<< 前へ次へ >>  更新
33/77

第一話   「異世界生活6日目」

 ――アルキマイラ。

 それが、ゲーム[タクティクス・クロニクル]でのワールド№3において、覇者の名を欲しいままにした軍事大国の名だ。


 しかしその国はある日、何の前触れも無く“異世界”へ転移させられてしまう。

 首都ごと転移させられたアルキマイラは、異世界転移二日目にして種族間抗争問題に介入することになり、異世界において初となる戦争に参戦した。


 そして、万魔の王に導かれた無双の軍勢は、エルフの国家の一つ『ノーブルウッド』の精鋭によって構成された先遣隊を完膚なきまでに撃滅し、完全勝利を収める。輝かしい勝利を手にした軍勢は意気揚々と凱旋し、国元では二日間に渡って戦勝記念祭が開催されたのだった。


 そこに不安げな表情を浮かべる者などいない。

 異世界転移という未曾有(みぞう)の危機に襲われながら、誰しもが希望に満ちた明日を想い、輝かしい日々を謳歌していた。

 それは(ひとえ)に『万魔の王』という民を導く絶対的な存在のたまものであろう。


 ――そんな中、アルキマイラ首都に(そび)え立つ王城の一室にて、彼ら彼女らとは一線を画するように重苦しい空気を漂わせている一人の男が居た。


「ぐ……ぅ、……っ」


 苦悶に喘ぐ男は、まだ青年と言っていい顔立ちをしていた。

 執務室と呼ばれる部屋で孤軍奮闘している青年は、今にも机に突っ伏しそうになりながら、必死に首を振って意識を覚まそうとする。


 気を抜けば意識が飛びそうだ。呼吸は乱れ、臓腑がしきりに不調を訴えている。目眩と頭痛は酷さを増す一方で、舌先には死の味が這い上がりつつあった。どう考えてもこのままではマズい。


 しかしそれでも、と彼は懸命に歯を食いしばる。

 こんなところで終わってたまるものかという反骨心があった。

 ここで意識を飛ばそうものなら、何の為にここまで頑張ってきたのかが分からなくなる。


「……ああ、そうだ。こんな中途半端なところで、終わってたまるものか……!」


 あえて想いを口に出し、自分を鼓舞する。

 そして「ああ、そうだとも」との思いを更に深くする。くだらない意地と切り捨ててしまえばそれまでだが、その意地と反骨心は半ば信念に変わりつつあった。ならばこんなところでその信念、捨ててなるものか。自分は頑張ると決めたのだ。


「……だけど」


 ああ、だけど。それでも。

 気を抜けばそんな弱い言葉が漏れ出してしまう。


 確かに頑張ると決めた。あの日あの時あの場所で、頑張り抜くと決意した。この世界はこんなにも自分に厳しいけれど、それでも頑張り抜くと少女に誓ったのだ。


 だが、弱さというものは安易に捨てられるものではないらしい。そう簡単に人は変われるものではない。あの日の誓いは断じて忘れはしないが、ふと気を抜いた拍子に『弱気』に襲われるのは人間として致し方ないと言えた。


