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プロローグ

20万字超過まで【毎日更新】します。

よろしくお願いします。


 ――死にたくない。


 その一心で少女は駆けていた。

 ただ広い荒野の中、迫りくる死から逃れる為にひた走る。


 呼吸は荒く、脇腹は徐々に痛みを覚えつつある。

 その事実に少女は顔をしかめ、不快な感情を覚えた。


 一般的な貴族令嬢とは異なり、それなりに鍛えているつもりだ。

 家が雇った元冒険者に訓練を施してもらい、一端(いっぱし)の護身術を身につけた。

 体力だって人並み以上にあるはずだ。

 しかし現実として、少女の身体は限界に近づきつつある。


「なんで……ッ!」


 思わず悪態を吐いた。

 余計なことに酸素を消費した所為(せい)で、更に呼吸が乱れる。

 両足までもが、あまりの疲労に休息を訴え始めていた。


 だが『なんで』も何もない。

 こんなのは詐欺だ、と少女は憤るがこれは極々当たり前の結果だ。


 いかに毎日訓練を行っていようが、所詮は成人もしていない少女の身の丈に合わせての内容(メニュー)。付け加えて言えば、訓練はあくまで訓練でしか無い。

 予想もしていなかった“実戦”を突如強いられた少女の心は平静とは言い難く、千々に乱れた精神は、ただでさえ少ない少女の体力を容赦なく削り取っていった。


 それでも、少女は立ち止まるわけにはいかない。

 走り続けなければいけない。

 迫りくる“敵”から逃げなくてはならない。

 一度でも追いつかれてしまったら、少女の命運はそこで尽きてしまうのだから。

 しかし――


「おおっと残念。こっちは行き止まりだぜ、お嬢ちゃん」


 あっさりと回り込んできた男が岩陰から姿を現し、少女の行く手を阻んだ。

 慌てて急制動をかけ、ブーツの底で地面を削りながら少女は踏み止まる。


 咄嗟に身を(ひるがえ)して前方の男から逃れようとしたが、振り返った後方からは勿論の事、左右からも追手が迫ってきていた。


 ――逃げ道が無い。


 そうして数秒もしない内に、少女は男たちに取り囲まれた。少女は無手。対する男たちは、それなりの装備を身に着けた傭兵集団。


「追いかけっこはオシマイだな。いやいや、お嬢ちゃんは随分頑張ったほうだと思うぜえ? こないだの子爵令嬢様は走り出して二分もしない内にへたり込んでたからなあ。五分も俺らから逃げ続けたアンタは大したもんだぜ、いや本当」


 その子爵令嬢とやらは、もうこの世にはいないのだろう。

 せめて楽な死を迎えていれば、と心の何処かで子爵令嬢の最期を想うが、それは叶わぬ願いであることを知る。


 下劣な笑みを浮かべる男たち。

 その表情を見るに、殺される前、彼女がその身体を散々貪られたであろうことは想像に(かた)くない。


「準備運動も終わったことだし、仕事に移るとするかぁ……が、その前に、だ」


 喋っていた男――恐らくは傭兵団の頭領――が飛びかかってきた。


「……くっ」


 少女は咄嗟に避けようとする。

 しかし、疲労に震える脚がもつれ、その場に倒れ込んだ。

 その上に覆い被さるようにして、頭領の男は少女の身体を地面に押さえつける。


「さーて、んじゃお楽しみといこうか。前回のご令嬢様はこのあたりで泣き叫んで命乞いをしてきたんだが、お嬢ちゃんはどうする?」


 少女はガーディナー家の一人娘だ。

 そうであるからには、こんな所では死ねない。


 自分には使命がある。

 それは我が家にとって絶対遵守されなければいけない誓約。


 だから死ねない。

 こんなところで死ぬ訳にはいかない。

 故に、少女は恐怖に身を震わせながらも言葉を零した。


「た、助けて……」

「あぁん? なんだって? よく聞こえねえなぁ」


 捕えた獲物をいたぶる獣に似た、そんな口調で頭領は聞き返す。

 構わず、少女は叫んだ。


「助けて……ッ! 誰か、助けて(・・・・・・)!!」


 少女は助けを求めた。

 この場にいない誰か(・・・・・・・・・)に対して叫んだ。

 目の前の男たちに命乞いをするのではなく、外部に助けを求めることを選択したのだ。


 少女は幼くとも、誇り高き血族の一員である。

 頭領に命乞いをしたところで助けてくれるわけが無い、という判断もあったが、なにより少女の『誇り』がその選択を嫌った。


 だが、自分の力だけでは、今の状況から逃れ得ることが叶わないのもまた事実。だからこそ少女は、今の自分に出来ることとして、声の限りに“誰か”に対して助けを求めたのだ。


