第三話 「検証実験」
というわけで、リリファとピクニックに来てみた。
まあピクニックと称してみたものの、実際のところは近くの中庭への単なる散歩である。
護衛として、第一軍団の親衛隊と
今はエルティナと一緒に仕事をしながら、有事に備えて待機してもらっている。
「さて。それじゃ、実験開始といくか」
キョトンとした様子のリリファに簡単に説明する。
これからやることは、遊びの形を取ったゲーム機能の検証――
「実験?」
「ああ。ちょっとした検証実験に付き合って欲しいんだ。リリファとしては、単純に遊びのようなものだと考えてもらっていい。気楽にやってくれ」
「それってお仕事じゃないの?」
「仕事とはまた違うさ。それに、リリファが付き合ってくれるなら俺としても助かるんだよ」
「ふーん……」
何やら疑わしげな目で見られたが、嘘は言っていない。
気を使う必要のないリリファが実験に付き合ってくれるなら、こちらとしてもありがたいのだ。
それに最近は執務室に篭りっぱなしだった。たまには外に出るのも良い気分転換となるだろう。ついでにタスクが一つ片付くのだからいいこと尽くめだ。
護衛兵達は中庭を遠巻きに護衛している状態であり、声が届かない程度に距離を開けている。姿は見られているが、
「早速始めるとするか。まずは<
[
「情報共有って?」
「俺の近くにいる配下達が有している情報を吸い上げて、各種<
「わかんない」
「だよな」
説明が難しい。
そもそも理解してもらおうと思えば、<
「んー……簡単に言えば、リリファの知っている
「ふーん。リリファはどうすればいいの?」
「特に何も。もしかしたら感覚的に何か求められている感じになるかもしれないんだが、それを受け入れてくれればいい」
「? えっと、よくわかんない」
「すまんがそこは俺にも良く分からん。多分、俺に情報を伝えようと思ってくれればどうにかなる……と思う」
リリファは配下ではなく属国の民なので、自動的に<
「よくわかんないけど、わかった。やってみる!」
「ん。それじゃ、早速試してみるか。
別の<
以前レイファが使っていた召喚魔術――〝
「へぇ。アレはレイファの
どうやら一般的な魔術ではなかったらしい。
少なくともリリファの認識では、〝
他に更新された項目としては、特記事項などが記載される【備考欄】に変化があったのだが。
「……スリーサイズ?」
なんでこんなものが備考欄に出てくるんだ。
「どう、お兄ちゃん? ちゃんと伝わったー?」
「一応伝わったぞ。よく分からない情報も入ってたが……」
「姉様の体型とかもちゃんと伝わった?」
……お前の仕業か、リリファ。
<情報共有>の対象者が『重要情報』や『特記事項』と認識しているものが備考欄に現れる筈だが、何故かリリファは姉のスリーサイズを伝えるべき『重要情報』だと考えていたらしい。
ちなみに<情報共有>された各種情報については――誤った情報が共有されることもあるので――手動で修正することが可能であり、削除しようと思えば備考欄のスリーサイズについても消せるのだが、
「…………うん、まあ
と、そういうことになった。
他意はない。
[
「よし、次だ。今度は<
「まくろ?」
<
要は好きに作れるショートカットキーだと思えば良い。特定の
使い方の一例として、<
また<
例えば『友軍ユニットαとβに対して支援魔術Aを付与せよ。その後、五秒待機した後、友軍ユニットγと交戦中の敵に対し攻撃を開始しろ』などという複合命令を、簡単なモーションを行うだけで瞬時に伝達出来る。
戦術レベルの戦闘が要求されるゲーム序盤では、このようなテンプレート戦術コマンドで構成した<
――が、そのようなことをリリファに説明しても理解には至らないだろう。
<
「
組んだ
ちなみにヘリアンは、
だって、指を鳴らすだけで配下が応じて動くのだ。
そんなもんカッコイイに決まっている。
『指を鳴らしたら以心伝心とかなにそれカッコイイ』と中学生時代の自分が迷わず指鳴らしモーションを
他に宙空への文字描画モーションも幾つか採用していたが、理由は同じくだ。
