、瞳に浮かぶ敵意を隠そうともしていなかった。


 ……せめて会釈ぐらいはしてくれ。


 キリキリと痛みを訴える胃に手を当てたいが、屋敷の主人の目前とあってはそれも叶わない。ヘリアンは顔に真顔を張り付けて耐えた。


「そう固くならんでくれ。元より私は貴族だの平民だのと気にせん(たち)だ。むしろもっと気楽に接してくれた方がありがたいぐらいでな!」


 辺境伯は身を乗り出し、ヘリアンの肩をビシベシバシと打撃した。

 まるで気心の知れた友人に接するような仕草だったが、それなりの威力で叩かれた軟弱な肩が宿主に痛みを訴えてくる。


 だが、ヘリアンはその痛みなどどうでもよくなる程の悪寒に襲われていた。

 悪寒の正体は背中側で生じた三つの圧力だ。

 自分に向けられたわけでもないというのに、背中越しに感じる圧力は不穏な気配をこれでもかと放っている。


(頼むから暴走するな頼むから暴走するな頼むから暴走するな……ッ!!)


 心の内で必死に祈る、念じる、請い願う。

 その祈りが通じたわけでもあるまいが、幸いにも従者三人は不動のままだった。

 ……事前に「絶対に手を出すな」と言い含めておいて良かったと心から思う。


「それに謙遜も不要だ、ヘリアン殿。君の従者は本当に良い腕をしている。この私が奇襲を防がれたのは実に久々のことだった」

「……こ、光栄です」


 奇襲と言い切ったぞこの領主。

 いや、会った時から感じていたことではあるのだが、実際に目にした辺境伯は事前に抱いていた領主の想像図とかけ離れていた。己の中の貴族像がガラガラと崩壊していく音が聞こえる。


「――この街の領主が私のような男で意外かね?」


 不意に、辺境伯は腕を組んだ姿勢でそんな問いを投げかけてきた。

 考えていることをズバリ言い当てられたヘリアンは、僅かな逡巡(しゅんじゅん)を経て首を横に振る。


「とんでもありません。そのようなことは」

「気を遣う必要は無い。なにしろ初めて面会した人間の内、実に五割が君と同じ反応をするのでな!」


 もはや定番ネタなのだよ、と辺境伯は呵々(かか)と笑う。

 仮にも領主がそんな調子で大丈夫なのかと、色々な意味で心配してしまう発言だった。


「貴族らしい対応をお望みであったというのなら申し訳ないが、まあ見逃してくれたまえ。なにせここシールズは魔族領域との境界線付近に存在する都市だ。お利口に小さく纏まって護り通せるような土地柄では無いのだよ。王国の馬鹿共はアテにならんしな」


 椅子の背に体重を預けた辺境伯はそう(うそぶ)く。

 まあ王国云々はともかくとして、そのように説明されれば貴族らしからぬ姿にもある程度は納得出来る。

 ヘリアンはラテストウッドの民から聞いた話を思い返しながら、内心で頷いた。


 ――辺境伯グレン=ガーディナー。

 またの名を聖剣伯(・・・)

 『人類の盾』と称される境界都市シールズを実力で従えている英雄の系譜。


 その実力は名にし負う高位冒険者をも上回るとされており、魔族による侵攻の手が城砦を抜けてシールズにまで届いた際には、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()とまで言われている。


 これが現代世界であれば誇張表現も甚だしい与太話でしかないが、この世界は[タクティクス・クロニクル]に似た幻想世界(ファンタジー)である。

 一笑に付すような真似は出来ない。

 現に辺境伯は生身の人間でありながら、ガルディの一撃を目の前で防いでみせたのだ。


「とは言え、先程の一件は改めて謝罪しよう」


 と、辺境伯は雰囲気を一変させ、神妙な顔つきで切り出した。


「娘の恩人に対し失礼を働いた。言い訳にしかならんが、巡礼に向かわせた娘と連絡が取れなくなり気が気でない心境だったのでな。シールズに残されていた戦力から最精鋭を選出して護衛団を編成していただけに、まさかという気持ちだったのだが……」


 気が気でない心境、というのは嘘偽りの無い本音の発露だろう。

 突然連絡が取れなくなっていた愛娘が無事に帰ってきてくれたのだ。

 一人の親として居ても立ってもいられなくなったというのは至極自然な反応に思える。


 抱擁(ハグ)の為に空から降ってくるという奇行についてはさすがに理解が及ばなかったが、それほど心配していたということであり、また想定外の事態だったということなのだろう。


「その護衛団のことについてですが。我々がご息女を見つけた際には、既に……」

「ああ、娘から事の顛末(てんまつ)は聞いた。最後の神殿での巡礼を終えた帰路で巨獣と遭遇し、更には野盗紛いの傭兵団に襲われたと」


 ヘリアンは首肯で応じた。


「まさか巨獣種……それもベヘモスがあの地域に現れようとはな。アレは本来なら数百人規模で討伐軍を組織する必要のある化け物だ。そんなものと遭遇して、よくぞ娘だけでも逃してくれたものよ」


