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第九話   「出立」

・2月16日は二話連続投稿しています。


・第八話「謁見Ⅲ」を本日既に投稿済みですので、そちらをまだ読まれていない方はお戻り下さい。

 よろしくお願い致します。












 謁見が終わったその頃。

 第三軍団長専用に設けられた一室で、書類の束に目を通したエルティナは軽く溜息を()きながら瞳を閉じた。


「……ふぅ」


 最低限の睡眠は取っているものの、目蓋に重さを感じる。

 自分自身に治癒魔術を施して肉体的な疲労は軽減しているが、精神的な疲労まではケア出来ない。


 慣れた仕事とはいえ、大規模事業ともなれば仕事量や責務の重さは相応のものとなる。ましてや、転移現象により人員が不足している中での開拓事業だ。エルティナの内政能力を以ってしても、主からの指令をどうにかこなしているだけで精一杯な状態だった。

 しかも書類の山はまだ幾つも残っている。

 文字通り山積する書類の束を前に、必死に抵抗する日々を過ごしていた。


 そうしてエルティナが次の山に手を伸ばしかけた時、不意に扉が音を立てた。

 コココン、という特有のノック音。

 せっかちながらどこか控え目なその音で訪問者を特定したエルティナは、扉に向けて声を投げかける。


「どうぞ。開いていますよ、セレス」


 エルティナが応じた後、僅かに逡巡(しゅんじゅん)したような沈黙を経て、扉が開いた。

 扉の隙間から覗き込むようにして顔を見せたのは、[魔導軍団]を従えし第四軍団長――セレスだった。


「……あのさ、エル。前々から不思議に思ってたんだけど、なんで来たのがアタシだって分かるの?」

「セレスのノックは特徴的ですから。さ、どうぞ中へ」


 そうかなぁ? と首を捻っているセレスは、どこか遠慮がちな様子で部屋に足を踏み入れた。そして机の上に山積みになっている書類群を見て、怯んだように瞳を揺らす。


「あー、その……。エルってやっぱり、忙しいわよね?」

「いえ。丁度休憩にしようと思ってましたから」


 いつも通りの柔らかな口調でエルティナは微笑みかける。

 しかしセレスは、その顔色と台詞からなんとなく現状を察してしまい、申し訳無さそうな表情を浮かべた。


「ゴ、ゴメン。手短に済ますから」

「構いませんよ。それで、ご用事はなんですか?」


 用件を問われたセレスは、どこか躊躇うように目を逸らした。

 そして深呼吸を一つしてから、思い切ったような表情で口を開く。


「……あのさ。個人的な相談なんだけど……アタシらエルフ族って、陛下に嫌われてるんじゃないかなって」

「エルフ族が陛下に、ですか?」


 小首を傾げながら、エルティナはセレスに聞き返した。


「ウン。こないだの戦争の時の陛下、今まで見たこともないぐらい怒ってたじゃない。下手すれば、ノガルドに“(はこ)”を開けさせかねないぐらい」

「そうですね。あれほど激昂された陛下を目にしたのは、私も初めてです」

「……でさ、ノーブルウッドの奴らは害獣だったけど、それでも外見的にはアタシらと同じエルフ族だったし……それで、なんか不安になって……アタシって、陛下に嫌われてるのかもって」


 ああ、とエルティナは察した。

 意識せず口をついて出てしまったのか、いつの間にか対象がエルフ族ではなくセレス個人になっている。

 つまりはそこが本題なのですね、とエルティナは内心で頷いた。


「こないだの戦争の前だって、アタシだけ連れて行ってもらえなかったし……」


 自分で口にして更に不安を感じてしまったのだろうか。

 セレスの瞳に、僅かに光るものが浮かぶ。

 その表情を目にしたエルティナは、まるで愛し子を慰めるかのような、柔らかい微笑みを浮かべて、


「――いつもご馳走様です、セレス」

「えっ?」

「いえ、こちらの話です」


 ついつい本音が漏れてしまったものの、これで後二週間は戦えそうですね、とエルティナは思う。

 貴重な活力源を供給され、精神的な充足を得たエルティナは、聖母の表情でセレスに語りかけた。


「話を戻しますが、セレスの考え過ぎだと思いますよ。もしもあの一件が原因で陛下がエルフ族を厭うのであれば、黒エルフ系統のセレスよりも、白エルフ系統のわたくしの方がより顕著な筈ですし」

「でも、カミーラでさえ陛下に連れて行ってもらえたのに……」

「……その言い様はカミーラに怒られますよ? 第一、あの状況ではセレスを集落に連れて行くわけにはいかなかったでしょう。陛下は状況に応じた行動を取られただけで、決してセレスを蔑ろにしているわけではありませんよ」

「それは、そうかもしれないけど……分かってるつもりなんだけど……」


 尻すぼみの言葉を呟きながら、再びセレスは俯く。

 要するに、理性的には分かっているものの感情的なところで不安に襲われてしまっているらしい。セレスの状態を正確に察したエルティナは、どう慰めたものでしょうかと思案する。


 そこへ、新たな来訪者を告げるノック音がした。


「リーヴェですか。どうぞ、開いてますよ」


 しばしの沈黙。

 その後、静かに扉が開き、一人の同僚が姿を現した。

 先程のセレスとは異なり堂々と扉を開けた来訪者は、予想通りリーヴェである。


「……エルティナ。いつも不思議に思っていたのだが、何故ノック音だけで私だと分かるんだ?」

「リーヴェのノックは特徴的ですから」

「セレスと一緒にしないでくれ、私のノックは普通だ。礼儀作法のスキルは一通り習得しているのだぞ」

「……ちょっと、リーヴェ。さり気なくアタシのこと(おとし)めてんじゃないわよ」


 いつも通りの強気な表情を装ったセレスがすかさず言い返す。

 セレスが本心を曝け出し弱気な表情を見せるのは、同族であり最も信頼しているエルティナの前だけだ。【人物特徴】に【気丈】を有するセレスは、他の者がいる場では意地でも自分の弱い部分を見せないようにしていた。


