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第二十八話 「王の贖罪」

 ラテストウッド首都の小城。

 ノーブルウッドより奪還した城の玉座の間にて、ラテストウッドの幹部に相当するハーフエルフ達は身を震わせていた。


 奪還に成功した居城に一月ぶりに帰還出来たにも関わらず、ハーフエルフ達の顔に笑顔は無い。玉座を空けたまま、通路を作るようにして整列するハーフエルフ達は皆、極めて複雑な感情に支配されていた。


 勿論、感謝の気持ちはある。囚われていた同胞が救い出され、平穏を乱すノーブルウッドの兵士達が掃討されたのは喜ばしい事だ。それをラテストウッドに代わって成し遂げてくれた彼らには、純粋な感謝を捧げるべきである。

 しかし、理屈では分かっているものの、ハーフエルフ達の心は感謝よりも畏怖の感情で塗り潰されようとしていた。自分達の目にした力の数々が――アルキマイラと名乗る国の戦力が、あまりにも強大過ぎた為だ。


「ウェンリ戦士長……私達は、これからどうなるのでしょうか?」


 年若いハーフエルフの一人が、不安げな声色でウェンリに訊いた。

 気持ちは分かる。なにしろ、ノーブルウッド兵を蟻を潰すかのように鏖殺(おうさつ)した軍勢は、あろうことか魔物の集団だったのだから。


「分からん。せめて首都の一部だけでも得られれば僥倖だが……無理な話、なのだろうな……。恐らくは集落で細々とした生活を続けていくことになるだろう……」


 なにせ、今回の戦闘においてラテストウッドは何もしていない。

 魔物の軍勢が首都を奪還する様を黙って見ていただけだ。これで『奪還した土地を寄越せ』などと言えるのは、命知らずではなくただの自殺志願者だ。

 自然、ハーフエルフ達の間に重苦しい空気が横たわる。


()の国がどのような決定をされようと、私達はそれに従うまでです」


 抑揚の無い声で、レイファは言った。


「少なくともノーブルウッドの脅威は無くなったのです。脅威が森に住まう魔獣だけに絞られるのであれば、ラテストウッド建国の黎明期と同条件。また一からやり直せば良いだけの話でしょう」

「レイファ様……」

「彼の国は約束を守ってくださいました。囚われていたラテストウッドの民を救い出してくれました。その上、ラテストウッドの脅威となるノーブルウッドの兵士達を排除してくださいました。これ以上、何を求めるというのですか」


 視線を向けることもなく、虚空を見据えたままレイファは言葉を紡いだ。


「後はヘリアン様のご温情にラテストウッドの命運を委ねるのみです。既に約定が果たされた後なのですから、下手な手を打って場を乱すのは悪手でしかありません。かくも強大な彼の国を動かしてくれただけで、望外の奇跡なのですから」


 冷静な判断だ。

 浮足立った臣下らとは異なり、落ち着いた様子を見せている。

 しかし、ウェンリは知っている。レイファの父が妖精竜の餌にされたことも、母である先代女王が殺されたばかりか、晒し者にされていたことも……そして唯一残った肉親である妹のリリファを失ったことも、ここに来るまでに一通り説明を受けていた。


 ウェンリは王女姉妹の教育係を務めていた。

 臣下の中では、最も彼女達に身近な存在であると言えるだろう。

 それだけに、リリファが死んだという事実を聞かされた時は、言いようもない絶望感に晒された。


 自分でさえそうなのだ。ならば肉親であるレイファにとって、妹の死はどれほどの衝撃と哀しみを与えただろうか。それを想うだけでウェンリの胸は張り裂けそうに痛む。しかし、レイファは哀しむ素振りなど見せず、今も女王としての仮面を被り続けている。


 そうあるべきだと教えたのはウェンリだ。

 しかしそれでも、王族としては正しいその在り方が、ウェンリにはどうしようもなく痛ましく見えて仕方がなかった。


 ……どうにかこの身を捧げることで許してもらえないだろうか。


 リリファがこの世にいない以上、レイファの存在はラテストウッドにとって必要不可欠だ。約束を果たした相手に対し、対価をすげ替えようなどと恥知らずにも程があるが、それでもウェンリは何もせずにはいられなかった。


 ……最悪の場合は我が身もレイファ様と共に売ってもらえるよう彼の王と交渉しよう。レイファ様は反対されるだろうが、このままおめおめと生き恥を晒すぐらいなら慰みものになって死んだほうがマシだ。


