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第十七話  「その頃、リーヴェ」

 ――時は少し(さかのぼ)る。


 リーヴェは王の寝室を後にして、音も無く扉を閉めた。

 出来れば(そば)(はべ)って守護の任につきたかったが、王の命令だ、仕方がない。


 悔しさと得体の知れない感情が入り混じり、退出時には良からぬ感情を顔に浮かべてしまっていた気がする。

 それは国王側近に相応しくない。国王側近たる自分は常に冷静沈着でいなければいけない。感情を表に出すなどもっての他だ。


 彼女は深く自省し、溜息を(こぼ)す。


「第一軍団長。我らが王のご様子は……」

「意識を覚まされた。用向きがあれば呼ぶとのことだ。王命が別途下されているので、各軍団長に伝令を出せ」


 扉前で待機していた魔導鎧人(リビングアーマー)――意思を持つ全身鎧の無機物系魔物――の内の一体に、王の指示を伝え、伝令を任せる。

 リーヴェ自身はそのまま、魔導鎧人リビングアーマー達と同様に廊下の壁際に並んで立ち、待機の体勢に入った。


 しかし、と彼女は不安を覚える。


 用があれば呼ぶとは言われたが、王は本当に呼んでくれるだろうか。

 なにせ、王を死なせるという最低最悪の大失態を犯したばかりの身だ。

 信用して呼んでもらえるかは分からなかった。


「……そういえば」


 失態に対する罰が下されていない。

 沙汰(さた)は後で下すとのことだったが……と、つい先程の出来事をリーヴェは思い出し、赤面した。


 思えば、とんでもなく無様な姿を王に(さら)した気がする。王の傍に身を寄せた自分に降り掛かった出来事は、それほど予想外のものだった。


 最初は叱責かと思った。

 しかし頭に乗せられた(てのひら)に殴打の勢いはなく、むしろその掌の動きからは優しさすら見出(みい)だせた。


 頭を()でられている、と自覚するまで数秒を必要とした。

 それほどに望外の出来事だった。


 掌の感触から蘇るのは昔の記憶。

 この国の黎明期(れいめいき)にあたる大昔の時代、まだ彼女が弱く小さかった頃の思い出だ。

 あの頃も、リーヴェはヘリアンに頭を撫でて褒めて貰っていたのだった。


 しかしそんなご褒美も第一次戦乱期以降、リーヴェが国王側近に任じられた頃からはパッタリと止んでしまった。

 代わりに給金や装備などといった形で、王からの褒賞を受け取ることになった。


 確かにそれで懐は(うるお)った。

 黎明期時代には考えられなかったような贅沢が出来るようになった。

 新たに手に入った装備は軍団長級の配下に優先的に下げ渡され、リーヴェも幾度と無く愛用の武器を交換し続けている。

 しかし、リーヴェにとってはそのようなモノよりも、己の主に頭を撫でてもらえることの方が、ずっと嬉しかったのだ。


 それが唐突に、一切の予兆無く我が身に訪れた。

 実に百三十年ぶりのご褒美だった。


 しかしあんなご褒美をもらえる出来事があっただろうかいや無いとリーヴェは刹那の思考すら必要とせず否定した。それどころか致命的とも言える失態を犯したばかりだ。


 では何故自分はあんな美味しい思いに恵まれたのか、と首を傾げて考えるが、思い当たる節はない。


 ……それにしても。

 王の手つきは実に気持ちが良かった。

 けれどその感触に酔うばかりに、こともあろうに敬愛する王の前で慌てふためく無様な姿を晒してしまったのだった。

 思い出すだけで頬が熱くなる。

 二度と醜態を晒さぬよう猛省しなければ。

 だがしかし。

 アレは実に良いものだった……。


「…………あの、第一軍団長」

「む? なんだ?」

「何か良いことでもお有りだったのですか? 随分とご機嫌が良さそうに見受けられますが」


 居並ぶ魔導鎧人(リビングアーマー)の内の一体が、脈絡もなくそんな言葉を口にした。

 何故かその視線はリーヴェの腰の辺りを向いていた。


「……貴様、寝ぼけているのか? 国が未曾有(みぞう)の事態の只中にあるというのに、よりにもよって機嫌が良さそうだと?」

「あ、いえ、も、申し訳ありません! 小官の気のせいだったようです! たった今動きも止まりましたので、はい!」

「動き? 貴様は何を言っている。意味が分からん」


 ジロリと睨みつける。

 ワケの分からないことをほざく木偶(でく)の坊に、栄誉ある王の寝室の守護業務が務まるのだろうか。


 魔導鎧人(リビングアーマー)はバランの手勢故にリーヴェに解任権は無いが、自分の配下であるならば即刻解任して蹴り飛ばしているところだ、と苛立ちを覚える。


「……それにしても、今回は長かったな」


 思い出すのは蘇生した王のことだ。

 ハッキリ言って心配でならない。

 なにせ半日以上も眠り込んでいたのだ。

 憎きオーガにより弑逆しいぎゃくされた王は、玉座で復活こそしたものの一向に目を覚まさなかった。

 こんなことは今まで一度も無かった。

 本当に大丈夫だろうか、との疑念が頭によぎる。


 王は自分の身をまるで消耗品か何かのように扱う。

 もう少しご自愛頂ければ、と歯噛みしたことは一度や二度ではない。

 先日の国外調査とてそうだ。

 どんな危険が潜むとも分からない森に王自らが調査に乗り出された。


 誇らしい背中だ。

 この方が王で良かったと思える姿だ。

 けれど、それでも、もう少し自分を大切にして欲しかった。


 そして、勇敢な王は愚かな反逆者の手にかかり死に至った。

 なにもかも全て自分達の力が足りていない為だ。

 精進しなければいけない。

 心の底から、そう思う。


「むぅ」


 ……しかし。

 しかし、だ。

 仮の話として。

 そう、これはあくまで仮の話としてだが。

 精進に精進を重ね、

 王の役に立ち、

 褒賞を賜う機会に恵まれたとしたなら。

 また頭を撫でてくれるだろうか……?


