第二十四話 「王の演説(前編)」
その日、アルキマイラに住まう魔物達は浮ついていた。
国王が直々に演説を行うとの発表があったからだ。
「よぉ。聞いたか、例の話」
「ああ、勿論だ。我らが王が演説をなさるという話だろう?」
「おぅよ。もう城前の広場は人だかりで埋まってる状況だぜ。オメエさんはこんな所でのんびりしてていいのかよ?」
「自分は<遠視>持ちだからな。屋根上にでも上がって拝聴させて頂くつもりだ。お前の方こそ良いのか?」
「俺ぁ巨人族だかんなぁ。時間が来たら人化解いて元の姿に戻ればいい。前に立っているやつがどんだけデカかろうと、巨人族よりデカイってこたぁねえだろ。元の姿なら視界を遮るものはねぇ」
「……お前、何メートル級だ?」
「三十」
「絶対やめとけ。第二軍団に目をつけられる。騒ぎを起こすような真似は本気でよせ。万が一演説の邪魔となるようなことがあれば第二軍団長に斬られるぞ」
そんな会話があちらこちらでされている。
演説が行われる旨が発表されて以降、城前の大広場へ向かう人々の列が途切れることはなかった。
首都丸ごとの転移などという、前代未聞の事態に遭ってから約一日半。
アルキマイラに住む魔物は多かれ少なかれ衝撃を受けていた。
なにせ首都だけが別の場所に飛ばされたということは、他の衛星都市や地方都市を全て失ったということだ。属国も失い、外部との流通に関しては完全に停止した状態にある。
当然のことながら各種産業も大打撃を受けている。
一次産業はほぼ壊滅。
二次産業も一部は麻痺している。
三次産業はなんとか機能しているが、中長期的視点で見るといつまで機能するものか怪しい。
国庫が開放されているので、当面の生活は保証されている。
この先一年間は問題無いとのお墨付きも得ている。
だが、その先はどうなるのか。
多くの脳筋種族は『まあどうにかなるだろ』と楽観的に考えていたものの、目端の利く頭の良い高位魔物ほど、今の国が置かれている危機的状況を察してしまっていた。
「まあ確かに、皆ひりついた雰囲気出してるよなあ。実際、小競り合いがいつにも増して多かったって話じゃねえか」
「警備兵の愚痴でも聞いたのか?」
「馬鹿言え。
「風の噂か……。まあ確かに、暴れてどうにかなるものでもない状況というものは、色々と溜まるものだな」
そう、それが問題だった。
魔物は基本的には力の信奉者だ。
アルキマイラの魔物は、弱者であっても尊重する気質を持ち合わせているが、それでも本質的には力での解決を求めるという方向性に変わりはない。
故に、これが力を振るえば解決する問題であれば、
『いざ力を振るえ』と言われた時の為に備えて、ただ待っていればそれで良かったからだ。待つという時間は戦う為の準備期間であり、そこにはストレスどころか心地よい高揚感すら与えてくれるものだった。
だが、今回は勝手が違いすぎる。
なにせ力を振るったところで解決するような
問題の焦点が『転移』となれば、魔術に特化した第四軍団、もしくは呪術を修めている第六軍団の専門分野となるが、その専門家達も
これが魔力が足りないなどの問題であれば、遠慮なく第四軍団らの下へ押し寄せてありったけの魔力を無理矢理提供する所存だが、そもそも解決の糸口すら見えていないと来てはどうしようもない。
当然、腕力や物理能力でどうにかなるものでもない。
しかも国としては慎重に立ち振る舞わなければいけない状況下にある以上、国外で暴れて
その時間は少しずつ、しかし確実に、国民や軍人にストレスを与えていた。
そこへ、王の演説が行われる旨の発表だ。
国民全てがその発表に飛びついた。
外敵からの守りを固めている守備隊以外の全ての魔物が、既に城前の広場へと集結しつつある。
城前の広場には十万を超える魔物達全てを受け入れる
