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第十三話  「境界都市シールズ」

大変長らくお待たせ致しました。

異世界国家アルキマイラ、二章の更新を再開します。

楽しんで頂ければ幸いです。

 賊との遭遇戦から数時間後。

 馬車を曳いてきたガルディと合流した一行は、馬車の新たな乗員に少女を加え、一路境界都市を目指して進んでいた。


「まあ、こんなもんかな。ちょっとサイズが大きいかもしれないけど、手持ちじゃこれが一番小さな服。悪いけど街まではこれで我慢してもらうしかないわね」


 馬車の中、布で仕切った奥のスペースからセレスの声が漏れ聞こえる。どうやら少女の着替えが終わったらしい。給仕の用意をしているリーヴェの様子を眺めながら、ヘリアンはカーテンの奥から聞こえる声に耳を傾けた。


「いえ、とんでもありません。むしろとても手触りが良い素材で……銀蝶絹糸、でしょうか? こんな良い品を使わせてしまい申し訳ありません。街に戻れば必ず、正当な代金を払わせて頂きたく存じます」

「えっ? ……ああ、いえ、いいのよ全然。大した出費でも無いし気にしないで」


 奥から聞こえてくる会話から察するに、少女は落ち着きを取り戻してくれたらしい。助け出した直後のやり取りでは心ここにあらずな状態だったので心配していたが、普通に会話を交わせる程度には回復しているようだ。


「お待たせ致しました」


 サッと音を立てて(カーテン)が引かれる。

 黒髪の少女――シオンが、ひらひらとした衣装を身につけてそこに居た。

 間違っても旅をする服装ではないがとても良く似合っている。町娘とは一線を画した気品が感じられた。


「ヘリアン様、シオン様。お茶が入りました」


 シオンがヘリアンの向かいに着座する。そのタイミングに合わせ、紅茶を淹れ終えたリーヴェが白磁製のカップを手渡してきた。


 揺れる馬車の中で不手際無くお茶を淹れられるのは、給仕技能を身に着けているリーヴェならではだ。セレスも不器用というわけではないが、軍団長である彼女は給仕関連の技能は身につけていない。むしろ軍団長という立場は本来給仕される側だ。リーヴェやエルティナがその手の技能を身に着けているのは、王であるヘリアンに(はべ)る機会が多いからである。


 品よく両手で受け取ったシオンはすすめられるままカップに口をつけた。細い喉が嚥下(えんか)の動きを見せると、彼女は驚いたように目を瞬く。


「――美味しい」


 思わず、といった声色で(こぼ)れ出た言葉。

 呆とした吐息からは嘘偽り無い素直な感想であることが如実に伝わってくる。

 どうやら御気に召してもらえたらしい。


 シオンが口にしたのは鎮静効果のあるハーブティーの一種だ。

 アルキマイラの花妖精族が種を作り、ドリアード族が祝福を施しながら育てた数種類のハーブ。その中でも高品質な上澄みの素材を厳選した上で、第三軍団選りすぐりのエルフ族が調合し、第一軍団の給仕人達による厳しい審査を突破した王室ご用達の一品だ。

 その味わい、その効能共に折り紙つきである。


「っ、不行儀失礼致しました。あまりにも味わい深かったもので、つい……」

「気にしないでくれ。美味しく飲んでくれたならこちらとしても嬉しい」


 こちらの視線に気付いたのか、シオンは慌てて口元を隠した。頬が僅かに紅潮しているあたり、どうやら本気で恥ずかしがっているらしい。


 賊から逃げ延びていたバイタリティからしてもっと違う人物像を想像していたのだが、やけに初々しい仕草に伺えた。こんな馬車の中でまで作法(マナー)を気にしていることといい、容姿といい、やはり貴人である可能性が高い。少なくともただの町娘というわけではないだろう。


 観察を続けるヘリアンの対面、シオンは上品な所作でハーブティーを飲み干すと満足げな吐息を漏らした。その雰囲気から十分に落ち着いてくれたであろうことを察したヘリアンは話を切り出す。


