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第三話   「検証実験」

 というわけで、リリファとピクニックに来てみた。

 まあピクニックと称してみたものの、実際のところは近くの中庭への単なる散歩である。


 護衛として、第一軍団の親衛隊と魔導鎧人(リビングアーマー)を数体引き連れているが、リーヴェに関しては城に置いてきた。まだ国内問題に関するアレコレが落ち着いたばかりであり、自分とリーヴェの両名が城を離れることについて抵抗感があった為だ。

 今はエルティナと一緒に仕事をしながら、有事に備えて待機してもらっている。


「さて。それじゃ、実験開始といくか」


 キョトンとした様子のリリファに簡単に説明する。

 これからやることは、遊びの形を取ったゲーム機能の検証――プレイヤーが有している各種能力の検証実験だ。以前、基本的な能力については検証を行ったが、他にも幾つか検証しなければならない機能が残されている。


「実験?」

「ああ。ちょっとした検証実験に付き合って欲しいんだ。リリファとしては、単純に遊びのようなものだと考えてもらっていい。気楽にやってくれ」

「それってお仕事じゃないの?」

「仕事とはまた違うさ。それに、リリファが付き合ってくれるなら俺としても助かるんだよ」

「ふーん……」


 何やら疑わしげな目で見られたが、嘘は言っていない。

 気を使う必要のないリリファが実験に付き合ってくれるなら、こちらとしてもありがたいのだ。

 それに最近は執務室に篭りっぱなしだった。たまには外に出るのも良い気分転換となるだろう。ついでにタスクが一つ片付くのだからいいこと尽くめだ。


 護衛兵達は中庭を遠巻きに護衛している状態であり、声が届かない程度に距離を開けている。姿は見られているが、子供(リリファ)に合わせて両国間交友を深める為に振る舞っている、という体にするので彼らの視線を気にする必要はない。


「早速始めるとするか。まずは<情報共有データシェアリング>の実験からだ」






[ 情報共有(データシェアリング) ]

「情報共有って?」

「俺の近くにいる配下達が有している情報を吸い上げて、各種<仮想窓(ウィンドウ)>に可視化することが出来る能力のことで……って、これじゃ分からないよな?」

「わかんない」

「だよな」


 説明が難しい。

 そもそも理解してもらおうと思えば、<仮想窓(ウィンドウ)>の説明から始めなければいけないが、それにしたところで、この世界の住人であるリリファに“画面”という概念が通じるかどうかも怪しい。


「んー……簡単に言えば、リリファの知っている情報(こと)について、言葉で説明を受けなくても知ることが出来る機能(のうりょく)って感じだな」

「ふーん。リリファはどうすればいいの?」

「特に何も。もしかしたら感覚的に何か求められている感じになるかもしれないんだが、それを受け入れてくれればいい」

「? えっと、よくわかんない」

「すまんがそこは俺にも良く分からん。多分、俺に情報を伝えようと思ってくれればどうにかなる……と思う」


 リリファは配下ではなく属国の民なので、自動的に<情報共有データシェアリング>することは出来ない。手動で<情報共有>する必要があるが、接続(アクセス)される側の感覚などヘリアンには分からない。


「よくわかんないけど、わかった。やってみる!」

「ん。それじゃ、早速試してみるか。

 権能仮想窓ファンクションウィンドウ開錠(オープン)

 能力行使アビリティオン情報共有(データシェアリング)直接接続(ダイレクトアクセス)

 対象入力ターゲットインプット直接選択(ダイレクトセレクト)


 別の<仮想窓(ウィンドウ)>でレイファの<人物情報キャラクターステータス>を表示させたまま<情報共有(データシェアリング)>を行えば、幾つかの不明項目が明らかになった。リリファとの接続に成功したことにより、レイファの<人物情報キャラクターステータス>が更新されたのだ。


 膂力(STR)耐久力(VIT)などの基本ステータスに関しては、リーヴェやエルティナの目利きにより既に判定が済んでいる為か変化が無かったが、保有スキル欄が更新された。