「じゃあ、いくぞー」
「??」
よく分からない表情をしているリリファの前で、右中指を鳴らす。
すると、リリファは驚いたように身を震わせてから、パッと右手を上げた。
――実験成功だ。
「な、なに今の? お兄ちゃん、リリファに『右手を上げろ』って言った?」
「いや、声は出してない。代わりに<
「……なんか変な感じ」
どことなくむず痒そうに、リリファが身をくねらせる。
「声で伝えた方がいいか? ある程度の距離までなら、別の能力で俺の声を届けることも出来るが」
「うーん。さっきのは慣れるのかもしれないけど、最初はビックリすると思う。遠くに居ても声を届けられるんなら、そっちの方がなじみやすいんじゃないかなぁ。それなら心話と同じようなものだし」
「心話というと……確か離れた相手に声を届ける魔術だったな」
ノーブルウッドの害獣が使っていた魔術だ。
割と稀有な魔術らしく、第四軍団が研究に着手していた。
ちなみに、遠く離れた相手に声を届けるだけならばヘリアンにも同じことが出来る。演説の時と同様に、チャットモードを【超広域】に設定して叫べばいいだけのことだ。
だが、狙った相手だけに声を届ける方法としては使えない。
「待てよ……試す価値はあるんじゃないか?」
ふと、
彼女はリーヴェ達とは異なり、元々この世界の住人だ。[タクティクス・クロニクル]に似たこの世界が何なのかはさっぱり分かっていないが、最初からNPCと同じような存在だと決めつけるのは如何なものか。
<配下蘇生>の一件では、リリファ達に対しても
そもそも、自分だってゲームの時とは随分状態が異なるのだ。
ゲームでは疲労を感じることはなかったが、この世界では息切れしてばかりだ。
同様に、ゲームでは必ずしも食事を必要とするわけではなく、余裕の無かった黎明期では自分の分の食事を配下に与えていたりしたが、今現在同じ真似をすれば普通に飢えて死ぬだろう。
ここまでゲームと違いが起きているのだから、最初からリリファを
「――よし、リリファ。ちょっと俺の声が届かないところまで離れてみてくれ」
[
というわけで、今度は
リリファにも試そうとしている
「
そのまま正常に接続完了。エラーメッセージは返って来ない。これはもしや、と期待感が膨らむ。
『リリファ。俺の声が聞こえるか?』
視線の先のリリファが、ぴょんぴょんと飛び跳ねて合図した。
どうやらちゃんと声が届いたらしい。これは嬉しい誤算だ。何事も試してみるものである。
これまでに見つかったゲームとの差異と言えば、痛みを感じるようになったり飢えるようになったり疲労を感じるようになったり秘奥の反動で死にかけたりと本気で碌でもないものばかりだったが……ようやくプラス面の差異が発見出来たように思う。
いまだに飛び上がってアピールをしているリリファに対して、苦笑混じりに手を振って応じる。取り敢えずこちらから声を届けることは出来た。ならば逆方向も試しておかねばならない。
『リリファ。お前の声もこっちに届くようになっているはずだから、試しに何か喋ってみてくれ。お前が喋った内容が俺に届けば、完全に通信成功だ』
すると、リリファは飛び跳ねるのを止めて、何事かを考え込むようにしばし俯いた。そして顔を跳ね上げ、子供らしい笑顔のまま口を開く。
『それじゃ言うね、お兄ちゃん! 姉様のお気に入りの下着は、青の――』
ヘリアンは即座に
視線の先で引き続き何事かを喋っているリリファを
――嗚呼、空はどうしてこんなにも青いのだろうか。
雄大な蒼穹を見上げながら、ヘリアンは現実逃避に
[ 転移 ]
「ただいまー。ねえねえ、リリファが言っていたことちゃんと聞こえた?」
「……まあ、うん。取り敢えずリリファの声が聞こえることは確認できた。何を言ってたのかはちょっと分からなかったけどな」
「あれ? そうなの?」
「残念ながらそうなんだ」
「じゃあ改めて言うね。姉様のお気に入りの――」
「言わなくていい。とにかくこの実験についてはこれで終わりということにしようそうしよう。さあ次の実験に移るぞリリファ」