「それでは改めて自己紹介させてもらう。先程も名乗ったとおり、私の名はヘリアンだ。商人もどきの旅人で、今は境界都市を目指している」

「ヘリアン様の従者を勤めております、リーヴェです」

「同じく、セレスよ。よろしく」


 ヘリアンに視線を向けられたリーヴェが、主の意を汲んで自発的に答えた。

 続いてセレスも少女に名乗る。


「それと、外で先導している大男がガルディだ。外見は恐ろしいかもしれないが、顔に似合わず悪い奴ではないので安心してくれ」


 あえて砕けた口調で最後の一人を紹介すると、シオンは眉尻を下げた笑みを浮かべた。そしてソーサーにカップを置いた後、彼女は改めて姿勢を正し表情を引き締める。喉の調子を整えるように咳払いを一つして、その小さな口が開かれた。


「ご紹介頂き恐れ入ります。また、御礼申し上げるのがかように遅れてしまい申し訳ありません。わたくしの名はシオン=ガーディナーと申します。危ないところをご助力頂き、誠に有難う存じます」


 言葉と共に、シオンは頭を深く下げた。黒くしなやかな髪がサラリと垂れる。

 綺麗な言葉に流麗な所作。紛れもなく貴人であることを伺わせる口上だったが、それを耳にしたヘリアンは己の頬が引き攣ったのを自覚した。


「……シオン=ガーディナー?」


 少女の名前をオウム返しに口にする。

 いや、シオンという名はいい。それはいいのだ。その名は既に聞いていたので何も問題は無い。問題なのは姓の方――『ガーディナー』という家名についてだ。


 ラテストウッドから得られた境界都市の情報は少ないが、地域一帯を治める辺境伯の家名についてはさすがに知っていた。

 境界都市シールズの領主。

 『人類の盾』とも称される重要拠点を治める大貴族。

 その家名は確か『ガーディナー』ではなかっただろうか。


 ……まさか。


「私の記憶違いで無ければ……境界都市シールズを統治している辺境伯の家名が、ガーディナーだったかと思うのだが。もしや……」

「はい。シールズの領主グレン=ガーディナーはわたくしの父です」


 あっさりと紡がれた少女の言葉にヘリアンは目眩を覚えた。


 ……冗談じゃない。


 所作が綺麗なのも言葉遣いが丁寧なのも当然だ。なにせ貴人どころか大貴族様の娘ときた。これは何の呪いだ。凄まじいデジャブを感じる。レイファとの出会いといい今回の一件といい、なんで助けた相手が尽く重要人物ばかりなのか。


「お疑いになられるのも無理からぬこととは存じますが」

「い、いや、疑うわけではないのだが……ガーディナー家のご令嬢ともあろう方が、何故このような場所に?」


 普通ならこんな場所に居ていい人物ではない。

 なにせここは魔獣が蔓延(はびこ)る荒野の只中だ。

 護衛の姿もなく単身で賊に襲われている貴族令嬢など、ましてやその正体が領主の娘などと、どう考えても異常である。


「父からの命で巡礼に(おもむ)いていたのです。最近は魔族領域からの大襲来が発生したり迷宮が不穏な動きを見せていたりと、何かと情勢が不安定だったものですから。ガーディナー家の女として、わたくしがこの度のお役目を仰せつかりました」

「……巡礼のお役目、ですか」


 宗教儀式のようなものだろうか。

 役割的に巫女や神職に近しいものを感じる。


「はい。ですが西の神殿からの帰路の最中、突如として巨獣種による強襲を受けてしまい……」


 その言葉に、セレスが発見したという『巨獣とその周囲に転がる人型』がヘリアンの頭をよぎった。


「先程の場所に辿り着くまでの間、遠目に巨獣の死骸と……多数の人が倒れているのを発見したのですが」


 言葉遣いを改めて問いかけると、シオンは沈鬱な表情で視線を落とした。


「…………わたくしの護衛の者たちです。わたくしを逃がす為の時間を作ると言って、多くの者がその場に留まりました。なんとか数人の護衛と共にその場を脱したのですが、何の因果か、その後程なくして先程の傭兵団に遭遇してしまい……後はご存知の通りです」