 彼女が密かに覚悟を決めたその時、玉座の間の扉から朗々とした声が響いた。


「アルキマイラが国王陛下、ヘリアン=エッダ=エルシノーク様、ご入場である」


 儀典官の名乗り上げに、玉座の間に集う者たちは揃って身を固くした。

 音を立てて開かれる扉から威風堂々と姿を現したのは、見事な意匠が施された黒い外套を纏う一人の青年だ。


 狼獣人の女性を引き連れた青年――万魔(ばんま)の王ヘリアンは、向き合うようにして跪くハーフエルフ達の間を通り、粛々と玉座に歩を進める。


 やがて玉座の前に辿り着くと、ヘリアンは玉座のすぐ近くで跪いているレイファに声をかけた。


「座らないのか、レイファ=リム=ラテストウッド? ようやく取り戻せた居城の玉座だろう」

「はい。私が玉座に座る資格はありません。そこは貴方様が座られる場所に御座います。また、この交渉の席だけはラテストウッドの代表者としての役目を努めさせて頂きますが、私はもはやレイファ=リム=ラテストウッドではなく、ただのレイファに御座います。どうかそのように扱いください」

「……そうか」


 ヘリアンは玉座に腰を下ろした。

 同時に、戦術仮想窓タクティカルウィンドウに幾つかの文字が走る。


 ――領域内の敵勢力全滅。

 ――領域内の自軍支配率が9割を超過。

 ――玉座(シンボル)の奪取に成功。


 三つの強制支配条件を満たしたことにより、仮想窓ウィンドウに【支配完了】の字が表示され、金色に輝いた。これでラテストウッドの首都は、完全にアルキマイラの支配下に置かれたことになる。


「……全軍に通達。ラテストウッド国民奪還作戦の完了、及び敵戦力壊滅による戦闘終結を宣言する。――我々の勝利だ」


 王の勝利宣言に、魔物達が歓喜の雄叫びで応える。

 異世界での初戦争、それも王自らが軍を率いての全軍出撃という戦いで、完膚無きまでの完全勝利。

 蓋を開けてみれば呆気ない戦いになったが、敵戦力が不明のまま開戦するという不安な状況からの大勝利とあって、魔物達は歓喜に沸き返った。


「それでは、戦後処理といこうか」


 詳細は後で詰めるが、と前置きをしてヘリアンは本題を切り出す。


「まず、我々が交わした契約と、ラテストウッドに関する処遇についてだ」

「はい。お約束通り、私の身を貴方様に捧げ――」

「いや、その件については白紙に戻ることになる。重大な契約不履行があった」

「えっ?」


 虚を衝かれたように、レイファが顔を上げた。

 何か下手を打っただろうかと思案するが、思い当たる節はない。

 まさか、とウェンリに視線をやったが、本人は慌てて首を横に振った。

 では、契約不履行とは一体何の事なのだろうか。

 レイファは考えを巡らせるが、答えが出ない。


「貴国からの要求は“この度(さら)われたラテストウッド国民の救出”だ。しかしながら、アルキマイラは……私は、要求を十全に叶えることが出来なかった。救出出来なかった者がいた。つまり、契約の完全履行に失敗したということだ」


 ピクリ、と僅かに引き攣ったように、レイファの笹耳が動いた。


「……リリファの事を仰っているのですか? しかしあの子は、下手をすれば私達が契約を交わした頃には、既に……」

「そんな事は関係ない。貴国からの要求はあくまで“この度攫われたラテストウッド国民の救出”だった」


 故に、その代償を受け取るわけにはいかない。

 ヘリアンは端的にそう告げた。


「……いえ、そうは参りません。多くの民を救出頂けたばかりか、ノーブルウッドという脅威の排除までも行って頂いたのです。何も差し出さず恩恵に(あずか)るなど、出来よう筈も御座いません」

