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第七話   「ジョブチェンジ」

 それからしばらくの間、レイファとヘリアンはお互いの苦労を語り合った。


 話したからと言って、何が解決したというわけでもない。

 気苦労の原因である問題事の数々は、相変わらず事実としてそこにある。

 それでも、抱え込んでいた想いを誰かに伝えることが出来たということは、ただそれだけで十分過ぎる程に価値があった。

 溜め込んでいた澱は残らず吐き出され、ひとしきり話し終わった後には晴れ晴れとした表情が自然と浮き出てしまった程だ。


 そしてそれは、どうやらヘリアン側だけの話でも無かったらしい。


「……す、すいません、つい興奮しちゃいました。こんな話をしたのは今の立場に就いてから初めてのことでして……どうも、はしたない真似を」


 ひとしきり話した後、我に返ったレイファは僅かに頬を赤くしていた。

 先程までは前のめりになって会話をしていたが、今は姿勢良く椅子に座り直している。


 控えめに言っても、先程までの彼女は王族らしくはなかったと思う。

 むしろ初めて会った時と同様に、年相応の少女のような印象を感じられた。

 けれど、本来はこれが自然な姿の筈なのだ。レイファとて無理をして女王の仮面を被っているのだ。


 自分ばかりが辛いわけではない。

 当たり前過ぎるその事実を再確認出来ただけでも、ここに来たかいがあった。


「気にしないでくれ。俺もなんだかんだで色々ぶつけさせてもらって、悪かった」

「とんでもありません。私としても、立場上このような会話を出来る相手が殆ど居ないものでして。グリムさんとお話できて良かったです」

「いや。俺の方こそ、ずっと溜め込んでたものを吐き出せたようでなんだかスッキリした。付き合ってくれてありがとう」

「それは私の台詞で……ああ、いえ、これではキリがありませんね。では、お互い様ということにしましょうか」


 クス、と小さな微笑。

 応じるようにヘリアンは苦笑を浮かべた。


「ところで、君の国にはアルキマイラの民が何人か出向いているそうだが……君達に迷惑とかかけてないか? ウチの国民は荒っぽいヤツが多いんで、ちょっと心配してたんだが」

「迷惑などと、とんでもありません。復興に力を貸して頂けて感謝しきりです」

「……こう言っては何だが、アルキマイラの民はいずれも魔物だ。この世界の人々にとって“魔物”は恐怖の対象だと聞いたが……」

「全く恐怖を感じないかと問われれば答えにくいものがありますが、我が国を救って頂いた大恩ある方々です。首都に逗留されている皆さんも友好的に接してくださってますし、私達の知る“魔物”とは別種の存在であると考えてます」


 レイファのその言葉を聞いて、ヘリアンは安堵の溜息を吐いた。

 なにせこの世界における“魔物”は、魔族に従い人々に牙を剥く“脅威”そのものだ。境界都市と呼ばれる近隣の人間都市でも、魔獣による大規模襲撃があったばかりと聞く。普通に考えれば恐れられても無理はない。


 それを踏まえて尚、ラテストウッドの民がアルキマイラの魔物達を受け入れてくれたのは、彼の国の建国理念と国民性が下地にあってこそだろう。

 結果論ではあるが、最初に接触した国がラテストウッドだったのは、アルキマイラにとっても幸運だったのかもしれない。


「それに、ラテストウッドは元より多種族国家です。建国の経緯が経緯ですから、懐の広さだけは自慢なんです」

「お国柄、というやつか」

「ええ。お互いに気遣い合い、助け合わないと生きていけない土地柄でしたから、種族で排斥することはありません。一応は王政を布いてエルフ族の女王を戴いてはいますが、実態としては能力の優れた者を国の中枢に据えた結果でしかないんです。その辺は普通のエルフ国家とはかなり異なりますね」

「普通のエルフ国家というと……」

「例えばノーブルウッドですが、あの国は始祖の“血”を重視しています。国を運営するのは決まって直系の、それも始祖の“血”を色濃く受け継いでいる者だけです。長老達にも一定の発言権はありますが、ある程度格の高い血統でなければそもそも長老になれません」


 これも純血主義と言うのだろうか。

 地球の歴史上でも、血統を重視して意図的な近親婚を行う国家は数多くあった。そして近親交配を繰り返した結果、虚弱体質を発現したり早死にしやすい家系になったりと様々な問題が起きていたと聞く。