「――失礼致しました」


 謝罪の言葉と共に頭を下げる。


 シオンは数人の護衛と共に逃れたと言った。

 けれどヘリアン達がシオンを発見した時には彼女は一人きりだった。

 ならば彼女と共にその場を逃れた数人の供達がどうなったか……傭兵団という名の賊に“どうされたのか”は容易に想像がつく。


 しかし、肝心の彼女だけは逃げおおせた。シオンが逃げるだけの時間を彼らが作った。だから自分達が間に合った。彼らは己の仕事を果たしたのだ。


 何分手持ちの情報が少なすぎて彼女の説明には不明な部分が多々あるが、シオンは恐らくありのままを語っている。あえて彼女の言葉を疑うとしたら、ここで確実に自分たちの庇護を得るために貴族令嬢を騙っているという線だが……それはあまりにも穿ち過ぎというものだろう。


 どちらにせよ、シオンをどうするのかの方針は決まっている。

 彼女の正体が何であれ、一度助けてしまった以上、家まで無事に送り届ける責任がある。少なくともヘリアンはそう考えていた。


「事情は分かりました。ともかく境界都市までの道のりはお任せ下さい。私はさておき、従者の三人はいずれも荒野の魔獣をものともしない腕利きです。お屋敷まで無事に送り届けさせて頂きますので、どうぞご安心を」

「申し訳ありません。何分今この場では何も持たない身の上ですので、お言葉に甘えさせて頂きたく存じます」

「畏まりました。道中は揺れるかと思われますが、何卒ご容赦ください」


 ガタゴトと揺れる馬車の中、ヘリアンはシオンに対して(うやうや)しく頭を垂れた。

 彼女の正体を知ってしまった以上、一介の商人であると自称する身の上ではこれぐらい(へりくだ)っておいた方が良いだろう。


「……あの、どうか楽になさって下さいませ。敬語も、その、結構ですので」


 しかし、当のシオンが居心地悪そうに身を(よじ)った。そして丁寧な口調ながら、謙った態度を改めるようヘリアンに要求する。


「しかし、ガーディナー家のご息女ともあろう方にそのような……」

「お願い致します。命の恩人に頭を下げさせたなどと知られては父に叱られてしまいます。わたくしは貴方方に助けられた身。命の恩人に頭を下げられることを良しとはしたくありません」


 そのような言い方をされては意固地に断るのも難しい。

 恐らくはそれを考慮した上で父親を引き合いに出したのだろうが、自然とそのように話を持っていけるあたはやはり貴族ということか。


 社交辞令の可能性を考慮してもう一度だけやんわりと断ってみたものの、シオンの回答は変わらなかった。どうやら本心で言っているらしいことを察し、ヘリアンは幾らか砕けた口調に切り替えることにする。


 無論、彼女の言葉を鵜呑みにして完全に敬語を取っ払う真似は出来ないが、無闇矢鱈に畏まった口調は改めた方がいいだろう。


「それでは、陛――若様。アタシも周辺警戒に戻っておきます」


 会話が落ち着いたのを見計らったセレスがそう発言した。危うく陛下と口にしかけていたようだが、どうやら商人ヘリアンに対するセレスの呼び方は『若様』に決まったらしい。


 ヘリアンが首肯で応えると、セレスは馬車の先頭へと向かっていく。

 そしてガルディに対し「あの子やっぱりお偉いさんだったから、アンタも態度には気をつけなさいよ」と注意し、ガルディは「へいへい。分かってらぁ」とおざなりに応じていた。

 相変わらずの凸凹コンビの掛け合いに、先程の遭遇戦でささくれだっていた心が僅かながら癒やされるのを実感する。


 思わず苦笑を浮かべていると、ふと向かい側に座るシオンからの視線を感じた。

 ヘリアンは顔の向きを正面に戻すが視線は交わらない。シオンの瞳が自分の顔ではなく更にその上、頭の方へ向いていたからだ。


 何か変なものでもついているだろうかと手で払ってみたが特に何も無かった。だが、先程までチラチラと向けられていたシオンの視線はもはや凝視と言っていい強さでヘリアンの頭を捉えている。