 しかし――。


「プッ……ギャハハハ! おいおい、聞いたか!? 誰か助けてーだってよ!」


 少女を組み敷いた頭領はゲラゲラと笑う。

 周囲に集まる傭兵らもまた、心底おかしそうに嘲笑(あざわら)っている。

 けれど、それでも、少女は声を張り上げて助けを求め続けた。


「最後まで笑わせてくれるじゃねえか、お嬢ちゃん。このただッ広い荒野のど真ん中で、一体どこの誰が助けに来てくれるっつうんだ?」


 頭領の言うことは正しい。


 ここは荒野の只中だ。

 周囲に他の人影は見えず、いくら叫ぼうがこの声が誰かに届くことはない。

 万が一誰かの耳に届いたところで、二十人を超える傭兵集団を相手取り、見知らぬ少女を助け出してくれる酔狂者など居るわけもないだろう。


 しかし、それを理解した上で、それでも少女は叫び続ける。


 たとえ無駄だと解っていても、それが今の少女に出来る唯一の抵抗だったからだ。ガーディナー家の人間に諦観の二字は無い。だからこそ少女は、最後の最後まで、自分に出来ることの全てをやり尽くす。


「ま、何の反応も無くなった女を抱くよりかは楽しめるか」


 のしかかった頭領は、叫び続ける少女の胸元の生地を、力任せに引き千切った。

 小ぶりな胸が空気に晒され、悪寒にも似た感覚を少女に強要する。


 ヒッ、と生理現象にも似た反応で、少女の口から音が零れた。


「おっ、なんだイイ表情するじゃねえか。

 さっきまでの強気な態度もそれはそれで悪かねえが、やっぱこっちの方がずっといいぜお嬢様。題名つけるなら『絶望感』ってとこかねえ」


 ニヤニヤと、何が楽しいのか頭領は下卑た笑みを浮かべる。

 いや、事実(たの)しいのだろう。

 その顔は愉悦の感情に歪んでいる。

 獲物を前に舌なめずりをするケダモノのようだ。


 頭領の手が少女の脚衣(トラウザ)にかかる。

 引きずり下ろされてしまえば、後はそのまま“終わり”に向けて転げ落ちていくだけだろう。

 最後の抵抗として、少女は力の限りに叫んだ。



「誰か、誰か助けてッ! お願い、助けてええぇぇぇぇ――――ッ!!」



 声を枯らして力の限りに放たれた絶叫。

 それは徐々に響きを弱くして、虚しく荒野に消えていき――そして完全に消え失せる寸前、一人の酔狂者の耳に届いた。


「――――えっ?」


 呆けたようなその声は誰が放ったものか。

 少女かもしれない。或いは周囲を取り囲んだ男たちのものだったかもしれない。

 しかし、少女にのしかかる頭領のものでなかったことだけは確かだ。


 何故ならばその男は、頭部をスイカのように弾けさせ、既に死体と化していた。


 一体何が起きたというのか。

 少女も男たちも目の前の事実を正常に認識できず、ただ固まるしか無かった。

 そこへ――


『――何を呆けている!? さっさと立て!』


 必死な声色が、少女の頭の中に響いた。


 慌てて周囲を見渡すが、辺りに居るのは何が起きたかも解っていない傭兵たちの姿のみ。声の主は何処(どこ)にも見当たらない。


 傭兵たちの様子から察するに、どうやらこの“声”は自分にしか聞こえていないのだろうと少女は察する。


『立てと言っている! それとも死にたいのか!?』


 叩きつけるような声。

 思わず顔をしかめる程の声量。

 しかしそれでも、少女はその言葉を聞き取った。そして怒号混じりの問いに反発心を覚える。


 死にたくない。死にたいわけが無い。死にたくないから助けを求めたのだ。こんなところで死んでなるものか。


 少女のその思いを聞き届けたわけでもないだろうが、声の主は続けざまに少女に叫びを与えた。


『死にたくないなら立て! 立って太陽の方角へ向けて走れッ――!』


 咄嗟に反応した。

 力の入らなくなった頭領の死体からだを押し退けて、立ち上がる。

 胸元が空気に晒されたままだったが、それを手で隠す余裕もなく、少女は声の主が叫ぶままに駆け出した。


 行く手には進路を阻む傭兵の姿がある。

 それでも、少女は“声”の主を信じて真っすぐに進んだ。


 すると、突如としてその傭兵の額に紅が咲いた。傭兵の頭には直径一センチ程の空洞が空き、血塗れの中身がそこから零れ出していく。


 前のめりに倒れていく傭兵の脇をすり抜けるようにして、少女は包囲網を抜け出し、斜陽に向けてひた走った。


「な――なんだ今のは!?」

「狙撃か!?」

(かしら)ァ!」

「馬鹿が、もう死んでる! それよりも女だ、逃げられるぞ!」


 少女は全力で走る。

 だが体力が底を突いていることに変わりはない。

 酷使された細身の身体は『頼むから休ませてくれ』と宿主に訴えてくる。


 それでも彼女は走り続けた。

 死にたくないなら走れと、誰かの“声”が叫ぶからだ。


 しかし、現実問題として、少女と後を追う男たちとの身体能力差は歴然だ。

 男たちは少女の後を追って、その背へグングンと迫っていく。

 あと十秒もすれば追いつかれるだろう。

 そして追いつかれれば今度こそ少女は終わりだ。


 既に男たちは“味見”については諦めていた。

 顔つきはもはや、仕事に徹するプロの傭兵だ。

 追いつけば即座に少女を殺し、この場から全力で退散する。


 そしてこの話はそこで終わりだ。

 確かに何者かの邪魔は入った。だがさすがに、救い出す対象しょうじょを失った後に、改めて傭兵集団と事を構えるほど酔狂ではないだろう。

 それはこの荒野における一般常識であり、少女と傭兵らの共通認識でもあった。


『チッ……リーヴェ、先行しろ!