 そして、その『弱気』が自分に囁くのだ。

 どうしてこうなってしまったのかと。

 何故、自分はこれほどまでに苦しんでいるのかと。


「……誰か、教えてくれ……」


 呟きを零す彼の視界を遮るように、一条の光が差した。

 窓の外に視線を向ければ、徐々に昇り始めた朝日の姿がある。異世界に来て以降、この部屋から見る三度目の日の出だった。


 陽光を浴びた街の人々が思い思いに活動を始める。

 とある組合の土建屋は、意気揚々な表情を浮かべながら現場へと足を向け。

 とある宿屋の料理人は、早起きな客に挨拶しつつベーコンエッグを焼き始め。

 とある酒場の店主は、酔い潰れた客を店先に放り捨ててから店へと戻っていく。

 そして――


「どうして、こうなった……ッ!」


 異世界生活0泊6日目の朝を迎えた、とある城の王様(ヘリアン)は。

 過労で地味に死にかけていた。





    +    +    +





 ……いや、どうしても何もない。

 幾重もの<仮想窓(ウィンドウ)>に包囲されたヘリアンは、心の中でそう述懐する。

 この数日間のことを振り返ってみるが、なんというか自業自得感が拭えない。


 思い返すのは異世界転移されてから三日目の昼のことだ。


 あの日、『始まりの地の酒場』にてリリファを<配下蘇生(フレンドリーリバイヴ)>で蘇生させたヘリアンは、なんとかその場を収めた後、箝口令(かんこうれい)を敷いた。

 アルキマイラの民相手ならばともかく、蘇生能力を有している事が他国に知れ渡ると重大な問題を引き起こす可能性があったからだ。

 そして、どうにか言葉を交わすことが出来る程度に落ち着いたレイファと、喫緊で必要な約束だけを取り交わし、城に戻った。


 ――そこまではいい。


 だが城に戻ったヘリアンは、リリファを蘇生出来たことによる歓喜の為かテンションがアッパー方向でおかしいことになっており「休んでなんかいられるか!」「頑張ると決めたのだ!」「いいから仕事だ!」と、天井知らずの熱意に駆られて早速仕事に取り掛かった。取り掛かってしまった。

 そして、その仕事量が割りと洒落にならないボリュームだったのである。


 王の仕事と称せば聞こえは良いが、実際の作業内容自体はそこまで難しいものではない。要はゲームの延長線上のことをしているだけだ。


 喫緊で取り組むべき内政問題に対して、各々の軍団が持つリソースを正確に把握し、それぞれの適性を考慮しながら適切量の作業(タスク)を割り振る。

 言ってみれば、各種情報を表示した<仮想窓>から情報を吸い出し、システムの支援を受けながらフローチャートやガントチャート等のツールを駆使して各人員の最適な行動予約を行うだけのことだ。


 とある(プレイヤー)は「ゲームの中でまでプロジェクト管理資料作りたくねえよ……」などとボヤいて簡易ツールを使用していたが、やはり最大効果を考えると事細かな<行動予約>を行えるヘリアンの手法の方が優れている。

 トッププレイヤーの中でもここまで細やかな<行動予約>を行うプレイヤーは少数派だったが、ヘリアンはその少数派に属していた。最初の半年ぐらいは四苦八苦していたが、長年のプレイを通じて各種ツールを使いこなせるようになったのだ。


 そして溢れんばかりの熱意のまま、『出来るならばやるべきだ』との指針に基づき片っ端から手をつけていった結果が、ご覧の有様というわけである。


「でも、だからといって後回しにして良かった仕事かと問われれば、そういうわけでもないしな……」


 結局遅かれ早かれ、こういう状態に陥ってたのかも知れない。

 そして、なまじなんとかこなせる作業内容だったのもいけなかったような気がする。


 例えば戦功評価についてだが、これはカミーラ率いる第六軍団各員からの<情報共有(データシェアリング)>を受け、各兵士の<記録(ログ)>を入手することで対処した。


 現実(リアル)では『正しく平等な戦功評価』など実現不可能だが、ヘリアンは<情報共有>という(プレイヤー)専用の能力がある。溜まった<記録>に対して、ゲーム時代に培ってきたフィルタリング技術を駆使すれば、ある程度平等な戦功評価を下す事が可能だった。


 出来るならやるべきだ。せめて初戦ぐらいは正しく平等な評価を下すよう最大限の努力をすべきである。その論理で以って、三日前のヘリアンは意気揚々と戦功評価に取り組み始めたのだった。


