第十一話 「プロポーズ」
「い、妹が大変失礼な真似を……」
恐縮しきりで恥ずかしそうに隣を歩くレイファ。
畏まった会話を続ける空気では無くなってしまったので一旦解散とし、気分転換を兼ねて、一行は集落の中をテクテクと歩いていた。
「いや……気にしないでくれ」
他に言いようがあるだろうか。
いや無い、と先程の惨状を思い返したヘリアンは内心で断言する。
おかげでヘリアン達一行に対する追及も有耶無耶となったので、リリファの起こした騒動はある意味グッジョブな働きだったが、思い返してもまるで意味が分からない。
子供とはいえ、ある程度分別がつく年齢だとは思うのだが……。
「リリファ殿は、齢は幾つになるのだ?」
「年齢ですか? リリファは今年で――」
「ふふーん、いくつでしょーか? 旅人さん当ててみてー」
右手側を歩くリリファが口を挟む。
天幕を出てからここまで、リリファはヘリアンの右手をしっかりと握って歩いていた。始めはヘリアンの裾を掴んで付いてくるだけだったのが、いつの間にか手を握らされていた。
また姉妹のドタバタ劇を見るのも勘弁してほしかったので、そのままにしているが、微妙にリーヴェ達とレイファの視線が怖い。それぞれ向けてくる視線の意味は違うのだろうが、ヘリアンはどちらも怖かった。
「ん……十三歳くらいか?」
「ざんねーん! 正解は十歳でした!」
…………驚いた。
姉の
なにせ『外見年齢が実年齢よりも若い』がエルフの特徴だというのに、リリファは完全に逆だった。どこがとは言及しないが発育が良すぎる。
「リリファは母様と同じで人間の血が濃いんだってー。みんなからは母様とよく似てるって言われてるんだよ」
「ほう」
「だから母様と同じで、リリファもおっぱい大きくなる予定なの」
二度ネタなので
どんな返答をしてもセクハラになる気がする。セクハラとは恐ろしい。どんな状況であれ男側が
「もう! この子はまた!」
「あ、姉様。向こうでウェンリが呼んでるよ」
「そんな嘘で誤魔化されるとでも……!」
「いや、本当だレイファ殿。ウェンリ殿が向こうから走ってきている」
リリファが指差す先にウェンリが居た。
小走りに寄ってきたウェンリは、レイファに何事かを耳打ちする。
あまり良い用件ではなかったのか、ウェンリからの報告を受けてため息をついたレイファは、自分の妹を
「すみませんヘリアン殿、少々失礼します。……リリファ、姉様は用事ができました。この場を離れますがヘリアン殿達に迷惑をかけてはなりませんよ」
「はーい。姉様いってらっしゃい」
パタパタと手を振ってリリファは見送る。
ニコニコ笑顔で見送られたレイファは、後ろ髪を引かれるような渋い表情で去っていった。
「これでゆっくりお話しできるね、旅人さん!」
満面の笑顔だった。
まるで『やっとうるさいのがどっか行った』とでも言いたげな表情である。
……この子はちょっと黒いのかもしれない。
それに話といっても何を話せばいいのか。
こんな子供が相手では、たいした情報収集にもならないだろう。
さてどうしたものかと思案しながら、一旦気を落ち着かせる為に水を口に含む。
「ねえ、旅人さん」
「ん?」
「リリファと結婚してくれないかな?」
噴いた。
気管に入った水を懸命に吐き出す。
二度ネタを披露してしまった。
今度は室内ではなかったことだけが幸いだった。
早くも慣れたような手つきで、リーヴェがヘリアンの背をさする。
「ゲフッ……! ゲッホ……」
「大丈夫?」
「ゲホッ、だ、大丈夫だけ、ど、今、なんて?」
「リリファと結婚してほしいなって」
取り敢えず、ヘリアンの耳が壊れたわけではないらしい。
だけど意味が分からない。
本当に本気で欠片も意味が分からない。
ヘリアンは女性と付き合った経験など無い。である以上は、いわゆるアレの実戦経験も無いわけだ。
自分の顔はやや目つきが悪いものの可もなく不可もなくだと思いたいが、優しいだけが取り柄の大人しい性格が災いしてか、女友達を作れはしてもいわゆる良い人止まりが常だった。