 しかし、エルフは人間と異なり寿命が極端に長い。

 また、この世界のエルフは交配サイクルも非常に長いそうだ。

 そんなエルフだからこそ、近親交配による弊害の影響を極力抑えた状態で、代々始祖の“血”を守り続けることが出来たのだろう。


「ノーブルウッドは極端な例ではありますが、エルフ国家の殆どが祖先の“血”をある程度重視した『王国』です。その辺りは種族柄ですね」

「なるほど。なら、人間の国ではどうなんだ?」

「人間族の国についてはあまり詳しくは知りませんが、森から一番近い人間族の街――境界都市が所属する“ロトフォール”については王国だと聞いています」


 このあたりの話は、恐らく<情報共有>で既に情報を得ている。

 だが、<情報共有>で手に入れた情報群は、言わば数億ページからなる辞書であり、莫大な情報を保有する検索エンジンのような代物だ。

 調べようと思えば調べられるが、調査方法が不適切であれば知りたい情報を正確に知ることは出来ず、またその情報の正当性は自分自身で判断しなくてはならないという性質がある。


 時間をかければ解決できる問題ではあるが、折角レイファと直接会話をする機会に恵まれたのだ。この場においては、彼女の口から直接話を聞けるということに価値がある。

 また、一日中<仮想窓>とにらめっこをする日々の中にあって、会話から得られる情報の方が記憶に残りやすいという側面もあった。


「人間族の国は他にも共和国や教国があったりと、政治形態は大陸四大種族の中で最も多種多様ですね。王を戴く国が比較的多いですが、一様に『王国』というわけでもありませんし」

「へぇ。まあ、一口に王政と言っても色々あるもんな」

「そうですね。……ところで、この国に関してはその辺りはどうなのでしょうか? あ、差し支えなければで結構なのですが」

「いや、大丈夫だ。ええと、この国はだな――」


 アルキマイラの政治形態は――――あれ?


「? あの、どうかされましたか? なんだかすごい汗が……」


 レイファが気遣わしげに声をかけてくる。

 しかしヘリアンはそれに応じることも出来ず、冷たい汗を流し始めていた。

 改めて自国の政治形態を考えてみたところ、とんでもない結論に達してしまったからだ。


 まず、アルキマイラはヘリアンを王に戴く『王国』だ。

 ヘリアンという指導者(プレイヤー)に政治的権限の全てが集約され、その権力を自由に行使することが許されている。議会があるわけでもなく王の代替わりもない為、生きている限り永久的に全権力を保有し続ける構図だ。

 また、国の方針決定には指導者の意思が直結しており、更には法ですら指導者の意のままに定められる。


 ――その政治形態とは、つまり。


「…………ど、独裁国家?」


 気づいてはいけない事に気づいてしまった。

 そんな表情を浮かべながら、ヘリアンは嫌な汗を一つ、カウンターに落とした。




    +    +    +




 その後、突然顔色を悪くし始めたヘリアン(グリム)レイファ(レイナ)は心配してくれたが「少し疲れが出てしまっただけだ」と言って誤魔化した。そしてゴブ太郎が厨房奥から戻ってきたのを契機として、ヘリアンは彼女と別れることにしたのだった。


 とりあえず、当初の目的は達成出来たと言えよう。

 『グリム』として『レイナ』と関係を築く事に成功し、親しく接することが出来た。次にまたこの国を訪れた際には『始まりの地の酒場』で再会しようとの口約束を交わせたこともあり、今後の関係構築の一手としてはかなりの成果を上げられたのは間違いない。


 しかし、一人城下町を歩くヘリアンは、新たな問題に頭を痛めていた。


「ヤバい、ヤバいぞ、ヤバすぎる」


 今更の話ではあるが、アルキマイラという国が『独裁政治』を敷いていることを自覚してしまい、焦燥感に駆られていたのだ。


 箱庭ゲームとしては極々当たり前の話ではある。

 むしろプレイヤー以外のNPC達の意思が優先されてしまうような箱庭など何の楽しみもない。プレイヤーが好きに出来ない箱庭ゲームなど、遊戯(ゲーム)としてそもそも破綻している。


 しかしながらこれを“現実(リアル)”に落とし込んだ場合、そこに出来上がるのは『一人の君主が絶対的な権力を有する独裁国家』ということになる。なってしまう。


「……洒落になってない」


 別に独裁国家そのものを否定するわけではない。

 独裁というのはあくまで政治形態の一種だ。国を動かすにあたり煩雑な段階(プロセス)を踏む必要が無く、思索、決断、実行のレスポンスが極めて短いという特徴(メリット)を持つ、政治形態の一つでしかない。


 悪いイメージばかりが先行しやすいが、それは恐怖政治や圧政とセットにされて捉えられることが多いからであって、独裁政治=悪政という図式は成立しない。

 あえて独裁政治を行うことで国を素早く纏め上げ、自国民の多くに幸福と安寧を(もたら)した指導者だって歴史上には存在するのだ。


「だけどそれは、独裁者が優秀であることが大前提の話だ……」


 独裁者が舵取りを間違えた場合、その国家の結末は悲惨の一言に尽きる。

 明らかに間違った選択だとしても、君主の意思が国家の意思に直結する独裁国家では間違った道をそのまま突き進んでしまう。例えその道が破滅に続いているとしても、行き着くところまで行ってしまうのだ。