 ――そしてその結果、戦功評価だけで一晩越す羽目になったのである。


「……いやまあ、必要な作業だったのは間違いないんだけど。そのおかげでゴブ太郎血統とか見つけられたし」


 武勲を上げた個人の一人として、名も無きゴブリン兵士が居た。

 撃破数こそ四体と少なかったものの、彼が倒した敵の中には、兵士長という指揮官クラスの敵が含まれていたのだ。


 そして調べてみれば、なんと彼はゴブ太郎の直系の子孫だった。ゴブ太郎血統のゴブリンはそれなりの数がいるが、彼はその中でもかなり血が濃い方であった。

 また、彼は名前が無い新人ゴブリン――多産系の種族の子供には名付けがされないことがある――だったので、ヘリアン自ら名付けを行うことで報奨を与えることとにしたのである。


 ちなみに、命名は『ゴブ次郎』だ。


「……手抜きじゃないぞ」


 誰に言うわけでもないが――というか、若干自分に言い聞かせてるような気がしないでもないが、決して手抜きなどではない。


 ただ、『ゴブ太郎』血統ならどんな名前がいいだろうかと考えてみたところ、『ゴブ次郎』しか思いつかなかっただけの話だ。


 安直であることについては潔く認めようと思う。


「ヘリアン様、第三軍団長(エルティナ)からの報告書をお持ち致しました」

「――ああ、ご苦労」


 頼んであった内政事業に関する報告書が届いた。

 持ってきてくれたリーヴェに労いの言葉を告げ、目を通し始める。


 報告書を詳しく読み込む必要はない。

 一度でも目にすれば<記録(ログ)>に保存されて、<仮想窓(ウィンドウ)>を通じていつでも参照できるようになるからだ。情報の分析も<仮想窓>を使って行える。報告書という形で提出させたのは、情報を纏めるという作業を外部(エルティナ)に委託したということである。


 パラパラと報告書を捲りながら<記録>に保存していると、ふとリーヴェの視線が気になった。何やら物言いたげな雰囲気を感じる。


「……どうした? 何か急ぎの報告でもあるのか?」

「いえ、そうではなく……。恐れ入りますが、そろそろお眠りになられては如何でしょうか? その間の仕事につきましては、私とエルティナで対応致しますので」

「……いや、まだ休むわけにはいかん。私の許可が無ければ着手出来ないタスクが、幾つか残されているだろう」


 要するに上位意思決定がされてない為、後続作業が停滞してしまっている案件が残されているということだ。例として、現在着手している『開拓計画の作成』がその内の一つに数えられる。


 まさか無計画に開拓を進めるわけにはいかないが、さりとてやる気に満ち満ちている労働者達を放っておくわけにいかない。今こうしている間にも、本来労働が可能な者達が【待機中】というステータスのまま放置されている状態なのだ。彼らには一刻も早く働き始めてもらいたい。


 だが、開拓が国の一大事業である以上、着手するには綿密な計画が必要となる。

 適切な人員を然るべき職務に任じ、負荷分散を的確に行い、最大効率を発揮出来る<行動予約>を行わなければならない。しかも早急にだ。


「しかし……」

「構うな。それに、喫緊の仕事については大分片付いてきた。もう少しの辛抱だ」


 ここまで手をつけた仕事の一例としては『ラテストウッド支援のロードマップ作成』や『今後の対仮想敵国戦略の基本方針検討』、『反乱騒動で破損した施設の修復』を含む『経済正常化に向けての始動準備』等など多岐に渡る。


 動かす人員の数が数だけに、<行動予約>を行う為に作成した各チャート図は複雑怪奇なパズルのようになっているが、そんなものは今更の話である。伊達に何年間も[タクティクス・クロニクル]で超大国を運営してきたわけではない。コツさえ掴めば、長年の経験則から最適解に近い<行動予約>を組むことは可能なのだ。


 現実化した今ではゲームと現実の摺り合わせの為に多少の工夫が必要になり、かつ十万人以上の命運が預けられているという洒落にならないレベルのプレッシャーがあるものの、今のところは上手くいっている……と思いたい。