 以前レイファが使っていた召喚魔術――〝我は仲間を喚ぶ(コールフェロー)〟に関して、リリファが知っている限りの情報が明らかとなる。


「へぇ。アレはレイファの固有能力ユニークスキルだったのか」


 どうやら一般的な魔術ではなかったらしい。

 少なくともリリファの認識では、〝我は仲間を喚ぶ(コールフェロー)〟はレイファにしか使用できない魔術だということになっている。


 他に更新された項目としては、特記事項などが記載される【備考欄】に変化があったのだが。


「……スリーサイズ?」


 なんでこんなものが備考欄に出てくるんだ。


「どう、お兄ちゃん? ちゃんと伝わったー?」

「一応伝わったぞ。よく分からない情報も入ってたが……」

「姉様の体型とかもちゃんと伝わった?」


 ……お前の仕業か、リリファ。

 <情報共有>の対象者が『重要情報』や『特記事項』と認識しているものが備考欄に現れる筈だが、何故かリリファは姉のスリーサイズを伝えるべき『重要情報』だと考えていたらしい。


 ちなみに<情報共有>された各種情報については――誤った情報が共有されることもあるので――手動で修正することが可能であり、削除しようと思えば備考欄のスリーサイズについても消せるのだが、


「…………うん、まあ情報(データ)情報(データ)だしな。あって困ると言うもんでもないし。なにも消さなくてもいいだろう」


 と、そういうことになった。

 他意はない。






[ 圧縮鍵(マクロ) ]

「よし、次だ。今度は<圧縮鍵(マクロ)>を試す」

「まくろ?」


 <圧縮鍵(マクロ)>とは、自由に構成したコマンドの集合体だ。

 要は好きに作れるショートカットキーだと思えば良い。特定の動作(モーション)を行えば、事前に登録していた内容に従い瞬時にコマンドを実行できるというものだ。


 使い方の一例として、<圧縮鍵マクロ>に<指示(オーダー)>を仕込んでおけば、配下に対して咄嗟に定型的な命令を伝達することが出来る。

 また<圧縮鍵マクロ>で実行できるのは単一命令だけではない。複数のコマンドを組み合わせた<圧縮鍵マクロ>を形成することも可能だ。


 例えば『友軍ユニットαとβに対して支援魔術Aを付与せよ。その後、五秒待機した後、友軍ユニットγと交戦中の敵に対し攻撃を開始しろ』などという複合命令を、簡単なモーションを行うだけで瞬時に伝達出来る。

 戦術レベルの戦闘が要求されるゲーム序盤では、このようなテンプレート戦術コマンドで構成した<圧縮鍵マクロ>を多用していた。


 ――が、そのようなことをリリファに説明しても理解には至らないだろう。


 <情報共有データシェアリング>の時と同様に、そもそもコマンドやショートカットなどという概念が彼女らには理解出来ないということだ。従って、リリファには「ちょっとした伝言遊戯(ゲーム)みたいなもんだ」とだけ伝えておくに留めた。


圧縮鍵設定マクロコンフィグレーション終了(オフ)設定仮想窓(システムウィンドウ)閉鎖(クローズ)


 圧縮鍵マクロ登録を済ませ、視界の邪魔になる仮想窓を閉じる。

 組んだ圧縮鍵(マクロ)の内容は単純で『右手を上げる』という<指示(オーダー)>しか仕込んでいない。対象ユニットの選択方式は直接選択(ダイレクトセレクト)にしておいたので、後はリリファを<選択>しながら圧縮鍵(マクロ)を実行すれば良い。


 ちなみにヘリアンは、圧縮鍵マクロの実行モーションには主に指鳴らし(フィンガー・スナップ)――俗に言う指パッチンを採用していた。採用理由は咄嗟に素早く行える動作であることと、なによりカッコイイからである。


 だって、指を鳴らすだけで配下が応じて動くのだ。

 そんなもんカッコイイに決まっている。


 『指を鳴らしたら以心伝心とかなにそれカッコイイ』と中学生時代の自分が迷わず指鳴らしモーションを圧縮鍵マクロトリガーに登録したのは極々自然な成り行きと言えよう。咄嗟に素早く行える動作という意味合いで、実用性も高いのである。