「……どうしても、か」

「はい」

「そうか。しかし此方(こちら)としても黙って対価を受け取るわけにもいかない。我が国の都合や矜持というものがある」


 玉座の間に、重苦しい溜息の音が落ちる。

 その様子を見守っていたウェンリは、今しかない、と口を挟もうとした。

 だが、出来なかった。

 王と女王による二対の視線が、釘を指すように彼女を射抜いたからだ。


 ――邪魔をするな。


 端的な思いが篭められたその視線を受けて、彼女は沈黙を貫くしか無かった。

 もはや自分が口出しを許される場ではないという事実を、ウェンリは嫌というほど理解した。


「我が方の臣下が、大変失礼致しました」

「失礼? 何のことだ? 私には貴女が何を言っているのか理解出来ない」

「……ご温情に感謝致します」

「重ねて言うが貴女の言っていることが理解出来ない。よって、その感謝の言葉を受け取る理由がない。……話を続けようか」


 ヘリアンはなかば強引に、話を元の流れに戻す。


「『私に出来る事であれば何でもお申し付けください。どのようなご要望でもお答えします』……契約を結んだあの時、貴女は確かにそう言った。あの言葉に偽りは無いか?」

「御座いません」

「二言は無いな?」

「無論です。神樹の名において誓いましょう」

「……私にとって、その言葉には何の価値も無くなってしまったのだがな」


 皮肉げな言い方になってしまったが、ヘリアンにとって『神樹の名の誓い』が無価値なのは事実だった。

 レイファは思案げに床を見つめ、ややあってから再び顔を上げる。


「では妹の名に……リリファの名に誓います。決して二言は無いと。どのようなご要望であれ、お応えすることを妹の名にかけて誓います」


 ヘリアンの双眸が揺れた。


「妹君の名に、か……」

「はい」

「……それならば信じよう」


 厳しい表情でヘリアンは頷く。


「これから私は貴女に対し一つだけ要求する。その要求を叶えてもらうことで、我が方は対価を受け取ることとする。覚悟はいいな?」

「はい」

「では要求を告げる。

 “レイファ=リム=ラテストウッドとしてラテストウッド王国の女王に即位し、ラテストウッド首都及びその集落を貴公の裁量にて統治されたし”

 ――以上だ」


 その言葉に、レイファは瞠目(どうもく)した。

 居並ぶハーフエルフもまた、予想だにしなかった要求に礼儀を忘れて顔を上げ、ヘリアンを凝視する。


 その無礼な振る舞いに、リーヴェが何事かを言おうとする初動を見せたが、ヘリアンは軽く右手を上げることによって彼女の動きを封じた。


「どうした? 受諾の声が聞こえないようだが」

「し、しかし、それは……」

「貴女はどのような要求であれ呑むと言った。私はその貴女に要求した。これはそれで終わる話だろう。それともまさか、妹君の名に泥を塗るおつもりか?」

「そのようなことは致しません!」


 条件反射的に否定してしまい、ハッとレイファは顔色を変える。

 だが今更どうしようもない。言葉は既に交わされた。レイファは白紙のカードをヘリアンへ差し出し、ヘリアンはそのカードに要求を書いて返却したのだ。

 ならば、レイファにはそのカードを受取る以外の選択肢は無い。


「ご要求を受諾いたします。貴方様のご温情に、深く、心より、感謝を――」


 レイファは深くこうべを垂れて言った。


「感謝の言葉は不要だ。これは正当なる取引の結果なのだから」

「だとしても――それでも、貴方様に感謝を。心よりの、感謝をッ……!」


 王と女王の間に交わされた契約ことばの内容を――ラテストウッドが救われた事をようやく理解したハーフエルフ達は、揃って喜色を顔に浮かべた。張りつめたものが切れてしまったのか、歓喜の涙で頬を濡らす者すらいた。