 そんなこんなで、どうにかここまでこぎ着けたのだ。あと一息というところで気を抜いて台無しにはしたくない。それこそ、何の為にここまで頑張ってきたのか分からなくなる。


「では……せめてお茶でも如何でしょうか? 気休めにしかならないかも知れませんが、多少なりとも気分が和らぐかと思われます」

「……そうだな。なら、温かい紅茶を頼む」

「畏まりました。すぐにお持ち致します」


 静々とリーヴェが退出する。

 その背中を見届け「気を使わせてしまっているな」とヘリアンは溜息を吐いた。

 [タクティクス・クロニクル]ではそこまで意識したことはなかったが、今後は王として、配下達への接し方についても考えなければいけないだろう。


 また、仕事の割り振りにもそれなりに気を使う。

 立案中の計画に及ぼす影響についてもそうだが、それがなくとも命令を行う際には少なからず緊張を強いられるのだ。ゲームでは命令を下すことに抵抗は無かったが、現実化した今ではそうもいかない。


 例えばガルディだが、単純に見た目が怖くて気後れしてしまう。


 ……いや、これが冗談ではなく本気で普通に怖いのだ。

 謁見の時には気を張って罰を下したりと頑張ってはみたが、逆に言えばガルディと接する際には気構えが必要になるということでもある。


 なにせ、ただでさえガルディは2メートル超えの巨漢で威圧感がある上に、マフィアの頭領(ファーザー)と山賊の(かしら)を足して2で割ったような人相をしているのだ。笑ったときには独特の愛嬌があるのだが、一般人のヘリアンからすれば普通に恐怖を感じてしまう相手だった。


 軟弱な、と言うなかれ。

 現実世界において「マフィアのボスと一対一で話し合え」と言われて平静を保てる一般人はそうは居まい。

 居たとすれば、それは一般人(カタギ)を装った別の何かである。


「ノガルドに命令する時も気を使うしな……。ただでさえ気難しい性格してるし」


 付け加えて言えば彼はプライドが高く、命令を下す際には一々気を使う必要がある。戦場では頼りになるのだが、普段は扱いに困るというのが正直な感想だ。


 核兵器と似たようなものとまでは言わないが、国として見た場合のノガルドは殆ど決戦兵器のような扱いである。平和な時代においては他国への威圧以外に使い道が殆ど無いのだ。ゲーム時代でも割と面倒な思いをさせられた。


「今にして思えば……こないだの戦争の時、よくキレなかったもんだな、アイツ」


 <情報共有(データシェアリング)>の強制接続を行ったばかりか、全力でノガルドの頭を踏みつけた事を思い出し、ヘリアンは今更ながら身体を震わせた。


 一応は自分を王として認めてくれており、背に乗ることについてはノガルドも文句を言っては来なかったが、頭に触れられることについては嫌がっていた。多分、現実化した今でもそれは同様だろう。


 いくら頭に血が上っていたとはいえ、恐ろしい真似をしたものだと思う。


「……おい待て、俺。なんか思考が変な方向に向かってるぞ。逃避しかけてるぞ」


 自分に言い聞かせるように呟き、仕事の方に意識を回す。

 かなり嫌になっているんだろうなと自己分析しながら、睡眠時間を勝ち取るべくヘリアンは頭を働かせた。


「残りの仕事は……ノーブルウッド本国への情報操作と、開拓政策の一環として紙媒体での地形図作成指示……ああ、深淵森(アビス)の伐採についてはセレスやカミーラから意見を聞かないとな。下手に触れていいものか分からないし。それと深淵森(アビス)の魔獣対策もしないと……魔獣対策といえばラテストウッドの方もだな。普通の魔獣にも襲われかねない立地なんだし、首都外壁の修復は急務……なんだけど、上手くアルキマイラの存在を隠したまま支援するとなると……第六軍団にバックアップさせながら第五と第七の工兵部隊を一気に動員するか? でも第五軍団のリソースをそっちに割きすぎると、今作ってる開拓計画の一部見直しが必要に……」