「……あの、私の頭に何か?」


 問うと、シオンはハッとした表情になり慌てて顔を伏せた。

 どことなく頬が赤い。


「も、申し訳ありません。その、御髪(おぐし)の色が珍しかったもので……」

「ああ。髪ですか」


 自分の前髪を摘みながらヘリアンは答える。摘んだ指先には、シオンの髪と同じ色である黒髪の一房がある。

 最初に出会った人間(シオン)が黒髪だった事実から、もしかするとそこまで珍しい色では無いのかとも考えていたのだが……彼女の言葉からするとやはり稀有な髪色だったらしい。


「この辺りでは黒髪の人は少ないのですか?」

「はい。血族の人間を別にすれば純粋な黒髪の方をお見受けするのは初めてです」


 むぅ、とヘリアンは内心で唸った。

 血族とは、境界都市を治めるガーディナー家の一族ということだろう。

 そうなると当初予想していた『黒髪の人間が全く居ない状況』よりも厄介だ。

 妙な勘違いや不要なトラブルを招きかねない。


「となると……私は境界都市ではあまり髪を晒さないほうが良いでしょうね」

「――そう、ですね。出来ればお隠しになられた方がよろしいかと」


 シオンはしばし何かを思案する素振りを見せた後、そう首肯した。

 なるほどと応じたヘリアンは、取り敢えずフードを目深に被って髪を隠すことにする。ちょっとやそっとじゃ外れないようフードの紐を固く結んだので、当面はこれで大丈夫だろう。


 それから暫くの間、情報収集を兼ねた取り留めの無い会話を交わすこととなった。無用な問題(トラブル)を起こさぬよう差し障りのない話題を選択したものの、その範囲内ではラテストウッドから入手した情報との致命的乖離が無かったことを確認する。


 そして話題がシールズの成り立ちに移ろうとしたその時、一同の先頭についていたガルディから張りのある声が飛んできた。


「大将。見えてきましたぜ」


 ヘリアンは馬車の進行方向に視線を飛ばす。すると、遠目に城壁のようなものが薄っすらと見えてくるのが分かった。シオンもまた、ヘリアンの脇から身を乗り出すようにして進行方向を注視する。

 何処か眩そうに見つめるシオンに対し、ヘリアンは問い掛けた。


「シオン様。もしやアレが……」

「はい。アレがわたくし達の街――境界都市シールズです」




    +    +    +




 それから二十分ほどかけて、一行の馬車はシールズの外壁に到着した。

 間近で見る外壁は想像以上に高い。四十メートルはあるだろうか。間近で見上げ続ければ首が痛くなるであろう程の高さだった。


(城塞都市……ってやつか)


 歴史の講義で写真を見たことがある。確かルクセンブルクだっただろうか。

 しかし眼の前に(そび)える外壁は写真で見たものよりも遥かに高く、都市全域をくまなく囲っている。たとえ魔獣が攻めてきても容易には突破されないであろう堅牢さが伺えた。


 しかも、とんでもなく広い。

 壁を見上げる程の距離まで近づけば、外壁の両端、その果てが全く見通せない程の広大な面積を覆っていた。見るからに堅牢な外壁が視界の彼方まで延々と続いている。


 これほど広大で堅牢な城壁を築き上げる為に、果たしてどれ程の年月を費やしたのだろうか。少なくとも十年や二十年では利くまい。ここが地球であれば世界遺産に登録されていてもおかしくない代物だった。


「随分と立派な防壁ですね」

「はい。境界都市を初めて訪れた方は皆揃ってそうおっしゃいます」


 シオンは淑やかな微笑みを浮かべて答えた。

 自分の街とあってか、口調にもどこか誇らしげな響きがある。


(アガルタの外壁と似てるな)


 ヘリアンが思い浮かべるのはアルキマイラの首都である『アガルタ』の外壁だ。

 アルキマイラの仮想敵とは人間ではなく魔物である。中には巨人族や竜族といった、文字通り人間とはスケールの違う存在も含まれており、外壁に求められる強度もまたそれに準拠した。


 そしてこの境界都市もまた、人間ではなく魔族や魔獣を敵対者とした最前線の街と聞く。ならば、日本の教科書で見た対人間用の外壁よりも遥かに高く築かれているのも道理だ。アガルタと似ているのも当然だろう。