 少女の救出を最優先に――――構わん! 命令だ! 早く行けッ!』


 “声”が逼迫(ひっぱく)した叫びを届ける。

 それは少女に対するモノではなく、他の誰かに放たれたモノのようだ。


 言葉の意味は分からない。何故こんな“声”が聞こえるのかも理解出来ない。そもそも理解しようとする余力など今の少女には残されていなかった。


 呼吸が辛い。

 足が痛い。

 肺は今にも張り裂けてしまいそうだ。


 それでも、走り続ける事だけはやめない。

 ガーディナー家の血は最後の最後まで諦めない。

 その矜持(きょうじ)が、少女の身体を突き動かしていた。


 しかし、それももう終わる。

 一人の傭兵が少女に追いつきつつあった。

 自分以外の誰かの息遣いを少女は聞く。

 それほどの距離にまで迫られているという事だ。


 傭兵が足に一際力を籠める。

 右手には短剣。

 姿勢は跳躍の構え。

 瞳に宿すのは必殺の意思。


 果たして傭兵は身を前に飛ばし、無防備な少女の背中へと短剣を突き立てようとして――そして、彼の人生はそこで終わった。


「……間に合ったか」


 空から彗星の勢いで降ってきた人影。

 それは銀色の髪をした、狼のような瞳を持つ長身の女性だった。

 女性は落下の勢いのまま、追手の傭兵に蹴りを放ち、その頭部をザクロのように砕いていた。


 突如現れた乱入者。

 その有り得ない威力を前にして、他の傭兵達が怯む。


 追われていた少女は、追手を遮るようにして立ち塞がった女性に振り返った。

 口調は似ている。しかし彼女は“声”の主ではない。何故ならば、少女が耳にした“声”は男の声色だったからだ。女ではない。


「少女よ。我が主の命令により、御身を守護する」


 素っ気ない口調。

 長身の女性はそれだけを口にして、傭兵らと相対の構えを取った。


「この女、今どこから――」

「いや、それよりもコイツ、たった一撃でジェームズの野郎を……!」

「身体強化魔術? しかし触媒が見当たらん。まさか魔道具か?」

「だが一人だ。まだチャンスはある!」


 傭兵らは統制を取り戻して、女性の周囲を取り囲んだ。


 傭兵側には数の利がある。

 何しろ二人を失ったとは言え、それでも未だ多くの手勢が残っているのだ。

 少女が戦力にならない以上、両勢力の数的戦力比は、実に二十三対一という有様である。


 普通に考えれば勝てるわけがない。

 古今東西、数の暴力というものはかくも偉大だ。

 いかに優れた戦術や堅牢な陣地を有していたところで、圧倒的な数の暴力の前には、その濁流に呑み込まれ消え失せていくのが条理である。


 だが何事にも例外は有り、取り分けこの世界にはその例外が多かった。

 そして突如現れた女性もまた、その例外に含まれる存在であったことは、少女にとって幸運であり――そして傭兵団にとっては災厄そのものだった。


「ぶげっ――」


 傭兵の内の一人がそんな声を漏らす。

 集団の一番奥に控えていた、傭兵団の副頭領を務める者だった。


 彼は、何故自分がそんな声を漏らしたのだろうかと、不思議そうに己の身体を(あらた)め……そして腹部に巨大な空洞が空いているのを見つけると同時に死亡した。


「な……今なにが!?」


 副頭領の最も近くに立っていた別の傭兵が、驚愕の声を上げる。

 いや、声を上げようとした。

 しかし、男の胴体には女性が放った蹴打が既に食い込んでおり、次の瞬間、男の身体は地上30メートルの高さにまで打ち上げられていた。地面に墜落するまでの間に絶命できたのは、男にとって不幸中の幸いだったのかもしれない。


