第十一話 「賊」
「――人間だと?」
セレスからの報告を受けたヘリアンは、思わず聞き返した。
『はい。谷を超えた先、崖下の平野に一人だけ……それも子供みたいです』
荒野に子供が一人、という情報にヘリアンは眉を顰める。
通常ならばここまで三日はかかる道程を、ヘリアン達は魔術頼りに崖や谷をショートカットすることにより僅か一日で辿り着いた。しかしながら、現在地から境界都市までは馬車で半日はかかる距離が未だ残されている。こんな荒野のど真ん中に子供が一人で居るというのはあからさまに不自然だ。
「その子供の特徴は分かるか?」
『詳細な顔立ちとかは分かりませんけど……えぇと、背格好からして十代半ばの女の子、かな。服装は……随分と良い身なりをしているように見えます。他の外見的特徴としては――』
セレスがしばし外見的特徴を述べていく。
そしてその内の一つに、決して聞き逃せないものがあった。
驚愕の感情を隠しながらセレスに問う。
「――間違いないのか?」
『はい。どうしましょうか?』
「保護する。どう考えても厄介事だが見捨てるわけにはいかん」
『了解です。それじゃ……あっ』
「どうした?」
『……何者かに追われているみたいです。入り組んだ地形が邪魔で見えなかったんですけど、子供を追い詰めるようにして複数の人影が』
「ッ、リーヴェ、私を高台へ運べ! ガルディは馬車の傍で別命あるまで待機!」
指示を受けたリーヴェは「失礼致します」と断りを置いてから、以前のようにヘリアンの身体を抱きかかえた。
一瞬の溜めの後、射出されたかのような重圧がヘリアンの身を襲う。完全人化形態になって尚強靭な脚力を有するリーヴェは、ヘリアンの身体を抱えたまま軽々と跳躍し、近場にあった高台の上に着地した。
急激な
「
呼び出した<
彼女の報告通り、水色の光点を包囲するようにして黄色の光点が幾つも迫っていた。水色は味方寄りの中立ユニット、黄色は仮想敵ないしは敵寄りの中立ユニットを意味する。
光点の動きはまるで狩りのようだった。水色の光点――救出対象の少女は追い詰められ、完全に包囲されている。
『見た感じ……装備がバラバラですし正規軍とかじゃなさそうですね。武器を抜いて子供を追いかけ回しているところを見ると、どう考えても護衛とは思えませんし……例の野盗か盗賊の類かなと』
セレスの報告を受け、ラテストウッドを訪れた冒険者が言っていた『傭兵崩れの賊』の話を思い出した。
街を一歩出れば無法地帯と言っても過言ではないこの地域において、賊は魔獣と同様に討伐対象とされている。境界都市を襲った災害――魔獣の群れによる大襲撃の混乱に乗じて賊一味が活動を活発化させており、冒険者ギルドからも改めて討伐を推奨する旨の告知が出されたとのことだ。
いきなりそんな集団に出くわした我が身の不幸を嘆きたいが、今は目先の問題を片付けることが先決だ。
「セレス、お前の狙撃術式で敵を狙えるか?」
『はい、イケます。少しだけ時間を下さい』
言って、セレスは透明な魔法陣を足場として展開した。彼女は重力操作の術式を一部カットして魔法陣に舞い降り、両の足を付ける。
そして長い髪をかきあげてエルフ特有の笹耳を露出させた後、セレスは無手のまま弓を引くような動作を取った。連動するようにして白い輝きが彼女の両手に灯り、光は引き絞られた弓の形を象る。
エルフ族特有の種族固有型スキルである“
『お待たせしました。それじゃ狙撃します。殺しても構わないですか?』
気負いなくセレスが訊いてきた。
彼女からすればただの確認作業としての問いだったのだろう。
しかしヘリアンは、その単語を耳にして身体を強張らせた。
(……殺す?)
セレスがわざわざ確認を取ってきたのは、出立前、殺害行為を極力控えるようヘリアンに言い含められていたからだ。
前回の探索時、リーヴェ達は迷いなく敵対者を殺そうとしていた。
ラテストウッドのウェンリの時などは、一瞬でもヘリアンの制止が遅れていれば間違いなく彼女を殺めていただろう。そうなればラテストウッドと現在のように良好な関係を築けていたかも怪しい。それらの経緯を踏まえて、従者達に殺害を控えるよう制約を課していたのだ。
しかしヘリアンは、そう言い含めたことを衝動的に後悔したくなっていた。
「……殺さぬよう手加減することは可能か?」
『手加減は出来ますけど……そうすると敵の数が多すぎてあの子供を護りきれるかどうか怪しいです。アタシの遠距離狙撃は速射に不向きですし、精密射撃を何連続も成功させられるかと訊かれると、ちょっと……』
敵の数は二十人を超している。遠距離精密狙撃を重視した配下ならば、手加減した上で全員を瞬時に無力化することも可能かもしれないが、セレスは広域殲滅型として育てられた配下だ。救出対象が敵集団のど真ん中にいるこの
ただでさえ不得手なことをさせようとしているにも拘らず、更に不殺を条件に追加するのは無茶振りが過ぎるだろう。セレスの言うように、少女の保護を最優先にするならば確実に敵を葬るべきだ。しかし、
(……俺が、言わなきゃいけないのか?)