 ――ようやく救われた。


 そんな声ならぬ声が聞こえてくるようだった。


「では、契約の履行終了に向けての話を続けようか。契約が完全履行されないままの状態で、今後に関する話をするべきではないだろう」

「……と、申されますと?」


 ヘリアンは右手を上げ、指を鳴らした。

 それを合図に、玉座の間の扉が音を立てて開かれる。中に入ってくるのは、手足や目といった身体の各部位を欠損している負傷者の数々だ。


「私はラテストウッドの女王に対し『一人も余さず救い尽くす』と誓った」


 しかし、ヘリアンの眼前には未だ治らぬ負傷を負っている者が並んでいる。

 彼らはノーブルウッドの魔の手から助け出されただけ(・・・・・・・・)だ。

 彼らの身体の欠損は痛々しく、決して健全な状態ではない。

 つまり、“救い尽くされている”とは言い難い。


「その契約を完全履行することは今や不可能だ。だが、彼の者達の救済を今此処で即座に施すことにより、我が方の陳謝と受け取って頂きたい」

「……それは、つまり」

「今、この場で、彼らを五体満足な状態に完全快復させる。……せめて、助けられた者達だけでも救い尽くさねば、私の全ては嘘になる」


 レイファは、もう何度目になるのかさえ分からない驚愕に息を呑んだ。


 部位欠損の治療は、既に失われて久しい(いにしえ)の失伝魔術だ。

 この世界の常識では、部位欠損した直後に限り、極々一部の高位術師であれば治療することが可能だ。

 だが、身体の各部位を失い、傷口が癒着した状態――部位欠損した状態がその者にとっての『自然な状態』になってしまうと、もうどうすることも出来ない。


 だというのに、眼前の魔物の王は、事も無げに五体満足な状態に快復させると言ってのけた。しかし今更その言葉を疑うような愚行はしない。()の王が“出来る”と言うのなら、それは全て真実であり、彼の国は古の術式を有しているのだろう。


「エルティナ」

「承知致しました」


 治療と援護のエキスパートである第三軍団を統べるエルティナは、愛用品である黄金に輝く杖――<ケーリュネイオン>を手に歩み出た。

 そのまま、何が起きようとしているのかも解っていないような重傷者達の下へ歩み寄り、その中の一人――ハーフエルフの少年に杖の先端を向ける。


「我が祈り聞き届け、此処に天光の満ち賜らんことを――“慈天の祈祷(インヴォーク)”」


 王から吸い上げられた生命力と、エルティナの魔力が融合する。

 <秘奥>に該当する特殊魔術が発動し、少年の身体が淡い緑の光に包まれた。

 光は損傷の激しい傷口に集中し、部位欠損部ともなれば身体の輪郭がわからなくなるほどの輝きに満たされた。


 そして緑の光は少年の身体情報を読み取ると同時、術者の命じるままに彼の細胞へと姿を変え、血肉や骨や神経を瞬時に形成していく。数秒の時間を経て緑光は消え失せ、後に残ったのは五体満足な身体へ全快復した少年の身体だ。


「えっ……? う、腕がある!? なんで!?」


 少年は失った右腕が存在していることに驚きながら、新生された右腕をおっかなびっくり動かしている。そしてそれが失う前と全く同様に、意のままに動くことを確認すると、その両目から滂沱(ぼうだ)と涙を流した。


「……右腕が、ある……どこも、痛く無い……。うああぁぁ……!」


 しゃくり上げながら、少年は途切れ途切れに思いを言葉にして吐き出し、最後には笑顔を浮かべながら泣き崩れた。

 その少年を抱き上げたのは、片耳が欠けた若いハーフエルフの女性だった。きっと少年の母か、あるいは姉なのだろう。


 ――しかし、ヘリアンがその心温まる光景を目にすることは無かった。

 その場で地面を睨みつけ、肉体を蝕む負荷を必死に堪えていた為だ。


 “慈天の祈祷(インヴォーク)”は、どのような怪我でも瞬時に快復させる治療魔術の一つの極みだったが、<秘奥>の中では燃費が悪い方だった。

 運営会社が情報開示した資料(データ)によれば、“慈天の祈祷(インヴォーク)”による【生命力】の消費量は半分程度……つまり、今のヘリアンは命が5割減った状態になる。


 それがどのような状態なのか。

 ゲームをやっていた頃はたいして意識していなかったが、現実となった今は嫌というほど解らされてしまった。


 5割減った状態だからといって、あまりにも単純過ぎる例えかもしれないが……ベッドの上で半死半生になっている人間は、今の自分と同じような気分を味わっているのだろう。


 いや、きっと生命(いのち)とは、数字で図れるようなものではないのだ。

 【生命力】という“値”はあくまでゲーム時代のものであり、現実化した今は参考材料として一つの目安程度に捉えておくべきだろう。いつまでもゲーム感覚で考えていると、いつか取り返しのつかない後悔をする確信がある。


 ヘリアンは負荷を堪えながら、腰のサイドバックに挿していた試験管型のポーション瓶を一本取り出し、一気に呷った。【生命力】を回復させる効果がある、かなり希少なポーションだ。