 その光景を目の当たりにして、居並ぶ傭兵たちが動揺のあまり一歩退く。


「こ、この女……!?」


 選択肢を間違えた。

 目の前の女は戦って良い相手ではない。

 むしろ一目散に逃亡するべき化物だった。


 その事実に傭兵団が気付いたときにはもう遅い。

 女性はその拳と脚を凶器として、傭兵たちに対し容赦なく繰り出していく。

 そしてそれは、この場から逃げ出そうとする者たちにも等しく振るわれた。

 中には抵抗を試みる者もいたが、女性の動きすら捉えられていない有様で敵うわけもない。


 ――都合、二十秒。

 一人当たり一秒未満の所要時間で以って、その女性は単身で傭兵団を殲滅した。

 そして、その女性はしばらくの間油断なく周囲を観察し、間違いなく敵を全滅させたことを確認してから少女に歩み寄ってきた。


 弾む息を整えながら、少女は呆然と長身の女性を眺める。

 目の前の現実が上手く呑み込めず、ただ立ち尽くすことしか出来なかったのだ。


 しかしそれでも、貴族令嬢として叩き込まれた礼儀作法は半ば条件反射の域に有り、立ち上がり礼を述べる事を少女に要求した。

 だから彼女はそうした。


「か……加勢頂きありがとう御座います。貴方様のお陰で助かりました」


 左手を胸に当てながらのカーテシー。

 遠出用の衣装で身を固めていた為、摘むべき裾は無かったが、少女の行ったソレは貴族令嬢として何ら恥じるところの無い所作だった。


「礼ならば私にではなく我が(あるじ)に。主の命令が無ければ、私は護衛任務を放棄してまで貴女を助けようとはしなかっただろう」


 長身の女性は素っ気なく答える。

 少女はその答えに『やはり』との思いを抱いた。

 恐らくは先程までの“声”の主が、彼女の主人なのだろう。


「しばしお待ちいただきたい。もうしばらくすれば……ああ、いや、既においでになった。あそこだ」


 女性が指差すのはそびえ立つ崖の上だ。

 まさか彼女もあそこから降りてきたのだろうか、と指差す方を眺めていると、そこから二つの人影が宙に身を躍らせた。


「なっ……!?」


 身投げ。

 その単語が反射的に脳裏に浮かんだ。

 しかし、その人影は急降下することなく、まるで羽根のような身軽さで緩々と高度を下げてきた。そうして砂埃一つ立てること無く、ふわりと地面に舞い降りる。


 空から降りてきた二つの人影は、女性と男性の二人組だった。

 男性は頭からフードを被っていて顔立ちが分からないが、女性は非常に整った顔の造りをしていた。

 美貌、という単語を少女は思い浮かべる。メリハリのある身体付きも含めて、社交の場に出れば異性の眼を惹きつけて止まないだろう。


 少女もまた眼を奪われそうになるのを、努めて堪える。

 この場にいる男性が一人だけである以上、“声”の(ぬし)は彼だろう。

 まずは彼に対し、礼を述べることから始めなければならない。


「無事で何よりだ。間に合って本当に良かった」


 意外にも穏やかな声。

 先程まで頭の中に届いていた“声”と同じ響きではある。彼が“声”の主であることに疑いはない。