それがなんだ。何故こんな所で初対面の少女からプロポーズを受けてるんだろうか。しかも見た目中学生の中身幼女から。改めて思うが意味が分からない。従姉妹に付き合って遊んであげたおままごとでさえ、プロポーズなどされたことがない。
つまりはこれが人生初のプロポーズということで、しかも自分は男であるのにプロポーズをした側ではなくされた側であり、しかもその相手は幼女であろうことか王女というまさにコテコテの王道いやいや違うこんなことは天地がひっくり返っても有り得ない出来事でありああつまりこれは夢だという仮説が凄まじい勢いで補強されたということだなビバ万歳アハハハハいや本当に良かったこれはやっぱり夢だったんだいやいや俺も最初からおかしいと思ってたんだよねだって異世界転移なんて実際にあるわけがないしだがしかしちょっと待てこれが夢だとするとそれはそれで問題ではなかろうかこんな夢を見たということはそれ即ち自分は幼女と結婚したいという願望が潜在意識下に存在したという証左に他ならずつまりヘリアンこと三崎
「――? 旅人さん、大丈夫?」
「大丈夫だ。これは夢だ」
「……大丈夫じゃないね? 夢じゃないよ。現実だよー」
少女がサラリと残酷な事を言ったが、これは間違いなく夢だろう。
だって有り得ない。
こんなトンデモ展開が有り得るはずもないのだ。
「よし、いいかなリリファ殿。落ち着くんだ。こういう時は冷静になることが大事だ。勘違いをすると酷い大火傷を負う。俺はそれをよく知っているんだ。ぬか喜びしてたら罰ゲームでの告白だったとかいう、ベタで下衆な展開を味わった経験者を舐めてはいけない。だから落ち着いて素数を数えながらこれが夢であることを一つ一つ証明する作業に戻ろう」
「……旅人さんの方が落ち着くべきだと思うなー」
「いや、落ち着くのは君の方であっている。だって、君、俺の名前も知らないだろ? なのに結婚を申し込むとか何の冗談だ?」
「冗談じゃないよ。旅人さんの名前は?」
「ヘリアンだ」
「ヘリアンさん、リリファと結婚して」
今度は噴かなかったが、頭が痛くなってきた。
なんで自分は幼女と顔を突き合わせて、こんな話をしてるんだろうか。
「リリファは母様似だから、きっとおっぱい大きくなるよ? 母様のは犬のお姉さんのよりもおっきいから、リリファもそうなるよ? 巨乳だよ?」
「いや、胸が大きいからどうこうではなく、な」
「小さいほうがいいの?」
誰か助けてくれ。
どうしてこんな所で、性癖について幼女と語らねばならないのか。
そして何気に背後から漂ってくるオーラが怖い。
護衛してくれている軍団長二人の顔を見たくない。特にリーヴェ。
ちなみにエルティナは比べるまでも無いのか、
「それだとちょっと困るなぁ……姉様は父様似だから、エルフの血が強くておっぱい小さいし」
「そういう話じゃないんだ。第一、俺にそんな性癖は無い。小さいからダメということは無いが、どうせなら大きい方が……いや、待ってくれ、俺は何を言っている。そういう話でもないんだ」
深い溜め息をつく。
……もうやめだ。馬鹿馬鹿しい。
頭を振って冷静に立ち返る。
子供と無駄話をして、貴重な時間を潰すわけにはいかない。
「リリファ殿。結婚というのはだな、ご両親の了解がないといけないものなんだ。だから、そういうことは、ご両親を助け出してからの話にすべきだ」
日本人の伝統お家芸、問題の先送りだ。
一応はこれでも王女らしいので機嫌を損ねることは出来ない。だから明確に答えず、ぼかすことにする。
条件に両親の救出を挙げたのはシビアな言い方だったかもしれないが、ヘリアン自身にも余裕はない。現状でさえ既に一杯一杯なのだ。子供相手に無駄に使える時間など無い。
親の了解が無くても愛があれば大丈夫、的な返事が来た場合には『君が大人になってからな』という子供に対する切り札で反撃してこの場を切り抜けよう。うん、そうしよう。
「うーん。母様や父様に会うのは難しいと思うなー……」