 他に宙空への文字描画モーションも幾つか採用していたが、理由は同じくだ。


「じゃあ、いくぞー」

「??」


 よく分からない表情をしているリリファの前で、右中指を鳴らす。

 すると、リリファは驚いたように身を震わせてから、パッと右手を上げた。


 ――実験成功だ。


「な、なに今の? お兄ちゃん、リリファに『右手を上げろ』って言った?」

「いや、声は出してない。代わりに<圧縮鍵(マクロ)>で<指示(オーダー)>を飛ばしたんだ。この世界の住人(リリファ)相手だと成功するかどうか分からなかったが、ちゃんと機能するみたいだな」

「……なんか変な感じ」


 どことなくむず痒そうに、リリファが身をくねらせる。


「声で伝えた方がいいか? ある程度の距離までなら、別の能力で俺の声を届けることも出来るが」

「うーん。さっきのは慣れるのかもしれないけど、最初はビックリすると思う。遠くに居ても声を届けられるんなら、そっちの方がなじみやすいんじゃないかなぁ。それなら心話と同じようなものだし」

「心話というと……確か離れた相手に声を届ける魔術だったな」


 ノーブルウッドの害獣が使っていた魔術だ。

 割と稀有な魔術らしく、第四軍団が研究に着手していた。


 ちなみに、遠く離れた相手に声を届けるだけならばヘリアンにも同じことが出来る。演説の時と同様に、チャットモードを【超広域】に設定して叫べばいいだけのことだ。


 だが、狙った相手だけに声を届ける方法としては使えない。PC(プレイヤー)同士なら直接会話が可能なチャットモードも存在するが、NPC相手には使えないのだ。残念ながら通信(チャット)を使ってリリファに声を届けることは――いや。


「待てよ……試す価値はあるんじゃないか?」


 ふと、自分の能力(システム)がリリファをどう認識しているのか疑問が生じた。

 彼女はリーヴェ達とは異なり、元々この世界の住人だ。[タクティクス・クロニクル]に似たこの世界が何なのかはさっぱり分かっていないが、最初からNPCと同じような存在だと決めつけるのは如何なものか。


 <配下蘇生>の一件では、リリファ達に対しても配下(NPC)と同様に能力を使える、という発想が出てこなかった為にギリギリまで思いつかなかったが、今回は逆の思考に陥りかけていた。何もリリファ達をそういうカテゴライズに最初から当て嵌めるべきではない。


 そもそも、自分だってゲームの時とは随分状態が異なるのだ。


 ゲームでは疲労を感じることはなかったが、この世界では息切れしてばかりだ。

 同様に、ゲームでは必ずしも食事を必要とするわけではなく、余裕の無かった黎明期では自分の分の食事を配下に与えていたりしたが、今現在同じ真似をすれば普通に飢えて死ぬだろう。


 ここまでゲームと違いが起きているのだから、最初からリリファを配下達(元NPC)と完全に同じ存在として扱うのは悪手だ。自ら可能性を限定してしまってどうする。試すだけならタダであり、そして今は試すべき検証の場なのだ。


「――よし、リリファ。ちょっと俺の声が届かないところまで離れてみてくれ」






[ 通信(チャット) ]

 というわけで、今度は通信(チャット)機能の検証だ。

 リリファにも試そうとしている内容(こと)を既に説明済みで、準備が出来たことを示すように視線の先で手を振っている。


通信仮想窓(チャットウィンドウ)開錠(オープン)

 形式選択(モードセレクト)音声会話(ボイスチャット)

 対象入力(ターゲットインプット)直接選択(ダイレクトセレクト)


 通信仮想窓(チャットウィンドウ)が開かれ、他国の(プレイヤー)を相手にした時と同様に接続処理が始まった。

 そのまま正常に接続完了。エラーメッセージは返って来ない。これはもしや、と期待感が膨らむ。


『リリファ。俺の声が聞こえるか?』


 視線の先のリリファが、ぴょんぴょんと飛び跳ねて合図した。

 どうやらちゃんと声が届いたらしい。これは嬉しい誤算だ。何事も試してみるものである。


 これまでに見つかったゲームとの差異と言えば、痛みを感じるようになったり飢えるようになったり疲労を感じるようになったり秘奥の反動で死にかけたりと本気で碌でもないものばかりだったが……ようやくプラス面の差異が発見出来たように思う。


 いまだに飛び上がってアピールをしているリリファに対して、苦笑混じりに手を振って応じる。取り敢えずこちらから声を届けることは出来た。ならば逆方向も試しておかねばならない。