 そしてその理論は、アルキマイラについても同じ事が言えた。


「誰も俺を止めてくれない。俺がコケれば、皆コケる……」


 船頭多くして船山に登るという言葉があるが、船頭が一人だけだとしてもその船頭が『山に登れ』などと(のたま)う馬鹿ならどうしようもない。

 しかもアルキマイラは、そんな無茶すら実行してしまいかねないポテンシャルを有してしまっていた。


 取り敢えず、内政に関してはどうにかなるだろうと見込んでいる。

 能力(システム)の支援があり、優秀な内政担当官もいる。仮想(ゲーム)現実(リアル)の齟齬を埋める努力は必要だが、[タクティクス・クロニクル]でやってきたことの延長線上として取り組むことが可能だ。


 各軍団への仕事の割り振りも一通り済んでいる。

 開拓事業や経済正常化に向けての始動等で、既に二ヶ月分ほどの<行動予約>は登録済みだ。大きな問題が出ない限りはヘリアンの手を必要としない状態になっており、小難しい実務については内政担当官(エルティナ)達が対応してくれている。


「問題は外政だ。外交に関しては誤魔化しようがない……」


 城から逃げ出したあの日、『始まりの地の酒場』に辿り着くまでに悩んでいたことでもあるが、自分は王として大きな問題を抱えている。

 そしてその問題はあの日以来、何一つ解決していないのだ。


 政治学は専門外。帝王学など触れたことも無い。

 学業成績は精々中の上で、部活やサークルに打ち込んできたわけでもない。青春の多くを捧げた結果として、ようやく[タクティクス・クロニクル]の覇者になれただけのゲーマー大学生。特別な才覚など何ら持ち合わせていない平凡な青年。

 それが三崎司(みさきつかさ)という人間である。


 そんな自分が、一国を率いているという現実がここにある。

 絶対君主として優れた治世を布き、他国との外交では断固たる強い姿勢で臨み、戦争や未知なる世界の探索においては国民の御旗となってその先頭に立ち続けなければならない。

 万魔の王として相応しい人物で在り続けなければならないのだ。


「……無理だ。出来るわけがない」


 何度考え直そうと出来る気がしない。

 三崎司が有する能力の許容値を完全に超えている。

 外交の席で列強諸国と渡り合うことなど、今の三崎司には絶対に不可能だ。

 それは嘘偽りのない事実であり、眼前に立ちはだかる純然な現実問題である。



「――――だったら、考えろ」



 その現実を直視した上で、自分はどうするべきだ。

 三崎司改めヘリアン=エッダ=エルシノークが、“万魔の王”という仮面をこれからも被り続ける為には一体どうすればいい。


「思考を絶やすな。現実に絶望している暇なんて無い。そんなことをしている時間があるなら、この現実を打破する為の思考に費やせ」


 そうだ。

 こんなことで挫けるわけにはいかない。

 そんな甘えは許されない。


 何故なら、あの日のヘリアンは一つの約束を交わしたからだ。

 あの日あの時あの場所で、高潔な少女に対して誓いを立てたからだ。

 とある少女が心折れない限り、己もまた意地を張って前を見続けるのだと、そう心に決めたからだ。


 そして、その少女は今も俯くこと無く前を向いている。

 華奢な身体には重すぎるであろう重圧を背負い、それでも毅然と胸を張っている姿を、たった今自分は目にしてきたばかりだ。


 ならば、こんなところで膝をついていい道理は無い。

 あの少女があんなにも頑張っている傍らで、女々しく我が身を嘆くことなど許されるわけがない。

 故に、今の“ヘリアン”がすべきは現実に絶望することではなく、この現実問題を打破する為の具体的措置を打ち出すことに他ならない。


「さあ、どうする。どうすればいい。喫緊の問題である『外交力』を身につける為に、“ヘリアン”は一体どうするべきだ?」


 まず、今のままでは駄目だ。


 [タクティクス・クロニクル]でも外交要素はあったが、所詮はプレイヤー同士のチャット会話が基本となる単純なものだった。

 軍事力や資源などといった手札(カード)をチラつかせて交渉するぐらいの事はしてきたが、本物の外交がそんな簡単なものであるはずもない。

 実際の外交の場においては酸いも甘いも噛み分けた、清濁併せ呑む交渉術が要求されるだろう。


 一方で、これまでの交渉経験が完全に無駄になるというわけでもない。

 仮想世界(ゲーム)とはいえ、アレは複数の生きた人間がそれぞれの思惑を持って国家を運営していた。言い換えれば、生きた意思・思惑・思索が絡み合った戦略盤が[タクティクス・クロニクル]という世界だったのだ。そこから得た知識・経験の幾らかは、現実に落とし込むことが可能であるように思える。