 しかし、一方で違いもある。アガルタは隠蔽・防御に長けた首都結界を外壁に沿って常時展開させているが、ここには首都結界が張られていない。何やら文様が刻まれているものの、壁面や門に脈動する光が見受けられないのがその証左だ。

 立派は立派だが、これでは文字通りただただ頑丈なだけの壁である。


「ふーむ……」


 ガルディが腕を組んで外壁を見据えている。

 その隣で、セレスも何かを計算するかのように顎に指を当てて考え込んでいた。


「そこそこ分厚そうだが……まあ、三発から四発ってとこか」

「省略詠唱でも十分そうね。攻城用魔術じゃなくてもいけそう」


 ……物騒な感想が聞こえてきたが気のせいだろう。


 いくら好戦的な魔物とは言え、理知的な部類に入るセレスとなんだかんだで要領が良く空気を読めるガルディだ。(わきま)えてくれていると信じている。信じさせて欲しい。頼むから信じさせてくれ。少なくとも第七軍団長(ロビン)第八軍団長(ノガルド)より百倍マシなのは確かな筈なのだ。


 何故か胃がキリキリと痛んだが、意図的に無視して門へと歩みを進める。


 外壁に設けられた城門は、大型の馬車が十台横に並んでも通れるような立派な造りをしていた。今は鎖が巻き上げられているが、有事において使用されるのであろう金属製の分厚い落とし格子が門に備え付けられている。それが飾りではなく実際に使用されていることを示す証左として、落とし格子の下端の杭には乾いた土が付着していた。


 その城門の右端に、商隊と思しき集団が列を作っている。どうやら門での審査に時間を取られているようだ。ヘリアン達の馬車はシオンの指示に従い、その脇を通り過ぎて門前へと辿り着く。


「――む? なんだお前たちは。街に入りたいのなら列の後ろに並べ。今は他の商隊の審査待ちだ」


 城門前に立っていた門番に案の定呼び止められた。プレートアーマーに身を包み、手には長槍を装備している。列を無視して近づいてきたのだから当然の対応だろう。


「それとも紹介状持ちか? であるならば、規定の手続きに従い……」

「お勤めご苦労様です。紹介状はありませんがここを通してください。最優先での対応を求めます」

「……何を勝手なことを。紹介状が無いのなら、大人しく列に――、……ッ!?」


 不快げな声色を発していた兵士は、馬車内からかけられた声の主を覗き込むなり息を呑んで顔色を一変させた。


「あ、貴方様は……!?」

「お静かに願います。今ここで騒ぎになることは避けたいので」


 大声を上げそうになった兵士の機先を制するようにシオンが声を放った。

 パクパクと口を開け閉めしていた兵士は、ようやく言われたことを咀嚼(そしゃく)したのか、ビシッと背筋を伸ばして態度を改める。


「――ハッ、失礼致しました。しかしながら、お父上には急ぎお知らせする必要が御座います。伝令を走らせることをご許可頂きたく」

「許可します。但し出迎えは不要、と。父にはこれから屋敷に戻る旨のみをお伝えなさい。詳細はわたくしの方から直接報告しますので、余計なことは知らせぬように願います」

「ハッ!」


 目立つのを避けたいというシオンの意図を汲んだのか、兵士は略式と思わしき敬礼に留め、門の受付に(きびす)を返していった。やがて受付付近に待機していた複数の兵士から驚愕の視線が向けられたが、彼から言い含められたのか直ぐにその視線は散らされ、受付まで来るよう案内される。