 ……おかしい。

 仕事を減らす為に頑張っている筈なのに、考えれば考える程仕事が増えていく。


「……とにかく、今は目の前の仕事を片付けよう。そしたら寝よう。最低三時間は寝よう。だからそれまでは頑張れ、俺」


 残された僅かな体力をつぎ込み、気力を奮い立たせて各種仮想窓(ウィンドウ)を操作する。

 過労死という死の匂いを鼻先に感じながらも、ヘリアンは目の前の仕事に取り掛かった。





    +    +    +





「や……、やっと終わった……!」


 国内施設の修復完了の報を受け、執務室の机に突っ伏す。


 額を打ち付けた拍子にゴンと重い音が鳴ったが、その痛みを以ってしてもこの睡眠欲には抗えない。仕事が終わったことの安堵感も手伝ってか、気を緩めれば五秒と経たず眠りに落ちてしまいそうだった。


「……もう無理だ。これ以上はいくらなんでも物理的に無理だ。寝る。絶対寝る。俺は寝るぞ。というか、寝なきゃ多分マジで死ぬ……」


 フラフラと立ち上がり、寝室への専用通路を歩く。国王側近(リーヴェ)でさえ使用することは出来ない、(プレイヤー)専用の直通通路だ。気を抜けば飛びそうになる意識を繋ぎ止めながら、幽鬼のような足取りで寝室に辿り着く。


 そういえば、異世界に来てからまともに寝るのは初めてだ。

 一日目はオーガに殺されて意識を失った状態で夜を越したし、二日目も秘奥乱発の反動による気絶状態で寝室に運ばれていた。


 意識を失った状態で夜を越すことを“寝る”と表現するならば現時点で2泊6日状態だが、それにしたって普通に三徹状態だ。異世界生活のあまりの過酷さにげんなりしながらベッドに倒れ込む。もはや着替える気力も無い。


 そして布団の中にモゾモゾと潜り込んだヘリアンは、異世界生活六日目の晩に至ってようやく手に入れた睡眠を甘受すべく、心穏やかに瞼を閉じるのだった。



 ――と同時に、南の方角から派手な爆音が轟いてきた。



「――ッ! 何事だ!?」


 ズン、という振動。

 堅牢な城は揺れこそしなかったが、窓枠が僅かに音を立てた。まるで花火が弾けたかのような空気の震え。生活音とは明らかに異なる爆音。布団を跳ね上げ、すかさず仮想窓(ウィンドウ)を開く。


戦術仮想窓タクティカルウィンドウ開錠(オープン)! 選択(セレクト)地図(マップ)!」


 爆音は南から届いてきた。城の南区画の地図情報を参照する。

 <情報共有(データシェアリング)>により最新の情報に更新された<地図>からは、音の発生源が南大通り付近であることが読み取れた。数日前、オーガ一派による反乱が鎮圧された現場付近だ。嫌な記憶が蘇る。――だが。


「……ガルディと、ノガルド?」


 何故か二人の軍団長の反応があった。

 大通りの外れ――ちょうどレッドオーガが討伐された辺りの区画に、第五軍団長(ガルディ)第八軍団長(ノガルド)を示すユニットマークが表示されている。


 良い方向に考えれば両名の軍団長が何らかの問題に対処中ということになるが、あまりにも対応が早すぎる。


「…………なんでアイツらが現場に居るんだ」


 なんとなく嫌な予感を覚えつつ、ベッドから腰を上げて立ち上がった。

 同時に、コンコンと静かなノック音。入室を許可すれば「失礼致します」との声と共に扉が開かれた。開かれた扉の先には、いつも通り背筋をピンと伸ばしたリーヴェの姿がある。