少女を確実に護る為には敵を殺さなければならない。
しかしヘリアンの許可が無ければセレスは敵を殺せない。
ヘリアンが“殺せ”と言わなければ少女が死ぬ。
簡単明瞭な図式がここにあった。
(俺が、人殺しを、命令するのか?)
自覚するなり、膝が震えそうになった。
何を今更と自分でも思う。
反乱騒動の時も、ノーブルウッドの時も、自分はこの手を汚してきた。
直接手を下したわけではないが、自分が望んだ結果として死体の山が築かれた事は否定しようの無い事実だ。
既にこの手は朱に染まっている。
それをこの期に及んで臆病風に吹かれるなどと、惰弱の誹りを受けても仕方がない行為だ。
だが、それでも怖かった。
他ならぬ“人間”を殺すよう命じるという行為が心底怖かった。
人種差別もいいところだが、ソレを命じることで一線を踏み外してしまいそうな感覚に囚われてしまっていたのだ。
「……ッ!」
選択を迫られている。
なのに踏ん切りがつかない。
そうしている間にも事態はお構いなしに推移する。
<地図>に映っている水色の光点に、黄色の光点の一つが重なった。
包囲されていた少女が捕まったのだ。
最早一刻の猶予も無い。
セレスは光の弓を引き終えている。
後はヘリアンの号令さえあればいつでも射てる状態だ。
ヘリアンが「敵を殺せ」と言いさえすれば助けられる生命がそこにある。
なのに、いつまで経ってもこの口は「奴らを殺して少女を救え」という言葉を紡いでくれない。ヘリアンの惰弱な無意識が、セレスへの命令に歯止めをかけてしまっていた。
「……ヘリアン様。少女を押し倒した男が彼女の服を破きました。少々不愉快な展開になりそうです」
歯噛みするヘリアンの耳に、視覚を強化したリーヴェの冷静な声が届いた。
顔色を変え、半ば反射的に<
セレスの笹耳が聞き取った少女の叫び声。
それが<
『誰か、誰か助けてッ! お願い、助けてええぇぇぇぇ――――ッ!!』
悲痛な叫び。
心の底から叫んだであろう助けを求めるその言葉。
声は届かない。
しかしそれでも知ってしまった。
助けて欲しいという切実な願いを知ってしまった。
顔も知らない少女の姿がハーフエルフの姉妹と重なる。
――故に、ヘリアンは叫んだ。
「対象を賊と認定、射撃を許可する! あの娘を助けろ、セレスッ!!」
命令と同時、一条の光が虚空を奔った。
光は矢と化して陽炎を貫き、少女に覆いかぶさっていた男の頭蓋に突き刺さる。
直後、<
少女に重なっていた黄色の光点が消えたのだ。
それは即ち、セレスの攻撃により少女に覆い被さっていた
ヘリアンが命じて。
セレスが射って。
人が死んだ。
「――ッ、
思考の空白は一瞬。
胃の奥底から迫り上がる感情を無視して<
接続対象に水色の光点を
「――何を呆けている!? さっさと立て!」
地図情報を
<戦術仮想窓>を小規模戦闘用の設定に変更した<地図>にて戦況を確認。
だが水色の光点は動かない。少女の位置情報に変化が出ない。一歩たりとも動いていない。
その事実を目にして、ふざけるなとの想いが急激に湧き上がった。
絶叫するかの如く怒号を飛ばし、胃の底から込み上げてきた苦味を怒りで塗り潰す。
「立てと言っている! それとも死にたいのか!?」
殺したのだ。人を殺してまで助けると決めたのだ。
なら絶対助ける。こんなとこで死なれてたまるか。ここで死なれては何の為に手を汚したのか分からなくなる。こんなところで死ぬなどと死んでも許さない……!