 苦味の走った表情で辺境伯は言う。

 どうやらセレスが視た巨大な魔獣は、想像以上に危険視されている化け物だったようだ。


「……ところで、シールズに残されていた戦力から選出された、と仰られるのは? まるで今のシールズには戦力が乏しいようにも聞こえましたが」

「うん? 言葉の通りだ。知っての通り魔族領域からの襲撃は既に退けたが、未だ我々の主戦力は境界領域の城砦に留めている。過去に例があるわけではないが連続して大規模襲撃が無いとも限らぬからな。それ故に、今現在シールズに残された戦力は境界騎士団の予備兵力と中級以下の冒険者が殆どという状況なのだよ。中には城砦から重傷者を護送してきた一部の高位冒険者もいるがね」


 なるほどと納得する。予断を許さぬ状況というわけではなさそうだが、万が一に備えて――緊急招集した冒険者も含め――主力を城砦に集中させたままということのようだ。


 ちなみに境界領域というのは、人類種が住まう人類領域と、魔族や強力な魔獣が生息する魔族領域の狭間に位置する地域のことである。

 両領域を橋渡しするかのような地形になっており、東西を険しい山脈で囲われている最前線地域だ。境界都市シールズから見て南方面に位置する。今現在の境界領域には三つの城砦が存在するらしい。


「さて。そろそろ娘が戻って来る頃だが、その前に言うべきことを言っておかねばな」


 辺境伯は表情を引き締め、そう話を切り出した。その厳かな視線を受け、対面に座るヘリアンも自然と背筋を伸ばす。


「私の娘を悪漢共より救ってもらい、心より感謝する。無事に娘と再会できたのは貴公のおかげだ」

「とんでもありません。我々はたまたまその場に居合わせただけで……」

「そして私の愛娘を助けてくれたのだろう? 法無き荒野でたまたま見かけただけの、見も知らぬ赤の他人を。ならば私は感謝しかない。

 領主の娘と知らぬまま、その上で賊を相手取ってまで娘を救い出してくれた清廉なる貴公らに、私は敬意と感謝を示す」


 言い切ると同時、辺境伯は僅かに頭を下げた。

 やんごとなき身分である領主が一介の旅商人に対する礼節としては、文字通り最上のものだろう。


「娘をここまで送り届けてくれた礼だ。受け取って貰いたい」


 辺境伯は部屋の隅に佇んでいた家令から包みを受け取り、卓上に置いた。

 じゃらりと重たげな金属音が鳴る。


 視線で促されたヘリアンが包みを開けば、中には真新しい金貨がぎっしりと詰め込まれていた。この地域で主に流通している王国金貨だ。その輝きを量を目にしたヘリアンは、静かに首を横にふる。


「……いえ、元より報奨を目当てに助けたわけではありませんので。既にご息女ともども感謝のお言葉を頂きました。そのお言葉で私共は充分に――」

「否、そういうわけにはいかん。大切な娘の命を救ってくれた恩人に対し、ただ感謝を告げただけで帰すような真似が出来ようものか」


 辺境伯は卓上の包みをずいっと前に押し出した。


「本来なら盛大に宴を開いて歓待したいところですらあるのだ。しかし今の情勢がそれを許してくれなんでな、今の私にはこのような形での報い方しか出来ん。これはせめてもの礼だ。貴殿の心情には反するかも知れんが、どうか受け取ってはもらえまいか」

「……承知致しました。そういうことでしたら、有り難く頂戴しようと思います」

「助かる」


 うむと辺境伯が頷いたその時、控え目なノック音が鳴った。家令が扉を引くと、そこにはシオンの姿があった。


「お待たせ致しました」


 シオンは部屋に踏み入り、しゃなりと腰を折って礼節を示した。

 身を清めた後だからだろうか。埃を落とし綺麗な衣服を身に纏った彼女からは心地よい香りが漂って来る。


 しかしよくよく見れば、彼女の目が僅かに赤くなっていることに気づいた。目元の腫れは化粧で誤魔化しているようだが瞳の色は隠しようもない。その様子にヘリアンは彼女の身分と境遇を思い出し、ああそうか、と一つの納得を得る。


 貴族の娘があんな荒野の只中で魔獣に襲われ、護衛と離れ離れになり、挙げ句の果てにただ一人きりで賊に追い回されていたのだ。平穏を象徴する我が家に生きて帰り、ふと張り詰めていたものが緩んだとして誰が責められようか。

 流した涙は生きて帰れた実感を得てのことか、あるいは自分の為に命を散らした者たちを想ってのものか。どちらかと言えば後者のような気がしたが、それを想像するのは憚られた。