あぶれた者は近くの建造物の屋根上に陣取ったり、<遠視>や<念視>を駆使したり、はたまた翼を持つ種族については宙に浮くなどして、思い思いの方法で城のバルコニー前の場所取りをしながら王の登場を待っていた。
城のバルコニーから周囲を見渡せば、どこに視線をやろうとも魔物の姿で埋まっているような状態である。
その光景はまさに
「しかしまあ、俺らが言うのもなんなんだがこうして見ると壮観だなあ」
「全くだ。普段は首都にこれだけの戦力が集まることなど無いからな」
「八大軍団長が揃い踏みなんてのは、今や建国祝賀祭の時ぐらいだからなぁ。見ろよ、あそこには第一軍団長がいるぜ」
「……本当だ。第一軍団長が我らが王のお傍を離れている姿は珍しいな」
広場の中心に立つ高台。
それを囲むような形で、円周状に第一から第八までの各軍団が配置されている。
その隙間を市民が埋めているような格好だ。
八大軍団長もまた、各々の軍団の下に姿を現していた。
国王側近たる
そんな喧騒も次第に鳴りを潜めていく。
予告されていた時刻が……アルキマイラの国王が姿を現す時間が近づいてきたからだ。誰ともなく喋るのを止め、十万を超える民衆が集った大広場は静寂へと包まれていく。
――そして、その時が来た。
城のバルコニーから広場へと一条の光が伸びる。
光は広場の中心部――円柱状の演説台に接続されるなり結晶化し、道と成った。
そしてバルコニーから現れたのは一人の男。
国の紋章が刻まれた外套を纏い、悠然と歩みを進めるその姿。
見紛うはずもない。
彼こそが民衆が待ち望んだ、
アルキマイラが国王、ヘリアン=エッダ=エルシノークだ。
「「「オオオオオオオォォォォォォォォォ――ッ!!」」」
地鳴りのような声が広場を満たす。
ついに姿を表した王を、民衆は歓声を以って出迎えた。
一歩、また一歩と王が歩みを進める。
その度に、城から伸びる結晶の通路が再び光へと姿を変え、天へ舞った。
散りゆく燐光を背にして歩みを進めるその様は優雅にして厳粛だ。
アルキマイラの国民に見守られる中、王は悠然と歩みを進める
そしてその身が演説台に辿り着くと同時、結晶の通路は完全に消失した。
待ち侘びた王のその姿に、民衆は誰とも無く身体を震わせる。
「――諸君、よく集まってくれた」
ヘリアンが言葉を発すると同時、先程までの喧騒が嘘のように静まり返った。
王の言葉を聞き逃すわけにはいかないと、民衆は固唾を呑んで見守る。
「百五十年……アルキマイラが建国して以来、百五十年という長き年月が過ぎた。振り返ってみれば一瞬の出来事のようであり、しかし濃密な時を諸君らと共に刻んできた」
王はつと天を仰いだ。
何かを思い返すかのような仕草だった。
「始まりの一歩は三体の魔物と共に刻んだ。
始まりの三体が耳を澄ませる。
「武器は無く、道具も碌なものがない。頼れるのは三体の魔物の素の身体能力のみ。野良ゴブリン一体を狩るのにすら神経を削った。奇襲を仕掛け、三体同時に襲いかかることで、なんとか勝利した。倒した野良ゴブリンから手に入れた
全身鎧の獅子頭が腰に下げている短剣に手をやる。
一度
「来る日も来る日も戦いに明け暮れる毎日だ。そうして戦いながら少しずつ仲間を増やし、鍛えあげた。そして一方で居住区を建て始めた。古ぼけた木造の小屋の中、狭い部屋に身を寄せ合って雑魚寝をするしかなかった日々を過ごしていたが、ようやく“始まりの三体”に小さな家を与えてやることが出来た」
古ぼけた木造民家はその後改築され、一軒のとある酒場として営業を始めた。
アルキマイラに作られた初めての娯楽施設だった。
建て替えされてから、既に百年以上が経過している。
「その後、戦乱の時代が訪れた。誰もが生き残りに必死だった。戦いに明け暮れる日々は続いた」