 そうしてヘリアン達一行の馬車は、たいした検査を受けることもなく門を通って街の内部へと進んでいった。

 さすがは領主のご令嬢様だと感心するヘリアンは、しかし外壁を潜り抜けて街の内部へと足を踏み入れた途端、さらなる感情に襲われて吐息を零した。


「おぉ……」


 感嘆の声を漏らすヘリアンを出迎えたのは、古き良き中世都市を思わせる歴史深い町並みだ。


 道路は石畳で綺麗に整備され、門から延々と続く大通りの両脇には理路整然と石造りの建物が並んでいる。

 しかしながら、外壁が円状に都市を覆って構成されているにも関わらず閉塞感は無く、広々とした空間の使い方がされていた。

 所狭しと建物が並んでいる一方で、大きな水路を都市内部に巡らせていたり、緑地広場が設けられていたりと色彩も豊かだ。


 そしてなにより――


「さあさ、寄って見て買ってっておくれ! 採れたてのククル酒だ! 旨いよ!」

「城砦の補強工事、人員募集中ー! 希望者は冒険者ギルドの掲示板までー!」

「よぉ、久しぶりだな。境界領域までの隊商(キャラバン)を編成中なんだが乗らないか?」

「出発は? なに、明日? そりゃ無理だ。発注した武具の納品日は明後日なんだぜ。三日後の出発なら考えねえでもねえが」

「えー、こちらヘルニルの蒸し焼きを出張販売中でーす。本日の夕飯に如何でしょうかー。がっつり召し上がりたい方はアラーヌ食堂へいらっしゃいましー!」


 ――この活気だ。ざっと見渡すだけでも、あちらこちらで呼び込みや交渉、威勢のよい声を放つ人々の姿がある。

 そこには市民が居て、兵士が居て、商人が居て、職人が居て、子供が居て、老人が居た。そしてその誰もが忙しなく動き回っていた。大いなる賑わいに満ち溢れていた。ともすれば国の首都だと紹介されても納得出来そうな程に、だ。


「……これは、凄いな」


 称賛の声が口をついて出た。

 大きな街だとは聞いていたが想像以上にスケールがでかい。なにせ今目にしている地区だけでも何百と建物が見受けられるのだ。面積だけでいえば、現在のアガルタをも超えているように思われた。


「はい。わたくしの自慢の街です」


 身を乗り出すヘリアンの背後からシオンが応じる。その顔には、自慢の宝物を見せびらかす子供のような笑顔があった。


「話には聞いていましたが……見事な街並みですね。いやはや、想像以上です」

「そう言っていただけると嬉しいです」

「最近は大規模な襲撃があったと聞いていたので、失礼ながらもっと緊迫した空気が流れているかとばかり思っていましたが……街並みもさることながら道行く人々の笑顔を見て驚いてしまいました」


 多少のリップサービスはあるものの基本的には素直な感想である。

 言葉の通り、広々とした大通りを行き交う人々の表情に重苦しいものはない。つい先日まで魔獣による襲撃があったとは思えないほど活気に満ちていた。


「ええ。幸いにも前線の城砦で襲撃を食い止められたので、シールズは無傷で済みました。魔族領域方面――街の南側に位置する突出区では若干物々しい空気になっていますが、ここは西側に位置する商業区ですので。街の商業施設が最も集中しているこの地区では、毎日がご覧の通りの活気なのです」

「……なるほど」


 境界都市シールズ。通称『人類の盾』。

 それは五つの区域と三つの城砦から構成された都市郡であり、『人類種が生息する領域』と『魔族が生息する領域』を繋ぐ陸路に蓋をするようにして造られた人類の重要拠点の一つだ。

 この都市郡に託された至上命題は魔族による侵攻を防ぎ、魔族領域に魔族を押し留め、人類領域を守護し続けることにある。


 それがラテストウッドから聞かされていた境界都市シールズに関する情報であり、てっきり戦闘に特化した城塞都市、或いは戦時下における前線基地のように固く律された厳粛な光景を想像していた。

 しかしながらこのような光景を見せつけられては、その認識を改めなくてはならないようだとヘリアンは唸る。

 実際に見分した境界都市シールズは前線基地などではなく、大都市と言って過言ではない様相を見せていた。


(領土防衛の為の前線基地ってイメージしかなかったけど、実際見てみないと分からないもんだな……)


 百聞は一見に如かず。他人から聞かされた情報と自身の身を以て体感した情報とでは鮮度が異なる。わざわざ自分自らが国外に出たのはそういった意味でも正解だったかもしれない。