 黄昏竜の<秘奥>を発動した直後、気絶寸前の状態で飲んだ時と同様に、そのポーションは失われた【生命力】を補充した。身体的には瞬時に快癒し、ヘリアンは<秘奥>を使用する為の燃料かてを取り戻す。


「陛下?」

「……構わん。続けろ」


 エルティナが怪訝そうに伺ってくる。

 リーヴェに至っては――以前検証を行った経験からか――即座にヘリアンの異変に感づいた様子だったが、構わずヘリアンは続行を命じた。


 誰の目にも異変が明らかになったのは、四人目の治療を終えた頃だった。


「ハッ、ハッ、ハッ、ハ――ァ……!」


 呼吸困難に陥った犬のような喘ぎ声。

 冷や汗で全身をびっしょりと濡らし、酸素を求めて喘ぐ様はみっともないことこの上なく、端的に言って無様だ。


 こんなことになるのであれば、重要人物と被治療者以外は玉座の間から締め出しておくべきだった、とヘリアンは悔やむ。おかげで、ラテストウッドの幹部や、アルキマイラの各軍団長にまで、苦しみ喘ぐ情けない様を晒してしまっている。


 ポーションで無理矢理生命力を回復させながら、ヘリアンは半死半生と全快の間を既に四度往復していた。肉体は強制的に快癒されるが“芯”に残るものはある。身体を蝕む苦痛は、肉体の快癒後も幻痛という形で精神を蝕んだ。


 そもそも『瀕死の状態から即座に全快復する』という変化自体が、人体にとっては異常な現象だ。精神が肉体の異変を訴えかけている一方で、肉体自体は完全な健全体であるという矛盾が繰り返し生じる。その齟齬は、脆弱な精神の持ち主であれば、十度も繰り返せば精神を破壊するに足る責め苦だろう。