「死にたくないなら立て! 立って太陽の方角へ向けて走れッ――!」
動きがあった。
少女がヘリアン達の方角へ向けて移動を始める。移動方向に別の光点。既にその色は黄から赤に転じている。明確な敵を示す赤の色。<
既に準備済みだったのか、引き絞られていた弓から即座に
「チッ……リーヴェ、先行しろ! 少女の救出を最優先に――」
「いえ、ヘリアン様。このままセレスの狙撃だけでも彼女を救うことは可能かと思われます。私は引き続き御身の護衛に徹したく――」
普段は聞き分けのいい筈のリーヴェがそのような意見具申を口にした。
何故こんな時に限って、と八つ当たりに似た怒りが湧く。
語気を荒げてヘリアンは言い放った。
「――構わん! 命令だ! 早く行けッ!」
怒鳴りつけるその形相。
主を思い留まらせることが叶わぬことを悟ったリーヴェは、「承知致しました」と首肯して地面を蹴りつけ、駆け出した。まるで弾丸のような軌道で身を前に飛ばし、最後の一蹴りで虚空に身を躍らせる。
その背を見送ったヘリアンは、少女に接続していた方の<通信仮想窓>を一旦非アクティブ状態に切り替えた。そして口語命令で新たな<地図>を開錠。異なる縮尺設定にした二種類の<地図>を同時表示し、戦況の把握に務める。
「セレス! リーヴェ現着までの間、狙撃態勢を維持! 攻撃目標は私が指定する!」
少女に最も近づきつつある敵を
しかしヘリアンが射撃指示を出す直前、彗星のような勢いでリーヴェが先頭の敵目掛け落下した。予想よりも幾分か早い到着。同時に赤色の光点が一つ消失した。その結果を受け、ヘリアンは発信寸前だった<指示>を即座に破棄する。
<地図>上に残る赤い光点の総数は二十三。数だけで見れば圧倒的に不利な状況だが、戦闘能力の差は歴然だ。リーヴェを示す
――リーヴェの現場到着から、都合二十秒。
ヘリアンの視界中央に浮かぶ<地図>から、赤い光点が全て消失した。
戦域内に残ったのは
ただ、それだけ。
先程までそこに在った筈の他の命は、一つ残らず刈り取られていた。
『ふぅ。無事に終わりましたね、陛下。久々の精密射撃だったんでちょっと不安だったんですけど、ちゃんと当たって良かったです』
一息ついたような口調で、“
それから緩々と高度を下げ、セレスはヘリアンの傍に着地した。
「……あぁ」
曖昧な返事を口にして、ヘリアンは敵の<
素性等の人物像全般は不明だが、戦闘で撃破したことにより基本的な戦闘関連情報については入手している。所持能力欄の
ある意味当然のことではある。
大国の軍団長格ですら
賊は死んだ。間違いなく全滅した。二度と生き返ることもない。
「陛下? どうしたんですか?」
「……なんでもない。気にするな」
俯く主の姿に何を思ったか、セレスが訝しんで問い掛けてきた。
ヘリアンは動揺を口調に出さぬよう、懸命に平静を装う。
しかし、胸の奥に淀む不快感が拭えない。
「――――」
ヘリアンは万魔の王だ。
万魔と称されるほど多くの種族を抱え込む多種族国家アルキマイラにおいて、種族差別は禁忌である。
それが敵――或いは害獣ならば、それがどのような種族であれ平等に討伐すべきであり、そういう意味で今の行為は王として正しい。
けれどもやはり、自分は王の器ではないのだろう。
だってこんなにも気持ちが悪い。車酔いなど比較にもならない程の不快感。頭の中には嫌な感情が今なお這いずり回っている。気を抜けば今にも喚き散らしてしまいそうだ。
なんて情けない姿だろう。
今の表情は間違っても配下達には晒せない。
あまりに無様だ。
こんな男が王を名乗るなどと嗤ってしまう。
理想の王には程遠い。
――だけど、それでも、頑張り抜くと決めたんだ。
「……セレス、私がいいと言うまで後ろを向いていろ。これは命令だ」
「え? あ、いえ、分かりました」
意図が分からないものの他ならぬ主からの命令だ。
セレスは素直に従い、その場で反転してヘリアンに背を向ける。
そしてヘリアンは右の拳を強く握った。
爪が掌に食い込み、赤いものが滲み出しても尚、更に強く拳を握り締める。
そうして作った硬い拳を、ヘリアンはしばらくジッと眺めて――一切の手加減抜きで自分の頬を殴りつけた。
ガッ、と鈍い音。
視界に火花が弾け、たたらを踏む。頬骨に鈍痛。舌先に鉄の味。どうやら口の中を派手に切ったらしい。喉を鳴らして血を嚥下する。
……ああ、言われなくたって分かっている。
これはくだらない自罰行為だ。こんな安っぽい行いで意識を切り替えようとする自分の弱さに反吐が出る。けれど今はこうすることが必要だった。
あまりに情けない自分に泣きたくなったが、涙はあの日に流し終えた筈だ。
だから間違っても今ここで涙するわけにはいかない。
歯を食い縛り、胸を張って前を見据える。
「もういいぞ。それと、ここから先はお前も完全人化形態になっておけ。緊急事態を除き、魔人形態への形態変化は基本的に禁じる。良いな?」
ポーションで殴打痕の証拠隠滅をした後、背後の従者にそう告げる。
再び反転したセレスは不思議そうな表情を浮かべていたが、ヘリアンが毅然とした態度で命令すると調子を取り戻したように頷いた。
そうして完全人化形態になったセレスは、魔人形態の時よりも少し若い容姿になっていた。エルフ特有の笹耳が人間の耳と同じ形になり、背が少し縮んでいる。肌の色は変わらずメリハリの利いた体型もほぼそのままだが、間違いなく人間そのものの姿だ。
形態変化を終えたセレスに、ヘリアンは短く命じる。
「――これよりリーヴェ達の下へ向かう。頼めるか、セレス」
「了解です」
ヘリアンとセレスの身体を球体の光が包む。
無詠唱で展開された重力軽減系の結界魔術だ。
そうして谷を超えた後、滑空するかのような軌道で地上へ舞い降りていく。
眼下の平野では、リーヴェと少女が待っていた。
・次話の投稿予定日は【3月16日(金)】です。