だがアルキマイラは生き残った。
時に敗北し時に勝利しながら、周辺諸国らと鎬を削り、あの厳しい時代を生き延びたのだ。
始めは弱かった魔物達も度重なる戦いを経て実力者となり、第一軍団、第二軍団、第三軍団という戦闘組織を構築した。
各軍団の団長には“始まりの三体”が据えられた。
「そしてある日、我が国の資源を狙って急襲を仕掛けてきた国があった。我らは彼の国の侵攻を辛くも退け、必死の交渉により和平を結ぶことに成功したが、戦争による被害は甚大だった。当時のアルキマイラの軍事力は乏しく、その少ない軍事力も先の防衛戦により大半を失った。急速な軍拡が求められた」
第四軍団が作られた。
魔術方面に特化した軍団だ。
しかし、それでも他国より軍事力は劣っていた。
第五軍団が作られた。
巨人族や鬼族などで構成された重装軍団だ。
ようやく、周辺諸国と渡り合える程度の戦力が揃った。
「しかし、軍拡を進めた我が国は、更なる発展の道を進むに足る土台が作られていなかった。内政を二の次にするしか無かった我が国の技術力・経済力は他国に水をあけられており、近い将来、他国に呑み込まれる未来が見えていたのだ。
故に私は、アルキマイラを滅びの道から救う為……内政大国であった隣国への侵攻を決めた。幸いにもその侵攻作戦は速やかに達成され、その結果として一人の王が世界を去り、残された高水準の技術と国民は我が国の一部となった」
ヘリアンにとっては苦い記憶だ。
唯一、アルキマイラ側から仕掛けた侵略戦争だった。
以降のアルキマイラは専守防衛に務め、しかし一度
「災厄の波が押し寄せてきた時代があった。災神と呼ばれる存在が世界を滅ぼそうとしていた。過去の怨恨を忘れ、国と国が手を取り合ってこれに抗い退けた。しかし
冷戦の時代が訪れた。表面上は穏やかな時代だったが、水面下での妨害工作や諜報活動が活発化した」
第六軍団が作られた。
妨害工作や情報戦に特化した軍団だ。
彼女らの活躍により、熾烈化した水面下の戦いを生き延びた。
「その後も戦いは続いた。主要大国が周辺諸国を巻き込んで相争った。後に第二次戦乱期と呼ばれる時代だ。そして長きに渡る戦いの時代を経て、列強諸国は数を減らした。三大大国の時代が訪れた。我が国もまた、その内の一国として他国と
第七軍団が作られた。
発掘した古代文明の遺産の管理、及びそれを参考にした更なる技術革新を彼らに任せた。彼らは想定以上の成果を叩き出し、国力及び軍事力は飛躍的に増した。
第八軍団が作られた。
竜種を中心に構成された軍団だ。
絶大な戦闘力を持つ彼らはアルキマイラの切り札となり、その後の戦場において多大な戦果を挙げた。
「そして、再び災神が出現した。しかも、以前よりも遥かに強大な存在となって現れた。大国並びに中小国家は戦力を総動員してこれに抗い退けることに成功する。だが、いずれの国も少なからぬ被害を被った」
しかし、とある大国だけは力を温存しており被害は軽微だった。
災神を退けた後に世界の覇権を握る為、戦力を出し渋ったのだ。
「とある大国は災神により弱った我らにその牙を剥こうとしたが、その国は災神という世界の危機を傍観する“世界の敵”と
どれだけ絶大な力を持つ超大国だろうが、世界の全てを敵に回して勝てるわけもない。その国は自国以外の全ての国を……文字通り世界そのものを敵に回してあっさりと滅んだ。大国と呼べる国は二つにその数を減らした」
そして、もう一方の大国の国王と会談した結果、世界の覇者を争う決戦を行うことになった。時を決め、場所を決め、持ちうる限りの戦力を鍛え上げ、アルキマイラはその決闘に文字通りの全戦力を投入した。