「………………第一軍団長?」


 装備は既に最高峰のものを下賜(かし)されている。

 最近の褒賞と言えば金銭ばかりだったが、大した使い道も無く貯まる一方だ。


 つと考えてみる。

 金銭の代わりに頭を撫でてもらうことは可能だろうか。


 いや、これは決して己の欲望の為に言っているのではない。

 国がこのような事態に遭い、経済が大打撃を受けている以上は、これまでのように大量の金銭を国庫から放出するわけにもいかないだろう。

 だからこの提案は『国の経済にダメージを与えない形での褒賞を頂ければ』という国を想ってのことなのである。


「…………あのー、第一軍団長?」


 自分は確かに失態を犯した。

 王を死なせるという大失態を挽回(ばんかい)するには並大抵の成果では足りない。

 下手したら何十年とかかるだろう。

 しかしその何十年か後に、王にそう要求したときの事を考えてみる。


 王は困惑されるだろう。

 幼かった頃はまだしも既に立派な大人となった自分だ。

 それが頭を撫でて欲しいなどと戯言を口にするのだから不審がられるのは当然のことだとは思う。


 けれどその願いがもし叶えられたとしたらどうだろう。

 場所は謁見の間になるだろうか。

 出来れば誰の邪魔も入らない私室か執務室あたりが良いのだが如何なものか。

 王の寝室でなどと高望みはしない。

 先程のはあくまで例外中の例外だ。

 けれど気持ちよかった。

 わしゃわしゃと髪をかき混ぜられる感覚は何十年経とうとも忘れることはない。


「…………第一軍団長、先程から貴女様の尻尾が小官の足に……その、バシバシとですね」


 耳を触られたのも久しぶりだった。

 右耳しか触ってくれなかった為、バランスが悪い。

 次は左耳から撫でてはくれないだろうか。

 出来れば(つま)んでくれると嬉しい。

 人差し指と中指の間に挟み込むようにして(こす)ってくれたならもう最高だ。


 それに首元に手が降りてきたのは新鮮だった。

 人間である王は獣人に比べて体温が低く、触られた瞬間はそのヒンヤリとした感覚に身体を震わせてしまった。

 国の紋章を刻んでいる首輪(チョーカー)

 それを避けて首に触れた指先は、しかし落ち着いて感じ取ってみればしっとりと冷たくて気持ち良かった。


「……第一軍団長? 聞こえておられますか?」


 しかしその後が問題だった。

 なんと王は私の首筋に顔を埋められたのだ。

 ずっと王の警護をしていた私は丸一日湯浴みをしていなかった。

 今更のように気になる。

 僅かに汗をかいていたが臭くなかっただろうか。

 あんな事になるのならエルティナに洗浄の魔術をかけてもらうのだった。

 次もし機会があるならば念入りに身体を洗っておかねば。

 香りについてはカミーラに相談すべきだろうか。

 彼女はある意味その手の専門家だ。

 個人的には相性の悪い人物だが背に腹は変えられない。

 正直言うと鼻の良い自分は香水が苦手だが耐えてみせる。

 いざとなれば完全人化形態になれば鼻の良さは誤魔化せるだろう。

 なのでもう一度して欲しい。

 いやしかし待て。

 してもらうのもいいが逆に自分がするというのはどうか。

 王の匂いは常日頃から嗅いでいるが首元に顔を埋めたことはない。

 鼻先を王の首に触れさせたら私はどんな感覚を覚えるだろうか。

 あまつさえ舐める事を許されたならどうだろう。

 想像すると甘美な味がした。

 嗚呼どうしよう。

 頭が痺れそうだ。

 国陥し級の戦果を挙げればねだっても許されるだろうか。

 手頃な敵国があれば是非とも一番槍を頂きたい。


「第一軍団長。極めてご機嫌が良さそうなところ誠に申し訳ありませんが、そろそろ尻尾で小官の足を叩くのを止めて頂けると、大変ありがたく――」


 ――チリン。


 透明な鈴の音が頭頂部の耳に届いた。

 刹那(せつな)で壁際から扉の真正面へと移動する。

 同時に魔法の小袋(マジックポーチ)から手鏡を取り出して身だしなみをチェック。

 今しがたの高速移動で髪型が少し乱れてしまったので手櫛で整えた。

 体臭については分からないが今更だと割り切る。

 しかしそれ以外については問題ない。


 都合一コンマ八秒で己の完璧さを確認したリーヴェは、寝室の扉を静々とノックした。


 何故か魔導鎧人(リビングアーマー)の内の一体が、呆気に取られたかのようにヘルムの眼光を明滅させていたが、彼女がそれを気に留めることはなかった。




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