 しかしそこに篭められている感情の違いからか、肉声で耳にした彼の声は、ともすれば別人に思えるほど柔らかかった。


 彼はフードをめくり上げながら、微笑みを浮かべて、続く言葉を口にする。


「先程は咄嗟のこととはいえ、怒鳴りつけてしまってすまなかった。謝罪する」


 いいえ、滅相もないことで御座います。

 此方(こちら)こそご助力頂き、感謝の言葉に()えません。

 今この場でその働きに報いるような物は用意出来ませんが、国元に戻りました際には必ず、正当な対価となるものを贈らせて頂きたく存じます。


 ……そのような返事を返す筈だった。


 しかし少女の口は、フードに隠されていた男性の顔を目にして硬直し、言葉らしい言葉を発することが出来なかった。

 驚きの余り、肌蹴(はだけ)させたままの胸を隠すことも忘れ、少女は呆然と立ち尽くす。


 男性の顔つきは至って平凡だった。

 想像していたよりもずっと若く、その年齢は二十にも満たないだろう。

 目つきが少々鋭いのが気になるが、逆に言えばそれ以外は凡庸で、どこにでもいる一般人と呼んで差し支えのない顔立ちをしている。


 しかし、彼が一般人の雑踏の中に紛れられるかと問われれば断じて否だ。


 男性――青年にはあまりにも目立つ外見特徴があった。

 それは瞳と髪の色だ。


「……黒髪黒眼(こくはつこくがん)?」


 漆黒の色。

 瞳の黒は吸い込まれそうに深く、髪の黒は(からす)の濡羽色を連想する。

 それはこの世界にとって特別な色。

 決して只人が持ち得て良い色ではなかった。


「あー……ところで、その、なんだ……君のその恰好は、いささか目に毒だな」


 青年は少女に歩み寄り、自身が纏っていた外套(がいとう)を手渡そうとする。

 しかし、当の少女はそれどころではない。

 ただひたすらに、青年の髪と瞳の色に視線を奪われていた。


 すると、いつまで経っても外套を受け取ろうとしない少女に焦れたのだろうか。

 少女の胸元から視線を離す努力をしながらも、青年は少女に対し、更に一歩を踏み込んだ。


 目と鼻の距離にまで青年の顔が近づく。

 それほど間近な距離で見ても、青年の髪と瞳の色は着色さ(つくら)れたものには見えなかった。少なくとも少女の眼からは、その黒髪黒眼は生まれながらのものとしか思えなかったのだ。


 だから少女は、心の(おもむ)くままに、青年に一つの問いを放った。


「――貴方のお名前を教えていただけますか?」


 突如放たれた誰何(すいか)の言葉。

 それを受けた青年は、胸を晒したままの少女に外套をかけながら、短く答える。


「ヘリアンだ」


 それが少女と青年の――万魔(ばんま)の王ヘリアンとの出会いだった。




    +    +    +




 物語は二週間前、聖暦997年の10月14日にまで遡る。




・読んで頂き、ありがとうございます。


・次話は【10月15日】に投稿します。


・既に20万字以上のストックを用意しているので、一章完結まで【毎日更新】します。



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