 「付いて来い」と短く告げ、ヘリアンはリーヴェを伴って現場に向かった。





    +    +    +





「どうすんだよ、この惨状! 絶対リーヴェやバランが文句言ってくるやつじゃねえか、これ!」

「知ったことか。貴様が破壊したのだろう。この惨状は貴様が作り上げたものなのだと正直に説明すればよい」

「ふざけんな、俺様ぁ反撃しただけだ! テメエの方こそ、いきなり因縁つけてきた上に蹴りくれやがって!」


 ヘリアンが到着した現場では。

 倒壊した建物の手前で、ぎゃあぎゃあと喚き散らす二人の軍団長の姿があった。


「…………何をしている」


 鈍痛が響く頭に手を当てながら歩み寄る。

 嫌な予感が確信に変わる気配を感じつつも、ヘリアンは念の為に訊いた。


「む、王か」


 眉間に皺を寄せて喚くガルディなど気にも留めない様子で、ヘリアンに気付いたノガルドが顔を向けて来た。釣られて、ガルディもまたヘリアンの存在に気付く。


 この時点で傍らのリーヴェは静かな怒りを発し始めていたが、ヘリアンは片手を軽く(かざ)してリーヴェを止めた。話を聞いていない内に判断を下すのは悪手だからだ。話をちゃんと聞いてから決断を下すべきである。……たとえ目の前の惨状から聞かずとも分かるような状況であったとしても、だ。


「説明しろ。何故お前たちがここに居る。そして何故、修復命令を下した筈の建物が全壊しているんだ。私は、全施設の修復措置が終わったと、確かに報告を聞いたはずだぞ」

「いやそれがよ、聞いてくれよ総大将。俺様の部隊は第七軍団長(ロビン)のとこの棟梁達と一緒に、間違いなく全施設の修復を終わらせたんだよ。そんでもって手下共の働きを労ってたら、ノガルドがちょっかいかけにきやがったんだ」

「自意識過剰も甚だしい妄言だな、筋肉達磨めが。我はたまたま通りがかっただけのことだ」

「だったらそのまんま通り過ぎればいいだけだろが! わざわざ『失態の尻拭いは終わったのか、愚か者めが』なんて言わなくていいことぬかしやがって! オマケに、無視してやったら『我の言葉を無視するなどどういう了見だ』っつっていきなり蹴りくれてきやがったんだろうが! 俺様ぁ売られた喧嘩を買っただけだ!」

「そして修復したばかりの施設を自ら破壊していれば世話はない。そのように単細胞だから貴様は失態を犯すのだ」

「テメエが避けるからだろうが、ノガルド! 避けられなきゃテメエだけをぶっ飛ばせる予定だったんだよ!」


 再びぎゃあぎゃあと聞くに堪えない罵詈雑言が二人の軍団長の間で飛び交う。

 そんな二人を前にして、ヘリアンは自分でも驚くほどに頭が冷えていく感覚を覚えた。努めて冷静を装い、今しがたの報告内容を咀嚼(そしゃく)する。


「…………」


 ……つまり。

 そう、つまりは、だ。


 三日ぶりにようやく寝れるとベッドに潜り込んだ矢先に発生した爆音は、口喧嘩からの小競り合いによるもので。


 爆音の正体とは、施設修復を任せた筈のガルディさんが直したばかりの施設を全壊させた際の破壊音であり。


 事の発端と言えば、ノガルドさんがしなくてもいい余計な挑発をしてくれやがったことにあり。


 そして、二人の名立たる軍団長様がつまらない喧嘩をしてくださった結果の惨状が、目の前に広がる瓦礫の山であると。


 そういうことでよろしいのですね?


