第十話 「荒野」
――森を抜ければ、そこは荒野だった。
ラテストウッド首都に立ち寄った後、大樹海と境界都市を隔てる荒れ地を前にしたヘリアンは、目の前に広がる風景にしばし圧倒されてしまった。
森林地帯を抜け出た東方には、見渡す限りの荒れ果てた大地。
地殻変動により隆起した小丘が幾つも聳え、のたうつような形の渓谷が延々と続いている。切り立つ断崖に目を向ければ、何百年もの年月を経たであろう地層が見受けられた。
まるでグランドキャニオンだ。
[タクティクス・クロニクル]で似たような場所への遠征を何度もしてきたが、目の前に広がる光景はそれよりも広大で寂寥感に溢れていた。
なにより、現実感が違う。
頬に当たる風の感触、時たま肌を打つ砂塵、容赦なく降り注ぐ熱射、足裏に伝わる地面の硬さ。それは現代の
「ゲームでは乗り物酔いなんてバッドステータスも無かったしな……」
げんなりとした表情でヘリアンは愚痴る。
移動中の殆どは馬車に乗って過ごしているが、お世辞にも快適とは言い難い旅路だ。アルキマイラ製の馬車なら話は別かもしれないが、悪目立ちを避ける為にラテストウッドから買い取った
車酔いにはそれなりに耐性があるつもりだったが、あくまでそれなりでしか無かったことを痛感していた。ついでに尻がとても痛い。既にアルキマイラを旅立って二日目だが、この揺れに慣れるまでにはまだ時間がかかりそうだ。
「んー、大旦那様? ……駄目、駆け出し商人設定に似つかわしくないからボツ。……ヘリアン様? でもこれだとリーヴェと呼び方が被るし……うーん……」
気を紛らせようと馬車前方に視線を向けてみれば、先を歩くセレスの姿が目に入った。どうやら万魔の王改め、駆け出し商人ヘリアンの呼称について考え込んでいるらしい。
人間の生活圏で活動する為の身分として商人をよそおうことについては、一同に説明済みだ。国外で『陛下』だの『王』だのと呼ばれるわけにはいかない為、その設定に合わせた別の呼称にするよう頼んでおいたのだが、セレスは未だに悩んでいるようだ。
「まだ悩んでんのか。いい加減スパッと決めちまえよ」
「うっさいわね単細胞。そういうアンタは決まったの?」
「当たり前だろ。とっくの昔に決まってらあ」
「……ちなみに、なんて呼ぶの?」
「大将だ」
セレスが呆れたような横顔を見せた。
「いつもの呼び方から“総”を抜いただけじゃない。手抜きすぎるでしょ」
「あんだよ。
「……たいして考えてないくせに昔から要領良いわよね、アンタ。そういうとこが心底ムカつくわ」
眉間に皺を寄せた表情のまま、セレスは考え事に戻った。
時々、「うーん」という悩ましげな声が唇から漏れる。
「そんなに悩むぐらいなら、オマエも大将呼びでいいじゃねえかよ」
適当な提案を口にしたガルディに対し、セレスは蔑みの視線で応えた。
「ねぇ単細胞。アタシが陛下に対して気さくな態度で『ヘイ大将』って呼んでる姿を想像してご覧なさい」
「……………………無ぇな。つうか誰だコイツ、気持ち悪ぃ。ありえねえ絵面が浮かんできやがったぞオイ」
「ってなるでしょ。分かったら黙ってなさい。頑張って私に合った呼び方を考えてるんだから」
相変わらず仲が良いのか悪いのか微妙な会話だが、実はこの二人は結構相性が良い。創られた時期が近いこともあるが、ゲーム序盤の第一次戦乱期から数多の激戦を戦い抜いてきた戦友同士であり、いわゆる気心が知れた仲であった。
会話から読み取るに、現実化した今でも凸凹コンビっぷりは変わっていないらしい。少しばかりの微笑ましさを覚え、ヘリアンは苦笑を浮かべる。
余談だが、今回のメンバーにセレスを加えた理由として、ガルディの存在が決め手となった。
「ヘリアン様。少々席を外してもよろしいでしょうか?」
「ん、どうした?」
馬車の手綱を手にしたリーヴェが、険のある視線でセレス達を眺めていた。
「賢い馬鹿と単純馬鹿が気を抜き過ぎているようなので、少々折檻をと」
「……雑談ぐらい許してやれ。常に気を張っていては身が持たんだろう」
相変わらず真面目なリーヴェだが、少しばかり気を張りすぎているように思う。
もしかすると以前の護衛任務失敗のことを意識してしまっているのかもしれないが、あれは殆ど事故のようなものだった。気にしても仕方がない。
だがリーヴェをそう慰めたところで、生真面目な彼女は尚更気にしてしまうだろう。余計なことは口にせず、話題を変えることにした。
「ところで、
「はい、特に問題はありません。最初は戸惑いましたが感覚が馴染んできました」