むう、とリリファが頬を膨らませた。
何故に不満げなのか非常に気になるが、これ以上この話題を続けるのは危険だ。次にレイファに会った際、一方的に気まずくなる。
「次は転移だな」
「えっ……? て、転移って、他の場所に一瞬で移動できる、あの転移? ヘリアンさん……じゃなかった、お兄ちゃん、転移魔術が使えるの?」
何故言い直した。ヘリアンさんでいいじゃないか。
……まあ、今更どうでもいいが。
「その転移で合ってる。拠点を複数持ってないとそもそも使えないし、拠点間の移動しか出来ないけどな」
「…………えっと。転移って、失伝魔術の中でもかなり希少な魔術の筈なんだけど……というか、伝説の大賢者様しか使えない秘術だったような……」
「魔術というわけじゃないが、まあ、なんだ。取り敢えず転移自体は出来る」
適当に話を切り上げる。
詳しい説明を求められても、魔術のまの字すら知らないので困るのだ。
よくあるRPGゲームなんかでは、行動範囲が広がった中盤以降で拠点間の移動手段が手に入ることが多いが、位置付けとしてはアレと同じものである。
機能概要としては、制圧した拠点にのみ【
支配下においた拠点が無ければ使用出来ない能力であり、また該当拠点が他勢力に制圧されれば
また、
「……あっ、しまった。ラテストウッドじゃ
「しょきせってい?」
「今回の場合は
「ふーん……。ねえねえ、じゃあリリファが先に行ってもいい?」
「別にいいぞ。というか、この状況だと俺は行けないしな。
<仮想窓>を指で
転移先の制限や転移方向の限定、キャラクター毎の使用制限等の設定を行う事も出来るが、現在は実験の為に殆ど解除している状態だ。
「ほわー」と感心したような声を漏らすリリファに、転移の方法を簡単に説明する。光玉に触れれば転移先の候補一覧が表示される筈だ。
リリファがおもむろに光玉に手を伸ばすと、彼女の目の高さに一覧が表示された。どうやら特に問題はないらしい。リリファは突然表示された一覧に驚きながらも、目をキラキラさせていた。
――しかし、そこでふと疑問が生じた。
今までの実験は尽く上手くいった。それどころか予想外の収穫もあったぐらいだが、改めて考えてみれば、こと転移に関してはリスクがあるように思えた。
転移が発動しないだけならまだ良いが、万が一、中途半端に発動したりして全く別の場所に転移されたりすることも可能性としては考えられる。
命の優先順位をつけたいわけじゃないが、リリファは王族だ。この実験に関しては、まずは他の者達に協力依頼をすべきだろう。
「待て、リリファ。やっぱりこの実験はやめとこう。万が一の危険が――」
「んー、きっとだいじょーぶだよ。じゃあいってきまーす!」
「え? ……あ、待っ――!」
止める間も無く、リリファが
『ッ、――リリファ! 聞こえるか、リリファ!』
つい先程試したばかりのチャット機能でリリファとの通信を試みる。
転移自体は一瞬で終わる筈だ。何事も無ければ既にラテストウッドに居る。居なくてはならない。
『リリファ! 聞こえていたら返事を――』
『聞こえてるよー。すごいね、ホントにラテストウッドに着いちゃった』
気楽な返事が返ってきた。
他人の心配など知りもしない明るい声に、ヘリアンはホッと胸を撫で下ろす。深い溜め息が自然と零れた。
『あ、ちょっと待ってて。ちゃんとラテストウッドに行ったことが分かる物を持って帰るから! ――あ、ウェンリ――――ううん、まだ会談中――――いいからいいから。それじゃまた後でねー』
繋ぎっぱなしの
リリファが握っていたのは小ぶりな布だった。形は逆三角形。色は黒。ほんの僅かに透けているようにも見受けられるその布の正体は――
「じゃーん! 姉様の部屋の衣装棚から持ってきた、姉様秘蔵のパン――」
「可哀想だから
さすがにヘリアンはツッコんだ。
+ + +
「……なあ、リリファ。どうしてお前は実の姉をダシにしようとするんだ?」
疲れたような表情でヘリアンは訊いた。
妹の生にあれほど涙していた姉に対し、なんというかあまりにも雑な扱い過ぎるのではなかろうか。特に最後の暴挙に至っては、別の意味でレイファは泣いてもいいと思う。