 ならば要点は、それら知識と経験について、仮想と現実の境界線を如何に明確に引き、如何に上手く転用し、更には如何にしてその交渉術を実用レベルにまで昇華させるかという話になるだろうか。


「……では、それを踏まえた上でどうだ? 今現在の“ヘリアン”に、これまで培ってきた知識・経験を適切かつ確実に運用し、この世界の列強諸国と対等に渡り合うことは可能か?」


 否。極めて困難だ。

 現状ではどう運用するべきかという『答え』を導き出すことが出来ず、よしんば自分なりの『答え』を打ち出せたとしても、それが正解だと胸を張れるだけの根拠が無い。


 国の舵取りに関しては教科書のような正解は期待できないが、せめて自分自身が「正しい」と自信を持って言い切れるようにならなければならない。

 王が泰然と構えていない国に、輝かしい未来など望むべくもないのだ。


「ならば、確かな自信を得る為にはどうすればいい?」


 まず経験が必要だ。

 仮想(ゲーム)の経験とはまた別種の、現実的(リアル)な経験値を……実地経験とでも言うべきものを必要としている。

 組織の代表者トップとしての立場で身を以て経験を重ね、その過程で成功を積み上げていけば、ゆくゆくは確固たる自信を得ることも可能だろう。


「となると……具体的にどうやって経験を積むか、か」


 [タクティクス・クロニクル]では、失敗と成功を繰り返しながら実践で経験を積んできたが、現実化した今では同じ真似は出来ない。

 一度でも失敗すれば、それだけで国家存亡の危機を招きかねないからだ。


 極論を言えば、外交でミスを犯した結果として、アルキマイラが“世界の敵”になることも考えられる。深淵森(アビス)に拠点を構えてしまっている以上、場合によっては魔王の国だと見做されてしまう可能性だってあるだろう。外交の席では慎重の上にも慎重を期す必要がある。


「……厄介だな」


 “ヘリアン”は経験を必要としている。

 経験を得る為には、実際に交渉の場に立たなくてはならない。

 一方で、交渉の場では絶対にミスが許されないというジレンマがある。


 ……ままならない。


「おい、そこの奴! 危ねぇぞ!」

「……えっ?」


 いきなり襟首を掴まれ、後ろに引っ張られた。

 気道が締まり、ヘリアンの喉から「ぐぇっ」という音が漏れる。

 そしてその直後、ヘリアンの眼前を何かが猛スピードで横切っていった。


「おっと、悪ぃな!」


 横切ったのは荷物を満載した馬車だった。

 ガララララという重低音を立てながら、鼻先数センチという距離を大質量が通り過ぎていく。

 あと一歩踏み込んでいたら間違いなく跳ね飛ばされていたであろう距離だ。


 ……さすがに、肝が冷えた。


「悪ぃなじゃねえ! 制限速度超えてんだろこの野郎! いくら急いでるっつってもルールは守――ってああもう、行っちまいやがった。クソッ!」


 咄嗟に助けてくれたらしい恩人がそう毒づく。

 馬車が去っていった方角を睨みつけているその男は、一人の妖鬼だった。

 今から開拓事業に繰り出そうというところなのか、肩には馬鹿でかい鉈を担いでいる。


「……す、すまん。助かった。危うく轢かれるところだった」

「おう、いいってことよ。こんな路地でスピード出してたあの馬車の方が悪ぃんだからな。つうかアレどこの商会の馬車だよ。次見かけたら衛兵に突き出してやる」


 鼻息の荒い妖鬼のその言葉に。

 ふと、脳裏を過ぎったものがあった。


「…………商会?」

「ん? あぁ、馬車の背にどこぞの商会の紋章が描かれてたんだよ。咄嗟のことだったもんで何処の商会かまでは……ってやべえ、そろそろ仕事に遅れちまうんで俺は行かせてもらうぜ。カミさんに叱られちまう」


 やべえやべえと口にしながら、妖鬼は慌ただしげに去っていく。

 その背を見送ったヘリアンは、手近な壁にもたれかかりながら先程の言葉を思い返していた。

 頭を支えるようにして額に右手を当て、そのまましばし思考の海に沈む。


「……外交技術……経験……外界の情報収集……拠点の確保も……先頭に立つ姿……」


 ブツブツと独り言を零すこと数分。

 とある考えを纏め上げたヘリアンは、不意に大空を仰ぎ見て。

 そして恐ろしいほどの真顔のまま、ポツリと小さくこう呟いた。



「――そうだ。商人しよう」



 王は転職を決意した。





・次話の投稿予定日は【2月16日(金)】です。


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