『リリファ。お前の声もこっちに届くようになっているはずだから、試しに何か喋ってみてくれ。お前が喋った内容が俺に届けば、完全に通信成功だ』


 すると、リリファは飛び跳ねるのを止めて、何事かを考え込むようにしばし俯いた。そして顔を跳ね上げ、子供らしい笑顔のまま口を開く。


『それじゃ言うね、お兄ちゃん! 姉様のお気に入りの下着は、青の――』


 ヘリアンは即座に仮想窓(ウィンドウ)を閉じた。

 視線の先で引き続き何事かを喋っているリリファを他所(よそ)に、菩薩(ぼさつ)のような表情を浮かべたまま空を見上げる。


 ――嗚呼、空はどうしてこんなにも青いのだろうか。


 雄大な蒼穹を見上げながら、ヘリアンは現実逃避に(ふけ)るのだった。






[ 転移 ]

「ただいまー。ねえねえ、リリファが言っていたことちゃんと聞こえた?」

「……まあ、うん。取り敢えずリリファの声が聞こえることは確認できた。何を言ってたのかはちょっと分からなかったけどな」

「あれ? そうなの?」

「残念ながらそうなんだ」

「じゃあ改めて言うね。姉様のお気に入りの――」

「言わなくていい。とにかくこの実験についてはこれで終わりということにしようそうしよう。さあ次の実験に移るぞリリファ」


 むう、とリリファが頬を膨らませた。

 何故に不満げなのか非常に気になるが、これ以上この話題を続けるのは危険だ。次にレイファに会った際、一方的に気まずくなる。


「次は転移だな」

「えっ……? て、転移って、他の場所に一瞬で移動できる、あの転移? ヘリアンさん……じゃなかった、お兄ちゃん、転移魔術が使えるの?」


 何故言い直した。ヘリアンさんでいいじゃないか。

 ……まあ、今更どうでもいいが。


「その転移で合ってる。拠点を複数持ってないとそもそも使えないし、拠点間の移動しか出来ないけどな」

「…………えっと。転移って、失伝魔術の中でもかなり希少な魔術の筈なんだけど……というか、伝説の大賢者様しか使えない秘術だったような……」

「魔術というわけじゃないが、まあ、なんだ。取り敢えず転移自体は出来る」


 適当に話を切り上げる。

 詳しい説明を求められても、魔術のまの字すら知らないので困るのだ。


 (プレイヤー)の使える転移とは、ありていに言えば拠点から拠点への移動手段だ。

 よくあるRPGゲームなんかでは、行動範囲が広がった中盤以降で拠点間の移動手段が手に入ることが多いが、位置付けとしてはアレと同じものである。


 機能概要としては、制圧した拠点にのみ【転移門(テレポータル)】を設置することが可能となり、転移門(テレポータル)を介して別の転移門(テレポータル)へ瞬間移動出来るというものだ。


 支配下においた拠点が無ければ使用出来ない能力であり、また該当拠点が他勢力に制圧されれば転移門(テレポータル)は消滅してしまう。あくまで自勢力の拠点間移動を行えるだけの能力だ。


 また、転移門(テレポータル)は同一拠点内に一つしか設置出来ないが、何度でも場所を変えて再設置が可能である。そして転移出来るのはプレイヤーだけではない。設置された転移門(テレポータル)を使って、配下達も拠点間移動が出来るようになるのだ。


「……あっ、しまった。ラテストウッドじゃ転移門(テレポータル)の再設定してないから、初期設定のままだったな」

「しょきせってい?」

「今回の場合は玉座(シンボル)付近にしか飛べないってことだ。現地に行かないと再設定できないし……参ったな」

「ふーん……。ねえねえ、じゃあリリファが先に行ってもいい?」

「別にいいぞ。というか、この状況だと俺は行けないしな。女王(レイファ)への事前通知無しにラテストウッドに、しかも玉座付近に跳ぶなんて真似は出来ん」


 <仮想窓>を指で操作(タップ)し、目の前にアルキマイラ首都――『アガルタ』用の転移門(テレポータル)を設置した。付近に象徴物(シンボル)が無い場合は、微かに発光する光玉がその場に出現する仕組みだ。作成された光玉が、腰の高さ程度の位置にふわふわと浮遊する。