渋々ながら下着――もとい三角形の布状の何かを仕舞いながら、リリファはつまらなそうに愚痴る。
「だって、最近の姉様はリリファに構ってくれないんだもん」
「それは仕方ないだろう。レイファだって忙しいんだ」
なにせレイファはラテストウッドの女王だ。
きっと自分と同じように仕事に追われているに違いない。
「それに、ウェンリの下着を持ってくるのはさすがにかわいそうだし」
「待て。なんで下着を持ってくることが前提になっているんだ。そして何故その思いやりがレイファには適用されないんだ」
リリファの思考回路が理解できない。レイファがあまりに哀れだ。
「? だって姉様は姉様だから。別にいいかなって」
「……………………そうか」
姉妹の仲に口出しをするのは野暮な行為である。
ヘリアンはその論理で以って自分を誤魔化すことにした。
「まあなんだ……少しはレイファのことも気遣ってやってくれ。レイファだって、本当に忙しい筈なんだからな」
「んー、確かに最近の姉様は大変そう。昨日なんて久々に冒険者が戻ってきたし」
「その報告は聞いている。今は集落に逗留中らしいな。首都に近づけさせないよう第六軍団が工作をしている筈だが、三人組だったか?」
「うん、境界都市の冒険者パーティが一組だけ。聞いた話だと魔獣の群れは退けたらしいんだけど、今度は都市近くの
ただ
「
しかし、ラテストウッドから入手した情報によれば、この世界の
これについても、いつかは調査する必要があるだろう。
それに、森の外の世界――人間の生活圏における調査も行わなければいけない。
ラテストウッドが有していた情報は、殆どが森の中の世界に関するものだったからだ。
一部の重鎮に関しては、数少ない外交機会を通じて森の外の世界を見聞きしていたらしいが、重鎮のほぼ全てが先の戦争で死に絶えている。人間の生活圏で生活したことのある第一世代や第二世代のハーフエルフ達に関しても、エルフの血が濃かった為、害獣共の手により妖精竜の供物にされてしまっていた。
残された者たちが森の外の世界について知っていることいえば、近隣諸国の名や規模、極々一般的な常識ぐらいだそうだ。自分たちの生活を守るだけで精一杯だったことを考えれば無理も無い。
「……っと、もうこんな時間か」
<仮想窓>で時刻を確認すれば、もうじき昼の十二時を回ろうかという時間帯だった。この後は簡単な会食をして、それでリリファとの非公式会談は終了となる。
後は<形態変化>を試したかったのだが、これについては特に急ぎというわけでもない。続きはまた機会でいいだろう。
しかし、驚くほどあっという間の時間だった。
次に会えるのはいつになるだろうかと、寂しさに近い感情を微かに想いながら、リリファの手を引いて中庭を後にする。
リリファはしばらく黙って付いてきていたが、城内に入る直前、彼女は唐突に口を開いた。
「ねえ、ヘリアンさん」
「なんだ?」
「息抜き、出来た?」
ポツリと呟くようなその問い。
隣を見れば、じっとこちらを見上げてくる視線とぶつかった。
純真な瞳の中に、呆けたような表情をした自分の顔が映っている。
「――――は」
参った。
『遊びだと思ってくれ』『気楽にやってくれ』などと言ってリリファを気遣ってみたものの、どうやら終始気を遣われていたのはこちらの方だったらしい。
改めて自分の状態を確認してみれば、どことなく肩が軽くなっていた。
久しぶりに素の状態で会話をした為か、頭の片隅にこびり付いていた重さも随分と軽くなっている。今鏡を見たならば、スッキリした表情を浮かべている自分がそこにいるのだろう。
これじゃ
「いい息抜きになったよ。ありがとな、リリファ」
飾らずに、感謝の気持ちを口にする。
少女から返ってきたのは言葉ではなく、会心の笑みだった。
――昼からの仕事も頑張ろう。
晴れ晴れとした表情でそのように思いながら、ヘリアンはリリファを連れて居城へと戻る。その足取りは自分でも驚くほどに軽いものであった。
・次話の投稿予定日は【1月19日(金)】です。