案の定、少女は笑顔を浮かべつつも、表情を曇らせた。だからヘリアンは、用意していた先延ばしの台詞を口にしようとして、
「だって、母様も父様も、きっともう殺されてるから」
――心臓を鷲掴みにするような言葉だった。
「姉様や皆は『母様達は捕まってるだけ』って言ってたけど、多分、もう死んじゃってると思う。エルフはハーフエルフを嫌ってるし、特に“エルフらしくないハーフエルフ”はすごく嫌ってるの。だから、母様はおっぱい大きくてエルフらしくないから、真っ先に殺されてると思う」
リリファはそんな言葉を口にする。
それでも彼女は笑っていた。
ニコニコと。
明るい表情で。
「もし母様達が生きてたら助けに行きたいけど、リリファは姉様と違って魔術はあんまり使えないし、弓も下手だし、何も出来ないの。だからね、せめて皆がくらーい気持ちにならないように頑張ろうかなって」
だから笑う。
彼女はニコニコと笑う。
頑張って、笑う。
それしか出来ないけど、せめてそれぐらいはしようと。
そういう種類の笑顔だった。
「――――」
……ああ。
ヘリアンは勘違いをしていた。
今の今まで彼女のことを子供だと思っていた。
無垢な幼子だと思っていた。
――とんでもない誤解だった。
彼女は、ハーフエルフの国である[ラテストウッド]の王族だ。
なら、いくら十歳そこそこだからとしても、そこら辺の幼子と同じであるはずがない。空気も読まずに無邪気に笑えるような立場じゃない。それが理解出来ないことを許される境遇で育ってきたわけがない。
リリファはちゃんと理解していた。
今のハーフエルフ達の置かれた境遇を、ある意味誰よりも冷静に理解していた。そしてその現実を受け止めていた。
自分たちの国は滅亡の危機にある。捕まった仲間達は全員殺されていてもおかしくない。このままではどうしようもない。
だから彼女は考えた。
自分に何が出来るのか。
魔術も弓も大して使えず、かといってこの現状を打破するような案も浮かばない幼い自分に、何が出来るだろうかと考えた。
その結果がこの笑顔だ。
考え抜いた結果が、あの一連のドタバタ騒ぎだ。
何も出来ない自分だけれど、せめてニコニコと笑って皆を安心させようと、明るくさせようと振る舞って。
そうしながらも他に自分に出来ることがないか考え続けて。
考えて考えて考えて、それでもたいした案も考えつかなくて……。
そんな中、彼女は
だから彼女は即座に行動に移した。
自分の身体と、自分が王女であるという二枚のカードを使って、どうにか旅人一行を身内にしようと……ラテストウッドの味方につけようと頑張った。
エルフの価値観とは異なり、多くの人間は胸の大きい方が好きだと知っていたから、あのような真似をした。
そのやり方自体は実年齢相応に
――なんて酷い誤解だ。
あろうことかあの笑顔を、無垢な子供の浮かべる大して意味がないものだと思い込んでいたなどと。あまつさえ、覚悟を決めて発したであろう身を差し出すに等しい言葉を、子供の戯言と安易に切り捨てようとしていたなどと。
「――――、」
昔、まだ幼かった子供の頃、親に連れられて子供劇を見に行ったことがある。幼児向けで勧善懲悪ものの、分かり易い
確か……どこぞのお姫様が身を挺して、魔王だかなんだかの生贄になって国を救うとか、そういうお話だった筈だ。それを不意に思い出した。
目の当たりにしているこれが演劇と違うのは、残酷なまでに現実感に溢れているというその一点だけだ。
「あれ? ヘリアンさん?」
急に俯いたヘリアンの顔を、リリファが心配そうに覗き込む。その大きな瞳からは、ヘリアンを気遣う色が見え隠れしていた。
……何故今日会ったばかりの他人の心配などする。自分の身だけで精一杯だろうに。
ヘリアンはまたそんなことを考える。考えてしまう。そうすると、自分自身が一杯一杯な状況であることも相まって、ちょっと、もう、色々と、キツかった。
目頭が僅かに熱くなるのを自覚する。だが醜態を晒すワケにはいかない。エルティナやリーヴェの前では王として振る舞わなければいけないだとか、そういう考えとは別にして、今ここでみっともない姿を見せるわけにはいかなかった。