 転移先の制限や転移方向の限定、キャラクター毎の使用制限等の設定を行う事も出来るが、現在は実験の為に殆ど解除している状態だ。


 「ほわー」と感心したような声を漏らすリリファに、転移の方法を簡単に説明する。光玉に触れれば転移先の候補一覧が表示される筈だ。

 リリファがおもむろに光玉に手を伸ばすと、彼女の目の高さに一覧が表示された。どうやら特に問題はないらしい。リリファは突然表示された一覧に驚きながらも、目をキラキラさせていた。


 ――しかし、そこでふと疑問が生じた。

 今までの実験は尽く上手くいった。それどころか予想外の収穫もあったぐらいだが、改めて考えてみれば、こと転移に関してはリスクがあるように思えた。


 転移が発動しないだけならまだ良いが、万が一、中途半端に発動したりして全く別の場所に転移されたりすることも可能性としては考えられる。

 命の優先順位をつけたいわけじゃないが、リリファは王族だ。この実験に関しては、まずは他の者達に協力依頼をすべきだろう。


「待て、リリファ。やっぱりこの実験はやめとこう。万が一の危険が――」

「んー、きっとだいじょーぶだよ。じゃあいってきまーす!」

「え? ……あ、待っ――!」


 止める間も無く、リリファが転移門(テレポータル)を起動してしまった。ヘリアンが咄嗟に伸ばした右手の先で、光玉が一瞬だけ強い光を放ち、瞬時にリリファの姿が消失する。


『ッ、――リリファ! 聞こえるか、リリファ!』


 つい先程試したばかりのチャット機能でリリファとの通信を試みる。

 転移自体は一瞬で終わる筈だ。何事も無ければ既にラテストウッドに居る。居なくてはならない。


『リリファ! 聞こえていたら返事を――』

『聞こえてるよー。すごいね、ホントにラテストウッドに着いちゃった』


 気楽な返事が返ってきた。

 他人の心配など知りもしない明るい声に、ヘリアンはホッと胸を撫で下ろす。深い溜め息が自然と零れた。


『あ、ちょっと待ってて。ちゃんとラテストウッドに行ったことが分かる物を持って帰るから! ――あ、ウェンリ――――ううん、まだ会談中――――いいからいいから。それじゃまた後でねー』


 繋ぎっぱなしの通信(チャット)を通じて会話が漏れ聴こえてくる。どうやら、レイファの側近であるウェンリと話をしているらしい。それから一分も経たない内に、中庭に設置した転移門(テレポータル)が光を放ち始める。


 転移門(テレポータル)のすぐ近くに、ラテストウッドから帰ってきたリリファが出現した。キョロキョロと顔を動かしてヘリアンの姿を見つけると、リリファは満面の笑みを浮かべて、握っていたものをパッと広げる。