御者台から振り返って答えるリーヴェ。いつも通りの澄まし顔を浮かべており、その感情は読み取れない。
いや、普段ならば尻尾と耳で彼女の内心を読み取ることが可能だが、今はその手段が使えなくなっていた。何故ならば今のリーヴェにはふさふさの銀尻尾が生えておらず、いつもの狼耳も無くなってしまっているからだ。
「完全人化形態……まさかこんな使い方をする日が来ようとはな」
「同感です」
――完全人化形態。
それが、今のリーヴェが取っている形態の名だ。
ゲーム[タクティクス・クロニクル]では、仲間にした魔物の全てに<形態変化>の能力が与えられるという設定がある。種族に応じて二つ、或いは三つの形態が与えられるというものだ。元々の姿が魔獣型か亜人型かによって、保有する形態の数が異なる。
まず一つ目の形態。
『完全放魔形態』と呼ばれる、魔物本来の姿だ。
スライムやコカトリス、グリフォンや竜など、いわゆる人型から逸脱した姿を持つ魔物に関しては『完全放魔形態』が本来の姿となる。
本来の戦闘能力を発揮できる代わりに、他の形態に比べて燃費が悪い傾向にあり、また
次に二つ目の形態。
『魔人形態』と呼ばれる、魔物と人間の中間の姿だ。
例えば【黄昏竜】のノガルドの場合は、竜の翼を生やせる魔人の姿になる。
手足に鱗の名残が残っていたりと本来の姿の特徴が見受けられ、人型ではあるものの人間とは異なる姿。それが『魔人形態』だ。
これは『完全放魔形態』に比べて燃費が良く、更に人類規格用の各種装備を身につけられるというメリットがある。アルキマイラの街の施設が人類サイズで規格統一されている関係上、生活し易いというメリットもあって、普段は『魔人形態』を取っている魔物が殆どだ。
リーヴェやセレスといった、本来の姿の時点で人型の種族については『完全放魔形態』が存在せず、この『魔人形態』が本来の形態となる。
ちなみにバランは『完全放魔形態』を保有する魔獣型種族だが、職業が【剣聖】であることも相まって彼が『完全放魔形態』になることはほぼ無い。武器を使って戦う戦闘スタイルであり、魔人形態の熟練度や武器熟練度もかなり高いランクに至っている為、今ではむしろ『魔人形態』の方が強いのである。
そして最後となる三つ目の形態。
それが『完全人化形態』と呼ばれる、人間そのものの姿のことだ。
だが、この姿を常用する配下はガルディという例外を除けばほぼ皆無である。メリットが殆ど無いどころか、全ステータスが2ランクもダウンするという致命的なデメリットが存在するからだ。
実際、リーヴェがこの形態になったのは、【月狼】に転生進化してから初めてのことである。『完全人化形態』は本来、魔人形態でさえ大きすぎる
「まずは人間社会に溶け込まなければ話にならんからな。セレスは耳を隠せば遠目には分からんが、オマエの大きな尻尾はそうもいかん。窮屈な思いをさせるが、当面は辛抱してくれ」
「いえ、ヘリアン様の方針については理解しております。当然の対処かと。それに、このあたりに生息している魔物はさしたる脅威でもありません。この形態のままでも十二分に戦闘が可能ですので、どうぞご心配なく」
リーヴェの言うように、このあたりの魔物は弱い。
いや、このあたりというより、この世界で出会ってきた魔物は尽く弱かった。
今まで出会った敵で最も強かったのはノーブルウッドの
先の戦争でも実感したことではあるが、やはりアルキマイラの保有する戦力はこの世界の水準と比較して飛び抜けているようだ。
(大した脅威が無いのは喜ばしいことだけど……下手したら各国の情勢に致命的な悪影響を与えかねない存在だよな、俺たち)
地球の歴史上でも、強大な力を持ち過ぎたばかりに列強諸国から続々と介入され、最終的には世界を敵として戦う羽目になった帝国が存在した。その末路を思えば、是が非でも『世界の敵』になることだけは避けたい。やはりアルキマイラという国の存在は、可能な限り隠し通す方針でコトを進めるべきだろう。
「ヘリアン様」
「ん、なんだ?」
「ヘリアン様の方こそ、お身体の調子は如何でしょうか?」
「……まあ、しばらくは我慢するしかあるまい」
吐き気を感じるとまではいかないが、軽い車酔い状態が延々と続いているような状態である。間違っても調子が良いとは言えないが、この世界の人々はこの揺れに耐えているのだ。人々の暮らしを体感する為にもここは我慢するしかない。
「もしよろしければ、私の膝をお使いになられますか?」
「……ん? 膝?」