だって、リリファは笑っている。
自分の感情に蓋をして、自分に出来るせめてもの努力として、精一杯に笑顔を作り続けている。
ならば彼女よりも年上で、なおかつ男であるところの自分がみっともない様子を見せていい道理は無い。ヘリアンのチッポケな男の意地が、
「……ねえ、ヘリアンさん」
その幼い心で何を想ったのか、ポツリとリリファは呟く。
「リリファと結婚して、ラテストウッドを守ってほしいな」
はっきりとそのお願いを口にする。
これは彼女に出来る最大限の“努力”だ。
力の無い王族であるリリファが、現在の状況下において最大の効果をあげられるであろう“努力”がこれなのだ。
「姉様は女王をしないといけないからダメだけど、リリファで我慢してくれないかな?」
そう告げる彼女の頬はほんのりと赤く見えた。
きっと
何故ならこれは、そんな甘酸っぱいものなんかでは、ない。
断じて、そんなものではない。
「ダメかなぁ?」
いつもニコニコと笑い続けていたリリファは。
その時だけは眉尻を下げた、困ったような微笑みで、そんな台詞を口にした。
「…………結婚は、ちょっと、出来ないかな。俺も、しなきゃいけないことが、たくさんあるから」
同情に流されてはいけない。
リリファが一国の王女であるように、ヘリアンもまた一国の王だ。
だから安易に手は伸ばせない。
いくらヘリアン個人が助けたいと思おうが、ヘリアンの王としての立場がそれを許さない。ましてや自分達の置かれている状況把握すらままならず、情報収集も十分ではない現状では尚更だ。
「……そっかー」
リリファは仕方が無さそうに呟いた。
元々、本気で結婚してくれるとは思っていなかったのだろう。
断られるだろうと覚悟していたのだろう。
ただ、ダメかもしれないからとやらないならば可能性はゼロだ。
ダメかもしれないけどやってみようと、彼女は僅かな可能性に賭けて試みた。
幼い姫は自分に出来ることを全部しようとして、精一杯に努力したのだ。
そして、予想していた通りダメだった。
彼女の努力は失敗に終わった。
これは、ただそれだけの話。
ただそれだけの話なのだ。
――だけど。
「だけど……俺に出来る範囲でなら、助けになりたいとは思う」
「ホントにッ!?」
リリファは俯きかけていた顔を跳ね上げた。
本気で驚いた表情だった。
「ああ、本当だ。でも、俺の出来る範囲でだけどな。今の俺の状況だと、してあげられることなんて殆ど無いけど……」
「それでいい! 出来るだけでいいよ! ホントに助けてくれるの!?」
「あくまで“出来る範囲”でなら、本当に本当だ。その証拠に……そうだな、指切りしようか」
右手の小指を出すと、リリファはコテンと首を傾げた。
少々育ちすぎた彼女の外見だと不相応に映るが、実年齢を知っていれば年相応だと思える仕草だった。
「あー、指切りは知らないか……。お互いの右手の小指を絡ませて大事な約束をすることだよ。この約束は、破っちゃいけませんよーって」
「破ったら小指を切り落とすの?」
「…………それはちょっと、物騒過ぎるかな」
平然とそんなことを口にするあたり、生きてきた境遇の違いとやらを頭に叩き込まれる気分だった。
ああ、でも指きりげんまんも針を千本呑むんだったか。どちらにせよ物騒な話だ。
リリファは促されるままに小指を差し出す。
銀色の小ぶりな指輪をつけているのが印象的だった。
ヘリアンはリリファと右手の小指を絡ませてから、
「これで約束できたの? 大丈夫?」
「ああ、ちゃんと約束できたよ。それじゃ、早速約束を果たしに行こうか」
え? と首を傾げるリリファの手を引く。
「集落の皆はお腹が空いてるみたいだからさ。ここで俺達が集落の人達にご馳走してあげて、皆がお腹一杯になって元気になれたとしたら……それは君達の助けになるかな?」
ヘリアンの問いに、リリファは会心の笑みで答えた。
輝き弾けるような歓喜のそれは、恐らくはヘリアンが初めて見たであろう、リリファの本当の笑顔だった。