「……………………」


 は。

 はははは。

 はははははははは。

 あははははははははははは。


「リーヴェ」

「ハッ」

「〝紅月ノ加護〟の発動を許可する」

「……は?」


 思わず、といった素の反応でリーヴェは聞き返した。


「あ、いえ、それは少々……恐れながら、今のヘリアン様の体調では、(いささ)か以上に問題が」


 やんわりとした口調でヘリアンを窘めようとするリーヴェ。

 そんなリーヴェに対して、ヘリアンは眼球だけを動かして彼女と視線を合わせた。その冷ややかな眼光を受け、リーヴェは尻尾の毛を逆立たせる。


「――いいから、やれ」


 静かに命令するヘリアンの目は、完全に()わっていた。


「…………」


 ――絶対に逆らってはいけない。

 野生の本能でそう判断したリーヴェは、粛々と〝紅月ノ加護〟を発動した。


 リーヴェの体から紅い燐光が立ち昇り、同時にヘリアンの体に負荷がかかる。

 僅かに残った体力が根こそぎ奪い取られていく感覚を覚えながら、ヘリアンは満足気に一つ頷いた。

 このままベッドに倒れ込めば、文字通り死んだように眠れることだろう。


「……王よ、何故リーヴェに秘奥を発動させた?」

「……総大将?」


 ガルディとノガルドはさすがに罵り合いを中断し、ヘリアンへと視線を向ける。

 そんな彼らに対し、ヘリアンは淡々とした口調で告げた。


「ガルディ、ノガルド。貴様らは現刻より三時間、緊急事態を除き一切の形態変化を禁ずる」

「「――!?」」


 告げるなり踵を返して去ろうとするヘリアンの姿に、二人の軍団長は目を剥いた。入れ替わるように進み出てくるリーヴェの身体からは燐光が立ち昇り、その拳は固く握り締められている。


「待て、王よ! これは緊急事態では無いのか!? まさか魔人形態のままで紅月状態のリーヴェとやりあえとでも言うのか!? 今夜は月が出ているのだぞ!」

「そ、総大将! 俺様なんて魔人形態どころか完全人化形態のまんまなんだぞ!? せめて魔人形態にはさせてくれ!」


 先程までの仲違いも忘れ、二人して説得に全力を費やす。そうしなければ自分達の命が危ういことを理解していた為だ。

 特に、完全人化形態になっている所為で本来の実力が発揮できないガルディは必死だった。このまま紅月状態のリーヴェと戦えば本気で死にかねない。


 その懇願が届いたかのように、ヘリアンはふと歩みを止めた。情状酌量の余地ありか、と二人は一縷の望みを抱く。


 そんな彼らに対して――否、正確には彼らに対峙するリーヴェに対し、ヘリアンは言い忘れていた大切な一言を告げる。


「――トドメは刺すな」


 二人の顔から血の気が引いた。


 そして今度こそヘリアンはその場を立ち去り、後には顔色を失った二人の軍団長と、沸々とした怒りを燃やす国王側近の姿だけが残される。


「そういうことだ。よくもヘリアン様の安眠を邪魔してくれたな、貴様ら。

 ――いざ、命を賭して朝まで生き延びてみせるがいいッ!!」

「矛盾に満ちた台詞であろうが、それは!?」

「つうかトドメ禁止って言われただろ!? おい、落ち着け、せめて手加減――」


 立ち去るヘリアンの背に、重機で地面を殴りつけたような凄まじい打撃音が連続して届いた。

 その音はヘリアンがベッドに辿り着いてからも断続的に響き続けていたが、残された体力の全てを使い果たしたヘリアンは、その音を子守唄としながら深い眠りに落ちるのだった。



 ――その翌朝、瓦礫の山の中からボロボロの軍団長が二名ほど発見されたという報告が届いたが、ヘリアンがそれを気に留めることは無かった。




・次話の投稿予定日は【1月5日(金)】です。


・次話ではリリファが登場予定です。どうぞお楽しみに♪


・いよいよ今年も終わりですね。来年もどうぞ宜しくお願い致します。良いお年を!


<< 前へ次へ >>目次  更新