「はい。その間、手綱はガルディに預けておきますので」
振り向いたリーヴェの表情は真顔だ。
膝を使う、というのはつまり膝枕ということなのだろう。
それを証左するかのように、リーヴェが自分の太ももにポンと手を置く。
……健康的な肌色がやけに眩しい。
「……いや、それには及ばん。この揺れにもいつかは慣れねばならんからな。せっかくの申し出だが遠慮させてもらおう」
「承知致しました。差し出がましい申し出、どうぞお許し下さい」
リーヴェが頭を下げて謝辞を示す。その表情は終始真顔のままだった。
いつも通りなら、その耳と尻尾から彼女の内心をある程度察することが出来るのだが……。
(……よ、読めん)
完全人化形態を取ったリーヴェは完全無欠な
断ったことで機嫌を損ねさせてしまったのならフォローをすべき場面なのだが、そうと確証が持てない以上ここでうだうだと喋るのは言い訳がましい気がするというかなんというか……いや、認めよう。ただ単に自分のコミュ力に自信が持てないだけだ。
(交渉能力もそうだけど……コミュニケーション能力も磨かないとな)
せめて部下の心情を推し量れるようにならなければいけない。
まるで中間管理職みたいな悩みだな、と
+ + +
「うーん……いい呼び方……アタシの
「あー、うっとおしい。せめて声に出さずに悩めってんだ」
いい加減うんざりしたような声で、ガルディはセレスに文句を言う。
考え出すと止まらなくなるのはいつもの事だが、横で延々と呟かれているとうっとおしいことこの上なかった。
「考え事をする時はあえて口に出した方がいいって相場が決まってんのよ。三十年前に出版されたトーラスの本にもそう書いてたんだから。アンタ読んだことないの?」
「本なんて現場じゃ役に立たねぇよ。実際に使える知識ってのは経験で覚えるもんだろが、頭でっかち」
「アンタ本を馬鹿にしたわね!? それってアタシに対する宣戦布告ってことでいいのよね!?」
「未探索地域の真っ只中で身内に喧嘩売るほど酔狂じゃねえよ。ただでさえ最近は賊が出易いって話だったろうが。いいから黙って周辺警戒――待て」
馬車の前方を歩くガルディが、唐突に立ち止まり手を翳した。
行く手を遮るようにして翳された大きな手を前に、馬車を引く馬がたたらを踏んで立ち止まる。
「――敵?」
一瞬で気を引き締めたセレスが短く問いかけた。
フードから笹耳を露出させ、忙しなく周囲の音を聞き取ろうとしている。
「いや、敵じゃねえ。敵じゃねえが……どうにもきな臭え気配を感じる。なんとなくだがな」
「アタシには分かんない。どっちの方角?」
「一時か二時あたりだ。投げるから、ちいとばかし上から見てくれや」
「オッケー」
ガルディが掌を上に向けた右手を低く構えると、障壁を展開したセレスがその上に足を載せた。そして次の瞬間、ガルディが右手を大きく振り上げ、弾丸の勢いでセレスの身を直上に跳ばす。
普通なら風圧で酷いことになりそうだが、球状の障壁に身を包んだ彼女は服や髪を些かも乱れさせること無く、一瞬にして地上数十メートルの高みに至った。そして重力軽減と遠見の魔術を並列展開させながら、一時半の方角を注視する。
「……なにアレ。巨獣?」
数キロほど先の窪地に、身の丈二十メートルを超すであろう巨大な魔獣の姿があった。しかしピクリとも動かず、その巨体を荒野に横たえている。どうやら既に息絶えているらしい。そしてその周辺には多数の人型らしきものが転がっていた。
セレスは空中に留まったまま、更に視野を広げて周辺を観察する。すると、窪地から見て南方向――自分達の位置から見て谷を越えた向こう側、崖を下った先の平地に、一つの小さな人影を見つけた。
「カミーラほど探知術式は得意じゃないんだけど……
新たに探知術式を展開して、その人影の正体を確認する。
そしてその人影が荒野に似つかわしくない存在であることを認め、セレスは厄介事の匂いを感じ取り眉を顰めた。
『セレス、どうした。何かあったのか?』
地上の馬車から主の問い掛けが飛んできた。
セレスは空中に身を留めながら、どう報告したものかと一瞬だけ思考し、そして回答する。
『ここから数キロ先の窪地に巨獣の死骸と、多数の人型らしきものが倒れているのを見つけました。更にその南方向、谷を越えた先の平野に人影が見えます』
『――人影?』
主からの返答に、一瞬だけ間があった。
その反応を受けて僅かに躊躇しながら、しかしセレスは見たままの光景を主に伝える。
『どうやら……人間のようです』
・次話の投稿予定日は【3月9日(金)】です。