 そんな実感を覚えながら、ヘリアンはゆったりと進む馬車の中、シールズの街並みを興味深く観察し続ける。

 危険地帯にほど近いにも(かかわ)らずこれ程の活気に満たされているというのだから、この街を治める辺境伯は余程優れた為政者なのだろう。


「――ォ――――ン――――」

「? ……今、何か」


 領主の姿を思い浮かべていると、ふと遠くから叫び声のようなものを耳にした。

 この喧騒の中にあって妙に耳に通る声だったが、その一方で随分と距離が離れている為か何を叫んでいるのかまでは聞き取れない。

 ただ、その音源が段々と近づいてきていることだけはよく分かった。


「――オォォ――ン――――!」


 叫びはグングンと近づき、大通りに居た人々が声の音源と思しき方角を向く。

 が、何故かその視線群はやや上向き加減に向いていた。

 釣られてその視線を追えば、沈み始めた太陽の中に一つの人影が浮かんでいる。


「……え? 人影?」


 呆気に取られつつ呟く。

 音源はいつの間にか間近な距離にまで迫っていた。

 そして夕陽を背にした人影は、見る間にその影を大きくして、


「シイィィィィィィオォォォォンンンンン!!」

「――……ッ!?」


 降ってきた(・・・・・)

 文字通り、空から、一直線に。

 ヘリアンの乗る馬車に向け、謎の叫声と共に落下してくる。


「ッ、防げ、ガルディ!」


 先頭に立つ従者へ咄嗟に命じる。

 ガルディは即応し、謎の襲撃者を正面から迎え撃った。

 落ちてきたボールをバットで弾き返すかのように、ガルディの手にした棍棒(メイス)が襲撃者へと叩きつけられる。


「――ぬうっ!?」


 しかし、あろうことか襲撃者は棍棒(メイス)による一撃を十字に構えた腕で受け止めた。

 あまりの衝撃に両足で十数メートル程も地面を削りながら、しかし吹き飛ばされることなくその場に身体を残す。そして襲撃者は唸るような声を漏らしながらも、構えた腕の奥に双眸(そうぼう)をギラつかせていた。


 ――驚いた。


 ヘリアンは眼の前の衝撃的光景に目を瞠る。

 今、この襲撃者は、ガルディの一撃を真正面から耐え切ってみせたのだ。


 勿論ガルディは最大限に手加減している。『許可無くヒトを殺すな』という王の厳命の元、決して殺してしまわぬよう緻密な制御(コントロール)を行っての迎撃行動だった。

 しかしそれでも、ガルディの繰り出す棍棒は凡百の人間が耐えられるような威力ではない。少なくとも粉砕骨折程度の傷は負って然るべき一撃だった。


 そんな代物を真正面から受け止めておいて尚、謎の襲撃者は気絶すらしておらず、戦闘続行可能なダメージに押し留めている。


「……何者だ?」


 斜陽が作る濃い影の中、襲撃者――壮年の男が誰何(すいか)の声を放ってくる。


 だが、それはむしろ此方(こちら)の台詞だ。

 襲撃してきた事実もさることながら、こいつは明らかに普通の人間ではない。

 先程遭遇した賊などとは格が違う。

 完全人化形態な上に手加減しているとは言え、まさかガルディの攻撃を受けてピンピンしていられる人間が存在するとは思わなかった。


「いや、何者だろうと構わん。隣の娘を渡してもらおうか」

「――断る」

「なに?」


 考えるまでもなく拒絶すると、襲撃者は怪訝げに片眉を釣り上げた。

 まさか断られるとは思わなかったとでも言いたげな表情だ。


「この私の要求を断ると?」

「そうだ。貴様が誰であろうが知ったことか」


 ヘリアンはシオンを背後に隠すようにして身体を動かした。

 そうして襲撃者を真っ向から睨みつけたまま、強い口調で応じる。


「この娘は私が保護した。家まで無事に送り届けると、この私がそう約束(・・)したのだ。であるからには、誰が相手であろうとも彼女は渡さん」


 左の薬指を鳴らす。

 その動作をトリガーとして、事前に組まれていた<圧縮鍵(マクロ)>が起動した。


 <圧縮鍵(マクロ)>によって構成された<指示(オーダー)>の集合体が瞬時に発信され、従者の三人が即座に陣形を整える。純前衛職のガルディを先頭に立て、機動力の高いリーヴェを中衛に、魔術師であるセレスを後衛としてヘリアンの傍に置く防御陣形だ。