 その辺りも可愛いのですよね、と内心で思いながら、エルティナは新たな来訪者に問いかける。


「それで、リーヴェ。わたくしに何かご用事ですか?」

「あぁ。セレスの居場所を尋ねに来たんだが、手間が省けた」

「へ? アタシ?」


 キョトンとした表情で聞き返すセレスに、リーヴェはいつも通りの澄まし顔で伝言を口にする。


「この度、ヘリアン様が森の外の世界――人間の生活圏を目指し、商人と称して遠征に赴くことになった。その同伴者として、私、ガルディ、そしてセレスの三名が指名されている。ついては護衛方法等について軍団長間で打ち合わせを行うので、二時間後に第九会議室に集合だ。いいな? 確かに伝えたぞ。私はガルディに声をかけてから会議室に向かう。以上だ」


 伝言を伝えるなり、リーヴェは静かに扉を閉じ、足早に去っていった。

 セレスはしばし閉じたままの扉に視線を向けていたものの、リーヴェの言葉の意味を理解するなり、花が開くような笑顔を浮かべてエルティナに振り向く。


「やった! 陛下に呼ばれた、呼ばれたよエル! アタシ、陛下に嫌われてなかった!」


 勢い余ってエルティナに抱きついたセレスは、歓喜の声を上げた。

 エルティナは娘を見守るような微笑みを浮かべたまま、「良かったですね」とセレスをあやす。


 ひとしきり喜んだ後、冷静さを取り戻したセレスは従者としての心得(アドバイス)をエルティナから聞き取り、意気揚々と部屋を後にした。

 そして元気を取り戻したセレスを見送ったエルティナは、「これで後三週間は戦えますね」と先程までの感触を思い返し、仕事の続きに取り掛かるのだった。




    +    +    +




 それから数日後。

 出立準備を終えたヘリアン一行は、首都外壁の大扉を前に立っていた。

 遠征用の外套を身に纏ったヘリアンは、外界と首都を隔てる大扉をジッと見上げる。


「ヘリアン様、準備が完了致しました。いつでも出発可能です」


 リーヴェの声に振り向けば、飾り気のない馬車の傍らに従者達の姿があった。

 国王側近である万能キャラのリーヴェ、完全人化形態に最も習熟しているガルディ、魔術のエキスパートであるセレス。偽装用の型落ち装備を身に着けた三人が、準備万端という様子で静かに控えている。


 今回連れていく従者はこの三人だ。

 万が一のことを考えると国元には常時半数の軍団長を残しておきたいという思いがあり、この人数に落ち着いた。恐らくは今後もこのスタイルになるだろう。


(……あの日も、こうして大扉の前に立ってたっけな)


 思い出すのは異世界転移させられた初日の出来事だ。

 状況に流されてしまったヘリアンは、リーヴェとエルティナらを伴って、未探索地域の調査に赴いたのだった。


 遠い昔のことのように思えるが、同時に昨日の出来事であったようにも思える。

 それだけ強烈的で、それほど濃密な日々を過ごしてきたということなのだろう。

 大扉を見上げながら、しばし感慨に耽る。


 しかし、あの日と違って出立を見送る儀仗兵の姿は無い。

 これは特別なことではないのだと、当然の仕事をしにいくだけなのだとのアピールを兼ねて、儀仗兵の見送りは断っておいたからだ。


 また、異世界転移初日との決定的な違いが一つある。

 それはあの時と異なり、不用意な発言によって致し方なく街の外に出るのではなく、自分自身の意思で外界へ足を踏み出すということだ。


「フム――これまで数多の探索に赴いてきたものだが、まさか異世界を探索する日が来ようとはな。“始まりの三体”と共に、あの世界に降り立った日のことを思い出す」


 自身を奮い立たせる為、そして上位者として振る舞うスイッチを入れる為、あえて前回と似たような台詞を口にした。

 背後に控える三人の軍団長が、思い思いの言葉で応じる。


「全身全霊を以て御身を守護致します。――今度こそ、必ず」

「魔術に関してはアタシに任せてください。どんな敵が現れようと燃やし尽くしてやります」

「ま、荒事に関しては心配ご無用ってことで、どっしり構えててくださいや総大将。小難しい事じゃ役に立てねぇ分、しっかり頑張らせて頂きまさぁ」


 なんとも頼もしい言葉ばかりだ。

 少しばかりリーヴェが気負い過ぎなようにも思えるが、そこは自分がフォローすれば良い。口で言うほど簡単なことではないが自分は王だ。彼女らの上位者だ。ならば、その程度のフォローなどやってみせなければならない。


 覚悟を決めて、ヘリアンは居並ぶ従者達に告げた。


「では往こうか。リーヴェ、セレス、ガルディ」

「「「ハッ――!」」」


 こうして、アルキマイラの王は国外への一歩を踏み出した。

 あの日のように、状況に流され、追い出されるようにして旅立つのではなく。

 ――今度こそ、自らの意志で。




(2月23日追記)

 すいません、次話投稿日を書き忘れていました!

 2月23日投稿分を2月16日に持ってきましたので、次話の投稿日は【3月2日(金)】になります。

 (一章でも行っておりましたが連続投稿して次回お休みの形です)

 ご指摘ありがとうございました!


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