 堪りかねたように、リーヴェが叫んだ。


「もうお止めください! これ以上は、御身への負担があまりにも……!」

「黙、れ」


 心臓を鷲掴むようにして胸に手を当てながら、ヘリアンは煩わしげにリーヴェの言葉を遮った。荒げた呼吸の中で脳裏に思い浮かべるのは、指切りを交わした少女の姿だ。


「一人、救えなかった」


 それは紛れもない事実。

 何の力も持たないくせに、全員救うなどと大口を叩いた結果がこれだ。


「これ以上、俺に恥を晒させるな……!」


 ならば、この程度の苦痛は呑み込まなければならない。

 竜の生贄にされたあの少女は、もう苦しみを感じることさえ出来ないのだ。


 それに比べれば、この程度の苦痛などなんのことがあろうか。

 たかが死ぬほど苦しいだけだ。

 本当に死ぬわけではない。

 死んだとしてもどうせ復活する。

 だから何も問題はない。


「……次の怪我人だ。続けろ」

「し、しかし……」


 助けを求めるように、エルティナは他の軍団長達に視線を彷徨わせた。

 しかし、いずれの軍団長も――リーヴェですら――鬼気迫る表情の王を前に、制止する言葉を持たなかった。

 視線で訴える様を見咎めたヘリアンは、強い口調でエルティナに命じる。


「王命だ。彼らの、治療を、続けろ」


 凍てつくような、王のその声。

 睨み殺すかのような視線で縫い止められたエルティナは、観念したかのように次のハーフエルフへと杖を翳した。




    +    +    +




「我が祈り聞き届け、此処に天光の満ち賜らんことを――“慈天の祈祷(インヴォーク)”」


 ……何度この祝詞を聞いただろう。

 ヘリアンは、エルティナの詠唱を耳にしながら、朦朧とする意識で思考する。

 二十回目までは数えていたが、そこから先は気が遠くなって数えるのを止めた。


 既に手持ちのポーションは使い果たした。

 配下からポーションの補充を受けながら、着実に治療を遂行していく。

 果たしてあと何人残っているのだろうか。

 終わらない悪夢を視ているようだ。


「ぐっ……」


 何かが臓腑から逆流してきた。

 刃を呑み込むに似た覚悟で、喉元に押し留める。それが胃液だろうが血だろうが、玉座の間を汚すなどという無作法は許されない。

 カタカタと震える手で瓶の蓋を開けて口に含み、喉まで迫ってきた何かをポーションで胃に押し返した。


「次……の、怪我人、を……」


 機械的に言葉を紡ぐ。

 さっきから同じ台詞ばかり繰り返している気がした。

 頭が今にも砕けそうに痛む。

 全快と瀕死を繰り返す結果として積み重ねられた幻痛は既に狂痛の域にあった。

 脳が痒くてたまらない。

 その辺の適当な柱に頭を打ち据え、頭蓋を割って中身を掻き乱すことが出来ればどんなに気持ち良いだろうかとの誘惑に囚われる。


 だがまだだ。

 まだ終われない。

 この手に救う手段がある以上、最後の一人を救う迄、止めることなど出来ない。

 だって俺は、死んでしまったあの少女に、出来る限り助けると、確かにそう約束して――


「治療は終わりました! これで全員です! 此度攫われたラテストウッドの国民は、全員救われました! 余さず救われました!」


 耳元で誰かが叫んでいる。

 何を言っているか完全には聞き取れない。

 治療が終わった、という部分だけ、なんとか理解出来た。


「残り、の……怪我、人は?」

「いません! 治療は終わりました! 終わったんです!」


 だから早く、と誰かが何かを言っている。


 ふと見れば、すぐ横、右手側に、悲壮な表情をしたリーヴェの顔があった。

 見たことのない表情だった。

 出来れば見たくない表情だと、そう思った。


 思考が纏まらない。視界が揺れる。

 身体はもう真っすぐ立つことすら出来ていない。

 どうやら今の自分は、リーヴェともう一人の誰かに両脇から支えられて、ようやく立っているような状態らしい。見るも無様な有様だ。


 ヘリアンは身を支える女性らの腕を振り払い、自力で直立した。

 王である自分は戦後処理の終了宣言をしなければいけない。他国の代表者を前にして、一人で立つことも出来ずに会談を終えようなどと許される筈もない。


 霞む視界でレイファの姿を探す。

 どういうわけかすぐ左手側に立っていた。肩が触れ合うような至近距離だ。

 何故そんなところに立っているのか。いつの間に移動したのだろう。駄目だ、まともな思考力が残されていない。もう余計な事を考える余裕など一切無い。会談を始めるにあたり、前もって用意していた台詞を並べ立てる。


「……これで……治療、は、終わった。此度攫われた者たちは、一人を除いて、救い尽くした。また、先程言った通り、一人救えなかった、契約不履行の、代償として、貴国からの、対価……レイファ殿の身柄については、固辞する……」


 気を抜けば意識が飛びそうになる。

 いや、既にところどころ断絶しつつあった。

 下唇を噛み千切り、痛みと鉄の味で意識を繋ぎ止める。


「だが……我が方には、契約には含まれていなかった、貴国の首都奪還の、功績が、ある……その功績の対価として、貴国には、我が国の同胞として、今後も、我々と、良い関係を築く為の……努力を、要求……する……………………」


 駄目だ。

 もう意識が飛ぶ。

 気合や根性でどうにかなるレベルを超えていた。

 時間が無い。

 一方的にまくし立てる。


「以上、が……我が国、アルキマイラの、此度の戦争に、関する……戦後処理の見解と、要求だ……。これを、貴国は、良しと、され、るか……?」

「勿論です! 異論など一切ありません! ですから、早く!!」


 レイファが要求を受諾してくれた。

 その声は不思議なことに、先程まで耳元で叫んでいた誰かと同じ声だった。

 何故だろうとの自問に答える思考能力など残されていない。

 既に意識は8割方が失われつつあった。

 崖っぷちでぎりぎり踏みとどまった残り2割が、会談を終わらせる為の台詞を吐き出させる。


「では、これで……此度の、会談、を…………終了と、する」

「ラテストウッドが女王陛下、レイファ=リム=ラテストウッド様、並びにその臣下殿、ご退場であるッ!!」


 儀典官の口上を待たずしてリーヴェが叫んだ。

 アルキマイラ家臣の必死な視線に追い立てられるようにして、ラテストウッド関係者が玉座の間から退出していく。


 最後の一人が退出し扉が閉まると同時、糸の切れた人形のようにヘリアンは崩れ落ちた。倒れる身体を抱き留めたリーヴェが、怒鳴りつけるかのように何事かを周囲に叫ぶ。


「急……ッ! 本国……の寝室……! 邪魔……は…………殺……思え!!」


 聴覚が仕事を放棄したのか、聞こえる音はぶつ切りになっている。

 怒号にも似た声を遠くに聞きながら、ヘリアンは意識を手放した。




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