 リリファが握っていたのは小ぶりな布だった。形は逆三角形。色は黒。ほんの僅かに透けているようにも見受けられるその布の正体は――


「じゃーん! 姉様の部屋の衣装棚から持ってきた、姉様秘蔵のパン――」

「可哀想だから()めてやれ!!」


 さすがにヘリアンはツッコんだ。




    +    +    +




「……なあ、リリファ。どうしてお前は実の姉をダシにしようとするんだ?」


 疲れたような表情でヘリアンは訊いた。

 妹の生にあれほど涙していた姉に対し、なんというかあまりにも雑な扱い過ぎるのではなかろうか。特に最後の暴挙に至っては、別の意味でレイファは泣いてもいいと思う。


 渋々ながら下着――もとい三角形の布状の何かを仕舞いながら、リリファはつまらなそうに愚痴る。


「だって、最近の姉様はリリファに構ってくれないんだもん」

「それは仕方ないだろう。レイファだって忙しいんだ」


 なにせレイファはラテストウッドの女王だ。

 きっと自分と同じように仕事に追われているに違いない。


「それに、ウェンリの下着を持ってくるのはさすがにかわいそうだし」

「待て。なんで下着を持ってくることが前提になっているんだ。そして何故その思いやりがレイファには適用されないんだ」


 リリファの思考回路が理解できない。レイファがあまりに哀れだ。


「? だって姉様は姉様だから。別にいいかなって」

「……………………そうか」


 姉妹の仲に口出しをするのは野暮な行為である。

 ヘリアンはその論理で以って自分を誤魔化すことにした。


「まあなんだ……少しはレイファのことも気遣ってやってくれ。レイファだって、本当に忙しい筈なんだからな」

「んー、確かに最近の姉様は大変そう。昨日なんて久々に冒険者が戻ってきたし」

「その報告は聞いている。今は集落に逗留中らしいな。首都に近づけさせないよう第六軍団が工作をしている筈だが、三人組だったか?」

「うん、境界都市の冒険者パーティが一組だけ。聞いた話だと魔獣の群れは退けたらしいんだけど、今度は都市近くの迷宮(ダンジョン)がオカシイとかで、元々深淵森(アビス)に来てた冒険者も殆どがそっちに行ってるんだって。

 ただ迷宮(ダンジョン)については、境界都市の防衛とは違って冒険者への強制力は無いから、その人達は深淵森アビスに潜りに来たって言ってた」

迷宮(ダンジョン)、ね……」


 迷宮ダンジョンは[タクティクス・クロニクル]でもあった要素ではある。

 しかし、ラテストウッドから入手した情報によれば、この世界の迷宮ダンジョンは[タクティクス・クロニクル]のそれとは少々勝手が違うように思えた。

 これについても、いつかは調査する必要があるだろう。


 それに、森の外の世界――人間の生活圏における調査も行わなければいけない。

 ラテストウッドが有していた情報は、殆どが森の中の世界に関するものだったからだ。


 一部の重鎮に関しては、数少ない外交機会を通じて森の外の世界を見聞きしていたらしいが、重鎮のほぼ全てが先の戦争で死に絶えている。人間の生活圏で生活したことのある第一世代や第二世代のハーフエルフ達に関しても、エルフの血が濃かった為、害獣共の手により妖精竜の供物にされてしまっていた。


 残された者たちが森の外の世界について知っていることいえば、近隣諸国の名や規模、極々一般的な常識ぐらいだそうだ。自分たちの生活を守るだけで精一杯だったことを考えれば無理も無い。


「……っと、もうこんな時間か」


 <仮想窓>で時刻を確認すれば、もうじき昼の十二時を回ろうかという時間帯だった。この後は簡単な会食をして、それでリリファとの非公式会談は終了となる。

 後は<形態変化>を試したかったのだが、これについては特に急ぎというわけでもない。続きはまた機会でいいだろう。


 しかし、驚くほどあっという間の時間だった。

 次に会えるのはいつになるだろうかと、寂しさに近い感情を微かに想いながら、リリファの手を引いて中庭を後にする。


 リリファはしばらく黙って付いてきていたが、城内に入る直前、彼女は唐突に口を開いた。


「ねえ、ヘリアンさん」

「なんだ?」

「息抜き、出来た?」


 ポツリと呟くようなその問い。

 隣を見れば、じっとこちらを見上げてくる視線とぶつかった。

 純真な瞳の中に、呆けたような表情をした自分の顔が映っている。


「――――は」


 参った。

 『遊びだと思ってくれ』『気楽にやってくれ』などと言ってリリファを気遣ってみたものの、どうやら終始気を遣われていたのはこちらの方だったらしい。


 改めて自分の状態を確認してみれば、どことなく肩が軽くなっていた。

 久しぶりに素の状態で会話をした為か、頭の片隅にこびり付いていた重さも随分と軽くなっている。今鏡を見たならば、スッキリした表情を浮かべている自分がそこにいるのだろう。


 これじゃ年上(あに)としての面目が丸潰れだな、と苦笑しながらリリファの頭に右手を置いた。白く柔らかな髪の手触りが心地よい。髪型が崩れないよう、慎重な手つきで小さな頭を撫でる。


「いい息抜きになったよ。ありがとな、リリファ」


 飾らずに、感謝の気持ちを口にする。

 少女から返ってきたのは言葉ではなく、会心の笑みだった。


 ――昼からの仕事も頑張ろう。


 晴れ晴れとした表情でそのように思いながら、ヘリアンはリリファを連れて居城へと戻る。その足取りは自分でも驚くほどに軽いものであった。




・次話の投稿予定日は【1月19日(金)】です。

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