「世界の覇者を巡る一大決戦が行われた。戦いは激しかった。かつて無いほどに大規模で、かつて無いほどに厳しい戦いだった。しかし、我々は幾らかの幸運に恵まれながらも、その決戦に勝利した。そして世界の覇者の称号を手に入れた。アルキマイラは唯一無二の超大国となり、黄金の時代が訪れた」
その後は一時的に平和な時代が訪れた。
災神が現れたとあらば、中小国家の盾となり世界を守った。
近隣に新興国が作られても、その発展を妨害すること無く見守った。
中小国家群が同盟を組み、戦争を仕掛けてきた際には正々堂々と受けて立った。
決して自ら攻め入ることはなく、挑まれた戦いだけを覇者として迎え撃った。
そんな時代が、三十年程過ぎた。
「そして今――我が国は未知の時代を迎えている」
アルキマイラの王ヘリアンは、一度そこで言葉を区切った。
「
その後の調査によると、今我らが立っている大地は、アルキマイラが元々あった場所とは別の大陸であることが判明した。それどころか、我らがいた世界とは異なる世界――異世界に飛ばされてしまった可能性が極めて高い」
静まり返っていた民衆が、堪え切れないようにざわめきの声を漏らす。
「首都以外の都市は転移されていない様子で連絡がつかない。当然、衛星都市に滞在させていた軍についても同様だ。つまり、我々は完全な孤立無援状態にある。
我々が保有する戦力は今この首都にいる軍隊のみ。首都在住の民も含め今此処に集った諸君らがアルキマイラが保有する全人口であり、また総戦力というわけだ。転移前と比較すればその数、実に百分の一以下になる」
ざわめきの声が大きくなる。
一部の耳ざとい者や知恵の働く者は、ある程度予測していたのか動揺の声こそ漏らさなかったものの、深刻そうに眉を
「元の場所へ帰還する手段については目処すら立っていない。魔術的、呪術的な観点から調査をしているものの、解決の糸口すら掴めずにいる。長期戦の構えを取らざるを得ない状況だ。だが、一方で首都に備蓄している食料は一年間分のみ。それを過ぎれば、此処にいる全員を国が食わせてやることは出来なくなる。
しかもそれだけではない。森に住まうハーフエルフの国、ラテストウッドと接触した我々が得た情報によれば、我が国が転移させられたこの地は禁忌の土地とされており、強力な魔物が徘徊する危険地帯であるとの事実が判明した。
更に、我が国を取り囲む森全体が幻惑効果を帯びており、近距離ならまだしも遠距離の調査魔術は
隠すこと無く
そして、民衆の縋るような視線を一身に集めた王は、一際沈痛そうな表情を浮かべて、
「――――絶望的だ」
と、そう言った。
「危険地帯へ強制的に転移させられ、孤立無援の状態に追い込まれた。
転移の原因は判っておらず、解決の見込みも立っていない。
産業は尽くが機能不全に陥り、備蓄している食料も一年が過ぎれば底を尽きる。
更には、国土も人口も軍事力も、その殆どを喪失している状態だ。総合的な我が国の国力は、転移前と比較して百分の一も残っていないだろう」
王の言葉に、民衆は声をあげることすら出来なかった。
薄々と察しはついていたものの、王の口から直接放たれるその言葉の数々は現実味を帯びており、衝撃を受けずにはいられなかったのだ。
危機的な状況に追いやられているという現実を否応なく突きつけられた民衆の多くは、ただ呆然と立ち尽くすことしか出来なかった。
「どうしようもない。
抗うことすら出来ない。
この国は……アルキマイラは、終わりだ」
遂に放たれたその言葉に民衆は俯いた。
中には肩を震わせる者すらいた。
世界の覇者たるアルキマイラの国民として相応しくはない姿だ。
だが誰も責め立てることは出来ない。
誰も彼もが王の言葉に衝撃を受けていたからだ。
沈鬱な静寂が広場を満たす。
その民衆に向けて、王は問うた。
「――そのように考えている者はいるか?」