 更に、敵対ユニットを瀕死にまで追い込むことが条件付きで許可される。

 <圧縮鍵(マクロ)>に組み込んだその条件は『プレイヤーユニット(ヘリアン)、もしくは護衛対象ユニット(シオン)に対する攻撃が行われた時』だ。


 国を出た当初は自身(ヘリアン)のみを対象にして組んでいた<圧縮鍵(マクロ)>だが、シオンを救出してから彼女を条件に付け加えていた。

 何故ならばシオンを家に送り届けるとの約束を口にしたからだ。ああまでして助けた彼女を、絶対に無事に帰すのだと誓ったからだ。

 その誓約を阻む者がいるならば、誰であろうが容赦はしない。


「――ほぉう?」


 指先一つで従者を動かしたヘリアンに対し、襲撃者は感心したように唸った。

 ギラついた双眸から圧力を帯びた視線が刺さる。

 普段ならば腰が引けていたかもしれない剣呑な眼光だ。

 しかし、ヘリアンは臆することもなくその視線を受け止めた。

 場合によっては右手の薬指すら鳴らす覚悟で襲撃者を睨み返す。


 そうして生まれた均衡。

 従者三人と襲撃者の間に殺気が飛び交う。

 周囲の人間は微動だに出来ずその光景の前に立ち竦んでいた。

 一触即発の状態。

 そこへ場違いな程に弱々しく、恥ずかしげな呟きが発せられた。


「……お、お父様……」


 呟きは今にも消え入りそうにか細い。

 しかしその声を間近で聴き取ってしまったヘリアンは、錆びついた首の動きで声の発信源――自らの隣に座る少女(シオン)を見た。


「……………………今、なんと?」


 聞き間違いであって欲しい。

 空耳であってくれ。

 そんな悲壮な思いを()めながら発したヘリアンの問いに、シオンは身を縮めながら答える。


「あの……わたくしの父です……申し訳ありません」

「…………どなたが?」

「あそこで拳を構えている人がそうです……。なんと言っていいのか、本当に、本当に申し訳ありません」


 頭痛を堪えるようにして告げられた言葉を受け、ヘリアンは絶句した。

 そして小さく指差す彼女の指先を追って見れば、そこにはいつの間にか構えを解いた襲撃者――精悍な顔つきをした偉丈夫が顎髭を(しご)きながら立っていた。

 建物の影に隠れていて分からなかったが、よくよく見れば彼の髪色はシオンと同じ黒髪である。


 つまり先程の台詞は「そこの娘を寄越せ」という脅迫ではなく、文字通り自分の娘を指して口にした言葉であり……


「ふぅむ……いや、失礼。身の内から溢れ出る衝動を抑え込むことが出来なんだ。最愛の娘が誰とも知らぬ輩に連れられて帰ってきたと聞かされ、居ても立ってもおられんでな。娘の姿を見た瞬間、つい抱きかかえに行ってしもうたわ」


 男は悪びれもなく「ガハハハハ!」と哄笑する。

 隣からは「……だから余計なことは言わないでって言ったのに。待っててって言ったのに……」というこの上なく羞恥に満ちた呟き。

 ヘリアンは愕然としながら、続く男の――この街を統べる辺境伯の言葉を聞く。


「どうやら我が愛娘を保護してくれた様子。感謝の言葉を申し上げたいが、このような往来の中心では少々まずかろう。まずは私の館まで娘を連れ帰った後、改めて礼を尽くしたいと思うのだが――ああいやこれは失敬、『誰であろうが渡せぬ』のであったな。であれば致し方ない。スマンがこのまま館まで同行してもらいたいのだが、如何だろうか?」


 先程の豪快な笑い声とは一転、ニマニマと人の悪そうな笑顔を浮かべた辺境伯が問い掛けてくる。


 ただの行商人に選択肢など有るはずもない。

 ヘリアンは早々に胃の痛みを感じつつも、肯定の意を返すしかなかった。




・次話の投稿予定日は【11月18日(日)】です。



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