 しかしシオンは、つい先程まで泣き腫らしていた素振りなど全く見せず、凛とした表情のまま粛々と辺境伯の隣に腰を下ろした。

 気丈な娘だと感じた第一印象はあながち間違っていなかったのかも知れない。


「先程の往来では愚父が大変失礼致しました。当家を代表して深く陳謝致します」

「おいシオン。この父を前にしてそれは無いのではないか?」

「お黙りくださいませお父様。ガーディナー家の品位が疑われます」

「……聞いたかねヘリアン殿。まったくひどい娘を持ったものだ。私はあんなにも娘の身を案じていたというのに」


 水を向けられても困る。

 貴族として酷く際どい親子の会話にどう意見を述べろというのか。

 この場に居るだけでも場違い感を覚えているというのに。


「お父様。ヘリアン様が戸惑われています」

「む。そうか、失礼した。……ところでヘリアン殿、君たちは本日の宿についてアテはあるかね?」

「いえ。この街には初めて来るもので、特には」

「であれば、我が家に逗留せぬか? たいした歓待は出来んが、部屋はいくらでも空いている」

「お父様にしては素晴らしい提案です。ヘリアン様。それにリーヴェ様、セレス様、ガルディ様、是非とも当家にご逗留くださいませ。色々とお話を聞きとう存じます」


 頬が引き攣りそうになる提案だった。


 ゆくゆくは情報収集の範囲を拡大すべく、人間国家の上流階級との縁を深める場面も出てくるだろう。しかし、あくまで今回の遠征は『本格的な情報収集活動を行う為の拠点造り』がアルキマイラとしての目的だ。遠征地に赴いた初日から統治者との縁を深めるなどと段階飛ばしにも程がある。段取りが滅茶苦茶だ。


 また、いきなり“王”などという不釣り合いな立場を強要されたヘリアンにとって――たとえ偽装とは言え――旅商人という気楽な立場で交渉練習が出来る今回の遠征は貴重な機会だった。

 今度こそ身の丈にあった歩幅で確実にコトを進めたい。

 そんな想いを抱いていたヘリアンとしても、いきなり自分の立ち位置(ステージ)を繰り上げられるのは到底歓迎出来る事態ではなかった。


 慌てて口を挟む。


「ありがとうございます。しかしながら我々は礼節や作法も満足に知らぬ身。こんなにも立派なお屋敷でお世話になるのは心苦しいものがあります。折角のご提案ですが……」

「……ふむ。ならば私の名で宿を紹介しよう。この街は往来が盛んな故に宿の数はそれなり以上にあるが、この時期はどこも混み合っている。時間も時間だ。長旅で疲れている中、宿を探し回るのは辛かろう」

「それは――ええ、助かります。何分右も左も分からない田舎者ですので、ご厚意ありがたく頂戴したく」

「では少々待っていてくれたまえ。迷宮区方面に行商人からの評判が良い宿がある。直ぐに紹介状をしたためよう」


 家令に筆と紙を持ってくるよう伝えた辺境伯に、隣に座るシオンは不満げな声を漏らした。


「で、ですが。お父様」

「シオン。彼らには彼らの都合がある。無理に押し留めるものではない」


 納得のいかない顔をしていたシオンだったが、辺境伯と視線を交わすこと数秒、諦めたように口を噤んだ。


 辺境伯は家令から差し出された上質な羊皮紙を机に広げ、サラサラと筆を走らせた。書き終えた羊皮紙を丸め、巻いて留めた糸の上に封蝋を施す。そうして二通分の書簡が差し出された。


「右が宿の紹介状、左はシールズの往来許可証だ。許可証については一般向けに発行しているものとは異なり、ある程度の便宜を図るようになっている。今回の礼のようなものだ、使ってくれ」

「いえ。既にお礼は十分過ぎる程に頂きました。これ以上は……」

「そう言ってくれるな。娘の前では私に格好をつけさせてくれ」


 そのような言い方をされて断るのは野暮でしかない。

 僅かに躊躇(ためら)った後、ヘリアンは巻物状の書簡を二つとも受け取る。


「此度は何かと慌ただしくて申し訳なかった。また後日、情勢が落ち着いた頃にでもじっくりと話す機会を設けさせてもらいたい。その際は盛大に宴を開かせてもらうでな、楽しみにしておいてくれ」

「……恐縮です。機会に恵まれましたら、是非に」


 無難な回答で濁したヘリアンは重ねて感謝の言葉を告げ、場を辞す合図として立ち上がり、お辞儀した。


 若干不安ではあったが従者の三人も合わせて頭を下げてくれた。内心で胸を撫で下ろしつつ、ヘリアンは三人を伴って貴賓室から退出した。

 道に迷いそうな広い屋敷内を家令の案内で進み、屋敷の下男に預けていた馬車を引き取る。そうして、屋敷というよりちょっとした城並の規模と威容を誇る辺境伯邸を後にした。


 ようやく身内だけに戻れたヘリアンは思わず安堵の溜息を吐きそうになる。だが、それはまだ早い。取り敢えず今夜の寝床である宿に辿り着くまで緊張の糸を切るべきではないだろう。


 <地図(マップ)>を開く。辺境伯から聞いた宿の位置は既にマーキング済みだ。宿は辺境伯邸がある中央区から見て北方向――迷宮区付近に位置した。馬車に乗り込み、座標を伝えたガルディに先導を任せる。


 ……宿までもう少しだ。

 疲労を訴える身体に言い聞かせるようにして、ヘリアンは内心で呟いた。




・次話の投稿予定日は【11月21日(水)】です。

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